2008-11-14

「いろいろ」って言ったときに立ち止まってみないほうがいいときもある

http://d.hatena.ne.jp/amachang/20081114/1226633132

いろいろあった

→いやなことがあった

→なぜ言語化できないのか

言語化すると、新しい視点が生まれるかも

いろいろできそう

→具体的には何

→そこに新しい発明

id:amachang の指す「いろいろ」が何かは現時点ではわからないのと、id:amachang

どんな人か私は知らないので、id:amachang を否定する気は更々無い事を前提条件

とします。

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いわゆる「こころの病」系の人は「言語化」しない方がいいこともある。

嫌なことがあったから、忘れようとしたり曖昧にしようとしたりしているのに

改めて直視し精査し言語化し新たな視点を見つけるのはかなり危険だからだ。

私の例では、企画書をかなり集中して書いて四六時中いろいろ考えてたら

最終的に「自殺」しか答えが出なくなってしまった。かなり危険だったので

びっくりして急いでPCの電源落として寝た。

布団の中でもずっとベランダから飛び降りたい衝動に駆られて危険だったので

深夜寝ている親を起こして話を聞いてもらった。

親は「伊丹十三とかはこういう感じで飛び降りちゃったのかねえ・・・」って

言ってた(伊丹十三の死については諸説ありますが親はそういうのは知らない

ので印象だけで発言)。

親は、自殺する人はみんな暗い気持ちで自殺すると思っていたようで、

かなりのテンションで「今すぐ飛び降りないと!」と言っている私にびっくり

したようだ。

id:amachang が書いた箇条書きに照らし合わせると、

いろいろあった

 →いやなことがあった

  →それを思い出した

 →なぜ言語化できないのか

  →言語化するために嫌なことと向き合った

 →言語化すると、新しい視点が生まれるかも

  →嫌なことを言語化し、新しい視点を発見

いろいろできそう

 →具体的には何

  →責任を取るために自殺

  →すべてを0に戻すために自殺

 

 →そこに新しい発明

  →思いついた!ベランダから飛び降りよう!

といった感じ。自殺という最悪の手法をとらないためにあえて

曖昧に「いろいろ嫌なことがあったけど、私は元気です」って感じに

していたのを直視したために結論や結果を出さないといけない方向へ

自分を持って行き、最終的には自殺にたどり着いてしまう。

よく言う「元気になった頃が危ない」ってやつだと思う。

id:amachang はおそらく新しいサービスとかについてを書いているのだと

思いますので、健康な方におかれましては本文章は完全スルーでOKです。

なぜこのようなことを増田に書いたかというと、私自身が、id:amachang

ような人に出会ったり、こういう文章を読んで「よし、私も頑張ろう!!」

って思ってものすごく根詰めてやってしまって最終的に鬱に逆戻り、という

状態によくなるので、自戒を込めてってことで。

  • 平凡なレスするけど 色々出来そう→自殺の部分は逃げじゃないの 具体的じゃない。 逃げずにやれる方法を具体的に考えてない。

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