はてなキーワード: 今昔物語とは
観ていて少し気になった事がある
本当に「ゴミ」が溜まっている
「ゴミ」に埋もれているのだ
昔の迷惑爺は、モノが捨てられない勿体なくて集めてしまっていた
ビニール傘が100本もあったり、新聞紙が山にように積まれたり、捨てられていた家電や自転車を拾い集めてしまうようなやつだ
ペットボトル、カップめん容器と割りばし、お酒の缶、ビニールなどの日常のゴミなのだ
そんな状況を片付けている動画を見ると、とてもやるせない
①ゴミを袋にまとめられない
この2つだけで、あっという間に「ゴミ屋敷」になってしまうのだ
「そんなこと」にも支援がいるのだろうか?
何かのきっかけで、ゴミ屋敷にしてしまうのではないかと不安にもなった
そして、片付け業者に依頼できるだけでも、彼らは偉いのだ
みんな偉い
俺は古典教育廃止しろ派、というか、文法とかどうでもいいから文学史だけやれ派なんだけど、その理由のひとつに、「古典」つって出てくんのが結局枕草子・源氏物語・徒然草程度じゃん!っていうのがある
なんなら小学5年〜中1くらいでやるだろその辺って
谷川俊太郎の詩とかと一緒にさあ!
それで暗唱させられたから覚えてるだけなんだ
水鏡とか大鏡とか、伊勢物語とか落窪とか、なんかいろいろあったろ?俺は覚えてねえけどさあ
日常的に軍記物語の語り口調でギャグを飛ばしてみんながウケるとか、しょっちゅう百人一首あたりを引用して喋るのが一般的とか、そういうレベルでみなさんが教養を持ってんだったら、俺だって文句は言いません
でも何すか、スーパーの惣菜売り場に「春は揚げ物」って書いてある、これが"古典教育"だ!ですって?
"「春はあけぼの」の元ネタがわかる"程度だったら、小学生のときに、授業1時間受けるだけで、充分たどり着けるんだよ
っていう話だろ
これ、実は明確な答えがあって、ないんです
なんせ何も覚えてねえ
昔、男ありけり ソーワット、ファックユー!
まあ実際、(ごく一部を除いて)つまんねえ上に教訓もないクソ説話・小説を6年にわたって読まされることで、ああ俺たちの先祖ってカスだったんだ、貴族階級のが書いて、かつ後世に残そうとされた、日本古典文学の上澄みがこのレベルだったんだ、貧しい文化の国だったんだなあ!と思えるというのは、ひとつの学びだったかもね
ここで10 Japanese Classic Booksなるまとめをチェック!
4 竹取物語 ングアー!やられた!!でも竹取物語って古典やんなくても知ってるだろ 古典教育の必要性って意味では、これはノーカウントじゃないか?? でもまあ、1ポイント
7 砂の女 そういえばこれ読んどきたい
9 雪国 ほら〜
見てくださいよこれ "クラシック"なんて頭につけても、ガチ古典vs近代文学で3:7ですよ
雑魚すぎんだって古典 しかも竹取物語はなんか、史料っぽい雰囲気だからな
アレある程度授業でやったけど、覚えてんのは「うつくしうてゐたり」の一文だけだ 美しく座っていた、という表現はちょっと英語っぽくてかっこいいな、という浅い印象だけ あと不死の薬を焼いたから富士山です(笑)みたいなオチがすげー鼻についた
枕草子・源氏物語・徒然草・竹取物語・今昔物語くらいをサラッとさらって、文法は一切触れず、こんな感じだったんですよ〜でお終いだ
原典の響きがどうこうって意味では、昔のハ行はパ行だったとかいうし、やるだけ無駄ってもんだろ
星野由妃 エデンの街
かな。
新井由美 翳りゆく部屋
亜羽根綾乃 大きな風
サラ ブライトマン Time to say good bye
ルイ・アームストロング What a wonderful World
池田綾子 空の欠片
Ben E. King Stand By Me
Bob Dylan Blown' in the wind
Janis Joplin Mercedes Benz
John Lennon Just Because
Larry Williams Just Because
John Denver Take me Home, Country Roads
Queendom Chiki Chiki Ban Ban
JOLLY Chiki Chiki Ban Ban
森山良子 桜
J.S.Bach BWV1061/62
J.S.Bach BWV1063/64
J.S.Bach BWV1065
(1)「『同性婚を推進すべき』という意見に対する肯定の根拠が見えない」という指摘について
◦ 現行の婚姻制度は共同体の安定の機能のためなるべく「現状を肯定することを前提に」運用する
◦ パートナーシップ制度は「共同体の安定」のために先進的な制度「の導入については慎重を期す」←同性婚は「現状」に沿った形で「現行の婚姻制度」の柔軟な運用により対応する
となる。増田の意見とは結構、真逆な結論になるよね。つまり、増田の提案する「新しいパートナーシップ制度」が、極めて近代的発想に基づくもので、それがうまく「共同体の安定」に資するビジョンが見えない、と言いたいわけです。分かりにくくて申し訳ない。
極東ブログの意見は、それこそ「(我々のイメージする近代的)家族はなかった」という話に過ぎないし、引用している本も40年ほど前の本だよね。それこそ「近代の見直し」が盛んだった時代の論としてはありがちな意見だけど、その時代の意見については、今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い。
これが極めて極論であることは、たとえば古事記を引いてもいいだろう。ヤマタノオロチに娘を捧げなくてはいけない状態にあった老夫婦(アシナヅチ、テナヅチ)を見たスサノオが大蛇退治をする、というストーリー。この人たちが当時として特異な「家族」として描かれているように読めるだろうか? むしろ普遍的に理解される家族・親子の姿として描かれているのでは? あるいは「物語のいできはじめの祖」とされる「竹取物語」ではどうだろうか。「子供の出来ない老夫婦が、子供を拾って家族となる」ところから話が始まるのではないだろうか。宇治拾遺や今昔物語などを調べてみてくれてもいいが、「一対の夫婦がいて子供がいて共に暮らす」というのはむしろ多くの物語で見られる「一般的な『家族』の姿」だよ。
もちろん増田の言う「ひょっとすると近代に作品が伝わるにつれて近代にそぐわない婚姻のスタイルの話が継承されなくなったのかもしれない」という想像を100%廃するわけじゃないけど、それを主張するなら、むしろ「確実に古代から伝わっている多くの本」に描かれたこれらの姿をどのように説明するかについての納得のいく説明が必要じゃないかな。
女「マンガってどんなの読むんですかぁ?」
ぼく「え、あの、その、あー、あの、手塚治虫の…あー、えっと、ブラック・ジャックとか…(個人的には短編の方が好きなんだけど、いうてもわからんやろなぁ…)」
女「おー!ブラック・ジャック?私も読んでましたぁ。ちなみに、他のマンガだと何がおすすめですかぁ?」
ぼく「(お、こいつ、イケるクチか?)やっぱり個人的には「新選組」だよね。いかにも青春マンガっぽいけど、深草丘十郎と鎌切大作の親友としての関係は、周囲の状況に影響されながらも終始美しいままだった。しかも連載打ち切りになったにもかかわらず、たった一巻でほぼ完璧に結末がまとめられるものかと最初読んだときは驚いたよ。ただ、短編マンガは知名度低くなりがちだからね。世間一般の覇権は「火の鳥」「リボンの騎士」「アドルフに告ぐ」だろうね。Twitterやpixivでも人気があるのがよくわかる。「鉄腕アトム」は、結末が「アトム今昔物語」「鉄腕アトム(別巻)」「鉄腕アトム(虫プロ制作)」それぞれ全く別の、どれも悲しい最後だから、子供向けだと侮ってたらえらい目に合うんだよね。手塚作品は単行本化するときに内容を大幅に描き直ししたものも多かったりするから、単行本化前後の読み比べをするのもすごく面白いよね。最近読んだのは「ダスト18」で、とくにNO.8とか、絵を変えずにセリフを変えるだけで、展開も結末も全く異なる作品にしてしまうあたり、マジで手塚治虫の脳みそやべーなって思ったわ。それとは別に、マンガの扉絵に関して言えば、作品全般に言えることだけど、ダイナミックでバランス感覚に優れていて、目に付きやすく作品の中身を推測しやすい構図ものが多いよね。あとマンガじゃないのと、実験アニメだから周りには言ってないけど「おんぼろフィルム」あたりは数分で終わるけど、吹き替え無しでも楽しめるユニークな日本版「トムとジェリー」みたいな感じで、見ていて飽きないね。」
女「へぇ~(無関心)」
ぼく「そうだ、家に手塚治虫漫画全集100冊くらい持ってるんだけど、読んでく?本当は400巻すべて揃えて、文庫全集200巻揃えれたら最高なんだけど…ここだと積もる話もしにくいし、せっかくだし家でじっくり話さない?」
女「いえ、遠慮します(死んだ魚の眼)」
なんで?(殺意)
村に姫が暮らしていた。どこの家の姫なのか、そもそもなぜ姫なのか、親類縁者はいないのか、実は割った竹の中から産まれたのではないか、しかも他に同じ顔の姫が24人いるのではないか、などなど無責任な噂が数多く流れていたが、出自などの真相は誰にもわからなかった。ただ村人たちは彼女を姫とよんでいた。
姫は顔こそあまり美しくなかったが、流行や世相について語ってみせるのが得意だった。語るだけなら他の村人にもできたのだが、姫の語り方は他とは一味違っていた。
まず姫は語り始めるときには無知を装う。自分が聞く者と同じ視点に立ち、同じことを知りたがっているのだと強く印象づけるためだ。しかしこうして話の流れを形作ると、一転して姫は全てを知る神の視点で語り始める。口調は始めと変わらず聞く者に寄り添う形になっているのだが、ところどころで無知な聞き手に自分の考えを吹き込むのだ。こうされると姫の流れるような語り口も相まって、聞き手は手取り足取り手ほどきをされながら自分で新しい事実を発見したかのような錯覚に陥る。
自分がどれだけ賢いか確認することに至高の喜びを得るような傾向がもともと村人たちにはあったので、姫はたちまち村の人気者になった。姫の屋敷の前には話を聞こうとする村人の行列が絶えなかったし、姫に入れあげるあまり親衛隊を気取る者まで現れる始末だった。
その日も姫の話を聞きに大勢の村人が集まっていた。
「歌を詠むには古今東西の歌を知らなければいけないという人がいるけれど、そんなのはおかしいわ。本当に重要な歌を二つか三つ知っていれば、誰でも歌は詠めるはず。」
こう語りながら姫は、「知識が多いこと自体に意味はない」という事実を「発見」した村人たちが論争を始める様を夢想していた。村人たちに興味があるわけではない。日頃から物を知らないことに劣等感を感じていた者がこれに賛同し、逆に優越感を感じていた者が反論を始めて村を巻き込む騒ぎになり、自分の名がさらに広く知られるようになることを期待したのだ。
ところが、実際に語り終えてみると期待していたのとは何やら様子が違う。聴衆の視線が総じて自分に敵意を抱いているように見える。と、聴衆の一人が立ち上がって叫んだ。
「歌を詠むことを馬鹿にするな!」
なんと、話の結論ではなく、例として歌を使ったことが聴衆の反感を買っていたのだ。日頃から何かを話のダシに使うときには聴衆の反感を買いすぎないものを選ぶよう気をつけてはいたのだが、今回は知らぬ間に村の内部のそれもかなり連帯意識の強い部分に石を投げてしまっていたらしい。
次第にざわつき始めた聴衆を前にしても、しかし姫は慌てなかった。騒ぎを大きくすればするほど自分の名は広く知れ渡るという冷静な計算が既にあった。
「歌を詠むのがそんなに立派なことかしら?さっきは二つか三つって言ったけど、なんなら一つでも知っていれば歌なんて簡単に詠めるわ。」
姫の挑発は完璧で、むしろ効果がありすぎたほどだった。顔を真っ赤にした聴衆は憤怒の形相で姫をにらみつけている。このままでは暴動すら起こりかねないと思われたまさにその時、一人の男が立ち上がった。
「できるというのなら、実際にやって見せていただければ納得できるのですが?」
聴衆は静まりかえった。その男は、春の歌を詠めば冬でも桜に花が咲き、魚を焼く歌を詠めば警察が小学校を警備するとまで言われた、知る人ぞ知る歌聖であった。この騒ぎを見るに見かねて、場を収めようとしたのである。あとは姫が聴衆に軽く頭を下げ、得意の口上でオチをつければ万事丸く収まる。
「いいでしょう、やってみせましょう。」
しかし姫は譲らなかった。聡明な姫に歌聖の気遣いがわからなかったわけではない、むしろ自分でもなぜ強情を張ってしまったのかわからない。しかし一度やると言ってしまった以上、やらねばならない。結局、翌日中に姫が歌を詠んでみせるということになってしまった。
その晩、興奮冷めやらない様子で聴衆が去っていった後、姫は考えた。なぜあそこで強がりを言ってしまったのだろう。なぜあの歌聖の顔が頭に浮かんで離れないのだろう。冷静になって考えようとするのに、答えは出ないまま夜が明けてしまった。
朝になると、既に姫の屋敷の前には人だかりが出来ていた。「早く始めろ」だの「逃げるつもりか」だのと、口々に勝手なことをわめいている。そこに静かに座を構える歌聖の姿を見つけたとき、姫は自分の胸が高鳴るのを感じずにはいられなかった。そして気づいてしまった。ああ、私はあの方に恋をしている。
「百人集まったら、ここに人が百人集まったら歌を披露いたします」
こう言って姫は屋敷の奥へ引っ込んでしまった。とにかく時間を稼がなければ。始めはうまいことを言ってはぐらかしてしまうつもりだったけれど、あの方を前にしていてはとても落ち着いて口上を述べるだなんてできやしない。とにかく歌を詠まなければ、私なら出来る、今までだって私は村人の期待に応えてきた、やってできないことなんてないわ。
しかし、さすがの姫にもできないことはある。結局、完成したのは技法も稚拙なら構成もでたらめ、なにを主題にしているのかもさっぱりな、素人が詠んだ歌の見本のようなものであった。
百人を超える聴衆を前にその歌を披露したとき、場に起こったのは「やっぱりか」という失笑と、「それでも姫ならなんとかしてくれるはず」という期待が変じた溜息だった。しかし姫は聴衆の反応など意に介していなかった。歌聖だけが気がかりであった。思い焦がれる歌聖の前で、こんな醜態を晒してしまった自分の惨めさに涙が溢れてきた。
すると、歌聖はすっと立ち上がると歌を詠み始めた。それは姫の歌を土台にしていながら、韻律は流れる川のように滑らかで、ありとあらゆる技巧が尽くされ、古今東西の歌が詠もうとしていた主題が全て織り込まれたかのような深い味わいのある歌であった。姫に罵声を浴びせかけることに熱中していた聴衆は静まりかえり、感動のあまり号泣し、我を忘れ失禁するものすら相次いだ。
歌聖の圧勝だった。歌聖とて姫を辱めるためだけに歌を詠んだのではない。聡明な姫のこと、これを糧に歌人としても才能を花開かせて欲しい、そう思っての行動であった。しかしその思いは姫には届かない。私の胸をこんなに狂わせておきながら、公衆の面前で容赦なく辱めたあの男が憎い。私の才能を賞賛しておきながら、今は私に罵声を浴びせかける側にいる村人たちが憎い。そして何よりこんな惨めな状況に自分を追い詰めた自分自身が憎い。もうこの村にはいられない。
それから先のことを語りたがる村人はあまりいない。何があったのかを正確に述べるのは難しいし、何より本当にそんなことが起きたのか今となっては疑わしいからだ。
「突然ですが、あなた方には愛想が尽き果てました。今唐突に思い出しましたが私は月世界の姫なのです。私は故郷に帰ります。さようなら。」
姫はおもむろにこう宣言したかと思うと、パシューと音を立てて気化してしまった。パシュッでもシューでもなかった。パシューであった。瞬間移動でも液化でもなかった。気化であった。
そして姫が立っていた地面には置き手紙が一つ。
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ うんこうんこ
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その後、月日が流れたが姫の屋敷では気化したはずの姫が再び人々に話を聞かせている。それが以前と同じ姫なのか、他に24人いたそっくりさんの一人なのかは誰も知らないが、ともかく姫が歌について何かを語ることはなくなった。
自己啓発セミナーに鞍替えした姫の屋敷は、今も姫と親衛隊気取りの村人たちがキャッキャウフフする場所として大いに盛り上がっているということである。
「アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本」と題されたそのエントリからはとても香ばしい童貞臭が放たれていて、集まった村人たちは自分たちが若かった頃の少し苦い思い出を思い浮かべたりしながら口々に「俺はこのアニメがおすすめ」「こんな女いねーよ」「私女だけどこれはないと思う」など、早くも井戸端会議に花を咲かせていた。先走った若者が書き捨てていった浮ついたエントリを囲んで村人たちが談笑する光景は、なんでもない村の日常の一コマとして過ぎ去っていくかに見えた。
最初に気づいたのは誰だったのだろうか。始めは幻聴のように思われたが、なにやらエントリから声が聞こえる。しかもその声は村人たちのコメントに逐一反応しているではないか!
村の長老たちは戦慄した。
そもそも増田山から拾われるエントリに魂は宿っていないというのが定説だ。村人の声に反応したかのようにエントリが変化して数行の補足が書き加えられていることはたまにあるが、村人が発言するたびに逐一反応してみせる増田エントリなど聞いたことがない。死体が動き回っているかのような禁忌の念。しかもこのエントリの内容は、一部の長老にしてみれば痛々しい自分の過去と重なりすぎていてネタ扱いしなければ読むに耐えないような代物だ。
長老たちの対応は素早かった。短い会議の末に長老たちは声明を発表した。これは妖怪モトマスダの仕業である。妖怪は人間とは相容れない存在なのだ、だから打ち倒されなければならぬ。
かくして村の方針は決まり、村長はモトマスダを敵性と判断する旨を村全体に通知した。同時に長老に近い職工たちの組合へ通達が送られ、対モトマスダ兵器の大量生産が開始された。モトマスダ打倒の目的に限っては、普段は避けるよう指導される「オタ」という言葉の罵倒語としての使用すら許可された。
対モトマスダ兵器として作成されたのは、大量の改変エントリであった。改変は古くからある兵器で、元ネタへの注目を集め、その奇異なところを強調するには最適であるとされる。
大量生産された改変エントリは、瞬く間に絶大な効果を発揮した。村の運営に関わらない下々の村民ですらモトマスダを忌むべき存在として認識するようになったし、村の運営に興味を示さないが高い生産能力を示す職能集団(これはさらにギークやファックといった組合にわかれている)までも改変エントリ作成競争へ巻き込むことに成功したのである。
かくしてモトマスダは完膚無きまでに叩き潰された。断末魔の悲鳴とともに「アニオタが非オタの彼女に(ryの元増田によるまとめ」と題したエントリを吐きだしたように見えたが、誰も見向きはしなかった。村民は改変エントリの生産と消費に夢中であった。この熱狂はその後数日間続いた。