2008-07-27

はてな今昔物語「はつくる姫」

村に姫が暮らしていた。どこの家の姫なのか、そもそもなぜ姫なのか、親類縁者はいないのか、実は割った竹の中から産まれたのではないか、しかも他に同じ顔の姫が24人いるのではないか、などなど無責任な噂が数多く流れていたが、出自などの真相は誰にもわからなかった。ただ村人たちは彼女を姫とよんでいた。

姫は顔こそあまり美しくなかったが、流行や世相について語ってみせるのが得意だった。語るだけなら他の村人にもできたのだが、姫の語り方は他とは一味違っていた。

まず姫は語り始めるときには無知を装う。自分が聞く者と同じ視点に立ち、同じことを知りたがっているのだと強く印象づけるためだ。しかしこうして話の流れを形作ると、一転して姫は全てを知る神の視点で語り始める。口調は始めと変わらず聞く者に寄り添う形になっているのだが、ところどころで無知な聞き手に自分の考えを吹き込むのだ。こうされると姫の流れるような語り口も相まって、聞き手は手取り足取り手ほどきをされながら自分で新しい事実発見したかのような錯覚に陥る。

自分がどれだけ賢いか確認することに至高の喜びを得るような傾向がもともと村人たちにはあったので、姫はたちまち村の人気者になった。姫の屋敷の前には話を聞こうとする村人の行列が絶えなかったし、姫に入れあげるあまり親衛隊を気取る者まで現れる始末だった。

その日も姫の話を聞きに大勢の村人が集まっていた。

「歌を詠むには古今東西の歌を知らなければいけないという人がいるけれど、そんなのはおかしいわ。本当に重要な歌を二つか三つ知っていれば、誰でも歌は詠めるはず。」

こう語りながら姫は、「知識が多いこと自体に意味はない」という事実を「発見」した村人たちが論争を始める様を夢想していた。村人たちに興味があるわけではない。日頃から物を知らないことに劣等感を感じていた者がこれに賛同し、逆に優越感を感じていた者が反論を始めて村を巻き込む騒ぎになり、自分の名がさらに広く知られるようになることを期待したのだ。

ところが、実際に語り終えてみると期待していたのとは何やら様子が違う。聴衆の視線が総じて自分に敵意を抱いているように見える。と、聴衆の一人が立ち上がって叫んだ。

「歌を詠むことを馬鹿にするな!」

なんと、話の結論ではなく、例として歌を使ったことが聴衆の反感を買っていたのだ。日頃から何かを話のダシに使うときには聴衆の反感を買いすぎないものを選ぶよう気をつけてはいたのだが、今回は知らぬ間に村の内部のそれもかなり連帯意識の強い部分に石を投げてしまっていたらしい。

次第にざわつき始めた聴衆を前にしても、しかし姫は慌てなかった。騒ぎを大きくすればするほど自分の名は広く知れ渡るという冷静な計算が既にあった。

「歌を詠むのがそんなに立派なことかしら?さっきは二つか三つって言ったけど、なんなら一つでも知っていれば歌なんて簡単に詠めるわ。」

姫の挑発完璧で、むしろ効果がありすぎたほどだった。顔を真っ赤にした聴衆は憤怒の形相で姫をにらみつけている。このままでは暴動すら起こりかねないと思われたまさにその時、一人の男が立ち上がった。

「できるというのなら、実際にやって見せていただければ納得できるのですが?」

聴衆は静まりかえった。その男は、春の歌を詠めば冬でも桜に花が咲き、魚を焼く歌を詠めば警察小学校を警備するとまで言われた、知る人ぞ知る歌聖であった。この騒ぎを見るに見かねて、場を収めようとしたのである。あとは姫が聴衆に軽く頭を下げ、得意の口上でオチをつければ万事丸く収まる。

「いいでしょう、やってみせましょう。」

しかし姫は譲らなかった。聡明な姫に歌聖の気遣いがわからなかったわけではない、むしろ自分でもなぜ強情を張ってしまったのかわからない。しかし一度やると言ってしまった以上、やらねばならない。結局、翌日中に姫が歌を詠んでみせるということになってしまった。

その晩、興奮冷めやらない様子で聴衆が去っていった後、姫は考えた。なぜあそこで強がりを言ってしまったのだろう。なぜあの歌聖の顔が頭に浮かんで離れないのだろう。冷静になって考えようとするのに、答えは出ないまま夜が明けてしまった。

朝になると、既に姫の屋敷の前には人だかりが出来ていた。「早く始めろ」だの「逃げるつもりか」だのと、口々に勝手なことをわめいている。そこに静かに座を構える歌聖の姿を見つけたとき、姫は自分の胸が高鳴るのを感じずにはいられなかった。そして気づいてしまった。ああ、私はあの方に恋をしている。

「百人集まったら、ここに人が百人集まったら歌を披露いたします」

こう言って姫は屋敷の奥へ引っ込んでしまった。とにかく時間を稼がなければ。始めはうまいことを言ってはぐらかしてしまうつもりだったけれど、あの方を前にしていてはとても落ち着いて口上を述べるだなんてできやしない。とにかく歌を詠まなければ、私なら出来る、今までだって私は村人の期待に応えてきた、やってできないことなんてないわ。

しかし、さすがの姫にもできないことはある。結局、完成したのは技法も稚拙なら構成もでたらめ、なにを主題にしているのかもさっぱりな、素人が詠んだ歌の見本のようなものであった。

百人を超える聴衆を前にその歌を披露したとき、場に起こったのは「やっぱりか」という失笑と、「それでも姫ならなんとかしてくれるはず」という期待が変じた溜息だった。しかし姫は聴衆の反応など意に介していなかった。歌聖だけが気がかりであった。思い焦がれる歌聖の前で、こんな醜態を晒してしまった自分の惨めさに涙が溢れてきた。

すると、歌聖はすっと立ち上がると歌を詠み始めた。それは姫の歌を土台にしていながら、韻律は流れる川のように滑らかで、ありとあらゆる技巧が尽くされ、古今東西の歌が詠もうとしていた主題が全て織り込まれたかのような深い味わいのある歌であった。姫に罵声を浴びせかけることに熱中していた聴衆は静まりかえり、感動のあまり号泣し、我を忘れ失禁するものすら相次いだ。

歌聖の圧勝だった。歌聖とて姫を辱めるためだけに歌を詠んだのではない。聡明な姫のこと、これを糧に歌人としても才能を花開かせて欲しい、そう思っての行動であった。しかしその思いは姫には届かない。私の胸をこんなに狂わせておきながら、公衆の面前で容赦なく辱めたあの男が憎い。私の才能を賞賛しておきながら、今は私に罵声を浴びせかける側にいる村人たちが憎い。そして何よりこんな惨めな状況に自分を追い詰めた自分自身が憎い。もうこの村にはいられない。

それから先のことを語りたがる村人はあまりいない。何があったのかを正確に述べるのは難しいし、何より本当にそんなことが起きたのか今となっては疑わしいからだ。

「突然ですが、あなた方には愛想が尽き果てました。今唐突に思い出しましたが私は月世界の姫なのです。私は故郷に帰ります。さようなら。」

姫はおもむろにこう宣言したかと思うと、パシューと音を立てて気化してしまった。パシュッでもシューでもなかった。パシューであった。瞬間移動でも液化でもなかった。気化であった。

そして姫が立っていた地面には置き手紙が一つ。

   /__.))ノヽ

   .|ミ.l _  ._ i.)  

  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   うんこうんこ

  .しi   r、_) |  

    |  `ニニ' /   

   ノ `ー―i

その後、月日が流れたが姫の屋敷では気化したはずの姫が再び人々に話を聞かせている。それが以前と同じ姫なのか、他に24人いたそっくりさんの一人なのかは誰も知らないが、ともかく姫が歌について何かを語ることはなくなった。

自己啓発セミナーに鞍替えした姫の屋敷は、今も姫と親衛隊気取りの村人たちがキャッキャウフフする場所として大いに盛り上がっているということである。

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