はてなキーワード: 水戸黄門とは
謎を散りばめ、一緒に謎を解いている感じにして
でも一方で、構成がまるで読めない驚きに満ちた作品を見たいと思う自分がいるのにも気づいた
おっさんになりすぎたのかもしれない
どうしても繰り返しがあると、「最後に戦って勝つ」という部分から逆算してしまう
問題は繰り返し部分がどのくらい好きかという点だと思う
俺は特撮に興味が無いので、ここがネックだ
「バトルがない回が無いのはありえない」というようなことを誰かが作中で言ってるけど
俺は無くても良い派だからここで既にメインターゲットからずれてるんだと思う
例えば女児向けアイドルアニメなんかは、ライブシーンを見るために見てるのが半分くらいあるので
やっぱり話が変わってくる
儒教文化では法律は「冷たく不完全」なもので、仁徳のある為政者が法律を超越して善政をなすことが理想的な状態である。
まあ、水戸黄門であり、暴れん坊将軍である。法律の届かないところで悲しむ国民をお上が超法規的に救うことを良しとする価値観である。
つまり、法律を無視して民の声に応じるのが、儒教文化における理想的な為政者であり、法律に則って国民の声を無視するのは儒教的な観点からすると良い為政者ではない。
かの儒教国の政治が法律に則っていない、とか、国民感情第一で国際ルールを無視している、というような批判はだからうまく通じない。
なぜなら「国民感情を優先して、法を曲げること」は儒教文化の中にあると「良い事」だから。
というようなことを海軍旗の話し見ながら思った。
徳川光圀。
辻斬りを頻繁に行い、家臣もその場で斬り殺す。
御三家の見栄のために石高を多めに申告し、そのために領民に重税を課す。
これがために藩の財政をさらに逼迫させただけに留まらず、水戸学を生み出し尊皇攘夷の震源地となり桜田門外の変を引き起こし、
その精神は薩長に受け継がれついには太平洋戦争を引き起こして日本は破滅へ進み、現在もその負の遺産を引きずっている。
水戸藩自体も天狗党と諸生党に別れて内ゲバを繰り返して優秀な人材は悉く失われ、茨城県の発展は遅れに遅れ、現在最も魅力のない都道府県ワースト1位に甘んじている。
このような現在に至るまでなお悪影響しか残していない暴君暗君の極み徳川光圀。
これを水戸黄門などと称して正義の味方のような扱いをするなど狂気の極みではないか。
例えるならヒトラーを正義のヒーローにしているようなものだ。(後世への悪影響という点ではヒトラーよりもタチが悪いかもしれない。現在の右翼団体のルーツも徳川光圀だ。)
北海道出身の30歳男。
いいか。北海道出身の奴は全員大泉洋、水曜どうでしょうのファンだと決めつけるのはやめろ。
あれは完全に世代がある。
北海道で水曜どうでしょうが流行ってたのは90年代後半頃で、当時高校生~30台だった人にウケていただけだ。
当時小学生だった俺は、水曜どうでしょうが放送されている時間は爆睡している。
そんな番組やっているなんて知るよしもない。
そりゃあ、クラスに一人や二人くらい水曜どうでしょう観てる奴はいたが、親が若くて深夜でも起きていることを許していた家か、小学生なのに高校生の年の離れた兄貴がいて自然に観ていたような特殊な環境の奴だけであって、
ほとんどの当時の小学生は水曜どうでしょうなんて知らないし観てないのだ!
当時の北海道の小4~小6の間で話題沸騰だったテレビ番組は、「ボキャブラ天国」「学校へ行こう」「伊東家の食卓」など、バリバリのゴールデン番組だけだ!
少なくとも、この3つはクラスの全員が観ていた!
「どんぐりころころのメロディーで水戸黄門歌える裏ワザめっちゃ笑った」「昨日は海砂利水魚がチャンピオンになったけど、爆笑問題のほうが面白かったよな~」なんて話題してる途中に「来週の水曜どうでしょうはお遍路で…」とか割って入ってもみんな「なにそれ?」って言うだけだ。
水曜どうでしょうがピークだった頃を知らないので、世代以外の北海道民は水曜どうでしょう、及び大泉洋にそこまで思い入れはないのだ。
いや、たまにあったよ。クラスの一人に熱狂的な水曜どうでしょうファンがいて、
「録画したから!絶対面白いから!皆で見よう!」とみんなでそいつの家で集まって水曜どうでしょう鑑賞会。
知らない(当時の小学生視点で)おじさん達が、ただ笑ってるだけの謎の内輪映像見せられても。
それより、うちの父親のエロビデオ勝手に持ってきたんだけど!!と、すぐさまAV鑑賞会よ。
物心ついたときには水曜どうでしょうなんかやってなくて、おじさんに「大泉洋面白いよな~、え、お前北海道民なのに水曜どうでしょう観てないの?」って言われるにが凄く面倒くさくて、余計にウザいわけ。
ちなみに、北海道で水曜どうでしょう人気がピークを迎えていた当時、北海道の若者には熱狂的に支持されたが
当時の大泉洋は「見たこと無いタイプのブサイク」って感じで、中年から上の層には江頭や出川みたいな印象に映り、嫌われていた。
うちの親も、大泉洋がテレビに映ると「生理的に無理」とチャンネルを変えていた。(今でこそ流石に慣れたが)
後にオンエアバトルにエレキコミックが出るようになると「大泉って東京で芸人やってるの?」と言われる程度には世代以外の北海道民には混乱を招いた。(あと、いつも大泉洋と一緒にいる鈴井?とかいう人は、東京でインスタントジョンソンっていう名前で芸人やってるんだね~とか。)
基本的に、北海道民にとって大泉洋とは深夜の人で、日曜夕方に大泉洋と地元のアナウンサーが北海道の小学校とか巡って地元の飯食うだけの「1×8いこうよ」という番組で見る機会はあったが、出掛けてるしあんま日曜夕方にテレビ見ないし、
そもそもそんな内容であんまり面白くないので「やること無いので仕方なく見る」番組でしかなく、特に印象はない。
今でいうなら日曜夕方に宮川大輔が知らない田舎の農家行ってそこでとれる野菜食って「うまーい!」って言うだけの超つまらない番組(満点レストラン?みたいなタイトル)やってるけど、あんな感じ。別にわざわざ見るもんじゃないよね、みたいな。
大人になって、上京して同世代の北海道出身の奴を見つけては「水曜どうでしょう好き?」って聞いても、やっぱり「見たことない」「興味ない」って言うやつばかりなので、やっぱりあれは特定の世代の流行でしかないのだ。
なんか2000年代前半に雑誌とかでやたら水曜どうでしょうが特集されて、当時人気だった歌手とかモデルが「ファンです」って公言しだして、全国的に「水曜どうでしょうを観るのがオシャレ」みたいな空気になった瞬間が少しあって、東京モンが北海道人より水曜どうでしょうに詳しくなってしまった。
そんな東京モンは北海道人全員が水曜どうでしょう大好きだと思って憚らないが、あれは断じて特定の世代だけの流行だと言いたい。
今は水曜どうでしょうの再放送を深夜にやっているが、今の北海道の若者にとって大泉洋とはただの「北海道出身の俳優」であって、水曜どうでしょうの再放送を見せられても「大泉洋とその他のおじさんが笑ってるだけの内輪映像」でしかない。
ホンモノと区別がつきにくいかもしれないが、障碍者のフリをした変態爺さんがいるのを電車内で目撃してしまった。
実際、すこしからだの動きが悪そうだったがそれは、加齢によるものにみえた。他の高齢者と動きの差は見えない。
というか、深夜帯の混雑している電車に乗れるくらい元気があるようだ。
障害者手帳を水戸黄門の印籠のごとく見せびらかす変な爺さんで、電車の座席の奥の方にいったかとおもったら、駅についたとたん、揺れに合わせてドカーンと人に体当たりしていた。
気づいたときには、女性めがけてわざと倒れこんでいたので、確信犯だろう。
よくみえなかったが、女性の悲鳴、ではないが「えええ?」みたいな声が聞こえたので変なところをさわられたのかもしれない