はてなキーワード: 感染とは
へずまに票が入っている時点で県民性を疑うわ。
大阪からコロナを持ちこまれて感染が広がったのを全国区で流していたしローカルニュースでも散々やってただろう。
こんな奴に票を入れて何を期待してるのか。
ローカルニュースでも全国ニュースでも、ネットニュースでもこいつの事を取り上げないで貰いたい。
つけあがる原因はメディアだと想う。
だったら花粉用メガネみたいにサイドも防いだらもっと感染率低くなるんじゃない?
と思ってググったら普通にあったわ。
https://www.meganeichiba.jp/assets/img/pc/brand/eyesaver/lineup/epg_kf-101_1.jpg
十月の執務室は寒い。老朽化した庁舎は、あちらこちらで感染者が出た為トイレが封鎖され使用不可能になっていた。事件現場のごとく黄色いテープが貼られ、仕方なく別の建物まで足を運び用を足す。そこには、かつて共に働いた正規職員がいる。電話番号を交換した間柄の相手は二三度こちらを確認したが、顔を見合わせただけで同僚との会話に戻った。自席へと戻ると職員と市民が唸りながら攻防を続けている。ゆらゆらと垂れ下がるビニールシート。課名を掲げたプレートがだらしなくさがっている。
時折、倉庫整理を指示された。お偉方が使う立派な椅子を昇降機で運搬するのだ。真っ暗な倉庫は雨漏りし書類が濡れないようビニールに覆われていた。換気扇はある物の全体的に黴臭く湿気で蒸れる。鍵を取りに行くと一人でそこで作業する事になった。
私はピラミッド型の階層構造の最底辺で働いていた。空調は全く意味を成さず、仕方なく自宅から持ち込んだストールは偉い人に揶揄された。冬場、コートを脱がずにいたらホッカイロを手渡された事もある。ヒートテックにダサいセーター。周囲は見栄を張ってミニ・スカートで出勤していた。電気ポットはあるが、熱湯を使うにはパワハラ上司の前を通る必要があった。電子レンジは当然ない、誰も彼もマイボトルを持参する事を推奨され、私は毎朝6時半に起床し紅茶を作ることを習慣にしていた。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。
Excelや専用ソフトを用いた書類作成、それから電話応対が主な仕事であり、封筒の発注雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。コロナ禍にも関わらずパーティションはボロボロで頼りなかった。そのパーティションから顔を突き出すようにして同僚たちはお喋りに励む。
そこに常駐しているのは私一人も同然だった。時たま爆破予告があった際も、同じ島の職員は打ち合わせと称して別棟に趣き、私を残して仕事をしていた。
スマートフォンは常に手元に置いていた。心細さも多分にあったが、新卒で入社した会社の同期が励ますようなメッセージを送ってくれていた。立場が違う私の連絡先を今の職場で知る人は少ない。メールでやり取りがしたいです、と言ったところすげなく断られた。しかし職員同士ではメッセージ、メールの交換、業後の飲み会などで頻繁にやり取りは続いていた。
そんな環境で半月ほど働いた。たったの半月。その半月で、私の心は駄目になった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と電話を入れた。受話器の向こうの職員は「予約番号は?」と頓珍漢な受け答えをした。そのまましばらくぼんやりしていた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなどなかった。通常非正規の立場では任されないというバッチを効率化の為に作成しどんな環境でも瞬時に業務が終わるよう調整を繰り返した。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく昼休憩中。私は近場のショッピングセンターでストレスチェックを受けた。結果は散々で疲労度が群を抜いていた。
そんな折、結婚して職を辞した友人が気になりメールをする事にした。ワクチンは打ったのか?と確認すると無職である自分にはまだ早いと言われた。同時期、コロナの煽りを受けて業績が悪化し退職した友人が旅行中の写真を送付してきた。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この人間関係と、冷え切った体だった。
全ては心の背骨が、音を立てて折れる前の話だ。
体調を崩し病院に行くと、腰痛症と診断された。姿勢が悪いと医師に言われ、接種が義務だと伝えると絶句された。
それでも働き続けたのは、皆頑張っていたからだ。トラブルでチームの一員が異動されて少人数で回すしかなくなった。感謝の言葉は誰の口からも聞かれず、ふとした瞬間、市民からの怒号が飛び交う。その中で私はピエロになろうとした。そして、雨が連日降り続け気温は低下の一途を辿った。遂に防寒着ヒートテックで武装するしかない冬が来た。
「かお 自治体立優良病院の大臣表彰を受けた県立姶良病院長 山畑良蔵さん
地域医療に貢献し経営が健全な「自治体立優良病院」として総務大臣表彰を受けた姶良市の鹿児島県立姶良病院。5代目院長を2013年から務める。「ひとえに地域の方が精神科病院を理解し支援してくれたおかげ。うれしく思う」と喜ぶ。
24時間365日受け入れている救急患者は新型コロナウィルス下で増えた。
「精神科は共同生活が中心で高齢者も多く、クラスター(感染者集団)をつくりやすい環境」と考え細心の注意を払ってきた。老朽化した病棟の改築を進め、9月には陰圧設備を備えた隔離室を新たに9室用意。徘徊対応などが必要な感染患者の受け入れも始めた。
志布志市出身。鹿児島大学大学院修了後、姶良病院の前身「鹿児島保養院」に勤務し、30年以上診療に当たってきた。「精神科は病気のために問題行動を起こしてしまう人が、生きていける場所を探すところ」と話す。
かつては長期入院の患者も多く、運動会や夏祭りなど地域と交流する機会がいくつもあった。そのため「精神科救急病棟の運用など受け入れてもらえた」。現在は、講演会を開くなどし、理解を深める取り組みを続ける。「退院後の支援をどうするか。行政はもちろん地域の人との連携が欠かせない」と語る。
学生の頃から人間そのものに興味があり、「医者になるなら精神科」と決めていた。歴史や物理などあらゆる分野の本を読み「なぜ生きるのかという永遠の問いを見つめている」。
小4の息子が昨日、コロナ禍になってから初めての遠足に行った。約一年半ぶりか?
彼は前日にはニコニコおかしを買いに行き、ワクワクしながら8時には就寝した。
ルンルンで帰ってきた息子のリュックの中に、持っていったお菓子が未開封の状態で入っていたので、「なんでお菓子食べなかったの?」と聞くと、時間がなかったと答えが帰ってきた。
こういうのってバスの中でみんなで交換しながら食べるでしょ?と不思議に思い聞いてみると、彼は呆れたように
「バスの中でマスク外せるわけないでしょ。クラスの人数的にバスの中のソーシャルディスタンスもキープ出来ない状態だったから、みんなマスクつけて喋っちゃだめだったの。お弁当もひとりひとり間隔空けて、喋らず食べるし交換なんかできないよ。ママは感染対策とか普段してないから知らないかもしれないけど!」
と言われてしまった。確かに私はフルリモート勤務かつ友人もいない人間なので感染対策とは普段無縁だが…(手洗いと、出掛けるときは一応マスクつける程度しかしてない)
クラスタっていうものがそもそも数十人くらいの感染者集団を指していて
要するに固定値でダメージ入るわけじゃん。
みたいなことにはならないわけじゃん。