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2015-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20150614090841

自分意見に反対する人間

因習に唯々諾々と従う脳味噌空っぽ野郎

老害

差別主義

と様々なレッテルを簡単に貼ることが出来

また逆に自分

合理的な考え方が出来る現代

他者の内心を慮ることのできるスマート人間

を装うことが出来るので

マウンティングが大変楽です

我々はマウンティングが三度の飯より好きです

2015-05-26

ジェンダー因習規範で苦しんでいる「弱者男性」は、 「男社会」ないし、「男社会」で恩恵を受けている「強者男性」に対してものもうすのが本来のはずだがなぜか彼らはなぜか、女性にばかりねちねち絡んできて、 「男社会」に関する敗北を女性のせいにする

2015-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20150330104011

葬式は本当にお金かかるね・・・

因習と生きてる者のエゴや体裁なのかな・・・

うちの父が死んだときは、

都内で近所の寺の墓買って墓石と込みで500万くらい

戒名と式で寺にはさらに150万くらい(院号から200万くらいしたかも)

あと葬儀屋には100万くらい

で、900万くらいつかった

在職中で会社役員から香典が数百万くらいあったから、赤字にはならずに済んだけど、

定年退職してたらあんなにはできなかったかもしれない

2014-09-29

派遣会社で働いてる人がベアもない・安定もしないと嘆くのを批判するのは日本だけ

派遣社員地位が低く、正社員地位が高い。

これはまあ、仕方ない。

けれど、正社員と同じ仕事内容と量を熟していて給料福利厚生差別化されてたら

そりゃ誰だって憤りたくなる。

でも、そういうのをツイートしたり批判すると、日本では正社員にならなかったツケだと

さも当たり前のように批判する輩が続出する。

だったら何で正社員にならないのか、あるいはなれないのか。

日本社会終身雇用制度崩壊したにも拘らず未だに新卒一括採用という風潮が無くならない。

欧米では派遣社員に対して正社員と同等か、あるいはそのスキル正社員よりも上と認められれば破格の条件が約束されていると聞く。

エンジニア日本で育たないのも、もしかしなくても日本からだと言い切れる。

日本けが新卒以外ゴミクズだとして派遣を認めないので、ますます優秀な派遣は行き場を無くしていくし、

それに対するケアーも特にないわけである

にも拘らず年々非正規雇用が拡大の一途を辿っているのだから矛盾している。

どう考えても日本という国には派遣は建前上必要として、本音使い捨ての風潮が残ってしまっている。

そうした閉鎖的な風潮のせいで、未だに派遣は甘えだという声が多く、また地位向上を望む声をも遮断するのである

もはやこれは日本における伝統的な悪しき因習に他ならないわけだ。

2014-08-18

臨死!!江古田ちゃん』は江古田ちゃんを加齢させるべきだった

先日、http://anond.hatelabo.jp/20140814201628エントリーを見てふと思ったのだが江古田ちゃんは年をとらせるべきだったと思う。

江古田永遠に24歳だ。セフレがいて飲み会があって適当派遣なりアルバイトなりの職があって、粗雑な男がいて江古田がそれを鋭く批評する。

こうした生き方が、ある種の女性二次元上の理想像として捉えられた。江古田アフタヌーンアイドルになった。

しか江古田は年をとらない。一方現実女性は年をとっていき、アラサーになる。

江古田生き方現実的にはどこかで変更を求められる。少なくともそうである場合が多い。

誰しも24歳の生き方をそのまま続けられない。

現在も、江古田生活にあこがれる新しい読者は少なくない。

ただし当初のような雰囲気江古田を迎えられない部分がある。

すなわち、江古田は年をとらず、一方読者はアラサーになることを新しい読者は体感しているのだ。

2000年代中頃を生きた「お姉さん」世代が30代にどうなるか、いろいろと知っているのだ。

鋭い批評を加えてきた江古田は、実はこの時の流れに対応できない。

脈々と『アフタヌーン』で連載が続いてきた『江古田』だが、最近はどこか因習を踏まえた「古典芸能」のような硬さ、形式主義が見られた。

私は本当は30代になった江古田ちゃんを見たかった。

様々な生きづらさに当面しながらも、江古田ちゃんらしく生きて行く30代の姿が見たかった。

ドラえもん』や『サザエさん』では出来ないようなものを見たかった。

今年もアフタヌーン四季賞若い才能が出てきているのを傍目に、そんなことを思った。

さようなら江古田ちゃん

2014-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20140807011037

最近はようやく「会社を辞めることはダメで、働き続けることが善いことである」みたいな単純な価値観はなくなってきたけど、

離婚することはダメで、関係を続けることが善いことである」という因習はなかなかなくならんね。

離婚したほうがいいだろうなと思ったときは、絶対にしたほうがいいよ。

2014-07-27

大志を抱く青年は、戦後東京を目指したが、戦前満州を目指した

東京一極集中論議で、ふと気づいたこと。

「大志を抱く地方青年は、東京だけを目指す」というのは、実は戦後価値観しかない、と思う。

戦前は、「東京を目指す」青年の数倍の数の青年が「満州を目指し」ていた。

戦前帝都(東京)は確かに地方から見たら魅力的だったが、反面、財閥華族・藩閥などの「旧勢力の巣窟」の都市だった。

から有為青年は、「旧勢力のしがらみのない、実力本位」な満州を目指した。

まり満州って、日本人にとっては「新大陸」だった訳です。

戦後東京一極集中という現象は、「満州を失った副作用」という側面もあると思う。

もはや、青年東京しか行き場がなくなった。

※「戦前は、人口流出の受け皿は帝都じゃなく満州だった」仮説、これはあくまで仮説なので、国勢調査データ検証してみたいのだが・・

話は飛ぶが、北海道民県民性に「因習に縛られない、合理的」てのがある。

結婚式なんかは会費制で合理的。)

実は満州移民も、「県民性」は北海道と同じように「因習に縛られずに合理的」だったらしい。

アカデミック世界や、技術世界でも、満州は「因習に縛られない、合理的新世界」だった。

満鉄などでは、内地でも(帝大などのしがらみが理由で)導入できない世界最先端技術を、次々と導入して生産効率を高めていた

自分帝国主義には否定的だが、「満州社会合理性」の部分は、もっとポジティブに評価すべきだと思う。

満州は「内地では出来ないことをトライアルする、一種の特区だった」訳で、

戦後日本に「特区の成果」が導入されて社会改善に繋がった効果は否定出来ない。

現代日本の閉塞感って、満州みたいな「しがらみのない新世界」を持ってないことにも起因する気もする。

(だから新世界確保の為に、侵略しろ」とは言わないが。)

戦前国民が、「満蒙は日本生命線」という松岡洋右言葉に激しく共感したのは、

経済的メリット帝国主義メリットだけじゃない「精神メリット」も感じていたからだと思う。

戦前国民は、「満蒙に、因習に縛られない理想郷がある」と信じていて、「アルカディアを失いたくなかった」

2014-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20140630013659

横だけど

価格の明示は出来ない」でも「相場はある」(安い客は迷惑

その上「商売ではない」とまで言っちゃったら

これはもうほとんど詐欺宣言、脱税宣言に近いと思うわ

なんていうか、詐欺師一般人とまでは言わないけど

因習と狭いエリア常識にズップリな人たちと

一般人意識の違いがはっきり出てる感じがする

煽ってる方もまぁ、おかしな人だなぁと思うけど

私は一連のあなたエントリを見て、神社の人とはつきあいたくないなぁって感想を持ったよ

常識がなさ過ぎ

2014-05-09

職場女性の輪って無くならないのか

前回の派遣先では女性の輪に入らないといけないような雰囲気職場だった。

お昼を一緒にとる、歯を一緒に磨きに行く、休日一緒に遊ぶ、仕事の休憩時間を一緒に取る・・

自発的に入りたい場合は良いのだが、もともと自分は輪に入って合わせすぎるというのが抵抗があり、少し間を置いていた。

何の為に仕事にいっているのか分からないし、群れる意義が分からないのだ。

私はトイレに一人で行けるし、歯磨きをしゃべりながらしたくないし、仕事も一区切りしてから休憩を取りたい。

ほどほどの距離感でいたかった。

しばらくして男性社員が「いじめをしているのか?」と輪の人たちに聞いたらしく、かえって自分への風当たりが強くなってしまった。

なぜ女性は群れをなす生き物だという因習が、続くんだろう。

それ自体場合によってはパワハラになりえるという認識は、いつ出てくるのだろう。

相談したら、

一人でいると目立つから、容認されるように「不思議ちゃんを演じてみたら」という事だった。

とほほ・・

それでも5年続けて、結婚出産派遣終了まで頑張った。

これまで3カ所大手派遣先経験があるが、全て女子達の塊はあったんだけど・・無い職場はあるのかな?都会ならあるのかな?

次は女子が一人しかいないところがいいな。

2014-04-06

メリットデメリット分析落とし穴

日本では物事をメリットデメリットの両面から考えることを子供の頃から教わらず、教科書などには公正さを期するため物事の良い点悪い点の両方が書かれていることがあるとはいえ、そうした両面的な考え方が身についている子供が多いとは言いがたい。受験勉強にしたって勉強内容の公正さに対して疑問を持つことなく丸暗記に近い勉強ばかりしている有様である

これが社会に出ると丸覚えは機械的作業を行うだけの底辺労働者しか通用せず、高い結果を出すには学習内容の公正さを疑う視点が求められてくる。ここに至ってメリットだけでなくデメリットも考えねばならないことをようやく教わるのである。曰く、おいしい話には裏がある。「これはいける!」という新しい策を導入する時にはちゃんと悪影響の可能性も考えましょう。物事の悪い部分ばかり見て手を拱いていてはいけませんぞ、などなど。

一方、欧米では子供の頃から学校ディベートやライティングをしっかり教わり公正な思考力を鍛えられるし、家庭でも社会の暗部を見せられさまざまな視点からライフプランを考えるように促されることが多いというのは、アメリカかぶれの評論家が口を揃える有名な話であるディベートでは政策(やそれに類するもの)に対して賛成と否定の両派に分かれて激論が酌み交わされる、いや取り交わされる。本心は賛成派でも否定派のチームに入れられることやその逆のパターンも多い。こうして賛成にも否定にも回れるような柔軟で両面的な思考法が身につく。さら1980年あたりから欧米では多民族国家であることや同性愛問題の表面化などを背景にdiversity(多様性)を尊重する思潮が強まり民族や性や思想多様性学校でも明確に教わるようになった。最近Mozilla CEO性差別的法案を支援して問題になった件で「Mozilla Statement on Diversity」という声明を出したのは記憶に新しい。このように物事の両面性・多面性を重視する風潮・思考法になっている。

ttps://blog.mozilla.org/press/2014/03/mozilla-statement-on-diversity/

日本人の多くは社会に出ると「国際社会だし欧米のように多面的思考をしないといけない」と耳が痛いほど聞かされ、その一環としてメリットデメリットを考えることが大切なんだなと学び成長していくわけである。そしてメリットデメリットさえ考えてれば多面的思考法が出来ていると勘違いしてあぐらをかいている人も多い。

しかし、メリットデメリット分析には根本的な落とし穴がある。

1つには可変性である。例えば、自社の管理システムに新製品を導入する時には導入するメリットデメリットを考えてメリットが大きいと判断されれば導入するという単純な思考プロセスで問題ない場合もあるが、新しい人材を取り込む時には必ず成長性を考える必要がある。ある分野が得意だからってさらに伸びるとは限らないし、ある分野が苦手だからって苦手克服できないとも限らない。人材ならまだ分かりやすいが、管理システム場合はどうか?システム時代とともに適応していけるような柔軟性を備えているか、また経験にしたがってブラッシュアップしていけるような成長性を備えているか。そうした可変性も加味しなければならない場合が多い。

子育て学校教育においても、長所を伸ばすという聞こえのいい古い考え方が未だに蔓延しているが本当にもっと伸びるのかと言いたくなる。得意分野だと成功体験を積みやすい?いやいやそれは他人と比べるからで、比べなければ得意で伸びにくいものより苦手でも伸びやすもののほうが伸びしろがあるため成功体験を積みやすいのは明らかだろう。大切なのは成長の楽しさが得られるかどうかであって、得意なものをやるよう押し付けることではない。そのためには得意でもどれが伸びてどれが伸びないのか、苦手でも伸びるものがあるのではないか、伸びるとしてどれくらい伸びるのか、といった一段階緻密な検討を経て合理的に判断をしないといけない。なんでもかんでも得意分野を持て囃すような風潮はもう終わりにしよう。

これまで見てきたように良い所と悪い所だけ見て両面的に考えてるぞとドヤ顔する風潮は打ち破られるべき悪しき因習と言える。逆に言えばこれからの熾烈を極める国際社会競争においてきちんと可変性を加味した多面思考ができる人間けが生き残るとも言える。

メリットデメリット分析の2つ目の落とし穴もっと根本的なもので、定性分析であるである分析名前がついているから数理的な分析だと勘違いやすいがそうではない。多くの場合メリットデメリット分析定性的分析、つまり物事の良し悪しに関わる性質を列挙しているに過ぎない。だからメリットデメリットを量的に比較するのは難しく、比較できたとしてもそれはこじつけになりがちで、結局「メリットのほうが多い」「デメリットのほうが多い」といういい加減な形で分析結果を利用されてしまやすい。たまたまメリットのほうが多く思いついただけかもしれないし、数え方の問題で多いだけかもしれないし、数が多いだけで重要度の低い項目だらけかもしれないのに。

実はこれは、賛成派(メリット)と否定派(デメリット)が戦う競技ディベートにおいてもしばしば問題となる点であるディベート勝敗ディベート経験のある審判理屈をつけて決めているに過ぎない。論拠の数が多いから説得力があったとか、質問されて答えに窮したか説得力がなかったとか、おおよそ論理とは無関係価値判断で決まることが多いのだ。

ディベートだけでなく2ch信者VSアンチの論争にも言えることである。それが偏った事実の寄せ集めであるかどうかにはお構いなくとにかく論拠の数を沢山用意しておき、次々と論拠を提示しては主張を繰り返して圧倒し、反論・質問された時にも用意した論拠で即レスするようにすれば、たいていスレの風潮を支配できるという、あの荒らしまがいのやり口を思い出してほしい。この手の荒らしが手強いのは殆ど場合において定量的擁護または叩きを行うためのデータ存在しないか少ないからだ。そんな時は膨大な定性データ粘着的な調査力で収集して印象操作で圧倒するのが比較的容易である

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