はてなキーワード: 反原発とは
本当に電力は足りているのか?
誰もが節電努力をしているし、本当に足りない場合は計画停電をするようである。
そして、万人がその電力コストでいいと思っているのか?
実は燃料輸入量は急増はしていないようですが…。
しかし、無限に再生エネルギーのコストを万人が加算されることを了承しているのか?
再生エネルギーを作れば作るほど電力会社が買わなければいけなくなる。
弱者の味方の共産党こそ、再生エネルギーを推進してはいけない。
参照
http://teideninfo.tepco.co.jp/html/00000000000.html
再生可能エネルギーが貧困を増大させる(wasting time?) - BLOGOS(ブロゴス)
今の日本からは改革(左派)も保守(右派)もいなくなって(最初からいなかったのかもしれないが)今では劣化コピーの出来損ないもどきにも達してないような「サヨク」と「ウヨク」が日々、言論をぶつけ合っている。
それを最も観察しやすいのはココ、ネットの世界だが、はたから見てもサヨクとウヨクがまともに議論をしている所を「ほとんど」見たことない。(あえて「全く」とは言わないでおく)
文字通り意見の「ぶつけ合い」をしているだけだ。言葉のドッヂボールという言葉はまさにサヨクとウヨクの議論(という名のプロパガンダ合戦、にすら達しないただの罵り合い)にこそ最もふさわしい言葉だろう。
じゃあなぜ議論が成立しないのかという話だが、単純な理由で「議論する気が無い」からである。
まぁそんなことはいちいち指摘するまでもないが、なぜああもぶつかり合う者同士でいまだに両者の間に少しは議論をしようという機運が見られないのかというとそれはサヨクとウヨクのメンタリティの相違に起因する。
サヨクとウヨクの間で議論が成立していないこと指摘をされるたびにどちらも「相手がバカすぎて議論にならない」的なことを言ってる当たりまったくどうにもならないくらい事態は深刻化しているが鹿児島知事選でサヨクが見せたリアクションと、先の衆議院選で自民党候補が落ちた選挙区に対するウヨクのリアクションを見る限り、まったくこの両者のメンタリティは精神的双子と言っても差し支えないほどに凄惨なまでに酷似しているのである。
ただし、ここまで酷似したメンタリティを有する両者にも異質な点はある。その一つが「自分が気に食わない意見に対するリアクション」である。
とりあえず、最初の段階ではサヨクもウヨクもとる行動は同じである。すなわち
とかくサヨクとウヨクには共通のガイドラインでも制定されているのかと疑ってしまうほど、この行動をとる。
相手の言った内容に対する批判と相手個人に対する罵倒の区別がつかないのがサヨクとウヨクがいつまでたってもまともな左派右派になりえない重大な理由の一つだが。それについては今回はあまり関係ない話である上、正直もう救いようがないと思っているのでこれ以上言及はしない。
さてひとしきり相手を罵倒しきった後で彼らがとる行動がサヨクとウヨクで全く異なってくる。
端的に言えば、サヨクの人間はもはや相手をいなかったものとして扱う(自分の気に食わない意見を相手ごと無視する態度を是としている時点でサヨクの人間に論理的態度の育成が不可能であるということは間違いない)
自らの意見に対する反論の類に対して一切触れることなく、ひたすら自らの意見を押し通すさまは、醜悪だ。仮にその意見が正しかったとしても、正しさに腰かけて意見ごと相手をいないものとする傲慢さは到底万人に受け入れられるものではない。(とはいえこの傲慢さは昨今のサヨクのマイノリティぶりを鑑みてみるとどこか滑稽ですらある。)
次にウヨクと言えば、こちらは苛烈でその意見を徹底的に叩き潰す方向に動く。
相手が「改心」するか(仮に改心したとしても、ウヨクの脳内に存在するヒエラルキーの一番下の階層から一つ上の階層に固定されるだけだが)、文字どおり消えるまで続く。
「日本から出ていけ」というのはアノニマス的に発言できるネットの場で、よく見ることが出来る文言だが。「自分の気に食わない意見」を言うならこの国から出ていけ。とはなかなか苛烈である。
仮にその人物の述べる意見が間違っていたとしても、その苛烈さはいささかも減ずることは無い。「間違った意見を述べる人間は日本から出ていけ」とは冷静に考えれば中々にエキセントリックな言説である。
サヨクは自分の意見を押し通すために、ウヨクはサヨクを排除するために、言葉を発している。
そう、サヨクとウヨクが議論にならないのは当然だ。議論は議論をする気のある人間が2人以上いなければ成立しない。
自分の意見を叫びたいだけの人間がたまたま同じ場所にいただけでは、議論になるはずもない。
先ほどはプロパガンダ合戦にすら達しないただの罵り合いと表現したが、サヨクとウヨクの自慰的な声の張り合いは、もはや罵り合いにすらなっていないのだ。
おれ気づいた。
おれ今、35歳なんだけどさ、
なんかどうも世間で言われてるほど、
とかその辺りが、ぜんぜん怖くないんだよね。
なんでなのかずっと不思議だったんだけど、気付いた。
おれらの世代にしてみれば、本当は1999年にとっくに人類滅亡するはずだったわけ。
もう絶対に滅亡するはずだった。
だってみんなそう言ってたし、本にまでそう書いてあって、
それ以外にも、
“人類は原爆で滅びる”“第3次世界大戦で滅びる”“電気のために原発作りまくってるから爆発して滅びる”
そんなことばっかり教わってきたよ、実際に。
そんな事言われてもどーしようもないのに、
(今の反原発派がよく言う「知らなかった騙された」ってのは絶対ウソ。昭和生まれの人間が
そこら辺を避けて学校生活が送れるはずがない)
そこら辺は徹底的に刷り込まれた。
まあいわゆる左の方角からだとは思うが、子供の繊細な肌感覚にヘチマのタワシでゴリゴリと刷り込まれたよね。
んでさ、もう俺らの世代は子供ながらにそれが恐ろしくて恐ろしくて、
本とか沢山読んでたヤツほどリアルに恐ろしくて、
そんな恐ろしいものがなんで世に沢山あるのか、そしてそれをなんで俺らに言うのか、
考えてもどうしようもない恐怖、
そこで子供ながらにとった対策が「諦める」ってことなんだよ。
1999年に滅びる。
もう、頭のなかではそう決まっていたんだよ。だって大人がみんなそう言うし本にも書いてあるし。
だからさ、
いまさら“原発で”とか“放射能で”とか言われても、逆にピンとこないわけ。
「は?当たり前だろw」ってさ。
身の回りが、「反原発! 山本太郎マンセー! 自民党消えろ!」みたいのばっかでつらい。
私はイルミネーションぎんぎら・冷房がんがんにあっというまに戻った東京にがっかりしているけれど、
原発今すぐなくせというのは、それはそれでちょうお花畑だと思ってる。
自民党のすべてに賛成はできない。
けど、自分の周りのひとたちが「ちんぴら議員」だの「あべのみくちゅ」だのと
自分の主張はこうだ、と言えばいいだけなのに、相手をおとしめないと気が済まないとか。
呆れるし、何十歳も年上のひとがそういう発言してると、かなしくなる。
戦後生まれのひとに「そういうことを言うもんじゃない」と怒られて納得行かなかった。
ほんとにあったかどうかは、その時を生きてたひとたちにしかわからないから、私はなにも言えない。
しかし、お互いに過去にこだわって、後ろを向き続けて、なんか進歩あるのかしら。
過去は現在と一切関係ない、断ちきり捨てるべきとは言わないけれど。
日王は土下座しろ、というあの発言に、カチンと来ないほうがおかしいよ。
生まれた土地と、そこで生きてきたご先祖とかを否定されて、どうして怒ったらいけないの。
どうして自分の国をなにがなんでも否定しなくちゃいけないの。誇ったらいけないの。
人付き合いも、国同士の付き合いもおなじじゃないかな。
互いの違いとかいいとこ尊重し合いながらの付き合いをすればいいだけで
相手を否定したり、従属させる必要はない。自らを否定する必要ももちろんない。
どんなに愛し合っていたとしても、考えや物の見方を完全に同一にすることはできない。
私と同化しろおまえの考えなんか無価値!とか言われたら、逃げるか戦うしかないじゃん。
私もべつに、この国のぜんぶが好きなわけじゃない。
変わって欲しいところたくさんたくさんある。
でも、日本が無くなることは望んでない。
いっつもそれだけど、それやって何の意味があるの?
それ言ってるあなた自身がイライラしたり興奮したりスカッとしたり出来るだけでしょ?
小さい子供が物に当たり散らして余計怒ったりエキサイトしたりすっきりしたりしてるのと何も変わらない。
「我が社の売り上げが上がらないのは消費者が馬鹿だからです!」と憎憎しげに吐き捨てるだけのビジネスパーソンは
馬鹿みたいなこと言ってないで商品開発やマーケティングや広報をしてくださいよ、となる。
「俺達がモテないのは昨今の女の心が腐ってるからだ!」って憎憎しげに吐き捨てるだけの男が居たら
もうモテるモテない通り越して近くに居るのがちょっと怖いよね。
共通点として、
負けや失敗の理由を自分や自分のチーム以外に求めて見下して終わりにする人達というのは
成長しないし、誰かを理解することがないし、理解もされない。
政治の話が大好きなわりに、
他人の考え方や行動には興味も理解も示さず、
政治をいったいなんだと思ってるのか。
人を理解したくないし、人に理解されるような工夫も出来ないし、
こういう子供っぽい人というのは
野党側でいてくれればまだいいけれど
せめてまだ
そういう方向の苦情を言うならいいんだけども
菅氏を叩いてるのは自民支持者、みたいなコメントを見かけたので、念のため書いておく。
正確には、デマ拡散や叩きの中心は「反原発クラスタ」のようだ。
反原発な層って、反自民(民主とか)な層と重なってると漠然と思ってた。
でもこないだTwitterで、菅氏に噛みついてる反原発な人見たのよね。
んで先日、民主の鈴木氏が反原発っぽい人に選挙妨害されたじゃん。
一般的なイメージだと反原発=左翼=民主支持者 ってなると思う。
原発事故後の早い段階で、反原発派って反民主派にもなってたのか?
それで今回アベノミクスで自民になだれ込んだけど、原発再稼働を明確にしたんで少し支持が落ちた。
これは無党派層が一気に動いたと考えると(考えたくないけど)、説明できる。
彼の支持者は反原発というより、反原発の極論を周囲から受け入れてもらえないルサンチマンで集まっている印象がある。
前回の落選の際に彼が発言した言葉を覚えていたら、次の支持は普通ないと思うんだ。
某インテリ、いやインテリア層がたった2年で反原発の候補者が彼しかいないのが異常だみたいなことを言っているけど、それまでの国政選挙で反原発候補がどうなったのか覚えてないのかね。東北の議員は反原発だらけになってる? 2年でひとりが異常なんじゃなくて、まだパニック時の言動で政治やろうとしてる奴が一人いる、と理解すべきだ。
某インテリアは山本氏には錯誤が多いと中立的な言い方もしているけど、マック赤坂がネタ的には楽しまれているがうつ病を病気として認めなかったりして実は独裁、強権的な錯誤があるように、山本氏もまた、ルサンチマンの溜飲を下げたいばかりの、強権的な錯誤がすでに顔をのぞかせている。
2年たって、まだこんな事を書くのも情けないことだけどね。
いつも反対がメインの主張だから暗いんだよ。アレも反対これも反対。それも反対どれも反対。
いいんだけど○○反対の市民運動ってあまり成功しないんじゃないの?
安保反対、成田空港反対、石原反対……。○○反対で成功した例ってあったっけ?
このぶんじゃ原発反対なんてのも成田空港反対と同じ末路をむかえると思うな。
人の鎖で再稼働の原発を囲むんだけど、行政から強制退去させられる絵が目に浮かぶ。
ポジティブなことを言って欲しい。○○反対ではなく、○○を実現します!と。
「そのために、新エネルギーの発展、省エネルギー技術の発展に力を注ぎます! (結果原発をなくします)」
となんで言えないんだろうね。
そこはあまり原発を争点の中心の持って来ていないから反原発の方々には見落とされている気がする。
そういう政策も見逃さないで欲しいな。
それは違うな。
と思ってる訳じゃなく、
「事故が起きる可能性があることはわかってるけど今日の生活のほうが大事」
だからだ。
誰も「事故が起きるかどうかはわからない」なんて思ってないよ。
でもそんなこと考えててもどうしようもないので普段は考えないだけだ。
別に「事故が起きる可能性は限りなく低い」なんて思ってるわけじゃない。
外に出たら交通事故に遭うかもしれない、死亡事故に限らないと考えると
交通事故に遭う可能性は決して低くはない……なんて始終考えてたら
生きていけないからな。
自分は反原発派でも原発全廃派でもないが、今この瞬間に何処かの原発が事故を
(まあ今現在この時に稼働してる原発は日本に一箇所しかないはずだが…)
事故が起きたらそれはそれ。
そんなことまでは知らん。
多いっていうか、文体変えて粘着してるのが2人ぐらい居るだけと見てるよ。
あるいは1人かもね。
反原発当たり前って辺りで程度が知れてる。
私は、原発は出来ればなくなって欲しいと思っているし
レイシズムの塊が新宿を練り歩いているらしいという話を耳にすると虫唾が走るし
車椅子で気兼ねなくどこにでも行ける世の中になることを願っているのだが
なぜか、反原発運動や、レイシストしばき隊や、小平の雑木林の保護運動や、乙武さんの一連の言動などを見ると
「そういうことじゃないんだけどな…」という思いがこみ上げてくる
自分のそういう気持ちが、どこから来るのか、今のところつかめていなくて、ちょっと戸惑っている
同じような人いますか?
手がかりが全くないわけでもなく
今のところ引っかかってる言葉は「ゼロリスク」「ディスコミュニケーション」