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はてなキーワード: 三四郎とは

2018-01-22

anond:20180121162820

『1・2の三四郎シリーズへの愛を語ろうと思ったがどうも場違いのようだ。

2015-06-18

Excel正規表現使えたらなぁ

Excel正規表現使えなくって、

OpenOfficeCalcなら使えるんだよね。

これだけはOpenOfficeが便利。

話変わるけど、Windowos/MaciPhoneAndroid、みたいな銃撃戦が起こりそうなネットの人が大好きなネタあるじゃない

表計算に関しては、みんな冷静にExcel便利しか言わないよねw

OpenOfficeCalcデータパイロット、集計めちゃくちゃ楽よ!

そういえば三四郎、Lotus1-2-3どこ行ったの?

2014-09-14

ノーベル賞受賞者の生まれ、育ち、血筋、親の出身、最終学歴データ

ノーベル賞出身関係

2011年までの日本ノーベル賞受賞者18人の出自

人物名 国内最終学歴 出身生育地

鈴木章 ─── 北海道大 ─ 北海道まれ北海道育ち

田中耕一 ── 東北大 ── 富山県まれ富山県育ち

南部陽一郎東京大 ── 東京都生まれ福井県育ち

小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県まれ神奈川県東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)

小林誠 ─── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

益川敏英 ── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

利根川進 ── 京都大 ── 愛知県まれ富山県東京都育ち(小学校富山/中学から東京

白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)

朝永振一郎京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都

湯川秀樹 ── 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち

下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)

福井謙一 ── 京都大 ── 奈良県まれ大阪府育ち

江崎玲於奈東京大 ── 大阪府まれ京都府育ち

川端康成 ── 東京大 ── 大阪府まれ大阪府育ち

野依良治 ── 京都大 ── 兵庫県まれ兵庫府育ち

佐藤栄作 ── 東京大 ── 山口県まれ山口県育ち

大江健三郎東京大 ── 愛媛県まれ愛媛県育ち

根岸英一 ── 東京大 ── 満州国まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川

国内最終学歴

東京大7

京都大5

名古屋大2

北大東北大・東工大長崎大1

■生まれ

東京都愛知県4

大阪府2

北海道富山県兵庫県奈良県愛媛県山口県満州国1

■育ち

京都府3

東京都神奈川県富山県愛知県大阪府2

北海道福井県岐阜県長崎県兵庫県愛媛県山口県1

http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正

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湯川秀樹(出生地東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった

朝永振一郎(出生地東京都)親は長崎県埼玉県

江崎玲於奈(出生地大阪府)親は大阪府三重県 ※助手アイデアパクリ

福井謙一(出生地奈良県

利根川進(出生地愛知県)親は広島鳥取青森

白川英樹(出生地東京都)両親は岐阜県

野依良治(出生地兵庫県)親は長野県福岡県

小柴昌俊(出生地愛知県)両親は千葉県

田中耕一(出生地富山県

南部陽一郎(出生地東京都)親は福井県福島県

小林誠(出生地愛知県

益川敏英(出生地愛知県

下村脩(出生地京都府)両親は長崎県

根岸英一(出生地満州)親は東京都

鈴木章(出生地北海道)両親は山形県

山中伸弥(出生地大阪府)親は福井県兵庫県

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湯川秀樹和歌山田辺藩紀州藩

朝永振一郎(父・長崎大村藩、母・埼玉川越藩)

江崎玲於奈大阪)親は大阪三重

福井謙一奈良

利根川進愛知県出身)親は広島鳥取青森

白川英樹東京都出身)両親は岐阜県

野依良治(父・長野、母・福岡)父の仕事関係兵庫県で育つ

小柴昌俊(両親とも千葉)父が豊橋連隊所属のため豊橋まれ

田中耕一富山

南部陽一郎(父・福井、母・福島関東大震災に遭い福井移住

小林誠愛知

益川敏英愛知

下村脩京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都まれ

根岸英一満州)親は東京都本籍日本橋目黒根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住

鈴木章(両親とも山形から北海道移住

山中伸弥大阪府出身)親は福井県兵庫県

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小柴昌俊

わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県豊橋で生まれた。軍人だった父の

小柴俊男がそのころ豊橋陸軍第18連隊所属していたからだ。

小柴昌俊物理屋になりたかったんだよ』朝日新聞社

母親は、はやといって、千葉木更津農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、

父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉館山

まれから誰か紹介する人でもいたのだろう。

父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋小僧代わりに働きながら

学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要陸軍学校へ進んだらしい。

小柴昌俊私の履歴書 科学求道者日経ビジネス人文庫

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野依良治

祖父の塩川三四郎は1873年生まれ政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部

卒業した。そして、渡辺千秋長野県出身)の次女・千夏と結婚した。

「野依」は母方の血筋で、福岡県東部築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ

庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。

野依良治私の履歴書 事実真実の敵なり』日本経済新聞社

祖父:塩川三四郎 長野

父:野依金城 上京

http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm

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下村脩

>父の生家は長崎県雲仙市瑞穂町にあり代々庄屋を勤めた名家

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9

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朝永振一郎の父三十郎は、東京真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。

(『素粒子世界を拓く』京都大学学術出版会

朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県まれで、

おやじ長崎まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では

東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎みすず書房

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南部陽一郎

私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。

母は福島県出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。

(『ほがらかな探究 南部陽一郎福井新聞社

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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが

同じ貧乏侍の利根川という叔父子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。

家内の父方は弘前藩士青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー

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鈴木章

北大理学部受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。

恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ

山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男鈴木さんは16歳だった。

(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身

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2014-06-18

大学教師が新入生に薦める100冊」のCSV

大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除ソート出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデルエッシャーバッハの長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記

2014-04-09

灘高校舞台とした小説がない

東大帝国大学)を舞台としたのが「三四郎

戦前麻布舞台としたのが「楡家の人々」(北杜夫

・・・灘を舞台にした小説って、ないのか?

遠藤周作辺りで、存在するのかな?

でも開成舞台とする小説も、ないのか・・・

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325203530

その他読書感想

★「三四郎」の中に「明治15年以降生まれ」と「明治15年以前生まれ」が世代ギャップがあるような記載があり、脳内が「???」となった。

 調べてみたら、明治15年以前生まれは「漢文素読」を叩きこまれた世代

 以降は「近代教育を受けた世代」で、モノの考え方に激しくギャップがあるらしい

 今で言えば、「1~2歳の時にスマホ経験した世代」とそうでない世代の差みたいなものか?

三四郎を読んでると、西片町辺りが舞台で出てくる。

 東京に詳しい人でも、西片町を知ってる人は少ないのでは?あの辺り、今でも明治香りがする。

 25年前の悪い東大駒場生は、本郷キャンパスに所用で出掛けた際、西片町を経由して帰ってた。

 (ルート東大正門→西片町三田線春日新宿線笹塚明大前井の頭線

 悪い東大生は、井の頭線定期券と、春日駅の初乗り切符で(以下自粛)

 自動改札のない時代お話である

 ※西片町って、三浦展によれば「第一山手」なんだよな

★「三四郎」読んでると、本郷エリアじゃなく大久保に住むことを「都落ち」的な書き方されてる。

 まあ当時大久保東京市じゃなく豊多摩郡だったろうから、さもありなん。

三四郎の友人が貸家を探すエピソードが描かれてる。

 裏返せば、「不動産仲介業」という職業が当時はまだ確立してなかったことがわかる。人々は口コミ人ツテで空き家を探してた

 田端とか荻窪とか馬込とかに「文士村」として作家が集住してたのは、作家口コミ人ツテで空き家を探した結果、知り合い同士固まったから。

 いわば「不動産仲介業の未成熟」が「文士村」を生んだ。

 ※トキワ荘も、不動産仲介業の未成熟の賜物?

 不動産仲介業が発展するまでは、「同郷者が、同じアパート・同じ街に集住する」というのは、割と見られた光景だった。

 逆にいえば、不動産仲介業は「同郷集住による街の単一化」を防ぐ役割を果たした、と言える

★「三四郎」で、本郷エリア寄席に行くシーンがある。戦前まで本郷寄席があったと聞いている。

 その後映画館になったようだが、戦災で消失し、東大界隈は映画レスな街になった。

 戦後映画の全盛期に映画館ゼロというのは、他の学生街だと、あったのだろうか?

 元々東大って「学生門前町」の類が発達しない。

 映画館がないほか、雀荘なんかも少ないし、学生向け大衆食堂も少ない。

市電が急速に発展したせいで、三四郎市電に乗り間違うエピソードがある。

 当時の市電網で誤乗するくらいだから、2014年の東京圏鉄道網って、地方出身者にはカオスで、乗り間違い多数なんだろうなあ

★「三四郎」読んでたら、「適齢期は女性過剰」的表現があった。

 日露戦争でそんなに男性犠牲になったとも思えないので、感染症栄養失調で夭逝する男児が当時は多かったんだろう。

 適齢期性比が男性過剰に転じたのは、実は高度成長以降だったりする。

三四郎」以降、東大生活を描いた小説がない

今更ながら、夏目漱石の「三四郎」を読んでみた。

私見だが、夏目漱石三四郎文壇で評価され、「日本近代文学の祖」になった理由は、案外単純な理由な気がする。

三四郎に描かれてる帝国大学学生模様が、文壇主流派にとって『インナーな話』で懐かしかった」から

小説本来の価値」以上に過大評価されたのではないか?

分かりやすく書くと、文壇大御所たちも東京帝国大学の出で、だから夏目漱石三四郎は「東京帝国大学物語」で、心地良かった。

それまで「東京帝国大学物語」を書いた作家はいなかったから、その意味では夏目漱石の目の付け所はシャープだった。

よく考えたら、東大生の日々を描いた小説って、「三四郎」以降、存在しないんじゃないか?

小説じゃなくマンガなら「東京大学物語」があるが・・・

東大生自身にも責任があるが、東大OBは、「三四郎」みたいなリアルな「東京大学物語」の小説化を怠ってきた、

から世間から余計に東大は誤解されてしまう。

一方で、ライバルである京大は、最近鴨川ホルモー」で登場したりしてるのが羨ましい。

実際、東大舞台小説は後森鴎外大江健三郎しかないようで、このままでは世間東大は「江川達也マンガ世界」と誤解しちゃう

※いや、東大の様子は、東大OBの「私の履歴書」を断片的に繋ぎ合わせれば、判るかな?

今の東大って、マジョリティ理系なんですよね。

三四郎時代東大は、あれはあれで趣きはあるが、工学系統が全く描かれてない点で今の東大とは別物。

今の東大の過半数は工学部なのはまり知られてない。

せいぜい生糸工業と綿紡工業しか日本になかった三四郎当時の東大工学部と、現代東大工学部で、「プレゼンス」が雲泥の差なのは当然。

・・・東大理系の日々実験な、「地味~」な日々を描写した小説って、ないのかな?

2013-07-14

猿小芝居クソアマのケツのデキモ

口のなか開けて ねばねばの液体が噴出する

くさい奴め 蓋をしろ 蓋をしろ 蓋をしろ 蓋

蛙が跳ねる瞬間 スローモーションで撃たれる死刑囚

おちょくってたら殺された 可哀想な金属バット 板金工場

醜い顔面で走る ねばねばする 不快の及第点

三四郎 はようせえ 瓶詰めにして 小指マニアの爺

2011-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20111005155304

長い割にびっくりするほど内容の無い文章。

…とは思わなかったなあ。理系な人の書いた一種の文学的散文として見れば、元の文章はそれなりに面白い。まあ、「面白い文章」か「ぐねぐねした文章をヒネクレ者が面白がっているだけ」かと言われたら、後者かもしれないけど。


まあ、もし元の文章はもっと要約できるだろと言われたら、そりゃできるかもしれないとは思う。

 『リアルツンデレモヤモヤした件』

とかね。ただ、何が言いたいのか分からないような文章を分析的に書いていることと、それなりに落ち着いた書きぶりのおかげで、書き手のキャラクター経験した内容が、ある意味実感をもって充分に「伝わって」いる文章ではあると思う。その意味で、元の文章は充分に「意を伝える」文章であるとも言えると思うよ。


たとえば小説夏目漱石の「三四郎」も

 『リアルツンデレモヤモヤした件』

で要約できるかもしれないけど、それで要約できたからといって作品は読まなくても事足りる、とはあまり言わないだろうしね。

(※要約した一行の方が価値が低いと言いたいわけでもなく、両者の価値は異なっていて比較不能なものだ、という意味で。)


とりあえず、自分としては元増田の文章がおもしろかったので、ちょっと擁護ということで。

2008-11-10

「理解できない馬鹿」を可視化してみた。

http://anond.hatelabo.jp/20081109215457

書評がなってない、という問題のコメントがほとんどならわかるが、かなりの割合で書評の内容で元の本を想像してコメントする、という例がある。現時点でそれに該当すると思われるのを俺視点で全部あげると、

id:repon あのですね、日本人から見た「英語」だから普遍語に見えるだけで、日本語という「国語」は国家統合の鍵ですよ。英語は道具としてはこれから普及するけれど、国家統合の要は国語たる「美しい日本語」です。全然違う。

id:jujubea j「英語のできる俺大勝利!皆は俺の英語力を全肯定するこの本を読むべき」

id:shields-pikes 読まずにコメントブログ掲示板漫画アニメで、世界の全コンテンツにおける日本語の比率は20年前より増えてるんじゃないかなあと予想。あとは、現代中国語をまた漢語として日本語に引き入れようぜ!

id:sbiaco ラテン語中南米言葉だと思っている人がいっぱいいる国に英語を普及させるなんて夢の夢。植民地にされたら別かもしれないが

id:hobbling 今どき源氏物語を「読む」人間がいないように、漱石三四郎だって「読む」人間がいなくなるのは当然だと思う。言葉だって文学だっていつかは死にます。ラテン語が死んだように英語だって死ぬでしょう。

id:kkobayashi バカだのアホだの言われると逆に読みたくなってくるな。/英語の必要性なんて、本読んで勉強するもんじゃないと思うけど。実際必要としてない人には不要だし、実感として伝わるわけがない

id:TiTo インテリ層は今後日本語よりも英語に重きをおくのでは?私自身の体験からしても、ある分野で日本語で十分満足のいくコンテンツがない現状に気付いた時点で英語コンテンツアクセスするようになりましたから。

id:noiehoie なぜこの人はいつも真面目に語ろうとすればするほど底の浅さを露呈させてしまうのだろう?そもそも19世紀以降知的世界において英語普遍語でなかった瞬間があるのかと問いつめたい。小一時間(ry

id:JuliusCaesar アメリカが没落しても英語の優位が続くかどうか。日本国が続く限りは、日本語が亡びることはないだろう。

id:nekoluna うーん・・英語で書けるならそのほうがいいと思うけど。 マーケットが大きいので、日本語では微妙才能でも小説家としてやっていけるよ。 暴力的かもしれないけど。

id:dekaino 古代中世中華帝国東アジアの中心だった時代、日本公文書漢文だったが、和文の文章も当然書かれていたし和歌も詠まれていたわけで。

id:mihalita 日本語理想化しすぎ。かなりハイブリッド言語なので、これからも政治的に強い言語と混じりながら変化していくんですよ。「田中克彦」を読んだほうがいいと思う。

id:panna-cotta 関係しそうなのは上流層だけかな。世界共通言語を操る以前に、世界規模の競争で勝ち残れない大多数の人たちは結局母国と母国語依存せざるを得ない。 * 2008年11月08id:Meat_eating_orchid こんなのもう50年以上前から言われてることだけど、それで「自然英語で書」いてる人って何人いましたっけ?

id:islecape 英語が「普遍語」に。すでに学術論文なんか全部英語人口が減っているので日本語を使う人も当然減っていく。文化的に保存されず消滅する言語がかなりあるが、日本語データとしては残る。それで問題あるだろうか?

id:yuki-esupure こういうの100年くらい前からいわれてるよねwww

id:ticky 英語ったって、英語を学ぶことと、英語教養を見につけることは別。

id:nosem よくあるタイプの本の予感,そもそも普遍語たるラテン語も衰退しちゃったじゃんかよ

id:pontanta 50年前に出版されても同じことを行っていると思う。戦後ベストセラーが「日米会話手帳」ですからね。/「貯蓄から投資へ」みたいにいつになれば本格的にそういう時代になるの?という感はある

id:lizy 言葉までフラット化するかなぁ

id:yamatedolphin 都会で働く人には標準語は必須だが、イナカで隔絶した暮らしをしてやってけるという人は方言で充分。それと同じで知的分野で相手にされなくてもよい人には関係ない/ コメントみると日本は「亡び」からも遅れるのかも

id:citron_908 人類2.0 タイトル書評だけ読んで想像すると、これってなんてワンワールド化?っていう / フラット化する世界のなれの果て

id:Mihukaeru 標準語は浸透しましたが、方言は滅びましたか?(変化はしてるけど)

id:yo-net 日本語で物を考えなくなったら、日本人が終了するだけですよ。

id:georgew 英語に関しては異論ないけど、中国語の台頭というのも考えねばならんと思う。いずれにせよ日本語用済みってのは大筋そうだろう。

id:insistent シルクロードの終着点で中東から欧州から中国朝鮮から洪水のように情報が入ってくるので異文化摂取能力限界まで高めた言語として発生した日本語。また独自の変質を遂げた日本語になるだけだと思う。

id:aiaki 生物の変化を滅びとしているの?

id:plummet 実感はサパーリ湧かない。|ちうか、本を紹介するだけのエントリにけっこうスターがついてるのに驚く

id:naotoj 一部の限られたエリートしか情報を残せなかった昔とは違い、今は個々人全てがデータの発信元。それが全て英語に置き換わるなどとは到底思えないのだけれど。

id:ore_de_work 滅びるんじゃなくて、それ生き物だから.....

id:kimtetsu 日本 単一の言語民族アイデンティティに結びつけるのは、国民国家の特徴だからそんなに歴史が古くない筈、日本語だとせいぜい150年ぐらい?

id:hummer_and_anvil 江戸時代以前は漢文が公用文の時代だったし。ヨーロッパではラテン語の時代が長く続いた。日常語と公用語が別の言語という国は現在でもたくさん存在する。これはごく普通のことじゃなかろうか。

id:ustar そもそも日本語は何千年も知識と論理を漢語に任せてたじゃないですか

id:ghostbass言葉 OK,まずは「ら抜き言葉」なる珍妙な用語を滅ぼそう。/フレーズ意味を成す用語を単語に分割して訳すバカどもを追放しよう

id:TOM2005 そのときには自動翻訳が実用的なレベルになっていて、むしろ「母国語でない英語を覚える」などというナンセンスなことは誰もしなくなったりして。

id:temtex 今まで数え切れないほど日本語の危機なんてあっただろうに。

という感じ。そういうコメントのほとんどになぜかid:F-name氏のスターがあることが気になる。

その他梅田さんに何かいいたいだけのエントリとかは除いた。

2008-07-18

漱石の三四郎って、非モテ小説だよね。私これがすごく好きなんだけどね。三四郎を翻弄しまくる美禰子がいいよなあ。ストレイシープ

2007-04-24

夏目漱石

また挫折しそう。中学時代から数えて何度目だろう。

一応文学部に籍を置いているんだからさっと一読くらいはしておこうと思うのだけど、どうも苦手で。

といっても、『吾輩は猫である』なんかは読めたし、「夢十夜」は大好き(特に第一夜。世界文学も含めて、これまで読んできた短編の中で五指に入るくらいの愛しぶり)。高校一年課題図書になった『こころ』も読めた。その他にも、短篇・中篇の類いはそこそこ読んでる。

問題はいわゆる「三部作三四郎・それから・門)」と呼ばれているもの。「三四郎」の頭数十ページでいつも挫折する。どうにも読み進めるためのドライブ感が感じられない。なんなんだこのインテリ非モテ! ウザいんじゃ! という気持ちがふつふつと沸いてきて堪えきれなくなってしまう。むー。どれくらい読み進めると面白くなってくるもんなんだろう。

2007-02-12

匿名ダイアリーが選ぶ名盤百選

何のために音楽を聴くのだろう。

そんなことなど、私には答えられはしない。

そもそも私は一介の勤め人。音楽を語るほどディープに聴いている訳ではないのだ。

それでも、朝な夕なに音楽を聴いている。

昔の漫画(1・2の三四郎)に、熱血漢主人公タイガーマスク主題歌で目を覚ます場面があって、笑っちゃっのだけど、実は私も同じようなものだ。

目覚めてから出勤するまでは、元気の出る曲を聴いている。

Bon Joviとか。音楽で自分の気持ちを高めるのだ。

朝から女性の甘ったるい曲など聴いていられない。

ところがどうだ。へとへとになって夜に帰宅すると、朝に聞いてた曲は聴きたくない。やかましいオッサンの声など聴きたくもない。

不思議なもので、夜はCharaなどの女性の優しい曲で癒されるのである。

と、まあ、そんなことを考えると、自分にとって音楽は、自分の気持ちを高めたり、癒したりするためのもの、ということになるのだろうか。

そこで、このアルバム

Carole KingTapestry

自分の中では、心がささくれたときの、とっきおきの一枚。

とっておきだけに、普段はあまり聴かないほど。

各曲について語ることはできないけど、ぼーっと聴いていてもいい曲だと思える。

単なる流行曲ではない、歌い継がれる曲が、このアルバムにはある。

あまりに定番だけど、定番だけにやっぱり欠かすことができないアルバムと言えよう。

ちなみに、近藤社長夫人のブログタイトルも、このアルバムから取ってあると思われる。

次は、匿名さんにリレーを渡します。(誰か引き継いで!)

はてなダイアリーが選ぶ名盤百選というのが昔あった。

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