はてなキーワード: 三四郎とは
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち(小学校富山/中学から東京)
白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)
朝永振一郎 ─ 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都)
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川)
東京大7
京都大5
名古屋大2
■生まれ
大阪府2
■育ち
京都府3
http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正)
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湯川秀樹(出生地:東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった
江崎玲於奈(出生地:大阪府)親は大阪府、三重県 ※助手のアイデアのパクリ
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下村脩(京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都生まれ
根岸英一(満州)親は東京都、本籍は日本橋、目黒の根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住
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わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の
小柴俊男がそのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、
父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉の館山の
父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋で小僧代わりに働きながら
学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要の陸軍学校へ進んだらしい。
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祖父の塩川三四郎は1873年生まれ、政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部を
卒業した。そして、渡辺千秋(長野県出身)の次女・千夏と結婚した。
「野依」は母方の血筋で、福岡県の東部、築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ
庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。
(野依良治『私の履歴書 事実は真実の敵なり』日本経済新聞社)
http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9
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朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
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私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが
同じ貧乏侍の利根川という叔父に子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。
家内の父方は弘前藩士(青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー)
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北大理学部を受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。
恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ
山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男の鈴木さんは16歳だった。
(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身)
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「大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除・ソート。出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れてしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデル、エッシャー、バッハ─
の長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記)
★「三四郎」の中に「明治15年以降生まれ」と「明治15年以前生まれ」が世代ギャップがあるような記載があり、脳内が「???」となった。
調べてみたら、明治15年以前生まれは「漢文の素読」を叩きこまれた世代、
以降は「近代的教育を受けた世代」で、モノの考え方に激しくギャップがあるらしい
今で言えば、「1~2歳の時にスマホを経験した世代」とそうでない世代の差みたいなものか?
東京に詳しい人でも、西片町を知ってる人は少ないのでは?あの辺り、今でも明治の香りがする。
25年前の悪い東大駒場生は、本郷キャンパスに所用で出掛けた際、西片町を経由して帰ってた。
(ルート:東大正門→西片町→三田線春日→新宿線→笹塚→明大前→井の頭線)
悪い東大生は、井の頭線の定期券と、春日駅の初乗り切符で(以下自粛)
★「三四郎」読んでると、本郷エリアじゃなく大久保に住むことを「都落ち」的な書き方されてる。
まあ当時大久保は東京市じゃなく豊多摩郡だったろうから、さもありなん。
裏返せば、「不動産仲介業」という職業が当時はまだ確立してなかったことがわかる。人々は口コミ人ツテで空き家を探してた
田端とか荻窪とか馬込とかに「文士村」として作家が集住してたのは、作家が口コミ人ツテで空き家を探した結果、知り合い同士固まったから。
不動産仲介業が発展するまでは、「同郷者が、同じアパート・同じ街に集住する」というのは、割と見られた光景だった。
逆にいえば、不動産仲介業は「同郷集住による街の単一化」を防ぐ役割を果たした、と言える
★「三四郎」で、本郷エリアの寄席に行くシーンがある。戦前まで本郷に寄席があったと聞いている。
その後映画館になったようだが、戦災で消失し、東大界隈は映画レスな街になった。
戦後映画の全盛期に映画館ゼロというのは、他の学生街だと、あったのだろうか?
映画館がないほか、雀荘なんかも少ないし、学生向け大衆食堂も少ない。
★市電が急速に発展したせいで、三四郎が市電に乗り間違うエピソードがある。
当時の市電網で誤乗するくらいだから、2014年の東京圏鉄道網って、地方出身者にはカオスで、乗り間違い多数なんだろうなあ
★「三四郎」読んでたら、「適齢期は女性過剰」的表現があった。
日露戦争でそんなに男性が犠牲になったとも思えないので、感染症や栄養失調で夭逝する男児が当時は多かったんだろう。
適齢期性比が男性過剰に転じたのは、実は高度成長以降だったりする。
私見だが、夏目漱石の三四郎が文壇で評価され、「日本近代文学の祖」になった理由は、案外単純な理由な気がする。
「三四郎に描かれてる帝国大学の学生模様が、文壇主流派にとって『インナーな話』で懐かしかった」から、
分かりやすく書くと、文壇の大御所たちも東京帝国大学の出で、だから夏目漱石の三四郎は「東京帝国大学物語」で、心地良かった。
それまで「東京帝国大学物語」を書いた作家はいなかったから、その意味では夏目漱石の目の付け所はシャープだった。
よく考えたら、東大生の日々を描いた小説って、「三四郎」以降、存在しないんじゃないか?
東大生自身にも責任があるが、東大OBは、「三四郎」みたいなリアルな「東京大学物語」の小説化を怠ってきた、
一方で、ライバルである京大は、最近「鴨川ホルモー」で登場したりしてるのが羨ましい。
実際、東大が舞台の小説は後森鴎外と大江健三郎にしかないようで、このままでは世間は東大は「江川達也のマンガの世界」と誤解しちゃう。
※いや、東大の様子は、東大OBの「私の履歴書」を断片的に繋ぎ合わせれば、判るかな?
「三四郎」時代の東大は、あれはあれで趣きはあるが、工学系統が全く描かれてない点で今の東大とは別物。
せいぜい生糸工業と綿紡工業しか日本になかった三四郎当時の東大工学部と、現代の東大工学部で、「プレゼンス」が雲泥の差なのは当然。
長い割にびっくりするほど内容の無い文章。
…とは思わなかったなあ。理系な人の書いた一種の文学的散文として見れば、元の文章はそれなりに面白い。まあ、「面白い文章」か「ぐねぐねした文章をヒネクレ者が面白がっているだけ」かと言われたら、後者かもしれないけど。
まあ、もし元の文章はもっと要約できるだろと言われたら、そりゃできるかもしれないとは思う。
とかね。ただ、何が言いたいのか分からないような文章を分析的に書いていることと、それなりに落ち着いた書きぶりのおかげで、書き手のキャラクターや経験した内容が、ある意味実感をもって充分に「伝わって」いる文章ではあると思う。その意味で、元の文章は充分に「意を伝える」文章であるとも言えると思うよ。
で要約できるかもしれないけど、それで要約できたからといって作品は読まなくても事足りる、とはあまり言わないだろうしね。
http://anond.hatelabo.jp/20081109215457
書評がなってない、という問題のコメントがほとんどならわかるが、かなりの割合で書評の内容で元の本を想像してコメントする、という例がある。現時点でそれに該当すると思われるのを俺視点で全部あげると、
id:repon あのですね、日本人から見た「英語」だから普遍語に見えるだけで、日本語という「国語」は国家統合の鍵ですよ。英語は道具としてはこれから普及するけれど、国家統合の要は国語たる「美しい日本語」です。全然違う。
id:jujubea j「英語のできる俺大勝利!皆は俺の英語力を全肯定するこの本を読むべき」
id:shields-pikes 読まずにコメント。ブログと掲示板と漫画とアニメで、世界の全コンテンツにおける日本語の比率は20年前より増えてるんじゃないかなあと予想。あとは、現代中国語をまた漢語として日本語に引き入れようぜ!
id:sbiaco ラテン語を中南米の言葉だと思っている人がいっぱいいる国に英語を普及させるなんて夢の夢。植民地にされたら別かもしれないが
id:hobbling 今どき源氏物語を「読む」人間がいないように、漱石の三四郎だって「読む」人間がいなくなるのは当然だと思う。言葉だって文学だっていつかは死にます。ラテン語が死んだように英語だって死ぬでしょう。
id:kkobayashi バカだのアホだの言われると逆に読みたくなってくるな。/英語の必要性なんて、本読んで勉強するもんじゃないと思うけど。実際必要としてない人には不要だし、実感として伝わるわけがない
id:TiTo インテリ層は今後日本語よりも英語に重きをおくのでは?私自身の体験からしても、ある分野で日本語で十分満足のいくコンテンツがない現状に気付いた時点で英語のコンテンツにアクセスするようになりましたから。
id:noiehoie なぜこの人はいつも真面目に語ろうとすればするほど底の浅さを露呈させてしまうのだろう?そもそも19世紀以降知的世界において英語が普遍語でなかった瞬間があるのかと問いつめたい。小一時間(ry
id:JuliusCaesar アメリカが没落しても英語の優位が続くかどうか。日本国が続く限りは、日本語が亡びることはないだろう。
id:nekoluna うーん・・英語で書けるならそのほうがいいと思うけど。 マーケットが大きいので、日本語では微妙な才能でも小説家としてやっていけるよ。 暴力的かもしれないけど。
id:dekaino 古代・中世と中華帝国が東アジアの中心だった時代、日本の公文書は漢文だったが、和文の文章も当然書かれていたし和歌も詠まれていたわけで。
id:mihalita 日本語を理想化しすぎ。かなりハイブリッドな言語なので、これからも政治的に強い言語と混じりながら変化していくんですよ。「田中克彦」を読んだほうがいいと思う。
id:panna-cotta 関係しそうなのは上流層だけかな。世界共通言語を操る以前に、世界規模の競争で勝ち残れない大多数の人たちは結局母国と母国語に依存せざるを得ない。 * 2008年11月08id:Meat_eating_orchid こんなのもう50年以上前から言われてることだけど、それで「自然に英語で書」いてる人って何人いましたっけ?
id:islecape 英語が「普遍語」に。すでに学術論文なんか全部英語。人口が減っているので日本語を使う人も当然減っていく。文化的に保存されず消滅する言語がかなりあるが、日本語はデータとしては残る。それで問題あるだろうか?
id:yuki-esupure こういうの100年くらい前からいわれてるよねwww
id:ticky 英語ったって、英語を学ぶことと、英語の教養を見につけることは別。
id:nosem よくあるタイプの本の予感,そもそも普遍語たるラテン語も衰退しちゃったじゃんかよ
id:pontanta 50年前に出版されても同じことを行っていると思う。戦後のベストセラーが「日米会話手帳」ですからね。/「貯蓄から投資へ」みたいにいつになれば本格的にそういう時代になるの?という感はある
id:yamatedolphin 都会で働く人には標準語は必須だが、イナカで隔絶した暮らしをしてやってけるという人は方言で充分。それと同じで知的分野で相手にされなくてもよい人には関係ない/ コメントみると日本は「亡び」からも遅れるのかも
id:citron_908 人類2.0 タイトルと書評だけ読んで想像すると、これってなんてワンワールド化?っていう / フラット化する世界のなれの果て
id:Mihukaeru 標準語は浸透しましたが、方言は滅びましたか?(変化はしてるけど)
id:yo-net 日本語で物を考えなくなったら、日本人が終了するだけですよ。
id:georgew 英語に関しては異論ないけど、中国語の台頭というのも考えねばならんと思う。いずれにせよ日本語用済みってのは大筋そうだろう。
id:insistent シルクロードの終着点で中東から欧州から中国朝鮮から洪水のように情報が入ってくるので異文化摂取能力を限界まで高めた言語として発生した日本語。また独自の変質を遂げた日本語になるだけだと思う。
id:plummet 実感はサパーリ湧かない。|ちうか、本を紹介するだけのエントリにけっこうスターがついてるのに驚く
id:naotoj 一部の限られたエリートしか情報を残せなかった昔とは違い、今は個々人全てがデータの発信元。それが全て英語に置き換わるなどとは到底思えないのだけれど。
id:ore_de_work 滅びるんじゃなくて、それ生き物だから.....
id:kimtetsu 日本 単一の言語を民族のアイデンティティに結びつけるのは、国民国家の特徴だからそんなに歴史が古くない筈、日本語だとせいぜい150年ぐらい?
id:hummer_and_anvil 江戸時代以前は漢文が公用文の時代だったし。ヨーロッパではラテン語の時代が長く続いた。日常語と公用語が別の言語という国は現在でもたくさん存在する。これはごく普通のことじゃなかろうか。
id:ustar そもそも日本語は何千年も知識と論理を漢語に任せてたじゃないですか
id:ghostbass言葉 OK,まずは「ら抜き言葉」なる珍妙な用語を滅ぼそう。/フレーズで意味を成す用語を単語に分割して訳すバカどもを追放しよう
id:TOM2005 そのときには自動翻訳が実用的なレベルになっていて、むしろ「母国語でない英語を覚える」などというナンセンスなことは誰もしなくなったりして。
id:temtex 今まで数え切れないほど日本語の危機なんてあっただろうに。
また挫折しそう。中学時代から数えて何度目だろう。
一応文学部に籍を置いているんだからさっと一読くらいはしておこうと思うのだけど、どうも苦手で。
といっても、『吾輩は猫である』なんかは読めたし、「夢十夜」は大好き(特に第一夜。世界文学も含めて、これまで読んできた短編の中で五指に入るくらいの愛しぶり)。高校一年で課題図書になった『こころ』も読めた。その他にも、短篇・中篇の類いはそこそこ読んでる。
問題はいわゆる「三部作(三四郎・それから・門)」と呼ばれているもの。「三四郎」の頭数十ページでいつも挫折する。どうにも読み進めるためのドライブ感が感じられない。なんなんだこのインテリ非モテ! ウザいんじゃ! という気持ちがふつふつと沸いてきて堪えきれなくなってしまう。むー。どれくらい読み進めると面白くなってくるもんなんだろう。
何のために音楽を聴くのだろう。
そんなことなど、私には答えられはしない。
そもそも私は一介の勤め人。音楽を語るほどディープに聴いている訳ではないのだ。
それでも、朝な夕なに音楽を聴いている。
昔の漫画(1・2の三四郎)に、熱血漢の主人公がタイガーマスクの主題歌で目を覚ます場面があって、笑っちゃっのだけど、実は私も同じようなものだ。
目覚めてから出勤するまでは、元気の出る曲を聴いている。
朝から女性の甘ったるい曲など聴いていられない。
ところがどうだ。へとへとになって夜に帰宅すると、朝に聞いてた曲は聴きたくない。やかましいオッサンの声など聴きたくもない。
不思議なもので、夜はCharaなどの女性の優しい曲で癒されるのである。
と、まあ、そんなことを考えると、自分にとって音楽は、自分の気持ちを高めたり、癒したりするためのもの、ということになるのだろうか。
そこで、このアルバム。
自分の中では、心がささくれたときの、とっきおきの一枚。
とっておきだけに、普段はあまり聴かないほど。
各曲について語ることはできないけど、ぼーっと聴いていてもいい曲だと思える。
単なる流行曲ではない、歌い継がれる曲が、このアルバムにはある。
あまりに定番だけど、定番だけにやっぱり欠かすことができないアルバムと言えよう。
ちなみに、近藤社長夫人のブログのタイトルも、このアルバムから取ってあると思われる。
次は、匿名さんにリレーを渡します。(誰か引き継いで!)
※はてなダイアリーが選ぶ名盤百選というのが昔あった。