はてなキーワード: バンバンとは
1つのポストに1秒の動画と長めの動画を貼り付けると、視聴維持率という数値が100%近くになります。すると𝕏は「この動画はみんなが最後まで見る良質なものだからもっと多くの人に見てもらおう」とバンバンおすすめにあげていきます。結果的にインプレッション爆上げで青バッジウハウハとなる訳です。皆さんのおすすめもこの手の1秒動画に汚染されていることと思います。
驚くのはこんなクソみたいなやり方を“ハック”、“良きこと”として紹介してるアカウントが大量に存在している事実。𝕏は人間性をいとも簡単にぶち壊す装置として日々最悪を更新しています。くたばれイーロン・マスク。
私は車を所有してはいるが、車について全く興味がなく、もっぱら移動手段の一つとして考えているので手頃な価格の中古車を買った。
だが、仕事の付き合いで色んな人と話していると、車に詳しい人はともかく、それなりに車に関心がない人でも当たり前に「アルファード」「ヤリス」「ヴォクシー」「オデッセイ」「ステップワゴン」という単語を基礎教養かのようにバンバン出してくる。
私は全く車種名には疎いので、「アルファード」と聞かれてもどんな車なのか?全然想像できない。名前聞いて分かる車と言えばせいぜい「ベンツ」くらいだ。(といっても、高級車なんだな、とエンブレムがついている車だな、ぐらいの認識)
なんかさあふだんCookieとか全拒否ってるからだろうけどオススメ欄に皇室の動画とかバンバン出よるんだけどさあ
たまにそういうの見たらなんか皇室ファンみたいなののコメントが「お美しい……」とか「それに比べて〇〇はふさわしくない!」「〇〇家は悪!」とかマジで言っててヒェーってなるんだけどさあ
ふつうさあ「皇室を敬っている」自覚があるなら畏れおおくてなんも言えない感じ出すことない?
ふさわしいもクソも「雲の上で決められることであって庶民があれやこれやと夢想するだけでもはばかられる」みたいな雰囲気出すことで成り立ってるんじゃなかったっけ?
だって皇室って血統主義じゃん?どんなに顔がブサイクでも性格がクソでも血がそういう流れだったら天皇にって世界じゃないの?
いくら自由になってるとはいえ、そのなかでも皇室を崇拝する自覚があるならすくなくともそのヒエラルキーを受け入れてないとアナタは一体何を信じてらっしゃるの?ってならない?
簡単ではない。
なぜなら命を獲る覚悟というものを人間はそう簡単にはできないからだ
戦場で”人を殺すのが正”である環境下であっても誰もいないところを適当にバンバン撃っていた兵士が一定数いたという調査結果がそのいい証拠
生理休暇の場合の取り扱いについては人事に相談だと思うのだが、それ以外のところについては何の理由にもならないと思うんだけれど。
結婚退職や育休を考えているので難しい仕事を覚えたくないということならば、その選択は自由なのでお互いにそのことを確認できる形で記録に残し、人事にも共有する所だな。
その場合は人事評価としてはその分低めになるし、難しい仕事ができないなら、上の職級にも上がれないという説明はするところかと。
タスクや目的に対する進捗も良くないが、フィードバックの機会に言い訳三昧、女性特有の体調面などの不利な条件下で頑張ってる事をアピール。
会社は慈善団体ではないので、会社に利益をもたらす人には会社として厚く遇するし、そうでない人には遇さないだけ。
上司の人間個人としての評価、育成と会社としての評価は違って当然だよね。
個人としてはとことん人を信じるべきだし、頑張っているということも認める。不利な条件下でよく頑張ったねと話してもいいと思う。
でも、企業である以上、人事評価は一人一人の頑張りではなく実績に対して行うものだよね。
「もしアドラーが上司だったら」の受け売りがそれなりにあるけどさ。
体調の問題があるなら、相応の休暇を取得してもらった方が実労働時間が測りやすくなるのでよいということをお話しして、労働時間成果で見るかな。
多様性の尊重ということについて異論はないが、子供をその尖兵に使うのは筋が違うと。
大人の理想のために子供にリスクを負わせるのは正しいことではないと。
ところでまた別の角度からの話をすると「みんなと違うことは好ましくないのでは」というような価値観の問題は、純粋に価値観の問題としてのみ取り扱う限りは微動だにしないのである。
どういうことか?
例えば「人間には生まれつき貴賤の別がある」という価値観に対して「人間は生まれながらに平等です」という価値観を対置して説教したりみんなで話し合ったりしても何も変わらない。
しかし外国から新しい文明の文物が流入して全く新しい職業がバンバン生まれると、四の五の言わずとも士農工商なんてどうでもよくなる。
ハード(形あるモノ)がソフト(価値観)を強力に規定するのだ。
子供に「多様性は大事ですよ」と百万回唱えても無意味である。具体的に違う服や違うカバンを与えて初めて伝わりだすものがある。
そこで起きるかもしれない摩擦のリスクはそれこそ大人が責任持って大事に至らないように監視・干渉しなければならない。摩擦を起こさせないことが大人の責任ではない。