多様性の尊重ということについて異論はないが、子供をその尖兵に使うのは筋が違うと。
大人の理想のために子供にリスクを負わせるのは正しいことではないと。
ところでまた別の角度からの話をすると「みんなと違うことは好ましくないのでは」というような価値観の問題は、純粋に価値観の問題としてのみ取り扱う限りは微動だにしないのである。
どういうことか?
例えば「人間には生まれつき貴賤の別がある」という価値観に対して「人間は生まれながらに平等です」という価値観を対置して説教したりみんなで話し合ったりしても何も変わらない。
しかし外国から新しい文明の文物が流入して全く新しい職業がバンバン生まれると、四の五の言わずとも士農工商なんてどうでもよくなる。
ハード(形あるモノ)がソフト(価値観)を強力に規定するのだ。
子供に「多様性は大事ですよ」と百万回唱えても無意味である。具体的に違う服や違うカバンを与えて初めて伝わりだすものがある。
そこで起きるかもしれない摩擦のリスクはそれこそ大人が責任持って大事に至らないように監視・干渉しなければならない。摩擦を起こさせないことが大人の責任ではない。
お前が子供を盾に差別したいだけやん