2024-03-07

anond:20240307025640

多様性尊重ということについて異論はないが、子供をその尖兵に使うのは筋が違うと。

大人理想のために子供リスクを負わせるのは正しいことではないと。

まあ、もっともな意見だと思う。

ところでまた別の角度からの話をすると「みんなと違うことは好ましくないのでは」というような価値観問題は、純粋価値観問題としてのみ取り扱う限りは微動だにしないのである

どういうことか?

例えば「人間には生まれつき貴賤の別がある」という価値観に対して「人間は生まれながらに平等です」という価値観対置して説教したりみんなで話し合ったりしても何も変わらない。

しか外国から新しい文明文物流入して全く新しい職業バンバンまれると、四の五の言わずとも士農工商なんてどうでもよくなる。

ハード(形あるモノ)がソフト価値観)を強力に規定するのだ。

子供に「多様性大事ですよ」と百万回唱えても無意味である。具体的に違う服や違うカバンを与えて初めて伝わりだすものがある。

そこで起きるかもしれない摩擦のリスクはそれこそ大人責任持って大事に至らないように監視干渉しなければならない。摩擦を起こさせないことが大人責任ではない。

教育本質的暴力的要素を内在させているのだ。正しさは、と言ってもいい。そこのところを忘れてはいけない。

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