公式から「クリアカード編に繋がる」と明言されたのは劇場版と原作3巻の特典OADだが、このどちらもが新作アニメには直接繋がらない
というのも、OADは原作最終巻の丸々アニメ化(カットされたシーンはあるが)であるためぬいぐるみの受け渡しがバス(この際告白の返事がなされた)であった一方アニメでの回想は空港(この場合告白の返事は劇場版ラストまで待つことになる)であったのだ
加えてアニオリの苺鈴は出る気配がなく、藤隆と撫子のシーンは現状全カットである
というか藤隆パパの生まれ変わり設定消されてそう
黒人に模した黒塗りじゃないくて、日焼けの褐色だとか言ってるけど
日焼けした白人or黄色人種と黒が薄めの黒人との境界線はどこなの?
黒人も宝塚はOKというのなら、根拠とどこまでOKかの線引きをしなければならない。
そうでなければただのダブスタじゃねーか。
さんざん悪意の有無は関係無いとか言っていた人達、宝塚になった途端批判弱まってねぇ?
ガキ使の時は、対象がTV局、お笑いということで、余計に強く批判してる人いたんじゃないの?
それはポリコレ的にセーフなんだろうか。
そんな法案あったらはよ死ねって無言の圧力掛かるのも想像はつく。
でも逃げ道が欲しい。
何年生きるかわからない自分みたいなゴミに医療費つぎ込むより、さっさと次の世代に回して欲しいんだよ。
死にたい奴を楽に死なせることに議論が向かないのってやっぱり「俺が苦しいのにがんばってんだからお前も苦しめ」って奴なのか?
うまく死ねば臓器各種もまだ使えるところはあるはずだから、安楽死代はそこと相殺したりとか。
電車止めたり、発見者にトラウマ作ったりしないわけで、現状維持よりいい方法だと思うんだけどな。
最近読んだコラムで「人は安心すると長生きできる」とあった。楽に死ねるとわかっていると前向きになれるらしい。
実際に死なせるかどうかは別として、そういう希望を作るのは何故駄目なんだろうか。
ネットだとクソアニメという評価が多いポプテピピックなんだけど、俺としては今季四天王に入れてもいいぐらい面白かった。だけど覇権はない。他のアニメが強すぎる。
俺がポプテで一番良いと思ったのは、パロディをちゃんとギャグにまで持っていってることだ。
世の中にはパロディになってそうでパロディになってないギャグもどきが結構多い。有名なものをただ並べてその場に放置して満足している作品だ。でもポプテは違う。有名なネタをパクってきてそこから更にもう一段階加えることで見てる側に次に何が起こるのかを完全には予想させない。つまり、予想していた展開とは違うことを起こして笑いを誘っている。これはマジメにギャグをやっているという事だ。ただ他作品のネタを横に並べただけの怠慢ではない本物のパロディだ。それをやっていることは評価すべきだ。
もう一つ特に評価したい所がある。それは1つのネタに執着しないという事だ。最初のアレを除けば、大体が1ネタ1分未満で切り上げ次に向かっている。とにかく早い。この執着の無さは大事だ。ギャグには鮮度がある。そしてその寿命は短い。無理に引き伸ばせばアッサリ死んでしまうのがギャグだ。間延びした声で叫び続けてる芸人がつまらないのもこのせいだ。ギャグの良し悪しにキレという言葉が使われるように、終わったネタは切り上げて次へ次へ行くのが理想だ。そしてポプテはこの理想の通りにギャグアニメが出来ている。これに対して、「節操がない」「5分アニメでいい」「なぜ30分枠を?」という気持ちになる人も多いだろう。俺も同じ気持ちだ。5分アニメで十分だ。だがこのアニメは30分枠でやっている癖に、5分アニメと同じアクセルの踏み方をしている。そこが凄い
そして最後にアニメでやらないと出来ないネタをやっていることだ。声優変更のアイディアはまさにアニメ化ならではだ。同じアニメを別の声優がやったらどうなるかを見れる作品なんてそうそうはないだろう。その貴重な体験が出来るという部分においてポプテは他にない魅力があるといえる。最初から15分枠にしろとはまさにその通りである。だが、見たくないなら15分だけ見て残りは見なければいいのだ。ちなみに私は、来週からは2日に分けて見るつもりだ。一日に二度見るのを何ヶ月も続けるのはキツい。
そして、誰もが一度はテレビの電源ボタンに手を伸ばした最初の茶番劇。アレも何気にアニメならではだ。最高にクソつまらなくて、15分が終わってもう一度見せられた時はあまりの苦行に懲役5分×2という実感しか沸かなかったアレだ。マンガであればページをペラペラめくって飛ばしてしまいそうな光景がダラダラと続くあの地獄。だがこのネタをただクソなだけと切り捨てるのは早計だ。あのクソアニメっぷり、期待出来なさ、間違って変なアニメを見てしまったという後悔、今すぐ切ってしまいたさ、その全てが深夜アニメでお馴染みの感覚だ。深夜アニメを毎クール20本以上見ている人なら年に5回はこの感覚を味わっているだろう。名作だけを選んでみてきた人でも、涼宮ハルヒの1話を見た時の感覚を思い出して欲しい。どうだろうか。あの絶望すら心に流れ込むようなつまらなさとテンプレに対するうんざりっぷり、まさに完璧に再現されていたとは思わないだろうか。
ポプテのアニメはアニメ化するという事をよく理解している。視聴者が完成品のアニメを見てどう感じるかをキチンと分かっている。分かっているからこそ、テンポのいいギャグも出来るし、苦行でしか無いクソアニメも作れる。視聴者はスタッフの手の平から逃れられないことを突きつけてくるようだ。この挑戦的な態度、実験的な作風、そしてそれに見合うだけの実力。ポプテはもっと評価されるアニメだ。
どうも有難う、良い方に良い方に考える柔軟な発想が私には無かったと思う。それだけ、過大評価をしていたのかもしれない。
指摘にあった「お店を決めて予約するということをした経験が無く、「会食の場所を用意する能力が無い」という可能性」という事、まずは考えなかったし、寧ろ私よりも年上の人で段取りの悪い人が居るなんて知らなかったから…。
その人は34歳で、プロフィールの自己紹介に趣味や価値観は書かず、「中高一貫で、現役で東大・東大大学院に進学した事が自慢」「嫌味に聞こえるかもしれませんが、相手には小難しい事は求めません」といったことを記載していました。なので、キャリアとして頭の回転が速くて、要領も良く、精神年齢も高い、などといった勝手に相手の強者としてのイメージを私は作り上げていました。
「このように書くという事は、よっぽどの自信があるのだなあ。」と馬鹿正直に受け止めてしまったからです。それに、職位?の欄には「役員・幹部」を選んでいて、メッセージのやり取りの中でも海外の出張中の様子がかかれて
ネット婚活という所がどういう所なのか、私の人としての価値の低さも含めて、本当によく解っていなかったと痛感しました。学歴は事実かもしれませんが、虚栄心が強くて、そこに騙されてしまう様な浅はかな自分もまた、経験の浅い人間で、類は友を呼ぶ、といった状況を産んだのだろうな…と思いました。
ビッグマウスで、実年齢と社会的な経験値は伴わない30代もいるんだってこと、良い社会勉強になりました。自戒を込めて、私自身も頑張らないと恥ずかしいな、と痛感しています。
1月7日(日) 09:30 〜 09:58
https://abema.tv/channels/new-anime/slots/8jHZbKo6bqBFm1
今日もどこかで、彼女はラーメンを食べている― クールで無口な美人女子高生の小泉さんは毎日おいしいラーメンを求めて食べ歩く生粋の“ラーメン通”だった。
小泉さんはラーメン以外のことには興味がなく他人と馴れ合わない。
ただひたすら求め続けるのは“ラーメン”のみ! ラーメンあるところに小泉さんあり!
https://twitter.com/magurohd/status/949784787794804736
https://twitter.com/magurohd/status/949785003331764224
自分のテリトリ外、自分向きでなかったジャンルを変に扱き下ろすイキリオタクの構文とも言える。
子供向け番組が媚びてないってどういう意味?「子供に媚びてる」んじゃないの?