>つまり、クジラックスの漫画に犯人が捕まるという結末さえあればOKというわけだね。
ぜんぜん違う。
仮に「犯人が児童レイプ魔になった経緯」を描くといった趣旨のストーリーなら、彼の生い立ちや育った環境、どこで道を間違えたかの経緯を描く必要がある。
そもそもちゃんとしたストーリーがある場合、わざわざ「児童をレイプするシーン」を具体的に描く必要性はまったくない。このシーンをメインにして後の背景をとってつけたようではただの児童ポルノと同義。
でも人材不足感が際立ち始めたのはここ数年だよね
少なくとも現実的にはこうや
それはえらい差だろ
LGBT全員がそういう願望を持っている訳ではないけど
それは「レイプして虜にしよう!」って書いてあるの?
現実でそれ実行して?
ならダメだろうね
そうじゃなくて合意の上でなら判断力のある成人同士の合意だから問題ないわ
ロリエロは相手が判断力ないロリな時点で犯罪だからどうしようもないよ
同列になりようがない
クジラックスのマンガの件で過去の例に漏れず「表現の自由」信者がネットであふれかえっていて本当にうんざりしてる。
ああいった事件の後でなおも迷わずに「表現の自由を守れ」と声高々に主張する方々に聞きたいのだが、君たちはその発言が「表現の自由を守るためには、多少の公益や子供の安全を損なう結果になっても仕方ないと思ってます」と言っていると同義だとちゃんと理解しているのだろうか?別にコレについては批判するわけじゃない。権利を守るというのは時としてそういうモノだ。たとえば凶悪事件の犯罪者の人権を過度に守ろうとするとその犯罪被害者の人権を侵害することが多々あるし、音楽や書籍などコンテンツの著作者の権利や利益を過度に守ると、今度は消費者が不利益をこうむることなど多々ある。すべての権利を平等に尊重するのは不可能で、片方の権利を過度に守ろうとするとそれに相対する別の権利を侵害することになるからだ。だからそういう意識があって「表現の自由」を訴えているならいいのだが、どうもネットの書き込みの大半からはこういう葛藤など一切感じられず、純粋に「表現の自由を守ることが絶対正義」と信じて疑わないような連中が多すぎるんじゃないか?と思ってしまう。
たしかに「表現の自由」というのは近代社会の中では守られるべき価値観の上位にあがるものである。なぜなら「表現の自由」は往々にして「権力の監視」「権力からの自由」に密接に関係してくるから、国家の権力の暴走を防ぐには必要不可欠である。ただ「表現の自由」の名の下になんでも表現していいというわけではない。たとえば欧米では「表現の自由」のなかに児童ポルノやレイシズムを煽るような表現には厳しい制限がかかる。児童ポルノコンテンツや欧米人には子供にしか見えないアニメ顔のエロコンテンツは所有しただけで逮捕される国も珍しくないし、ヒトラーの「我が闘争」は発禁扱い。ヘイトスピーチデモも表現の自由には認められない。少なくてもクジラックスのマンガをこれらの国で自主出版でもしたら確実に逮捕事案である。これを「表現の自由なんていって欺瞞じゃないか!」と批判するのはお門違い。だって「表現の自由」は絶対的ではないんだよ。
ここまで書くと「それじゃ殺人やレイプ描写がある小説、ドラマ、映画も規制しろよ」などと反論してくる連中がでてくるだろう。まったく馬鹿げた反論だ。一口に「殺人シーン」といっても、その作品内の背景とかストーリー上の設定などで意味合いがまったく変わってくるからだ。たとえば同じ惨殺シーンでも「羊たちの沈黙」のように主要登場人物の異常性・神秘性を演出するために使われたり、戦争映画のように人間が虫けらのように殺される描写で戦争の凄惨さ、残酷さを演出したり、または復讐ジャンル映画では家族を殺された主人公がどれほど強い動機で相手に復讐していくか演出するなど様々である。小説、ドラマ、映画で殺人やレイプシーンが許容されているのは、人間のコアな部分を演出するには、時には人間の暗黒面をちゃんと見せることも重要だからである。それにこういった作品でもどのように陰惨に殺害されたか、激しくレイプされたかなんて長い尺をつかって表現するコンテンツなんてごく一部だ。(「食人族」とか)
もちろんその殺人シーンやレイプシーンが「ストーリー上それは必要不可欠なのか」「ただの過剰演出ではないか」という疑問は常につきないものだが、今回のマンガの件ではその議論以前の問題である。概要を読むだけであれは「未成年の女の子を大人が騙してレイプする行為を楽しむコンテンツ」以外に何者でもないことが明白だからだ。だからもしあの作品を他の実写映画でたとえるなら女性や女の子をもつ親御さんにとっては「ストーリーなど特になく、哀れな被害者が凶悪殺人魔に追い詰められジワジワと惨殺されていく映像を延々と見せられるだけ」な内容と同義である。君たちが「表現の自由」の名の下に守ろうとしているコンテンツとはそういったモノなのだよ。
ただああいった作品が実際に性犯罪を誘発しているか?という疑問はさすがにわからないとしかいえない。もちろんゼロとはいえないだろうが、それ以上の事は調査する人のバイアスや価値観によってどちらにも転ぶ内容だと思う。これについては結論はでないだろうから議論するのは無駄だと思う。ただああいった作品が自主出版とはいえその気になれば個人で入手できる状態だという事実の一つ一つが日本の性風俗文化を少しずつ形成しているのは間違いない。
児童ポルノや児童買春について絶対的に厳しい価値観の欧米(かといって厳しくすればするほどその禁忌を破ろうとする人間がでてくるのも悩ましい)にとって、先進国でありながら日本の性風俗のゆるさはやはり衝撃的だろう。風俗禁止法というものがありながらソープみたいなサービスが当たり前のように存在し、AKBみたいな大半が子供にしか見ないような女性グループが下着がもろに見えるダンスをしながらテレビで踊っている。これらから彼らが感じることは「法律上では児童ポルノって駄目だけどさ、本音では若い子のほうがいいっしょ?20代30代のおばさんより10代の女の子のほうが興奮するよね」という空気ではないだろうか?欧米の知識人が日本の性風俗文化を軽蔑するのも無理はないと思う。
さてここまで長々と書いても、大半の「表現の自由」信者には俺はただの欺瞞者で権力者側の規制賛成論者にしか見えないのだろう。別にそれはどうでもいい。ただ最後に忠告するのは、これからも「表現の自由」で何やっても許されるのが当然だと思っていたら、最後にしっぺ返しを食らうのは君らだということだ。今回のような事件は単発であって欲しいと願ってはいるが、もし何かの間違いで1年の間に何回も立て続けのように起こったら、それこそ日本の世論の大半は一気に「あんな児童レイプを助長するようなマンガを許すな!国はちゃんと規制しろ!」に傾くだろう。そのときにネット住民や一部の知識人が馬鹿の一つ覚えにように「表現の自由の重要さ」だけを訴えたところで大半の世論からは「ただのロリコンの似非リベラル」のレッテルしか貼られないだろう。そもそも児童ポルノ関係では日本よりはるかに厳しい欧米のほうがちゃんとメディアによる権力チェックができてるんだから、「エロコンテンツの規制を認めたら権力の暴走を招く」論はまったく理屈が通ってないのである。
もし俺の予想するような最悪なシナリオがおきて日本の性風俗に関する規制が厳しくなったとき、おそらく君らは日本人の不寛容さ、無教養を嘆くんだろう。違うから。君たちの救いがたい傲慢さが原因だよ。もし今後も欧米よりもゆるい日本独自の性風俗や表現を守っていきたいと思うなら、むしろ君たちこそが行き過ぎた表現にはちゃんと警告をだして業界内で自浄作用が起こるように注意しなきゃならない。「こりゃ論理的にやばいだろ」ってコンテンツ見つけたら乙武張りに「超えちゃいけないライン考えろ?」って冷や水ぶっかける努力を続けないとならないんだよ。
ま、たぶん無理だろうけどね。
月1くらいで風俗行くが初めて初出勤の娘に当たった
俺が初めての客という21歳
ローションの感触に驚いている様子は可愛らしかったが手コキも素股も未熟すぎる
彼女について語ろうとするとき、僕は自分がひどく不器用になったように感じることがある。
デレク・ハートフィールドの「暗黒期」の作品にも少し似ているかもしれない。
オーケー、とにかく話を進めよう。
僕がはじめて彼女とまともに話したのは、ひどく暑い夏の日の午後だった。
彼女は、ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」を口ずさみながら、庭で穴を掘っていた。
「なんで穴なんかを掘ってるんだい?」
そう尋ねる僕に、彼女は答えた。
「私は、フライパンを、埋めなければ、ならない」
力強く語る彼女の口振りは、厳しい選挙を勝ち抜いた大統領の勝利宣言を僕に思い起こさせた。
彼女の足元には、哀れにもこれから埋められようとしているフライパン。
そのフライパンにこびりついた黒焦げは、ゴミを漁るカラスの羽のようにも、宇宙の最果てーもちろん僕はそれを実際に見たことはないけれどーのようにも見えた。
こうして、僕は彼女と寝た。
翌朝、僕が目覚めると、彼女はまた庭にいた。
彼女は、昨日の穴から少し離れたところに別の穴を掘って、卵を埋めていた。
「卵を埋めるなんてもったいなくないか?」
僕は尋ねるべきではなかったのかもしれないが、尋ねずにはいられなかった。
彼女は、愛犬を亡くした飼い主のように悲しそうな顔をしてこう言った。
「あなたは、フライパンと卵があるとき、卵の側に立つ人なのね」
それが別れの言葉であることは、いくら鈍感な僕にだって明白だった。
僕は、何も言わずに庭を去り、二度と彼女と会うことはなかった。
僕と彼女の話はこれで終わりだ。
そこに湧き上がるような歓喜はないし、静かに沈み込むような絶望もない。
今となっては、僕は、彼女の顔を思い出すことすら難しい。