俺も久しぶりにyoutubeで聞いたらやっぱり昔好きだった曲は相変わらず好きでいい曲だなと思えたよ
全ての本を電子化して、電子データを国立電子図書館で管理して、ネット経由で貸し出せばいい。
データ形式はpdf。DRMはかけない。(図書館で借りた本をコピーできないなんて事は無いわけだし)
未返却のまま除籍される図書館の本は全国でものすごい量に登る。そんな未返却問題が一斉に解決する。
図書館員の憂鬱な仕事の一つにその督促業務がある。それも一切無くなる。
また、本が破損したとか、汚れたとか、そういうことが一切起きない。
またそれに伴い、貴重な閉架図書もガンガン貸し出せるし、高額な本も余裕で貸し出しOKとなる。
図書館の大きな役割の一つに、知を広く市民に広めるというものがある。
だが、図書館は基本日中しか開いていない。サラリーマンは土日しか知に触れられない。
多くの図書館は月曜日が定休だ。月曜日は市民は知に触れられない。
人気のある本は何百人も貸出を待っている。待っている間はその本には触れられない。
図書館が遠くにある人は、図書館までわざわざ出向かないと知に触れられない。
運転免許が無かったら? 怪我をしていたら? 悪天候だったら?
そんな問題も一気に解決だ。
そして何より、「借りたいと思っていた本が図書館にない」なんてことがなくなる。
借りたい本が具体的に決まってるなら、他のどこよりも、この国立電子図書館にある確率が高い。
当然、借りたいと思い立ったらすぐに借りられる。
図書館の大きな役割の一つに、文化や知識の保存というものがある。
電子図書館ができれば、全国の図書館で同じ本を買う必要がなくなる。ここでまず購入予算が大幅に浮く。
そして、物理的な空間も一切不要となる。棚も不要。そもそも図書館という建物が不要になる。
全国にある公共図書館は3200以上。これらのほとんどがいらなくなるのだ。司書も大いに減らせる。
(都道府県に一つ中央図書館くらいは残しておくべきだとは思うが)
ただ、これまで日本全国で図書館に使われていた予算のうち相当な部分が浮くことになるのは間違いない。
そのお金で、世界中の本、地方の零細出版社の本、昔の本などをガンガン電子化していこう。
知識の森はどんどん豊かになる。
CDやDVD(やBD)も、一部は図書館にあり、貸し出されている。
だがそんな制約ももう無くなる。全国に一つだけの国立電子図書館で購入すればいいからだ。
これでまた知識の森が豊かになる。
が、これで彼ら彼女らは本来業務のレファレンスサービスだけに特化できるようになる。
Yahoo!知恵袋みたいな形でレファレンス履歴を蓄積していけば、優秀な司書も分かるようになるだろう。
そのうち、利用者がレファレンス履歴を検索すれば望む本にたどり着けることも多くなるはず。
「本来のレファレンス業務がぜんぜんできない」などと嘆いている司書の皆様には、
是非競争原理のなかで切磋琢磨して生き残りを目指していただきたい。
それがあったほうがより充実した生活を送れる人もけっこういる、くらいでしょ。
いわゆる人生の(究極の)意味、最も重要な目標やそのための指針も得られることが多いわけだから。
副作用も大きいよな。本物の教祖なら、啓示だか精神病の幻覚妄想状態だか知らんが、
自分の直観を確信して、それと相容れないものは端的に間違いだとかな。
信者もそれまでの経験から受け入れられるものを信じるんだろうけど、
教団が推奨する本は熱心に読んで勉強してるんだと思うが、
他の本も読んだほうがいいんじゃ、とか思うこともある。余計なお世話か。
と言われると、
「私ばっかり苦労して、みんな ズルい…」
「障害児の親として先輩ズラできなくなるの残念」
みたいな、邪な感情が沸いてくるので仕方ないんですよ。
ほんとにみんな世間で言われているようなくだらないものだと思っているのだろうか。
宗教団体や個人についてはもちろん批判すべきことは山ほどあり得るのは確かだと思う。
だけど根本の宗教性だとか、神の概念のような宗教のあつかう形而上学的な意味は現に存在するよね。
史実に限定しても古代ギリシャの昔から哲学として研究されてきた立派な知の分野だと思うのだけど。
実際に世間の考える宗教が、世界創ったヒゲの生えた古代ギリシャ人みたいな服来たおっさん、もしくはパンチパーマの像や紙に欠かれた文字に現世利益のため祈る、みたいなイメージだけだとしたら現代人の精神の貧しさに絶望。
宗教が人間の営みとして核心的で欠くことのできないものであることを理解している人ってほんとはある程度いるでしょ?
でなければ哲学も歴史もおよそ人文系の学問全て理解できないよね。科学に関しては形而上性に気づかなくても物理的側面だけでなんとかなるから要らないかもしれないけど。
幼児の口や性器や肛門や腸によって自分の性器をマッサージすることをも渇望する人と、
おそらく猫や小動物をたかだか撫でたりして感触を楽しみたいとちょっとは思うくらいの人には
重要な違いがあると感じることに気付いた。
http://www.asahi.com/articles/ASHCL5QG1HCLUJHB00N.html
言っちゃ悪いけど生産性の無い障害児に多額の予算割くよりこれからの国力となる健常児に予算かけた方がいい。
出産前に障害と判明したら中絶しやすい方向に持っていくのは悪い事じゃないだろ。
なに感情論で叩いてるんだよ。
質問の件に触れる前に前回の補足と今回の質問に関係する部分をお話ししたいと思います。話が長くなって申し訳ないです。くどかったら飛ばして下さい。
ものには何でも「値ごろ感」とでも言うべきものがあり、それはその値段の歴史でおおざっぱに決まっているようです。原価や需給のバランスというのは経済学的には価格決定の要素として解説されるのですが、マクロにはともかくミクロや日常レベルではそこまでビビッドは要因にはなりません(人間の目は店頭で需給バランスが可視化して見えるというわけではないですからね)。書籍で言えば文庫本って500円から1000円弱くらいだよなあ。ハードカバーって2000円から3000円くらい? そういう肌感覚です。もちろんこれは永遠不変のものではなく、値上げしたり値下げしたりがおこなわれ、受け入れられ日常化する繰り返しです。いまから10年ほど前、おそらく文庫本の平均価格は50円ほど安かったと思いますし、僕たちが子どもの頃(というとばらつきがありますが)週刊少年ジャンプは200円を切っていました。
前回はなした「ハードカバー3000円ほどで売り出して、後に廉価版で700円ほどの文庫で出し直す」というのも、この値ごろ感が関係した結果です。最初から3000円の文庫でだし、部数が伸びるに従って値段を下げることは(少なくとも法制上や原理上)不可能ではありませんが、みなさんの「値ごろ感」が邪魔をして、3000円の文庫は購入してもらえないのです。なかには「いいや俺は本棚圧縮のために喜んで金を払うね」という方もいらっしゃいますが、それは少数派です。
さて、値ごろ感の話ですが「ハードカバーって2000円から3000円くらい」の本は売れます。多くは売れません。しかし少なくとも、その規格の本が現在でも毎月出る程度には、世間に受容されているわけです。「この大きさの商品に2000円から3000円くらいは払うよ」というのが一定読者層からは理解を得られていると考えられます。それは文庫も同じです。文庫サイズで500円から1000円弱(じりじり値上がりしています)は世間に「まあ、そんな値段のアイテムだろう」と思われているわけです。パッケージと値段のセットはセットであって、たとえば「ハードカバーと文庫の間の大きさで、値段も真ん中くらい」とか自由に決めてもなかなか浸透しません。書棚のサイズの問題や整理の問題もありますし、なにしろ値ごろ感は皆さんの内部の常識ですからそれを固定化するのに時間やコストがかかります。
角川ホラー文庫とかあとハヤカワとかの、
さてやっとこの話が出来るのですが、「B6程度のソフトカバーで1000円~1500円程度の小説を売る」というのは、最近「発明」されて「根付いた」新しい値ごろ感なのです。
いやいや昔からあったよ、という指摘もあるとは思いますが、いまほど安定できたのはごく最近のことだと思います。(さらに以前はカッパノベルスなどのノベルス判型があった地位なのですが、仮想戦記没落のあたりで徐々に廃れて行ってしまいましたね)
この新しい値ごろ感は、Web小説などをきっかけに広まったように思います(ここは私見です。きちんと統計などを蒐集すれば別の経緯かもしれません)。
新しい値ごろ感の発見というのは、そのまま、新しい読者層の発見でもあります。いってみれば「文庫しか買ってくれないと思っていたライトノベルユーザーが、少し大きめの判型であれば1200円だしてくれるのだ!」というエウレカでした。はっきりとした統計データなどはもっていませんが、現場の肌触り的な感覚で言えば、a)初期ラノベを読んでいた読者の皆さんが年齢を重ね可処分所得が増えた結果、1200円程度のレーベルでも購入してくれるようになった。b)すべての国内大衆小説が多かれ少なかれラノベの影響を受ける中で、文庫判型ではないライトノベル(の隣接したなにか)が要請された――などの実感を持っています。
日常的に書店に行く皆さんであれば判ると思うのですが、ここ数年の間に書店ではB6判型ソフトカバーのライトノベル的な書籍がふえていませんか? Web小説が主流ですがそれ以外の参入や、ボカロ小説と呼ばれるものや、自動文学的なもの、推理小説とライトノベルのハイブリットのようなものも見られると思います。それはこの「新しい値ごろ感」=「新しい判型と価格のバランスポイント」が皆さんに受け入れられ、希望があると出版社が判断したからです。もちろんそれが全面的に善だとはいいません。まだ固まっていない規格でぼったくってやれ、というような出版社やレーベルがあるかもしれませんし、読者的には「文庫で良かったのに」と思われるかもしれません。
とはいえ、新しいチャレンジなど10して1つか2つ成功すれば万歳ですから、この「B6ソフトカバーで1000円~1500円」というチャレンジは、最近の出版業界では(かなり)成功した部類だと言えます。
許せる訳ないじゃん。きもっ
客「おう今月も100個頼むぜ。ところで値段もうちょっと安くならない?」
主人「あいよ、任しとくんな!オラオラお前達もっと気合入れろ!」ビシバシ
労働者「ヒエー」「グワー」「ヤメテクレー」「ゲホッゴホッ」
主人「へっへ、今まで100個生産のところを労賃据え置きで150まで増やしてやったぜ。これで安くなったな。」
客「おっ、ちょっと安くなってるじゃん。じゃあ100個もらっていくぜ。」
主人「あいよ、また来てくんな!・・・んんー?50個余ってるぞ。どうすんだこれ。」
税吏「むっ、貴様余分な財産を持っておるな、税金値上げじゃ!」
主人「ええー、そんな殺生な・・・」
客「おい、なんだこの品は!不良ばかりじゃないか!」
労働者「アタリメーダロ」「テヌキダ」「コキツカイヤガッテ」「ストライキダ!」ドカバキ
主人「ぐぎゃあああああああああああ!」
会計とかよくわかんないけどこうなるんじゃないの
誰か教えてくれ