元の増田って、粗暴な口調を装って照れ隠し気味に「自信をもって結婚式しろよ、少なくともオレは祝ってやるからさ」と励ますという体の文章なわけですが、どうも「私に祝わせろ」というメッセージとしか読み取れなかったのだとすれば、大変失礼ながらあなたはアスペルガー症候群並に読解力が欠損していると思うのですがどうでしょう?
…というか、近頃そういう人が多い気がして大変不安です。
自称クリエイター夫妻が0歳児を連れて片道3時間(GW中だからたぶんそれ以上)かけ上京し
2日間参加したよう。何がしたいんだ。
来るなとは言わないが、子供は親に預けてくればいいのに。
病院休みの連休中に遠出、しかも人混み、麻疹の予防接種は1歳以降だからまだだろうに。
ま、なんとかなるだろ、客寄せパンダにもなるし、0歳でイベント参加したんだぞ、みたいなノリなのかな。
だとしたら痛いな。そんな痛い人に見えなかったんだけどな。
私もあなたくらいの年齢のときは、いつも「どうして一般的な飲食店は、『定食と銘打ちあたかも”それ一膳で一食がまかなえる”かのごとき名称でありながらどう考えても物足りない量』の食事しか提供しないのだろうか」と不思議に思っていました。
本当に、人それぞれですね。
http://anond.hatelabo.jp/20130502104027
ガッカリ感がハンパなかった……orz
(普段は、派生記事に感銘を受けたら元記事にも敬意を払う、というのが基本姿勢なのだが……
今回ばかりは、さすがに……)
積み木を重ねただけの「ぼくのおしろ」的 文章※を材料にして、
単なる批判箇所の列挙でなく、
ここまでうまく料理するって、なかなかどうして、できないよ。
(※誹謗中傷扱いされると嫌なので、一応、下に理由書いとくね。)
自前で用意した尾頭付きの焼き魚に添える……みたいな。
いろいろ考えちゃうね。。。
+++※書くまでもないが、一応、理由+++
元増田さんのような力量が、当方にはないため、
「無根拠記事に無根拠反論」というお目汚しになってしまうことを
あらかじめお詫びしておく。
ということに尽きるだろうが(その他のトピックスはすべて消化不良)、
それを述べている文章自体が、皮肉なことに
「初期プレゼンテーションの失敗による悪印象」を体現している。
どういうことかというと、
記事タイトルに見合う本文
つまり、「看板(プレゼン内容)」に「実体」が見合っていない、という
齟齬であり、相手(読者)に対する不誠実だ。
こういったことは、
相手に「鼻持ちならない」という印象を与えてしまう(事例男性のような)事象よりも
(そりゃ、短期的には、好印象でしょうよ。)
どういう関係なのか記されていないが、仮にクライアントとすれば、
当人の持ち味を生かすようなアドバイスがなされてしかるべきではないか。
この2つのアドバイスを守らせた結果、
「恋人ができました!」と報告があった。
この文章に吸引力らしきものがあるとすれば、
「愛してくれ症候群」というネーミング、コピーライティング技術だろうが、
そこには疑問符がつく。
「後のことはシラネ」的な短絡的なアドバイスをされたうえ、
事例の30代後半男性は、この記事を読んでどう感じているのだろうか。
そういうスタンスをとるばかりに、「顔見知り」はできても本当の友達ができなかったのだ。
たとえば韓国の人、あるいは中国の人を「好き」になれば、それで終わり。
ある特定の集団を排撃したり差別したりして楽しむ、それが自分とは関わりのないものであれば、対象が苦しんでいようがなんであろうが、人はそれを娯楽として受け取ることができる。とても『頭悪い楽しみ』ではあるが、そういう「楽しみ」は確かに存在するだろう。
『頭悪い楽しみ』というのは、確かにそれはそれで楽しいのであって、たとえばギャンブルでもイジメでもそれが楽しいことは間違いない。場合によっては、それで自分が破滅していっても、ひどい人間になっていくのが分かっても、生理的な楽しさは止まらないということはあり得る。麻薬なんかもそうだな。それらは、おおむねこちらが頭使う必要がなくて、かつ本能的な部分を刺激してくるからこそ、娯楽として一定の需要が常にある。
つまり、その娯楽に関わるとき常に「頭使わざるを得ない」状況にすれば、それらは急に楽しくなくなる。だから、自分がレイシズムの「頭悪い喜び」から足を洗いたいなら、自分が排撃したくなる集団の中に個人的な知人、一番いいのは恋愛対象を見つけるのが効果的だ。
そうなると、もう「韓国人ガー」とか「中国人ガー」とか、そういう「大くくり」で喋る『頭悪いトーク』はできなくなる。すくなくとも、自分が相手を「集団」でくくることにためらい、頭を使う必要が出てくれば、それは楽しくなくなる。
レイシズム、差別主義というのは、大変恥ずかしい行為だ。特に、人前でしてる様子を見ると目を覆いたくなるような恥ずかしさだ。公の場所で人の迷惑になるような恥ずかしい行為をして本人たちが悦に入ってる様子を見ると、ほとんど公衆オ○ニーだ。あれは、露出狂と大して変わらないくらいの犯罪だと個人的には思う。ダメな親父が居酒屋で酒の勢いで愚痴吐いてるなら、まだ仕方ないかと思えるが、公人が公の場で発言すればそれは看過されない。それはホントに公的には大きな問題なんだ。先日の東京都知事のくだらない発言が東京五輪を泡と化しそうになったみたいに、それは何百億円の損害すら引き起こす可能性がある。
だから、同じ「頭悪い楽しみ」でも、もう少し他人に迷惑かけない「頭悪い楽しみ」もあるのだから、みんなそちらに鞍替えしてくれたらいいのになあと思うのですけどね。レイシズムは、百害あって一利ない。たとえばB級グルメ道楽とか、どうかね。ラーメン美味しいよ。
あ、あと、言っとくけど、間違ってもレイシストが「愛国」主義など口にしないように。レイシストは「国家」にとって迷惑でしかないのだからね。
なんでそんなに大盛りにするのかな?
もちろん、客がくるからだろうけど、そもそも、なんでそれを目当てにそんな店に行くんだろう?
いくら安くても、不味けりゃ食べたくないし、仮に美味しかったとしても、そんなに同じものばかりたくさん食べたくはないんですけど。
事業がうまくいってなかったら、完全なる八つ当たりだなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20130502143742
柳井正はすごい。
でも、一番おっそろしいのは孫正義。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/10/post-ac5c.html
弾け飛び不良債権化したら、道連れでメガバンクがいくつも地獄行き。
泳ぐのをやめた途端に、福島第一原発以上の大惨事を引き起こす爆弾が炸裂する
孫正義に関わった人間全てが、泳ぐのをやめられない無間地獄に引きずりこまれてる。
孫正義が金を引き上げたら死ぬ状況に追いやられた、光の道や自然エネルギーに乗っかった人たち。
孫正義から取り立てようとした瞬間に道連れで死んでしまうメガバンク。
柳井正はせいぜい鷲巣。
真の悪魔。
朝生の件から津田が非常に荒ぶっているが、Twitter上の頭の弱いネトウヨに「朝鮮人」と言われることに彼はなぜ過剰に反応するのだろう。
ネトウヨのような何も考えていない連中の言う事なんて相手にしなければ良いのに。
あんなに必死だとかえって滑稽だ。何かを隠しているように見えてしまう。
考えてみれば、発端となった荻上チキの発言によって一瞬テレビの前で素になってしまったからではないかなと思う。
あの場では荻上チキが津田のことを朝鮮人だと言っている訳ではなかったし、そういった差別をする人間は間違いなく存在しているのだから、
あの文脈の上では特に反応することではないと思う。
それでも未だに過剰反応してしまっているのは、彼自身の感情に原因があるのではないか。
津田の中に韓国人や在日を嫌悪する感情があって、それがテレビという公の場で露になってしまった。
しかしその感情を肯定すればネトウヨと同じレイシストになってしまう。
それをどうしても否定したくて、過剰な反応として現れてしまっているのではないだろうか。
自分はそういう感情は肯定しても良いのではないかと思う。嫌なものは嫌だと言ってしまっても良いのではないだろうか。
下手に自分の感情を抑圧すれば、今回のようなボロが出てしまう。
ネトウヨのように下品にわめき立てたり日本に出稼ぎに来ている韓国人などに対して理不尽な暴力などを行わなければ、それで良いと思う。
それができない彼は本当に昔と変わらない小物なのだなあ、きっと。
今の彼は彼の能力とは不釣り合いの社会的地位と盲目的なファンを抱えてしまっている。
それが彼の判断力を鈍らせてしまうのだろう。
しかし、逆に言えば、240時間まではしっかり残業代が出るということである。
240時間ということはだ、例えば基本給が21万とすれば、21日出勤8時間労働を基本とすると、時給1250円。
割増で1.2倍でるとすると36万もの残業代が支給されている計算になる。
基本給と合わせれば総額で57万である。
それらしきことを考えてみたことはあるよ。参考になるか分からないけど・・
http://anond.hatelabo.jp/20130502191601
私も以前こんな感じだった。今はそうでもない。
夫は何かにつけ私をけなす人で、私はけなされるのが当たり前だと思っている人間だった。自分は、頭が悪く、顔が悪く、スタイルが悪く、病気持ちで、役に立たない人間なので、私みたいなクズと付き合ってくれた彼は神様だった。神様は私を大事にしてくださっている。神様が私が失敗をしたことを怒ったり馬鹿にしている時は。私が悪いし、私はそれを改めないといけない。指摘してくれている神様は私のために言ってくれているので私が悪い。つまり私が悪い。神様には感謝せねばならない。ピース。
というか、そもそも自分が何をどうしているのが正しいのか、良くわからない。本当に良くわからない。親にそうやって育てられてきて、親の言うことを聞かないといけなかった。私はいつも親に馬鹿にされていたので、親を楽しませるために親が喜ぶように生きていたのだろう。自分で考えたことはおおむね馬鹿にされたので、親のいうとおり、誰かのいうとおり、世間様のいうとおり、神様の言うとおり、にするべきだった。
なので、自分が何をどう判断すれば、いいのか、正しいのか、はさっぱりわからない。勉強することはいいことです。美人はいいことです。素直なのはいいことです。人の話を聞きましょう。間違いを認めましょう。いやなことを言われて辛い時はそれが本当のことだからです、自分の間違いを認めて素直に謝って改善しましょう。とか言われる。
というような事がうそだと気づいたのは、カウンセリングやら認知療法を受け、本を読み、自分で考えるようになり、自分を大事にしないと思われる人を排除し、自分自身の考えを持とうと思った後、何年もたってからだ。夫と喧嘩することが増えた。
言われのない屈辱を受ける必要は私にはない。何か言われたら適切に自分の感情を相手に伝えるのは、当然の私の権利だ。私はあなたの失礼な言動に怒っている。それが理解できない、理解しようとしない人間と一緒に暮らそうと思わない。私のことを愛している、と言うのなら、私を大事にするべきだ。私の人格を否定する人間が、愛していると言っても、口先だけだと判断されても仕方がないだろう、だから変わってください。あなたが変わらないなら出て行きます。離婚も辞さない。と言うようなことを何度も言う羽目になった。私は怒りを適切に伝える訓練を繰り返した。私は私の判断で怒るのだ。
それから時間は相当かかったが、夫のモラハラ的言動は減った。そのうち夫が自分に依存しているのに気づいた。夫自身も、不快なこと、要望、感情を、まあだいたい適切に説明してくれることが多くなった。気を抜くと人を馬鹿にしたくなるようで、私が不快さを伝え、それに逆切れされ、反省を促して、数日おいて話をして、自分の言動を理解して、謝罪されることもある。私自身も何かしら不快にさせたことがあれば、夫に謝罪することもある。人間は完璧じゃない。夫が単に機嫌の悪いときは私のせいでもないしそっとしておく。
よく解らずに結婚してから、何度も喧嘩を繰り返して、お互いにやっと仲良くなっていったのかもしれない。
正直、言い方は悪いがもっとちゃんと結婚相手は選ぶべきだったと思う。今の自分からするとどうして結婚したのかいまいちよく解らないのはある。さっさと別れて他のまともっぽい人を見つめるべきだったのでは?と思わなくもない。最近は太っている。おならがくさい。いびきがうるさい。
まあでも、多分、時間と努力で、お互いやっとこ愛らしきものを作るにいたったのだろうか、と思う。夫も何かを変えるのは大変だっただろう。
「脳内の韓国人のイメージだけで差別してるから、実際の韓国人に出会って、
韓国人の中に良い人もいて悪い人もいるということを知るべき」というような意見が多いけど、
良い人もいて悪い人もいることを知った上で差別するのがレイシストだろう。
ヒトラーはユダヤ人に日常的に接して、良いユダヤ人も悪いユダヤ人もいることを知った上でホロコーストした。
セルビア人はムスリムに日常的に接して、良いムスリムも悪いムスリムもいることを知った上で民族浄化した。
在特会が「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」と言ったのは、朝鮮人の中に良い人もいるということを認識してるからだ。
ここまで極端じゃなく、前原みたいに在日韓国人と家族ぐるみの付き合いをしていても、「在日を日本人化する教育をすべき」という意見に同意する人もいる。
結婚することになった。
双方結婚願望が無く諸事情により子供も持てないので結婚する気は無かったはずだった。
それなのに不思議な物で、タイミングと言うか運命と言うか気づけば籍を入れる事になっていた。
付き合いだしてもう10年をゆうに超えていたから(更に言えば出会ったその日からほぼ同棲生活スタートだったから)今更新鮮さも燃えるような恋心も無い。
周りに言えば皆一様におめでとう、良かったね、と言ってくれるが、当の本人は、はぁそうなのか、おめでたいのか、とさも他人事のように考えていた。
結納も、挙式も、あるいは小さな食事会すらも行わず、ただ紙切れ一枚提出してお終いの入籍。
指輪もいらないや、と思っていたのだけれど彼に勧められて昨日おそろいの指輪を買った。
シンプルで華奢できらきら光るきれいな指輪を見たら、急に泣きそうになった。
そうか、私結婚するのか、と今更実感したのかもしれない。
私は決して出来た人間では無い。
性格も難ありでルックスもお世辞にも美人とは言えずもう若さも無い。
どうして私だったのだろう、私で良かったのか、と言う気持ちがずっと心の奥底に存在していた。
結婚が決まった時、一度だけそれを彼に聞いてみたけれど、さぁ、なんでだろうね、と言ったまま彼は笑って話は終わってしまった。
今日仕事から帰宅したら彼は留守で、代わりに机の上に走り書きのようなメモがあった。
「初々しい生活とか自分たちの子供とかそういうものを全部捨てて君と一緒に生きる事を選んだ。だから何も不安になる事は無いよ」
指輪を見た時にぐっとこらえた涙が再びぶわっと出てしまってその紙切れを握りしめて泣いた。
とにかくわんわん泣いた。
何もない、からっぽだと思っていた私を見つけてくれて、これからの人生ずっと隣にいると言ってくれた彼が本当に宝物のように思えた。
おじいちゃん、おばあちゃんになる時まで一緒にいたいと思う。
願わくば、彼を看取るのは私であれば良いと思う。
例えばどれがヒントなの?
おれも前までそうだったなあ。
仕事と自分の人生を同一視するからダメなんじゃないかとおもう。
社長ならまだしも、従業員なら、
「ぶっちゃけ、最悪このプロジェクトがどうなろうと俺は知ったこっちゃない。
という態度でいればOK。まあ程度の問題だ。
仮にいきなりやめたり病気で入院したとしても、管理する側がアサインをどうにかする問題だし。
ヒラ社員に社運をかけられても困るし。