はてなキーワード: 普通にとは
これが普通にできる。
くるくるくるくるとアイコンが回っていつまで経っても新しいノートが開かない。
「ああそうだアレも書いとかないと」
と開き直したらバグが発生してメモったノートが白紙になっとるぞ!?
とかいうことがない。
以前と比較したら爆速だが(以前がひどすぎただけ)あともう少し早く立ち上がって早く閲覧できて早くノートが作成できたなら、もうそれでいい。
『ゴールデンカムイ』の分析・鑑賞で”アイヌ人差別をする登場人物は悪者(敵)だけ”という指摘があったが、それとの対比
⋙法曹界への女性の進出を後押しする立場であるリベラル派の教授や弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権の問題を提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い⋙
女の発達障害のワイ的には
「同情されたい女は頭おかしい、同情するな理論的になれ問題を解決しろ」
って常に思ってるけど
「女は共感を求めてる〜」
ってずっと言われてるのを眺めているやで
色々見てて思うに男女ともに定型発達なら共感ベースのコミュニケーションができるんやで
ハッタッショやからできへんのや。
男やからやないで
手取り17万くらいでずっと何年も働いてたんだけどなんやかんやあって手取り32万くらいのところにうまく潜り込めることが出来た。
仕事は今のほうがクソみたいに楽。体感比でいうと手取り17万のときに32万もらってるほうが正しい感じがする。
まえは仕事が終わったら疲れ切ってて家帰って風呂入って飯食うので力尽きてたけど今は夜ふかしするくらいの余裕がある。
お金のことを以前に比べて考えなくて良くなりストレスがたまらなくなった。
まえはずっとカネカネと考えてたような気がする。
慢性的に食糧不足だった太平洋戦争のころの生活を綴ったエッセイで日本の作家が食い物のことで頭が1杯になっているのを読んだことををふと思い出した。
昨日洗濯機が壊れた。
と普通に思えるのが楽。
前だったら、ああお金どうしよう…と考え込まなくてはいけなかった。
私もその引退した彼女(Aさん)も同じジャンルで、お互い長い間活動していた。7年とか8年とかそのレベル。
おそらく同世代。
長い間活動してたのに、突然同人辞める宣言をして、日常垢だけ残して消えた。
ジャンルのことは好きだし今後も原作は追うけど、二次創作はもういい。アニメや漫画や二次創作に以前ほど100%全力を注げなくなった。とのことだった。
日常垢を見ると、仕事のことや美容のことをたまに書いているくらいだった。普通の30代女性。
今までAさんの絵や考察ツイートしか見たことなかったから、当たり前だけど普通に生きてる人間なんだなーって感じた。
Aさんの作品見れなくなるのは寂しいけど、人生はそれぞれだし仕方ない。
今までも気が付いたらいなくなった人、他ジャンルへ移動した人など山ほど見てきたし。
そう思ってた。
それからしばらく経つが、私はAさんがいなくなったショックをなぜかずっと引きずっている。
絵や漫画はまぁ好きだったけど、カプ違いだからたまに見る程度だった。
熱心にツイートを追ってたわけじゃないから本人がどういう人なのか詳しく知っている訳でもない。
同世代で、同じジャンルに長くいて、同じように同人活動をしていた人間が自分の人生を優先して同人を辞めた。
じゃあ私は?
これがずっと引っ掛かってるのかもしれない。
私は同人誌を出すという行為がとにかく大好きで、仕事はそこそこに平日の夜はずっと原稿、土日の休みもどこにも行かずひたすら原稿、原稿が終わったら次の原稿はどうしようかと考える、みたいな生活をずっと続けている。
推しカプのことを考えると、頭が沸騰しそうになり絶対に私がこれを描かなければならないという使命感のようなものに駆られる。
本当に推しカプも原作も最高でこんなに何年も追ってるのにずっと楽しくて本当に神のようなジャンルと運命のカプなんだよマジで。
そんな訳で大して売れもしないのにずっと推しカプ同人誌を描き続けてるけど、Aさんの件があって以降、心に薄っすらブレーキが掛かっているのをそれとなく感じている。
人生で仕事以外特にやることもないし、オタク・同人活動以外特に趣味もない。
恋愛とか出世とかもあまり興味がなくて、ずるずるここまで来た。
自分について考える、つまりメタ認知が強く入るとスランプになりやすい性質ではある。
冷静にならずにずっと狂ってるべきタイプ。そうじゃなきゃ創作なんて出来ないよ。全部幻覚だし。
普通のことだ。
でも仕事や美容、まったりライフに憧れがあるかと言われると全然ない。
子育てや恋愛や仕事に生きれるのかと言われると、絶対生きれない。
じゃあ創作してればいいじゃん、が答えなんだけど。
収入を上げるために行動するべきなんだろうけど絶対苦しい人生になる。でも金は手に入るかも。金が手に入ったらもう少し安心できるのかな。
金なくて野菜買うのやめとこ、って精神は確かに少し悲しくなる。昨日なった。この歳で独身なのに野菜も買えんのか?
でも、自分でも心のどこかでそういう普通じゃないルート歩んでるのがコンプだから、Aさんが同人辞めたの気にしてるんだろうな。
あ、あと同人活動やってる人間が年下ばっかになってきたからか。
最近ジャンルに入って来てくれたありがたき新規の人、20歳とかだった。
ジャンルに数年いる年齢不詳だった人、この前大学を卒業してた。
同世代もなんとかいるけど、よく見たら同世代はイベント参加ペースが極端に落ちてたりしばらくオフイベ参加してなかったりだよ。
仕事忙しいのか、体力減ってきてるのか。
なんか、この歳でこんなに本出してテンション高く大喜びしてるの私だけなんだよな。恥ずかしいよ。
でもオタクなんてそんなもんだろとも思う。
年齢とか気にするようになったのほんとに馬鹿らしいともおもう。
趣味を楽しむのにそんなアホみてぇなことで悩むな。
でも仕事という現実から逃避しているのではないか?と聞かれるとそれはそう。
今後どうするか、こんなに考えてない30代この世にいない気がしてきた。
中身が幼稚なんだよな。発達が15年遅いのは自覚ある。
普通の人生への憧れを振り切らないとずっと心にブレーキかかったままな気がする。
いや普通にブスやろ。
なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから。
ドラマの主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正~昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことなく享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生。
大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。
寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。そしてこの書生よりも寅子の方が圧倒的学力がある。要するに立場的にも、恋愛的にも経済的にも非対称性が生じている年上の男性を寅子は「異性の友人」として遇している。中々のタマである。
寅子は、前述した好意を抱かれていた拗らせエリートに「彼女に結婚してくれとはいえない、彼女の夢を奪うことになるから」と思われて振られてしまうのだが、それまでどっちつかずの態度だったくせにいざ振られるとショックを受けたりするし、せっかく弁護士になったのに依頼が来ないのは私が結婚していない(社会的信用がない)からだ、と思いつき慌てて縁談を探してもらうがうまく行かない。そりゃそうだ。
ところが助け舟で、寅子に片思いしていた家の書生から結婚をしたいと言われる。渡りに船と逃げ恥のような「条件偽結婚」だと思い込みスピード結婚を承諾するが、前述のとおり書生は寅子に片思いしていたわけで、初夜にぬいペニ状態となる。かわいそうな仲野太賀…。
と、寅子の痛さを中心に4月にドラマが始まって今日までの1カ月半を振り返った。フェミニスト嫌いの諸氏や、女はずるいと常々思っている諸氏が叩き放題の「豊かさという下駄を履いて産まれた恵まれた女様」それが寅子である。伊藤沙莉が演じていなかったら大変なことになっていたと思う。
「虎と翼」は、現代の問題を昭和初期の物語に練り込んでいる疑似歴史感が臭うドラマだが、一方でモデルになっている三淵嘉子は実在の人で、ドラマにおける寅子のキャリアや背景はモデルのそれをなぞっている。恵まれたリベラルな家に生まれて弁護士になり、戦争の時代に突入し、色々あって戦後は日本初の裁判官になるスーパーウーマンである。
ドラマの寅子も恵まれた家に生まれ、厳然とした性差別がある世界を、明るく、元気に、強気に突き進んでいく。そして突き進む中で彼女は、自分が周囲と比べ恵まれていること、「自由に選択ができるという」下駄を履いて生まれてきたことを徐々に自覚していく。
寅子が持って生まれた豊かな資源は、裏返せば、女に人権がなかった時代には、ここまで特権的に恵まれてなければ法曹界で働く道を切り拓くことができなかった、ということの証左だ。そしてこれを現在に照らせば、形式上は男女平等になった現在の女は寅子に比べれば矜持や頑張りが足りない、という振り返りもできるし、現在でもまだまだ形式的にしか男女の機会平等は達成されていないよなと振り返ることもできる(医大の入試における性差別不正はつい最近の出来事だが、あの時は差別だと批判する意見と、女はズルいから消耗が強い診療科を選ばないため合理的配慮だという意見に二分されていた)。
これは、女性に人権がなかった頃を引き摺って今も残る男性優位の古い価値観を、改めてマーカーでなぞっていく作業であり、同時に現代の女が抱える特権性の問題も照らし出す作業でもある。
そしてドラマの中では、現代にもしっかり残っている、個人の幸福を削るような価値観を改めて再発見することになる。
「結婚しなければ社会的信用が得られない」、「エリート男が生きていくには従順に従う女が必要」、「女の弁護士なんて信用できない」、「自分より優秀な女は生意気で目障りだ」、「適齢期を過ぎると縁談がない」、「人は生まれた国や家や身分に縛られる」、「平等を求める声は不平等の利益を享受する側には届かない」、「上品な批判は下品な妬みには勝てない」、「お金がないと社会的意義の高い仕事につけない」などなど。昨日どこかのSNSでだれかがぼやいていそうな内容である。
これらは女だけではなく、男も同様に削られる呪いの価値観である。学友たちはこの呪いの価値観によって法曹界で働くという夢を立たれていき、寅子は弱い立場に置かれた人を助けたいという正義の実践に加えて、諦めなくてはならなかった仲間への思いを「使命」として背負う人生を選ぶことになる。
不平等と戦うに十分な恵まれた武器を持って生まれて、更に先駆者の使命を背負った寅子は、おそらく来週からの戦争ターンではどんどん「恵まれていたもの」を奪われていくことになるのだと思う。世紀の愚戦・負け戦の太平洋戦争ってそういうものだったから。男は戦争に行くし残った老人や女子供は空爆にさらされる。男も女も人がたくさん死に経済活動は退潮する。
その時でも寅子は「正義」と「使命」をもって生きていくのだろうと思う。モデルの三淵さんは生き残ったし、何しろドラマの主人公なので正義や使命は捨てないだろう笑。
たくさんのものを奪われてなお「正義」と「使命」を失わない女がどんな生き方をするのかのドラマを私はとても楽しみにしている。
そして、形式上の機会が平等になった世界で、これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人こそ、奪われても正義と使命を捨てなかった人のドラマを見てほしいと思う。
フェミニズムドラマくっさー、と思う人も多かろうが、お勧めしたいのには、単純にドラマとして良くできているのもある。
寅子は「戦う女戦士」みたいな感じではまったくなく、前述通りそこそこの空気読めないわがままな、脇の甘い生き方をしていて、いちいちナレーションに突っ込まれている。ナレーションは尾野真千子で、芝居がかったナレーションだがコメディの良い味付けになっている。
寅子の両親や兄夫婦は明治の家族観(男が働き女は家を守る)できわめて円満な夫婦関係に描かれている。一方で嫁姑のちょっとしたストレスも描かれたり。父は帝人事件(疑獄事件)の当事者になり、リベラルなエリートの父親が会社での立場に縛られる姿をシリアスに描いてもいる。
また、法曹界への女性の進出を後押しする立場であるリベラル派の教授や弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権の問題を提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い。出演者はみな手練れの俳優だらけで演技へのストレスはほぼない。
フェミニズムドラマとしての側面については、あまりブコメが集まっていなかったがこの記事の分析がとても分かり易かったhttps://bunshun.jp/articles/-/70764 これ読むと「女のためだけのドラマ」じゃないことがよくわかると思う。
ところで最後に全然話は変わるのだが、昭和初期というのは実はWWIIをジャンプして戦後と地続きになっていたかなり民主的かつ退廃的な時代だったらしい。「富国強兵」を叫んで強国を目指していた大日本帝国から現代にいたるGDPの推計推移をみると「戦争が無かったらこのグラフの線が素直に上がっていたのではないだろうか」と感じさせるラインが描かれる(https://www.nippon.com/ja/in-depth/a04003/ 中ほどのグラフ)。まあ実際は戦争しないと色々糞づまっていたわけで後付けの皮算用でしかないが。
ともかく、人が自由を求めそして退廃を享受できる程度の十分な豊かさが生まれていたのが大正末期から昭和初期の時代。ちょうど朝ドラで描かれているこの時代は、結構現代に近い時代だったりもする。
しかし、このニッポンドットコムは笹川財団由来のかなり右寄りの情報サイトなのだが、それでも「高度成長期のストックは90年代で尽きてその後の策がねえぞ」という分析になっているのが、ちょっとだけ面白いですね。
天スタこと天理スタミナラーメンがうまかったから次は彩華ラーメンを食おうと長年思っていた。
実際食ってみたらがっかりだ。
スープを飲んだ瞬間に後悔した。
醤油を薄めただけの様なシンプル過ぎるスープで、さながら昭和のありきたりな醤油ラーメンという味だった。
一方で天スタも醤油味だが豚骨をベースにしており、さらに豚バラ肉由来の脂やラー油も混ざりあって複雑で奥行きのある味をしているのだ。
天スタとは大違いだ。
具材にざく切りのキャベツがたっぷり乗っかっているのは天スタと同様だが、豚バラ肉(?)はほんの少ししか乗っていなかったのも残念だ。
あまりにも肉が少なかったので、豚バラ肉だったのかも定かではない。
特にまずいわけではなく普通にうまいラーメンだったけれども、わざわざ時間をかけて通うほどの価値はなかった。
近所に彩華ラーメンがあったとしても、遠くのラーメン屋まで出かけるのは面倒だから近所の彩華ラーメンにでも行こうか、と考えて利用する程度の店として扱うだろうことは想像に難くない。
ああ、こんなことなら天スタにもう一度行けばよかった。
「女を淘汰」と言ってるんだから、女個人の話はなく女集団としての話しですよ?
だからここで個人の、自分または相手が言われたことがあるかどうかの話は文脈にあっていません
一応個人の回答すると、結婚の前も後も食事ぐらい女友達から言われてるし、こっちも言ってるし、普通に子供も含めて家族付き合いもしてますからね?
sisopt X(Twitter)で発狂してる人とか、どこにでも多目的トイレが付いてる異世界に住んでる増田の言うことは無視して普通に女子トイレ使おう。っていうか親をやってるとそういうネットの雑音来にしてる余裕なくなる
しないぞ
ああ^~猫に起こされたいんじゃぁ^~
こうして増田してるときに膝に飛び乗ってきて「何?」って問いかけてそのままナデナデ&ブラッシングして
机に猫鍋置いてそこに座らせたいんじゃぁ^~
俺はまず共同親権の問題に興味を持たないと言う形でクソフェミへの仕返しとしてたのだが、それでも流れてくる情報を軽く流し見た感じ、別に共同親権に問題は感じなかった
女さんが外国の子供誘拐したりしてた結果だよ?クソフェミさんたちの言う通り世界基準になれてよかったじゃん。
男がどんだけ金持ってようが親権を持っていくのは生活能力のない女さん。こんなんだから貧困の連鎖が止まらないんだよね?そこにメス入れたのは評価できる。
「共同親権なくても面会はできる!」うん、外国の子供誘拐してるよね?面会権とかが有名無実化してるからこうなったんですよ?「養育費ガー」だから面会した時に話できるんだからよかったじゃん。女さんってラインとかでも嫌いな相手ってシカトしてたら消えるみたいに思ってる節あるよね?そんなんだから養育費貰えないんだよ?女さんだけじゃなーんにもできないから法律で後押ししてあげてるだけじゃん。
「DVガー」いや証拠揃えろ?痴漢冤罪やセクハラみたいに女さんが騒いだら男が有罪!みたいなの本来はおかしいから。お気持ちで男の権利どうにでもできるって思ってるよね、女さんたちって。そう思ってないとリーガルハラスメントとか言わないからw一個人が法律上の権利を主張してるだけだからw
そもそもDVするような男選んだのお前だよね?嫌ならチー牛選べばよかったやんwチーが優しいかどうかは知らないが、チーは絶対に手をあげないよ?なぜならそんな度胸もなければ腕力もないので普通に喧嘩に負けるかもしれないからwww
女の腐った部分が集約された案件でしたね
オタクになりたい!
オタクになりたいなと思う。ツイッターを見てても思うし、友達と話してる時でも。
まあ確かに、自分はオタクだとは思う。なぜなら二次元キャラを好きだしアイドルが好きな頃もあった。二次創作もしてるし...
何より、仕事とか恋愛とかそういう”普通の人”ができること、どんなものより志向が向いているものに対して、自分は全く向いていないから。
でも、しかし、中学生頃に抱えた気持ちがいまだに全く薄れず、二十近くなった今でもまだ私はオタクになりたいと思っている。
田舎の子供だった。小学校入学と同時に違う地域から引っ越してきて、保育園からそのまま持ち上がりのような形で小学に上がってきた同級生達にうっすら疎外感を感じたまま遊んだ。運よく虐められるとか小学校六年間ぼっちで終了とかはなかったけど、みんなのノリに無理やり合わせていたとかが正しい表現かもしれない。でかい道路沿いの、都会と田舎の中間のどちらかと言えば田舎寄りで、遊ぶところも大して無く、親は仕事で周りともノリが合わない。そんな(まあ、普通にぼっちだね)子供だったので、案の定インターネットにはまり込んだ。ちっさい白色のノーパソで初音ミクの消失を聴きまくった。本当に幼少期の記憶はYouTube、3DS、着せ替えゲーム、あとマジックキャッスル(ドットの方ね。懐かし!)とかしか思い出せない。で、順当に行けば普通にオタクになる。ゆっくり実況、音楽はボカロしか聞かない、パソコンのタイピングがなぜか比較的早い、絵を描くのが好きではあったので、コピックも買ってもらった。小学校高学年から中学にかけての私は、その趣味に、...
その自分に、オタクであることについて、誇りを持っていた。インターネットだけが居場所だったしアイデンティティだった。めちゃくちゃ孤立してたわけでもないのになんでだろうとも思うが、めちゃくちゃ孤立してたわけでもなかったから気づけなかったんだろうなとも思う。
で、オタクっていうのは、固まる。中学美術部女子が教室の奥の方で腐オタトークをするように、私にもオタクの友達ができた。そこら辺からか、だんだん気付き始める。
というのも、私は全くと言っていいほど、アニメも漫画も見ないのである。
幼少期からのめり込んだのはYouTube、唯一読んだことがあるのは日常とドラゴンボール、それだけだった。
アニメを観まくり、商業BLを読み漁り、これこそオタク、女オタクの教科書みたいなオタク友達と、趣味が合わなかった。シンプルに言うとただそれだけなんだけども、
私は自分がオタクではないという烙印を押されたような気分になった。今でもそう思っている。
だってオタクが観るのはYouTubeじゃなくてニコニコ動画で、深夜アニメは録画して全部観て、たくさんの漫画を読んでいてその話で他のオタクと盛り上がれる、それをオタクと言うんだから。(今はちょっと違うだろうと思う。自分のトラウマの話をしています)私はオタクじゃなかった。
それと同時にオタクのことも少しずつ嫌いになり始めた。私個人の僻みもあるだろうけど、私が好きなもののことを他のオタク友達に話すと酷いことを言われたり、(例えば私が昔から好きなボカロpの話をしたら「まだ好きなの?」って言われたり)同じグループを推してる友達に私の好きなアイドルを「でもダンス下手だよね」って言われたりした。(トラウマすぎて涙出てきたw)こんなことみんなは言われ慣れてるのかもしれないけど、私は自分の好きなものを面と向かって小馬鹿にされたのがかなりショックで、しかもそれをパンピーじゃなく、仲間だと思っていた同じオタクに言われたもんだから、裏切られたとかではなく、ああ、私オタクじゃないんだ、って思った。逆に全然オタクじゃない、パンピーの友達の方がひどいことも言わずによく聞いてくれたと思う。
そんな感じだったので、元々早口オタクの話を聞く側の人だった私は、ますます自分の好きなものの話を他人にするのが怖くなった。もう否定されたくなかった。自分自身のことを否定されるより自分が好きなもののことを否定される方がきつかった。
で、今。私は女オタクという括りになるんだろうけど、そういうオタクへの憧れは女オタクへの憧れに変わっていった。正直満足に女オタクできてるわけじゃない。というかできてない。
誰かとぬいを持ち寄って写真撮ったり、ヌン活したり、アクスタと飯を撮る、新調したネイルの画像をあげる。私は現代のオタクに必要な『グッズが欲しい』という欲さえ持ち合わせていない。貢ぎたい欲もない、タイムライン上で名前を呼び合ったり、一生誰かとスペースしてたり。私はそのどれもクリアできていない。オタクになれない、オタクできてない、オタクとして失格。私は、オタクとして、女オタクとしてのノルマを、何一つとしてクリア出来なかった。私は女オタクにもなれずに、当然パンピーにもなれない。
じゃあ私は何の人なんだろう。私は何に属している人なんだろう。私は誰の話もわからない。誰にも私の話をわかってもらえない。私もみんなみたいに、誰かと好きなものを分かち合ってみたかった。結局何かのコミュニティに属してみたかっただけ。私はずっとひとりぼっちで...