はてなキーワード: 肝臓とは
面倒くさいとかテキストがなに書いてあるのかさっぱりわからないとか自分の頭の悪さに自己嫌悪に陥ったりとかして遅々として進まない
酔うと気が大きくなるというのはほとんどの人が経験したことがあると思う
私はそれを勉強に利用している感じ
酔っ払うとネガティブな感情がキャンセルされるので面倒くさいとか自己嫌悪だとかに足を引っ張られずに酔いが続いてる限りは机に向かい続けられる
多少効率は落ちたとしてもシラフの30分未満よりかは酔っ払った2時間のほうが学習効果はあるということ
酔っ払った状態での勉強で私は昇格試験に必要な資格をいくつも取ってきた
もし高校時代にこれができていればもう数ランク上の大学に合格できたかもしれない
普通の人は、酒なんか飲まなくてもシラフの最高効率で勉強できるの、ズルいなって思う
私は酔わないと不安感に押しつぶされそうになって勉強が手に付かない
仕事はもちろんシラフでしているけど毎日不安と緊張とストレスで死にそうになっている
飲み続けると耐性がつくらしいから根本的な解決にはならないのかも
酒の力を借りないと勉強ひとつできないようでは、私はそのうち肝臓を壊してリタイアすることになるだろう
それをわかっているのにやめられないのはもう依存症になっているのかな
酒を現実逃避の手段ではなく現実と立ち向かうために使っているのだと、自分では正当化しているのだけれど
たぶん私はもう壊れている
金が絡んだ業界で長く生きてる人は、人を信用するプロセスが他の人間と違うと思ってる。
俺はワクチン未接種な金融関係者だが、接種していない理由はワクチンリスクを警告する論文をネットで読んだわけでも、5Gやbluetooth受信を信じたからでもない。
ワクチン接種を推奨する人間の発言に誠意が感じられないからというのが全てだ。
特に「ワクチンのメリットがデメリットを上回るのでみんなワクチンを打つべき」とのたまった奴。未承認薬のデメリットなど、その時点で分かるはずがないのに、
メリットがデメリットを上回るなどという大嘘を平気でぶっこんどいて、そしてYoutube/Google/Twitter(イーロン買収前)でワクチン接種に不利な情報を検閲、非公開化するという不誠実ムーブ。
薬の承認というのは、体質や疾患などのあらゆる属性の人間で治験してメリットがデメリットを大幅に上回ると考えられるときになされるものだ。
例えば肝臓に疾患がある人は接種のデメリットがメリットを上回る、だけどそうじゃない人はメリットの方がでかいので接種すべき、など長期にわたる治験でようやくデータが揃うのが通常だ。
人が人を信じることで俺が最も重視しているのは、誠実さだ。
…どう使うのかわからない。酸味を加えるのなら調理の途中に汁だけ垂らせばいいはず。完成後にも加える必要性あるか?酸っぱくなりすぎるだろ。皮も食せば苦味で調味を台無しにした気分になる。
・揚げ物に添えられる生の千切りキャベツ
…口に含むとバサバサ、ガサガサとして不快だし、うっすらと辛く苦い。「揚げ物で脂っこくなった口中をサッパリさせる」といわれるが、そもそもその脂っこさを味わうために揚げ物料理を選んだのに、なぜわざわざそれを打ち消す必要があるのか理解できない。(それは唐揚げにやたらとレモン汁をかけたがる輩にもいえる、レモンかけるんなら唐揚げ喰うな!去れ!!)キャベツは生でなく、煮て食す野菜だとおもう。噛むと甘味に加えてとろける感触がたまらない!生のレタスにも同じような感想を持っている、加熱してスープに入れたりチャーハンの具として炒めたほうが美味しく喰える。
・キノコ類
…年齢を重ねるにつれてうけつけなくなった。得体が知れない存在で、口に入れるのが怖い。出汁として染み込んでしまっているぶんには仕方なく許せる範囲。
…これはホントに幼少期からダメ。口中で嚥下を拒絶する挙動が止められない。とくに加熱してあるともうどうしようもない。もしそれしか食物がなかったとしても泣きながら餓死を選ぶくらい食べられない。ところが魚の血合い部分はむしろ好物で、マグロの血合いだけ鮮魚売場で投げ売りされてるのを買ってきて家族が引いてるのを尻目にほぼ独りでソテーして食べつくしてしまう。サバの塩焼きなど、行儀の悪さを咎められない場所なら血合いだけ先にほじくって食べることすらあるくらい好みの味。(なんでなん)
とても優しく周りの雰囲気がよく読める、
本当に賢くていい子でした
去年の6月頃に肝臓を悪くしてから何度も体調を崩し、その度に頑張って元気になってくれました
私もその頃からは覚悟を決めて、できるだけ長く彼女のそばにいてやろうと思いました
数日前からご飯も食べず、ずっとぐったりしていて、息も荒く苦しそうでした
少しでもその苦しさを取り除いてやりたかった
最期は、病院に連れて行ってくれた私のおばあちゃんの腕の中で息を引き取りました
ごはんをほしがる声も、なでろとせがむ小さい体のやわらかい皮膚と毛並みの感触も、わたしのとなりで寝息をたてて寝ている時のアーモンドみたいな香ばしい香りも、白濁した目でこちらを優しく見つめる眼差しも、もうそこにはありませんでした 硬く強張り冷たくなった体だけ残して彼女は去ってしまいました
14年のうち、本当に彼女と関わったといえるのは、もしかしたら私が2020年に帰省して
人間と動物は近いようで遠い存在だとずっと感じていました 本当の意味で分かり合えることなど、傲慢とさえ感じていました
たとえそれが私の傲慢であろうとも、ただのエゴであろうとも、それは私の中にずっと残り続けると思います 私はそれを彼女の形見として残していきたいです