はてなキーワード: 地図記号とは
彼が今、自身のyoutubeチャンネルでおぼんの表に地図記号を書いて、「どこでしょうか?」というクイズをするショート動画を上げている
股間を隠しながらおぼんを裏返すと地図記号の示す場所が書いてあり、答え合わせとなる趣向だ
ショート動画なのでクイズを出すしゃべり部分を早送りにしており、彼の裸芸のライブ感から生まれるドキドキが損なわれていて正直あまり面白くない
おぼん×クイズ×ショート動画という発想自体は悪くないと思うのだが、題材が悪いのではないかと思った
地図記号はスマホでgoogleマップを観れる時代に覚えるほどの重要性を感じないし、地図記号を覚える需要がありそうな小学生にアキラ100%はそこまで知名度はないのではないか
現在二十代後半の自分は小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミングの世代です。
始めは「学校へコンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています。
小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISOが自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。
学習ソフトウェアは勝手にフルスクリーンになるわけですが、今思えば無知な小学生がOSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います。
実はこのあたりの記憶は曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。
これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないものは記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。
この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。
時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェースや機能はFlash作成ツールから影響を受けていたようです。
ポケモンの戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw
感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。
地図を学ぶゲームも比較的良い出来で、ユーザーインタフェースはシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。
確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶が曖昧です。
この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。
教師は軽くマウスやキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。
どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?
まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います。
パソコンの起動方法から始まり、ローマ字入力(小学校はひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます。
このあたりは民間のパソコン教室と変わりがないかも知れません。
小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます。
それは新規フォルダや新規ファイルの作成方法、メールやWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェアの指導が全く無いです。
どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっきり実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。
Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます。
ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップの指導が一切ありません。
完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。
見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数の指導に入ると関数の意味をほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。
生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。
時代ですね。こうして互換性無視なオフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。
あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。
端的に言うのならば同上。
しかしPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?
高校によっては工業高校や商業高校、高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります。
ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから。
この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。
全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。
そして大学時代は教授のゴリ押しからOSがWindowsからEmacsに変わりました。
はてブで小学生向けにビジュアルプログラミングScratchが流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。
なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます。
コンピュータを扱うにおいてデータ管理というのは非常に大事です。
何故判りやすいファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。
とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います。
今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途に合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。
注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。
このデータのファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。
つまり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります。最近流行の「名前重要」です。
このジャンルのデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。
そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェアも空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。
せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分でフォルダを作るときは名前重要ですから判りやすいフォルダにしておきましょう。
例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?
そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。
「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見はもっともです。
実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。
デスクトップがアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。
世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります。
まあいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。
それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフトは棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。
そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすくします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。
句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータの世界では「マークアップ」と言います。
読み上げソフトはマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります。
もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。
マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。
Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。
PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトがPDFに対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます。
少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルやJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。
更にしっかりとマークアップしておけばPDFを電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります。
今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います。
コンピュータが使われるようになったから教育に導入し、MS Officeが使われるようになったからMS Officeを教え、IT市場が大きくなったからプログラミングを教える。
高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育は対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。
コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。
コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。
その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います。
正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。
これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古のPC-98でだって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホでだって教えられることです。
http://anond.hatelabo.jp/20080824041507
これを見て思った。
「あぁ。人々が必要としている教育っていうのは、技術であり、手法なんだ。」と。
現実生活で役に立つ、How to や ライフハック(笑)なんだな、と。
基本を知りたい。目標を持ちたい。達成感がないとやってけない。・・・
アホかと。
目標が教師によって設定されて、お前らは悔しくないのかと。
自分で目標くらい立てろ、と。
あれか。
すがるものが無いと不安か?
ぬいぐるみ抱っこして無いと寝れないのか?
元来目標なんてのは、自分で立てて、自分で達成するものなんだよ。
宿題は教師によって設定されたものだ。
それを終わらせてもまったく意味がない。当然のことだ。
たとえば社会科。
みんなも行った、町探検。
俺が設定した目標はこれ。
3. 小単元の目標と評価規準
学校のまわりの様子に関心を持ち、地形や土地利用の様子などについて、自分から進んでフィールドワークによる観察や調査をし、白地図に記入したり、絵地図や地図に表現したりすることを通して、地形や土地利用の様子には場所によって違いがあることや、主な地図記号を理解し、地域による特色があることを地形や交通などの条件から結びつける。
4. 本時の学習指導
(1) 目標
・学校のまわりの様子を地図記号で表そうとする《社会的事象への関心・意欲・態度》
・地図記号への理解を深め、適切な記号を用いて地図へ表す《観察・資料活用の技能、表現》
これだけ。
誰だって達成できる。そんな目標を元に授業を作ってるんだ。
というのは嘘で、指導案上には実は技術を教える場面がいっぱいある。
それは、「児童からの問いかけがあった場合」だ。
これが厄介。
子どもたちは十人十色。何が質問されるかわかったもんじゃない。
たとえば、地図記号の由来。
実は、この授業をするにあたって全部調べてある。
ただ1キロにも満たない町探検をするのに、放課後デジカメ片手に100枚くらい写真を撮り、電柱の位置まで把握してある。
そういう下準備があるからこそ、子どもたちに「自由にやらせる」ことができるんだ。
どういった事態にも対処できる。どういう発問も拾い上げて答えを「教える必要があれば」教え、全体に周知することも欠かさない。
児童:「こんな葉っぱの木があって…。」
教師:「あぁ、あのお店の近くね。」
こういうの。
そういう児童と教師の双方向の作用があって、授業って言うのは成立すると思うんだよね。
少なくとも学校では。
「自由に描いてごらん」という教師の指導の裏には、どんなことでも対応できるという裏づけがある。
だから子どもたちはそれに疑いを持たず、本当に思ったとおり描いてほしい。
たぶん上は例示も悪かったので言いたいことが伝わってこないと思うから、以下に小話を。
テニス教室で、日本では指導者が「フォームが崩れているからこうした方がいい」という。
アメリカでは、「そのフォームだとこの点はメリットだが、こっちはデメリットになる。どうする?」という。
この違い。
みんなが求めているのは上かね。
だけれども、教育界は下を目指している。
そして、みんなが大好きなマスコミは、「学力低下」の指標として下の教育方法によって身につくPISAの学力調査を元に叩いている。
どっちがいいんだ?
ほら、目標は自分で立てようよ。
あれだよね。
まず地図って聞いて世界地図をイメージしてる人が多いように感じたけど、普通授業で出るような地図は世界地図じゃなくてもっとローカルなものだよね。
で、必ずどっちが北かを表すあの矢印も地図上に書いてある。
そしてテストなんかでよく出るのは地図の上のほうに工場の地図記号が書いてあって、北を表す矢印は下を向いている。
このときに「北に工場がある」ってのは正しいかどうかなんて出題される。
授業で出るような地図に方位を表すあの矢印 (なんて言うか忘れた) が無いことなんてないから、その状態で北が上なんて教えてたらやっぱ教師失格だと思うよ。