はてなキーワード: 学習指導案とは
算数のテストで2.8+4.2の筆算の答として7.0を書くと不正解になることがあるらしい.7でないと×だとか.
当然「なぜ?」という疑問が生じるわけだが,SNSでついた色んなリプライを読んでいると色々な考えがあって面白かったので,まとめておく.
2.8+4.2の筆算の答として7.0と書いた場合の対応である.
この議論によれば,「2.8」は2.75以上2.85未満の数で,「4.2」は4.15以上4.25未満の数だから,「2.8」+「4.2」は6.9以上7.1未満の数を指す.
つまり有効数字を考慮した「7.0」より少しだけ広い範囲になるっぽい.たとえば「2.8」の真の値が2.84で「4.2」の真の値が4.24だとすると,その和は2.84+4.24=7.08で,「7.0」の指す範囲から外れてしまう.
「でも理科ではそうなっているから!」と言われると「これは算数(数学)だから」としか反論できない.
長岡亮介さんの『東大の入試問題を楽しむ』によれば,1958年の東大入試の一般数学でこの辺りを考慮しないと正答が出ない問題が出題されているらしい.これも面白い問題だ.
見かけの美しさを追求するとこの考えに行きつく.確かに問題に小数点があれば答に小数点をつけたくなる気持ちも分かる.プログラミングで,変数の型を変更しているように見えるのかもしれない.
4.2+3は4.2+3.0であるべきであり,問題が美しくないから答えないという選択もできるわけだ.これはとても面白い考え方だけど,間違いなく×にされると思う.
ある人が作った数学のルールに発展性があれば万人がそれを認める.例えば,交換法則ab=baや結合法則a(b+c)=ab+acをルールとするのは納得できる.
1+1=2はよくあるルール(本当は定理らしい)だが,1+1=0をルールの一つとしてもそれはそれで面白い世界が広がる.
しかし「小数点以下の末尾の0を消す」というのは発展性のなさそうなルールだから,数学が好きな人は嫌いそうだ.
全く同じものだから○という議論は単純だが面白い.たとえば2.8+4.2の答を2.8+4.2と書いたら,全く同じものだからと言って○にしてくれるだろうか?
6.999…も7と同じだが,○になるだろうか?
答はできるだけ簡単にするものだというなら,7.0も簡単にして7にすべきのような気もする.その境界はどこに設定するのがよいだろうか.
1/10の位までの小数の計算は小学3年生で,それより下の位までの計算は4年生で学ぶ.
文部科学省の指導要領に0を消すことについての文言は見当たらなかった(探し方が悪いだけか?)が,教科書会社の学習指導案には「0を消す」と書いてあった.「0.1が10個で1.0とは言わないから」らしい.
そうかもしれないけど,積は他にも意味づけることができるので,それだけを根拠にするのは弱い気がする.あと,「俺は1.0って言う」って人がいたらどうなんだろう.
それよりも問題なのは,これが罷り通ると生徒が先生と議論する機会が失われてしまうことだ.言われたことに粛々と従うだけの人格が形成されるのは,良くないことだと思う.
これは○にせざるを得ない!俺は権威に媚び諂う卑しい人間なんだ.定額給付金くれよ.げへへ.
…というのは冗談で,これも議論の機会が失われるので良くないことだと思う.
その世界的数学者が間違っていると主張しているわけではないのでお間違えなきよう.
受験は良くも悪くも世間に大きな影響を与えているのだと分かる.小学生みなが受験をするわけではないと思うので,小学校の先生がこのように考えることはないと思うが.
しかしこれも権威に諂う考え方だなあと思う.疑問から逃げているようにも思える.
なるほどこの考えは盲点だった.計算技術の話をしているので,言われた通りにしないと×にする.同じかどうかとは無関係だ.
微積分の計算や開平計算など,技術の習得が理解に先立つこともある.まずは計算に習熟してからあとでその計算の意味を理解するという考えがあってもおかしくない.
末尾の0を消すのは意味を考えているということだろうから,技術の習得が優先とする考え方だと消さない方が良いような気がしてくる.
他にもあるかもしれないけど,こんなところだろうか.
私は,ちゃんと計算の仕方が分かっていることが読み取れれば○にすべきだと思っていた.だから7.0でも7でも6.999…でも○にすべきだし,2.8+4.2は×にすべきだと思う.3+4とだけ書いてあったら,迷った末に,揶揄っているだけで計算の仕方は分かっていると思って,○にするだろうな.筆算の技術の習得の観点から見たら×になるのかな.小学校の先生は大変だ.
文系クラスだけれども行列を習ったよという人は年齢40代から50代の人です。
「数Cが消滅しました」と聞いてびっくりする人はたぶん20代~40代の人です。
ベクトルを学ばずに大学生になれる!? ~ 新学習指導案で日本は滅びます - Togetter
ベクトルが高校数学Cに移動するので,カッとなって過去の学習指導要領から線形代数の分野を表にしてみた。 pic.twitter.com/k7VJjPrxvq— ジョゼフ・アンリ (@joseph_henri) 2018年2月16日
大学で教えている人の間で2年程前から話題になっています。1年生を教えている人は頭を抱えています。
あなた方は実験台のような世代で申し訳なく思います。大学によってはまだ混乱しているかもしれませんね。
知らないことが出て来たら「それは習っていません」と教えてあげてください。
とにかく増田に高校数学をやり直せと言っている人たちはおじさんかおばさんです。
気にしなくて良いです。
わたしからはあなたに「理工系の数学入門コース」をお勧めします。
数学を理解することよりも使えるようになることを目標にしたシリーズで
厳密な証明よりも「わかりやすい説明」に偏っていますが増田の目的には十分だと思います。
とりあえず線形代数を読んでみてください。特に前提知識は必要ありません。
読んでみて数学が楽しくなってきたら後ろのページにある教科書リストからいろいろ読んでみてください。
楽しんでね!
ほんとうにそうですよね。
新しく「情報」という科目ができましてコンピュータの使い方やITリテラシー、プログラミング、パワーポイントの使い方etc...を高校で教えるようになったのですが、その一方で数学がごっそり削除されてしまったという。
2024年以降はベクトルが共通科目から消えます。物理をどう教えるのか・・
円周率が3になっても日本は死なないけれども「技術者が行列をしらない」は日本死にますよ。
まじでどうにかしてくれよ
教育の仕事は素晴らしいが、今の公教育は劣悪な労働環境にあるので、春休みの今ここで愚痴る。
つまり子供が下校してから5時くらいまでの間のおよそ2時間である。
時間的拘束がキツイものを上位にしてみたが、精神的負担感となるとまた別である。
とりあえず上位のものが解消されれば負担減になると個人的に思う。
1位.部活動
部活は控えめに言ってとにかく最低最悪で、今すぐどうにかするべきである。
朝1時間、夕方2時間、時々土日、部活に関する事務処理、これだけ時間を奪って担任の仕事をパーフェクトにやれというのは馬鹿げている。
基本的に部活を受け持つのは若手で、ベテラン教員は知らぬ顔で優雅にパソコンを打つ。
若手のほうが授業準備に時間がかかるだろ・・・どう考えてもフェアじゃない。
2位.会議
週に2~3回、職員会議から学年の集まりなど、実にいろいろな単位での会議がある。
学校でこの先行うことを一つ一つ確認しながら決めて、疑問があれば誰かが発言してみんなで考えながら(だれか一人は寝てる)
決めていくスタイルだ。避難訓練の経路をめぐって多くの時間を使ったりもする。
この会議の積み重ねが、ボディブローのようにじわじわと我々の時間を奪い去る。
3位.研究授業
これは最高の茶番だ。そして、どの教員もこれは茶番だと心の底だと分かっていても抗うことができないところが最高である。
「こういう現状があるからこういう授業を展開してけば子供の能力は伸びるんじゃね」ということを超真面目にやっていくことである。
指導案を何回か書いて、たくさんの先生に見てもらって終わりである。だいたい年間に一人一授業行う。
学習指導案を完成させることは、学習指導案を完成させる力が付くだけであって、子どもに対する理解や教育技術が進むわけではない。
・研究授業は豪華ディナーなようなものなので、事前準備が大変すぎて基本的に普段の授業に応用は不可能。
授業に応用できなければ意味がない
もっとフランクにできれば良いと思うが、組織が固すぎて無理だ。
この仕事は実に保護者に気を遣う。怪我すれば電話、いじわるが発生すれば電話である。
学校に電話回線なんて2つくらいしか無いことをまず念頭に置いておけ。
もちろん大部分の保護者はまともだが、1学級30人在籍とすると、父母の数は単純計算で60人いるわけで
5.行事
大きなやつでも入学式・運動会・音楽会・6年生送る会・卒業式くらいはあるだろう。
その他、自分でもこの一年間のことを全て思い出せないくらい大中小いろいろなイベントがある。
ただ我々教員は、始めから終わりまでの流れをぬかりパーフェクトに考える。
子どもの動きなどを事前に計画しておかないと、収集がつかなくなるからだ。
でも私は行事は嫌いじゃない。
ただ、数が多すぎる。
6位.事務
子どものための仕事ではなくて、仕事のための仕事が多い。特に報告関係が多い
相手が求める当たり障りのない文章をサクッと書くことが肝である
書く側も読む側も、誰も得しないので削減するべき
その他
我々の本分なのでこれは良い。ただ保護者は学校に協力してほしい
丸投げママは最低だ。
・丸付け・ノートチェック
工夫すると子供を家に帰す前に終わらせることもできる。
・学級だより
http://anond.hatelabo.jp/20080824041507
これを見て思った。
「あぁ。人々が必要としている教育っていうのは、技術であり、手法なんだ。」と。
現実生活で役に立つ、How to や ライフハック(笑)なんだな、と。
基本を知りたい。目標を持ちたい。達成感がないとやってけない。・・・
アホかと。
目標が教師によって設定されて、お前らは悔しくないのかと。
自分で目標くらい立てろ、と。
あれか。
すがるものが無いと不安か?
ぬいぐるみ抱っこして無いと寝れないのか?
元来目標なんてのは、自分で立てて、自分で達成するものなんだよ。
宿題は教師によって設定されたものだ。
それを終わらせてもまったく意味がない。当然のことだ。
たとえば社会科。
みんなも行った、町探検。
俺が設定した目標はこれ。
3. 小単元の目標と評価規準
学校のまわりの様子に関心を持ち、地形や土地利用の様子などについて、自分から進んでフィールドワークによる観察や調査をし、白地図に記入したり、絵地図や地図に表現したりすることを通して、地形や土地利用の様子には場所によって違いがあることや、主な地図記号を理解し、地域による特色があることを地形や交通などの条件から結びつける。
4. 本時の学習指導
(1) 目標
・学校のまわりの様子を地図記号で表そうとする《社会的事象への関心・意欲・態度》
・地図記号への理解を深め、適切な記号を用いて地図へ表す《観察・資料活用の技能、表現》
これだけ。
誰だって達成できる。そんな目標を元に授業を作ってるんだ。
というのは嘘で、指導案上には実は技術を教える場面がいっぱいある。
それは、「児童からの問いかけがあった場合」だ。
これが厄介。
子どもたちは十人十色。何が質問されるかわかったもんじゃない。
たとえば、地図記号の由来。
実は、この授業をするにあたって全部調べてある。
ただ1キロにも満たない町探検をするのに、放課後デジカメ片手に100枚くらい写真を撮り、電柱の位置まで把握してある。
そういう下準備があるからこそ、子どもたちに「自由にやらせる」ことができるんだ。
どういった事態にも対処できる。どういう発問も拾い上げて答えを「教える必要があれば」教え、全体に周知することも欠かさない。
児童:「こんな葉っぱの木があって…。」
教師:「あぁ、あのお店の近くね。」
こういうの。
そういう児童と教師の双方向の作用があって、授業って言うのは成立すると思うんだよね。
少なくとも学校では。
「自由に描いてごらん」という教師の指導の裏には、どんなことでも対応できるという裏づけがある。
だから子どもたちはそれに疑いを持たず、本当に思ったとおり描いてほしい。
たぶん上は例示も悪かったので言いたいことが伝わってこないと思うから、以下に小話を。
テニス教室で、日本では指導者が「フォームが崩れているからこうした方がいい」という。
アメリカでは、「そのフォームだとこの点はメリットだが、こっちはデメリットになる。どうする?」という。
この違い。
みんなが求めているのは上かね。
だけれども、教育界は下を目指している。
そして、みんなが大好きなマスコミは、「学力低下」の指標として下の教育方法によって身につくPISAの学力調査を元に叩いている。
どっちがいいんだ?
ほら、目標は自分で立てようよ。