はてなキーワード: 見得とは
そういうのを社会学とか政治的には「分断」とか「断裂」って読んでいて、それこそ100年以上まえから様々な議論が行われてきたのだ。
彼らに話を聞いてもらおうと思うなら、まずは信頼関係を取り戻すことが第一で、それもないのに正しさだけ説いたって無意味じゃないだろうかと思う。
しかし、そもそものはなし、信頼関係というものは双方向のものだ。相手に話を聞いてもらうのは、両方の陣営がお互いにしあうべきもののはずだ。そして、話し合い(説得)という関係では、説得のための理屈が強度につながる。
そして現在格差的に上の側にいる層(現実世界に生きていて、収入や資産がそれなりにあり、安全で豊かで幸福な生活を送っていて、知的な教育を受けていて、おおよそリベラル)はその戦場で、相対的に強力な武器を持っている。誤解を恐れずやや露悪的に云うならば、彼らは概ね正しいのだ。今しきりに批判されているグローバリズムですら、そのグローバリズムで世界全体の格差は縮小し、餓死者は減り、疫病は随分少なくなった。もうそれだけで倫理的には正義だ(もちろんこれは相当強い表現なので、国内格差とか言い立てる人はいるかもしれないが、それは「一番弱い人を救わずに俺に金をよこせという意味?」という批判に耐えられないのだ)。
そういう状況で「互いに話し合うべき」というのであれば、格差上の側が下をフルボッコで試合終了だ(それがこの40年位の世界の動きだった)。
一方で「下が弱いので、上が一方的に理解すべき、一方的に譲歩すべき」では、弱者の居直り強盗だ。そんなものに付き合うバカは二種類しかいない。ひとつは付き合うふりしてバカの上前をはねようとする「下流の味方のふりをする上流」であり、もうひとつは後述する「暴力」に対してを憂える人だ。
そもそも、弱者は知的訓練の不在の結果「適正な落としどころ」を見つけられないので、「ぱっと見得に見えるけれど実は損」のような強者のつくった商売に騙されて現在がある。税制から携帯の縛り契約にソシャゲまで、全部そんなもんだ。交渉面で弱者というのは、もう「損をする」か「得している気分で損をする」かの二つしかないのだ。それひとつじゃねえかというツッコミもできない。なぜならその二つが本当は「損する」という一種であることを見抜けないというのが、この話の本質だからだ。
なので、結局交渉面での弱者は、暴力面で強者にカウンターするしかない。革命だ。これまた露悪的に書くが、革命や暴力は必要なのだ。交渉面での弱者が強者を牽制する方法って本質的にはこれ以外ないからだ。
日本はこの暴力に対する忌避感が強い。暴力良くない!って思ってる。それそのものは悪くないんだけど、それがあんまりにも広がって、自分が暴力を奮ってることに気がついてないことさえある。暴力=社会的に悪=僕は悪じゃない=暴力は奮ってない、みたいな理屈で。いいやとんでもない。暴力は下流の武器だし、日本人だって様々な暴力を奮ってる(なんせ一般的な生活者が権力者や富裕層に反抗するためにはそれが必要なのだから)。「経済格差が広がると治安が悪化しちゃうよ?」ってネットでよく見る言説なんだけど、あれは「これ以上俺が貧乏になるとお前らの家に火をかけるとか、襲撃して殺すぞ」という脅迫をオブラートに包んだ、れっきとした暴力だってことを認識した方がいい。別に暴力だからって責めてない。バランスを取るために必要な武器だからだ。でも、「それを暴力と認識しないしたり顔で云う」のは危険だから認識すべき、って話だ。
強者の側だって雇度留めとかお祈り手紙とか暴力奮ってるんだから、そういう意味で公平な社会なのだ。
「互いに話し合うべき」なのはわかるんだが、それはせめて両者が、そういう自分の暴力性に自覚持ってからじゃないとそれこそ話にならない。自分が暴力奮ってる自覚のない人間の集団が結論する平和条約とか、怖くて仕方ないっしょ?
これ、日本のビデオゲーム(アニメもか?)の特徴でもあるんだけど、カメラ=観客 を神様の立ち居地に置いてるからだと思う。
メタから目線・観客席から目線・神から目線・お茶の間から目線……要するに、安全なところからすべての情報を完璧に見ることが出来る視線。
注視するものって動かずに見え、背景こそが動いて見えるのが、目の機能としては自然なんだけど、日本の演出は注視すべきものほどよく動き、逆に背景は動きが抑えられている。
これによって、観客は「何に対しても注視していない感」が与えられる。
ビデオゲームは動かず注視される対象が主人公なんで、そこはちゃんとしているんだけど、逆に敵に焦点が当たってないわけで、主人公に対して没入せず、他人目線を維持する。FPSを避けてTPSに走る。
また全体的に被写界深度も深く、これまた「注視してる感」を避けてる。
あと同系統の話しになるんだけど、「カメラに入るものは、全てが神のごとくよく見える」
手前に邪魔なものが入ったり、重要な部分が見切れたり、陰影でつぶれて、見るべき対象物がよく見えない、という状況をかなり避けている。
被写界深度もそうなんだけど、カメラに入るすべてのものが、きっかりはっきり情報を与えている。
注視対象は全て見えるようになっていて、緊張感があるシーンでは、真正面から見据えてますます情報を隠させない。
あとそもそもとして「対象を記号的に捉える」っていうのもある。
意味が一意に取れるシンボルとして描かれる。ある種のミニマリズム。
要するに「観客にとって不安定で、意味を確定できない情報」がとことん排される。
超どアップが多用されるのも「見るべきものだけがこの世界に存在しているもの」だから。
ドッキリシーンとして一瞬だけ行われ、その状態を維持して不安にさせるような使い方はさせない。
で、視線の主観性を排して、どこでメリハリをつけるかというと、時間軸に主観性を持たせて、そこでメリハリつけるのが日本物の基本。
特にこの辺にコストがかからないアニメなら、スローモーション、バレットタイム、絵の一時ストップ、見得を切る瞬間、などなど。この辺はハリウッドに輸出された。
4歳になる息子は、「大丈夫」と大見得を切っていたが、すごい内股を擦り合わせていたので、無理やり連れて行った。
妻はそれを見て苦笑していた。
それに伴って、1mmも進まない渋滞が発生した。
妻は明らかにいらいらした様子で、息子を叱り出したり、おれを叱ったりした。
渋滞がはじまって1時間ぐらいたったころ、妻は「次のPAまでどれぐらいかかるか?」と聞いてきた。
うーん。と答えあぐねていると、耳元で「おしっこにいきたい」と言われた。
なんだって?
路肩めいた個所はない。
また、規制解除されたら発車を余儀なくされる位置であり、降車はよくない。
「どれぐらいがまんできそう?」
「もう無理かも」
おしっこに関しては、もう漏らしてもらうしかない。非情な決断だ。
その上で、車内の被害を最小限にして、なおかつ妻のプライドをどうするかという問題なのだ。
あれを、妻の座る助手席にしこう。
次に息子だ。
おしっこ漏らす、漏らさないみたいな話は大好きなやつで厄介だ。
ようし。
「おい、妖怪ウォッチはイヤフォンつけてやれ」
「渋滞で止まってんだから、大丈夫だよ。あと、音量最大にすれば気持ち悪くならないし、臨場感が出るぞ」
「そうなの! やってみよう」
「あ、鼻にティッシュ詰めとくと、もっと気持ち悪くならない。あと、運転の邪魔だから、後ろ向いてやれ」
「あ、はーい」
降車して、ビニールシートをトランクから持ってきて、妻の座席に敷いた。
彼女は泣いていた。
情けなかったのだろう。
しかし、きみが泣くことはない。
プロポーズのとき、結婚のときに誓ったように、きみの笑顔を保証する。
妻には運転席に移動してもらって、おれはおしっこまみれのビニールシートが敷いてある助手席に移動した。
そして、おれもおしっこを漏らした。
妻は、「あなたバカね」と言いながらも、涙は消えていた。よかった。
モチベーションって手で触れられないでしょ。
手で触れられないものを直接変化させる事は出来ないよ。
空き缶があって、
それを変化させるには、
手を触れて力を加えればいい。
つぶれる。
モチベーションには触れられない。
だから直接変化させることは出来ない。
モチベーションをあげたい時は、
直接手を触れられるもので、
変化させられるものを列挙すると良い。
先ずはそこから。
直接の変化を期待できない時は、
間接的な変化を期待しようということ。
そして、
変化させられるもので、
それを探し、行う。
例えば私の場合、
長文を書くモチベーションを保つことは本当に難しい。
そもそも書くことが向いていないのかもしれない。
長文を書くとなると途端に筆を持つ気になれないのである。
そういう時は、
とっつきやすい議題で短文を書く。
この変化によってリズムがついて、長文を書くモチベーションが湧いてくる。
私にとって短文の構築は
モチベーションが低そうな誰かのそれをあげたい時、
その人が何であればたやすく変化させられるかを注意深く見る。
そしてその中でどれが一番モチベーションに連結しやすいかを考える。
それをサポートする。
メンバーとして日々を生きる人。
それは、取捨選択が下手なだけかも。
君を思う気持ちに触れたら、少しは温かく出来るかもよ。
疑心暗鬼にかかって誰かを攻撃する様は見ててつらい。
彼女は攻撃したいわけじゃない。ただ、守りたい。
そこにあるのは幼髪のようにしなやかで細く頼りない糸が
何本何本も絡まって絞めこむように結われた縄だから。
もはや素手ではどうにもならないぐらいひどくひどく頑丈に固いのに
絞めこまれたしなやかさは柔軟性だけを残している。
正しさは通じない。正しさは、大雑把で正しいハンマーでしかない。
ただ、その縄を叩くだけ。乱暴に叩かれた縄は
緩まるどころかギュギュと絞められていくだけ。
解きほぐす為に、ささくれにふれるだけで
皮膚はこすられてひりひりと痛む。
その痛みから守るために、頼りない糸で
出来るのは、その悲しみに寄り添うだけ。
絞められた糸の1つ1つがほどけるまで。
糸は細くしなやかだが、自然に戻ろうとする頼りない強さも持ってる。
その縄を解きほぐすところを。
逃げるなよ?犬野郎
逃げるなよ?腰ぬけインテリ
逃げるなよ?悪ガキ
小町さんは、見てきたんだろ。たくさん。
俺ははてなでなんか見たくなかった。
正直、はてなには、似合うわない。
あったまでっかち過ぎて阻害されてるひねくれ達が、
闇を抱えるひねくれ達が、闇を抱えたまま生きる姿。
それがはてなだ。
いいんだけどね。OSやらブラウザーやらサーバーやら基盤ソフトの大多数はシリコンバレーという現状がいいとは思えないんだけどね。
日本で言えば楽天が合って小売店が有ると言う状況で、その大本の楽天が外資っていう状況と同じだからね。OSやブラウザーが外資系ソフトがメインという状況は。
作らないんじゃなくて、どんどん作れなくなって行ってるからね。技術がなくなってきてる。
これからは技術じゃないんだサービスの時代だと大見得を切るのはいいけれど、 あんたらが使ってるソフト全部外資のもんだねと。
いやいいならいいけどね。
大規模ソフトウェアの設計ができるプログラマーをどんどん外資に取られてるのは現場としてはいたいなーと思いながら手をこまねいているという状況はどこもかわらんだろ。