興味深いエントリ。
要するに、
を真に受けて、勉強をしないという選択をし、それをそれが失敗であったと嘆いているということだと思う。
この言葉が当てはまるのは、”地頭”がいい人間であって、秀才ではないのだ。
つまり、秀才は勉強に勉強を積んでのみエリートになりうるというのが元増田の解釈だろう。
よって、誰にでも通用する訳でもない、耳心地のいい言葉を吹聴した森毅はけしからんというのが結論だ。
文化人と名のついたコメンテーターの醜悪さは、今も昔も変わらないものだ。
元増田の論旨に納得いく点は多い。
ただ、
この辺りから少し疑問が生じる。
もしも、森毅を師匠としていたというのならば、この言葉を発する文脈をもっと正確に読み取れているのではないか?
どういう人に対して、何を背景としてこのことを言いたかったのか?
彼がいう”エリート”とはどういう人だったのか?
おそらくしていないだろう。
もう勉強なんて、したくないという心に響いたのはこの部分だけだ。
つまり私が言いたいのは、こういうことだ。
そして、上手くいかなかった人生を師匠のせいにしているのではないか。
おそらく師匠をもつとは大きな問題だ。
ついていきたくなる人。
圧倒的な能力を持つ人。
色々あるだろうが、自分と同じ万能ではない人間を心から尊敬しなくてはならない。
それが出来なかったことに、本当の苦しみがあるのだとおもう。
もちろんそれがすべて悪いことではない。
ただ、そこから見えるストーリーがいいものになるとは到底思えないのだ。