はてなキーワード: 偉人とは
https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20231227-OYT8T50000/
(前略)米国では建国の父ベンジャミン・フランクリンが印刷工を経て売り出したことで知られる。勤勉や節約を説く中に次の言葉がある。<金を借りに行く者は、悲しみを借りに行く>(『フランクリン自伝』岩波文庫)
貧しさから10歳で学校をやめ、働かざるをえなかった偉人の脳裏に刻まれた情景だろうか。12月は統計を報じるニュースが多い。その中にフランクリンに読ませたくなる記事があった
今年、全国の「子ども食堂」が公立中学校の設置数に迫る9131か所になったという。東京の支援団体の調査でわかった。収入に乏しい家庭が頼るのはもちろん、7割ほどが会食形式で運営され、働く親を持つ子どもの居場所づくりになっている。それが広がれば広がるほど「孤食」の子どもは少なくなる。いいクリスマスになっただろう(後略)
まあゲームとかだと似ている作品の知識を流用してΒでジャンル初心者狩ってイキってるキモいのが発生することはあるけどそれぐらいだな。
アニメオタクは知らんアニメのこと全くわからんし、アイドルオタクも同じように何も分かってない。
鉄道オタクも見た目にしか興味ないからエンジンや電気の仕組みがわかってなかったり、歴史オタクも好きな偉人の事業自慢はしてもそれが政治や経済の大きな流れの中でどういう位置づけなのか理解してなかったり。
動物図鑑やポケモン図鑑読んで全部丸暗記しただけって感じのことしか身についてないんだよね。
なんか悲しい生き物だと思うわ。
某ブクマカ「年齢のインフレ」が起きてるから今の「30代後半は昔の20代後半」ぐらいだと思う。人生100年時代まだまだいけるよ。
「年齢のインフレ」が起きてることは認める。でもそれは「若いうち(10代、遅くとも20代前半)に生産手段、影響力、知名度などを築いた人がその後中年になっても下手したら老年期に入っても稼いだり影響力を与えられる」ってことだから!!
人生は10代のスタートダッシュをもとに残りの人生を駆け抜ける短距離走だから!!
大器晩成型の偉人は10代で既に基盤を作るなり、努力してスキルをつけるなり、コネを作るなりしてるから!たまたま結果が出るのが遅かっただけ!
例えば、医師は教育訓練期間が長いから20代、30代になっても研鑽して勉強してるけどその医師になるための勉強は物心ついてから10代終わり頃までずっとやってるでしょ!医師としての下積みはまだまだ続くけど医師になれるかどうかは10代で決まるでしょ!
勉強、スポーツ、対人スキル、恋愛スキルなど、全て10代で経験してスキルを獲得しなきゃいけないんだ!
それが出来なきゃスタートダッシュ切れなくて残りの数十年は負け戦なんだ!
お前らみたいな人間が「まだその年齢なんだからどうとてもなる!」とか俺に言ってくるんだ!
10代でスタートダッシュ切れなくて、それでも20代前半のうちは取り戻そうと頑張ったけどダメで、仕方なく非自発的ニートしてるんだ!
そういうと今度は「じゃあ死ねば?」とか言ってくるんだろ!
わかってるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
死ななきゃいけないのは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
だけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
10代でスタートダッシュきれなかったクズには死ぬ勇気も度胸も!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
生まれてきてごめんなさい
「羽生結弦」電撃離婚が大波紋…「バイオリニスト妻」の地元が抱く「違和感」の正体
羽生結弦が結婚した一般人の妻は、山口県光市出身のバイオリニストの〇〇さんだったという実名報道を地元紙・日刊新周南がしてしまったのが離婚の起因とされているけど、さっき調べてみたら山口県光市って人口4.8万人の小さな市だった。
光市の著名な出身者で知っているのは伊藤博文(初代兵庫県知事、初代内閣総理大臣)と松陰寺太勇(お笑い芸人、ぺこぱ)だった。
これくらい小さな街で歴史に残る偉人とトレンド芸人を輩出してるだけでも異例だけど、
羽生結弦と共演できるようなプロのバイオリニストは郷土の有名人として扱うには十分な地位だ。
田舎では、中央でデビュー出来た作家、ミュージシャン、プロスポーツ選手、芸能人等はたとえ端くれだったとして地元の英雄だ。
羽生結弦と結婚したバイオリニストなんて地元の英雄の中でも上位に位置すると言って良いと思う。
今回の離婚の要因として上がっている「有名税」というキーワード。
離婚報道では羽生結弦の有名税ばかりが注目されているけれど、妻も地元では有名人なのだから、当然、妻の方にも有名税が発生していた。
羽生結弦サイドは妻の有名税に対してどう捉えていたのだろうか?
自分の有名っぷりばかりを気にして、妻も故郷では立派な有名人である事実を蔑ろにしていたのではないだろうか?
妻の有名税を踏み倒した結果、妻の地元紙の実名報道に繋がってしまったように見える。
国民的英雄が郷土の英雄を一般人扱いするなんてのは、その地方に対してのリスペクトが無さ過ぎると思う。
もちろん、今まで地元を背負ってきた妻も、「結婚するので一般人扱いして下さい」なんてのはこれまで応援して来た地元に対して無責任だと思う。
結婚を期にバイオリニストを引退するに当たって地元のマスコミ各社にしっかり挨拶をしていたのだろうか?
正直、いまの技術水準で言えば、手塚治虫のマンガのレベルはどれぐらいだろうか?
断言して言うが、決して高くないと思う。
開祖ではあるかもしれない。しかし、神として崇めるのは無理だ。
誤解しないでほしいのだが、人物として偉大だったと思うし、すごい人だったとも思う。
日本のストーリー漫画は手塚治虫先生がいなければ、別のものになっていたということは理解している。
その上で、作品を読んだ上で言うのだが、源流ではあっても神ではない。
例えば、他のジャンルに置いて大山倍達は近代フルコンタクト空手の開祖だが、その技術レベルは、果たして現在の格闘技レベルにおいてどれぐらいのものだろうか。
決して高い水準にあるとは言えない。
しかし、その弟子から派生した近代空手、総合格闘技の歴史において大きな存在感がある。
その発展に、意味があるのであって、神格化することには違和感を感じずにはいられない。
尊敬していないわけではない。当時にすごいことをやっていたということは感じる。
ガンダムなんかも、名作だと言われるが、たしかに名作だったと思う。
しかし、いまの技術レベルで見ると正直作画崩壊のように感じられるし、キツイと思う。
水星の魔女について、中学生は普通に楽しめるが、現状、ガンダムを見る場合「古典として、色々我慢して、視聴する」必要がある。
手塚治虫先生の作品は、時代の流れを超越した存在か? と言われると、決してその水準ではないと思う。
過去に対するリスペクトを神格化という形で創作者にやるのは、なんか違和感を感じている。
ラーメン再遊記の塩匠堂のような扱いをしているのではないかという気持ち悪さを感じる。
近年、創作は極めて大きな発達を遂げている。その面白さの水準に、過去の手塚マンガは残念ながら達していない。
しかし「漫画の神様」というフレーズは、違和感を大きく感じる。
羽生会長のこのインタビューを見た後だと、余計に違和感を大きく感じる。