はてなキーワード: クラッシャーとは
どこぞの店員土下座で逆に客が訴えられるみたいな事件の話だな。
ただのクレーマーというかサークルクラッシャーならぬ店舗クラッシャーかな。
元増田です
「それができたらそうしてる」
これに尽きる。
本当に興味がない。
察していただけるように異性の友人は多いが、どんなに相手を好きになっても友人としか思えない。
告白されると友人関係を崩されることへのショックが先行するほど。
つい同性の友人みたいな感覚で接してしまい、クラッシャー化してしまう。
一般的に言われるように女性の大半は恋愛が好きで、話題の大半がそれに消費される。
なによりはっきり言って女の集団というのはそれ自体が抱える問題が大きすぎる。
男性おたくの集団が長続きするのに大して、腐女子の集団が頻繁にクラッシュしてることからもわかると思う。
サークラ化したくないという気持ち自体理解されないことがほとんどだし、安易にモテるのが苦痛などと言おうものなら袋叩きにされる。
彼女らには「彼氏を作らず異性の友人」という概念がそもそもない。
かくいう自分も大学で女ばかりの級友と話が合わずにぼっち化し、オタサー活動に勤しんだ。
もちろん似たような思考回路の同性がいた場合は親しくなれるが、いない場合の方が圧倒的に多い。
ネットならなんとかなっても、オフで趣味の友人を探そうと思うと男性集団に混ざった方が圧倒的に早いのだ。
しかし女である以上、男性からも女として見られてしまうことは回避できない。
どうしても趣味の友人がほしい、頻繁に活動はしたい。
でも女性向けの趣味でないために、身近に共有できる人が男性しかいない。
そうなると最初の記事のように「サークラ化しないよう細心の注意を払って居座る」という選択肢になる。
オタクなら「趣味集団」の居心地の良さは嫌というほどわかっているはず。
男女比半分半分ならサークラ現象はまず起きないし、恋愛問題がおきても局所的被害に留まるため集団ごとクラッシュすることはまずない。
単に未成熟なコミュニティにおける騒乱の引き金になっただけでサークルクラッシャーって悪の根源みたいな呼ばれ方するの、どうなのかね。
ちょっとパンツが見えたり一対一で食事に行ったり、それだけで無闇矢鱈と惚れてしまう側にこそ、根本的な問題があるんじゃないのかと思うのだけどなあ。
サークルクラッシャーっていうからにはさ、やっぱりバドガールのコスプレで登場して、いきなり「初めまして!ファックしましょう?」みたいなことを公然とやり始めてさ、何が何だか分からないうちにその場を焦土にしてしまうくらいの積極性が必要だと思うんだよね。クラッシャーと呼ぶからには『人間だと思ってたらハリケーンだった』みたいな、現象としての圧倒的かつ理不尽な力強さがないとイカン。現実にサークラとか言われる女性って大体が単に女性だったってだけだし、オタク男性の特性をあらかじめ把握してなかったってだけでサークラ呼ばわりってのはアレだよ。
なんていうか『そういうサークルに女性が関わる場合は、その場にいる全員がまぁ会話した女にもれなく惚れちゃうようなウブな人だと思っておきましょう』みたいなアレって、裏を返せば『介護の心構え』とか『特別学級との交流授業にあたってのしおり』みたいなアレでさ、要するに『対等じゃない相手と思って接しましょう』みたいな話になっちゃうんじゃねえのかと思うのよね。
そうじゃなくってさ、どっちかというと心構えが必要なのは、恋愛経験がなかったり少なかったりする側じゃねえのかな、と思うのさ。『一対一で食事をしたからといって必ずしも相手が自分に好意を持っているわけではありません』とか『恋愛は友情の延長上に存在するものですが、キチンと発展させないと色々弊害が出ます』とか『自分の恋愛感情の都合で周囲の人に迷惑かけちゃ駄目ですよ』とか、そういう紳士としての心構えみたいなのって大事じゃないのかね。
・趣味の友人がほしいがそれを趣味にしている人は圧倒的に男性が多い
このような状況で問題を起こさず楽しむためにいくつかを自戒を込めて。
意図せず恋愛感情を持たれてしまうことを避けるために、自分用メモと反省。
単純に趣味を楽しむのか、それとも同じ趣味の彼氏がほしいのか。
自分の中ではっきりさせること。
彼氏がほしい、もしくは好きな人ができてしまった場合はクラッシャーになることを覚悟すること。
紅一点はどうしても持ち上げられる。
こういう場では女が社会的に有利と言われることは全部享受できると言っていい。
だからこそそれに甘えてはならない。
「デブだから、ブスだから、どうせモテない」という先入観まずが甘えである。
「どうせモテないから大丈夫だろうという思い込みからくる迂闊な行動」が、女性に慣れていない男性を勘違いさせるのである。
趣味を共有できて、ある程度中性的な思考の女性はこういった集団では絶対にモテる。
これをやっておいた場合後述のお断り手段が使える。
避けるべきもの→ミニスカート、ショートパンツ、生足、ノースリーブ
スカートでもしゃがむような姿勢をとるなら中に一枚履くのが望ましい。
パンツは見えてはならない。
相手に近寄りすぎないこと。
髪の長い人は髪が当たらない距離を維持。
できればシャンプーの香りがわからないぐらいの距離が望ましい。
同性の友人のノリでついつつきたくなってしまう気持ちはわかるが、厳禁。
呼ぶときに肩を叩く以上のことはしてはならない。
こちらにデートのつもりがなくてもむこうはそのつもり。
1対1で食事はもちろん映画や買い物も行ってはならない。
誘われたら「他の人も誘おう」とはぐらかす。
はっきり「デート」であると告げられたら「友人でいてほしい」と意思表示をして断る。
誕生日もなるべく伏せる。
なにかをもらうときは絶対に「誰に配っているのか」をチェック。
自分だけに渡されるものは絶対にタダで受け取ってはならない、なんとしてでもお金を払うこと。
間違っても「デート」を対価にしてはならない。
深夜になるとどうしても話が猥談になる。
酒が入った時は特に注意。
どうしても男女1:1で行動する場面になってしまうことがある。
そんなとき気を付けること
前述のとおり基本。
これは意外と難しいが、横に並んで歩かないこと。
少し後ろをついていく。
適当な用を見繕って帰る、あるいは他の人と合流する。
断る。
相手への尊敬の念を持ってお断りする。
「ここでは趣味の友達を作りに来ているだけで恋愛する気はない」
「恋愛をおこして男女のゴタゴタを持ち込みたくない=サークルクラッシュさせたくない」
「今は彼氏より趣味が大事、よってあなたも友人としか思えない」
「誤解させてしまったなら謝る」
これでなお迫ってくる人はなかなかいない。
それでも迫られたら周囲に迅速に助けを求める。
これが唯一「紅一点」の利点を積極的に利用してもいい場面でもある。
禁じ手でもあるが、一人を追い出せばサークルが維持されることは多い。
2人相手だと秘密の共有でそこが泥沼化することも少なくないので3人以上が望ましい。
これは「相手を傷つけずに断る」ことが絶対条件となる。
日常、「サークル内で恋愛しない」ことをアピールしてある場合のみ使える、
「なぜ私のことが好きなのに『ここでは恋愛しない』という私の意見を尊重してくれないの?」
というやつである。
これは相手が自分が好きなことを逆手にとって責めるという手段。
今度はオススメじゃなくて、単なる俺のハマった作品だ。文句あっか?
・さよならジュピター(小松左京。さっきと同じだって?、だってハマったんだから仕方ないだろ。映画は駄作でもノベライゼーションは傑作なんだよ)
・今宵、銀河を杯にして(神林長平。はっきり言うと、雪風より好きなんだよな。テーマはどっちも同じだが、ユーモア感覚が「敵は海賊」に通じるものがあって楽しいのよ)
・本邦東西朝縁起覚書(小松左京。彼の短篇集の中では一番好きだ。特に「極冠作戦」は一度は読んでおいて欲しい。現代にこそ読むべき作品だぞ)
・宇宙人紛失事件(森下一仁。優しい作風は本当にハマった。星新一に通じるものがあって良い。)
・声の網(星新一。スマンな、ショートショートじゃなくてw、でも、SFにSF的な道具立ては必要ないという事を痛感させてくれる名作なんだよな)
・大渦巻Ⅱ(アーサー・C・クラーク。やっぱ、この作品は外せないわ。ワンアイディアストーリーの名手の名に恥じない出来は本当に凄い。これ読むと、SFが短編のジャンルであることが本当によく分かる)
・敵は海賊(神林長平。頭使って読むスペオペと言えば、多分これしかないwww、神林長平のユーモア感覚の凄さが本当によく分かる。アプロは日本SFの生み出したキャラの中では最高だと思うwww)
・梅田地下オデッセイ(堀晃。だって、大阪出身なんだから外すわけにはいかねーじゃんwww)
・兎の夢(神林長平。短編、しかも結構マイナー。でも、雪風を読むのなら、これも読んどけ。特に「改」以降の雪風を理解する上で重要なヒントが入ってる)
・ドルロイの嵐(高千穂遥。要するに、ダーペの「大乱戦」のクラッシャー版www、ジョウじゃなくてオヤジのダンの時代の活躍が読める。にしても、ジョウの母親の名がユリなんだけど、やっぱ、ダーペのユリの事なのかねぇ。そうなると、タロスの相方はケイになるのか?www)
2chやTwitterを見てると、あのブログがソニーの回し者であるかのような流れになってるんだけど、何だか違和感を覚えるんだよな。
なので、とりあえず最近のあのブログのPSVITAタグの中からネガティブっぽい記事をピックアップしてみた。
1月だけでこれだけあるわけだが。
PS3の初期もこのブログはこんな感じだったし、ほんとにこいつソニーからカネ貰ってんのか?その辺はどういう解釈でみんな納得してんの?
12月も…と思ったけど多すぎて後半だけで力尽きた。
それだったら、こっそりマイナーチェンジで、本体の方に「マジコンを認識したらDSのシステムを破壊する」プログラムを忍ばせておけばいいんじゃないかな。古いタイプのDS使ってたらだめだけど、新しいタイプでは出回っているマジコンを使うとDSが破壊される。古いタイプのでもネットにつなぐと強制的にシステム入れ替えとかしちゃって、マジコンクラッシャーを自動でインストールするとか。
もちろん公にはそんなものが入っているとは公表しない。ただし、「マジコンを使用すると不正な動作を行うことがあり、場合によってはハードウェアが破壊されることがあります」と注意書きだけしておく。
民主党は改選割れとなり、与党の参議院勢力は109議席(民主106、国民3)、過半数に13議席足りない。この13議席をどのように都合するかというと、単純な数合わせであれば、19議席の公明党か、みんなの党の11議席と共産党の6議席という事になる。
公明党と菅首相とは仲が悪く、公明党を抱き込むならば首相退陣という事になる。鳩山内閣から居抜きで大臣を引き継いだのは国会の会期中だからであって、参議院選挙明けに組閣をやるつもりだったのだから、いっそのこと、首相ごと変えてしまえという話である。
みんなの党は隠れ民主だから、簡単に抱きこめるであろうが、問題は共産党である。共産党は与党にしてはいけない政党である。
4議席の社民党とは喧嘩別れしたばかりであるし、2議席の改革や3議席のたち日本では、数が足りない。
となると、参議院を棚上げするには、衆議院の3分の2を維持するという展開になる。
衆議院の3分の2は320であり、民主党の現有は307、国民新党の3とあわせても310。足りない10議席をどこから持ってくるかというと、喧嘩別れした社民はあてにできないし、共産党はダメとなると、公明党の21がやはり目につく。みんなの党の5、新党日本の1、たち日本の3、新党改革の1といった諸派をあてにするには、手間と暇がかかりすぎる。結局、公明党という話になるので、これも手詰まりとなる。
そこで、政党クラッシャーである小沢氏の出番となる。衆議院の過半数は241であり、自民党の現有が115。過半数に足りないのは126。同様に参議院の過半数は123であり、自民党の現有が86。過半数に足りないのは37。小沢グループが民主党の衆議院議員から126人、参議院から37人を引き連れて、自民党と野合した場合、衆参ともに単独過半数の安定政権が成立する。
菅首相をはじめとする旧社会党勢力が大臣ポストや党幹部ポストを全部押さえている以上、旧新生党である小沢派が民主党に残る理由は無い。衆議院議員126人、参議院議員37人という規模は、衆議院議員数で自民党全体を上回っており、間違いなく、自民党第一派閥となりえる。自民党に野合せずとも、民主党から新生党が離脱して、自民と連立するだけでも、十分に成立する。大臣以下の政府ポストの半分を取れる。実際には、経験が無くて大臣は無理だろうから、政務官や副大臣ポストを重点的に取るという事になるが、旧社会党系ではない民主党議員にとっては、小沢氏についていった方が、旨味がある。二人区に立候補した小沢派の新人は、全員落選した。次の衆議院選挙のときに、選挙区にしても拘束名簿順においても、小沢派の議員は冷遇される事が確実である。衆参が捻れている状態であれば、法案が通らないのは野党のせいと言い張れる。無責任な与党の地位を維持するのに必要なのは衆議院の過半数であって、少なくとも衆議院議員の66人は必要無いのである。
この場合、民主党は旧社会党と同様、崩壊する事になるであろう。旧社会党の崩壊の時は、鳩山氏のお金という求心力があったが、今の鳩山氏はお金を出せないから、新党としてまとまる核が、どこにも無い。
時期は、政党交付金の基準日である1月1日までには新生党を復活させなければならないので、遅くとも12月中という事になる。参議院選挙後の臨時国会が召集される8月から12月までの間に、この変化が起きる可能性が高い。
[2010.7.12]
供給すること自体がもう娯楽として定着したから、これからもその量が減るってことは無いだろうし、
需要の側が急激に増えることも、まず無いわけで。
まぁ消費者としては嬉しい時代だけど、どうなるんだろうねぇ今後。
↑カヤック社長が「死ね」だの「屑」だの言われ放題なので擁護しとく。
最初にまとめちゃうとだな、「インターネットの登場で中途半端なプロ気どりの絵描きの仕事が減ってしまったので、該当する連中が八つ当たりしてる」って話
プログラマーも昔同じ道を辿ってて、5年ぐらい前から甘ちゃんフリープログラマーはどんどん廃業してる。
だいたい5~10年前ならともかく、いまどき「Perlしかできません」みてーな奴がフリーで食えるわけない。
でもそれは現状に甘えてスキル向上に努めてこなかった一部の底辺フリープログラマーの話であって、有能で営業能力もある連中は相変わらずフリーでも食えてる。
pixivのおかげでアマチュア描き手が大量に増え、従来は一円の金にすら変えることができなかったアマチュア連中の絵が売れるようになった反面、中途半端なプロ気どりの連中の仕事が減り、結果的に絵の価格が下がってるのは事実かもしれない。だがそんな事は他の業界で散々おこってる事なんだよ。どんな業界でもインターネットの登場で中途半端な連中が淘汰されてるのはお前ら絵描きも知ってるだろ?
供給が増えて需要が変わらないなら価格が下がるのは何百年も前から繰り返されてきた経済の常識。当たり前田のクラッシャー。
どうしても誰かを叩きたいならカヤックじゃなくて供給の場を提供したpixivを叩きなよ。
カヤック社長は「実際に現場で~~なことが行われてます」って業界の実態を書いただけだろ?
じゃああれか、中国で臓器売買が行われてますって読売新聞の記者が書いたら読売を批判するのか?
みんな落ち着け。
お終い。
いま一部で大流行の「サイエンスクラッシャー」ネタなんですが、実は壮大な釣りプロモで、内田さんの狙い通りにコトが進んでる気がしてきた。
なお、私は決起集会の動画は見ていて、内田さんの関連blog記事は読んでいるけれど、内田さんの新著は読んでいない状況。
元ネタ: 「サイエンスクラッシャー」 http://anond.hatelabo.jp/20100429013047
引用元: 「新著「疑う力を阻害するもの『科学教の狂信が思考停止に』」掲載」 http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10518383971.html
ちょっと引用してみましょうか。
そのとき、ある新聞社から以下のような質問が出ました。
「科学技術の大切さは誰しも理解していると思う。しかし、国民の素朴な疑問として、スパコンになぜ多額のお金がかかるのか? というものがある。これをどう説明しようと思うか?」
それに対し、あるノーベル賞受賞者が、「まず1つは、マスコミにもっとしっかりしてもらいたい」「メディアの力は大きい。メディアがもっと科学技術を理解しないと、国民には伝わらない」と。
このシチュエーションで、たぶん回答者が言いたかったことを私なりに翻訳すると、
情報の1次発信者が、どれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、情報の最終到着地である一般読者に到達するまでに、*必ず*マスメディアのフィルタが入ってしまう。このことは、科学者に限らず、一次発信者がどんな者であっても言えることだ。
そして、このマスメディア・フィルタの掛かり方次第で、情報はどうにでもなる。繰り返すが、一次発信者がどれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、マスメディアの記者や編集部がそれを理解することができなかったり、本意・不本意を問わず歪曲したり、勝手に画角やフォーカスを調整したりしてしまえば、一般読者には「そういう」情報しか伝わらないのだ。
だから、我々1次発信者も一般読者に分かりやすいように努力はするし、しているけれども、マスメディアの記者・編集部もまた1次発信者の意図を理解し、それに応えられるような努力をして欲しい。
このような意図になる。違うかなぁ…、僕はそう思うし、常々そういう主旨のことを思っているけれど。
その上で、内田さんの、あなたの立場を考えてほしい。
あなたはサイエンスコミュニケーターを標榜しているけれど、あなたの立場は上記のコメントでいう「マスメディア」に該当するはずである。職業はともかく、「本を出版する」(まさにマスメディア)行為をしているからだ。
そして、決起集会を見て(一次発信者の主張を取材して)、本を出版し(マスメディア行為)、それを読者(きっと一般の方が主たる想定顧客だろう)に伝えようとした。
このとき、内田さんは「内田さんの」マスメディア・フィルタを掛けてしまった。
(追記)
私は、そのノーベル賞受賞者が、「国民がスパコンの重要性をわからないのは、マスコミが悪いせいだ。勉強不足だ」と言うのには、まったく納得がいきません。
これでは、一般読者は、「ノーベル賞受賞者って、自分(たち)がエライと思ってるのね。イヤなヤツらだ」という、否定的な印象しか持たないと、私は思います。そして、後でも少し触れますけれども、私には内田さんのこの態度に、内田さんのいう「『疑ってかかる』のが科学的態度」を感じられないのです。もし「『疑ってかかる』のが科学的態度」ならば、「ほんとにこのノーベル賞受賞者は、そういう意味で言ったのかなぁ。他にも解釈があるのではないか、言いたいことはあるんだけど結局こういう言い方をしてしまっただけではないのか、そして、その理由はなんだろうか?」などと、いろいろな思索をめぐらすはずだと、私は思うのです。
そして、「賛同の嵐」「科学教の狂信者集団」「その新聞社に向かって、自己の責任を放棄したこの発言。」「ノーベル賞受賞者らの発言に対し、会場がいちいち拍手を送り、twitterでも賛成の一色だったこと(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)。」「科学教の狂信が思考停止に」などという、科学者に対するレッテル貼りの行為です。
もちろん、内田さんの記事を丁寧に読めば、「(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)」「でも、反対意見は容易にかき消され、ほとんど賛成の声しか見えてこない、この全体主義のような雰囲気は何だろう、と私は不思議に思ったのです。」「念のため、その場にいた人の中にも、「あの様子に居心地の悪さを感じた」と言っていた人がいたことも、申し添えておきます。」などという、反対意見もあったということに触れて、「公平さ」を装っているわけです。
しかしそれでも、内田さんの書き方では、熱狂的な賛同者の意見の抽出とその強調に始終していて、反対意見を持った人がどれくらいいて、その人たちはどういう意見を持っていて、どういう反応を示したのか、ということに、決して具体的には触れていないのです。このことに、私は「『公平さ』を装っている」という同情を示せても、「公平に記している」という同意までは示せないのです。
なぜ私が、このblogに対して批判的にコメントしているかといえば、このblogの内容から、内田さん自身の、内田さん自身が「サイエンス」ライターやマスメディアの一端にいることを自覚していることを示唆するモノの見方・言い方・考え方を、垣間見ることができないからです。
上述のように、私は、あのblogの内容は公平さに欠けていると思っています。そして、その公平さに欠けた主張が、blogや出版物を通じて一般読者に波及していくことで、「あぁ、あいつら科学者は、やっぱり権威主義なんだ。だから、現役の間は好きなことだけやって、説明しようなどという熱意は微塵にもないし、定年後に私立大とかに天下りして平然としているのだ。エラソーにしやがって。」などという、悪意に満ちた理解が拡がっていくこともまた、恐れているのです。
(追記2)
このような危惧を過激な一言で言い捨てた表現が、「サイエンスクラッシャー」という称号じゃないかと、私は思うのです。これまで説明してきたように、少なくとも私には、どうも内田さんのblogの文だけでは、「やっぱ科学者って傲慢だよねー。でしょ?サイエンスコミュニーターから見てもそう思うよ、うん。」という、科学者の態度を批判する内容しか伝わってこないです。その上、科学者の態度が感じられない程度の考察しかできていないのに、科学者の態度についてのご高説が書かれている。ちょっと待て、その科学者の態度とやらで自分の態度・考察を振り返ってみ?と。
じゃぁ、内田さんの今後に、どういうことを期待したいか、ということですが...
「サイエンス」の「コミュニケーター」を標榜するならば、しばしば言われる、「科学者はコミュニケーションが苦手」であることをフォローするような解説をすべきではないでしょうか?(たとえば、上で述べたように、なぜノーベル賞受賞者がマスコミに注文を付けたのか、ということの解説。「あれは科学者が職務放棄した、ゴネだよ」というコメントは、科学者の気持ちやマスコミの取材事情を知らない、一般人と同程度の認識に留まっていて、考察が全くなされていないようにしか見えません。)
もしも科学者の態度を身につけているならば、賛否両論のどちらもを取り上げて議論し、それを補強するデータを示すべきではないでしょうか?(たとえば、Twitterやニコ動、ustのタグ付発言でのpositive/negativeコメントの、tweets数およびtweeter数の統計でも、いいんじゃないですか?それなら、個人に迷惑かかることなく実施できると思います。)
サイエンスコミュニーターはともかく、あくまで「物書き」だとしてもいいです。それでも、賛否両論とは、「賛否『両論』」を取り上げるからこその賛否両論なのですから、両論をきちんと取り上げましょう。そして、twitterに必要以上に頼らず、実際に本人や学内外の科学者に取材してみて、その声も聞いてみてはどうでしょう?たとえば、あのノーベル賞受賞者は、果たしてどういう意図でマスコミに注文を付けたのか、本人に取材しましたか?
こんなことを思いながら読んでいくと、最後に書いてあるんですよ。
「それはどうか?」とか「なるほど」とかのご意見をお持ちになる方がいらっしゃいましたら、ぜひ拙著『科学との正しい付き合い方』 を手にとって頂けたら、と思います。
全体を読んでの、ご感想、大歓迎です!
やられた!と思いましたね。
上で述べてきたように、本文では散々、情報リテラシーを持った読者や、科学者の心を持った読者が持っている「『疑ってかかる』のが科学的態度」という、ある種の正義・倫理観を煽っておく。しかも、そんな彼らが持っている「やっぱり原文を読んでからでないと、ちゃんとした批判はできないよね」という良心をも煽っておく。
そして最後に、「賛否両論、どっちでもいいから、何か思うことがあったら買ってね!」と落とす。
文体的に何か特定されそうだな。まあ良いか。
昨日から今日にかけてサークルの飲み会があった。焼肉食べて酒飲んで、そのあとカラオケという流れ。
生まれて初めて酒を飲んだ。結果酔った。完璧に酔った。気分がハイになって楽しくて仕方がなかった。
声のトーンが気持ち悪いし言ってることも気持ち悪い。そんなことが気にならないくらいに頭が
ぐちゃぐちゃになっていた。友達も同じくらい酔っていて、二人でぐたぐたになっていた。
それはまあ良かったんだ。その後が駄目だった。幹事の先輩が酔った。話には聞いていたが、酒癖が悪かった。悪すぎた。
片っ端から自分達新入生に突っ込んでいくわ通路に寝そべるわ知らない人に声かけるわ本当にやばかった。
先輩のせいでデジカメ壊れた。今日修理に出したがGW過ぎないと帰ってこないよああ。あと眼鏡も壊されてたな。
クラッシャーな上に、カラオケまでの道のり20分の間に本気なセクハラをしてきた。胸を触るとまではいかないが肩組んで
きたり、ローターとバイブの違いを教えられたり、小学生犯してえとか言ってきたり、ホテル行こうかとか言ってくるし。
うわ文章にすると本気で気持ち悪いな。
カラオケに到着した後は酔いが醒めていくだけでほぼ完全ダウンした。
で、カラオケが終わる1時間ほど前から、けっこう本気で幹事を説教する会が始まった。あれはいくら何でもやり過ぎだと。幹事なのにあんなに
飲んでどうするんだ、と。ちなみに幹事はカラオケへの移動の際の記憶が完全にないらしい。
どうやら最大の被害者は私らしい。最もセクハラまがいのことをされていたから。まあ確かに。
さてここからが本題である。私は今回の件について嫌とも何も思わなかったのだ。むしろ別に面白かったから良いんじゃないか、という感じだった。
一応補足だが、私にも幹事にも一切の恋愛感情もない。神に誓って言える。
こんな風に思ってしまう第一の原因は、私が「いじられキャラ」だからだ。私は中学高校と完全にいじられる立場の人間として生活してきた。
私が無意識でする行動が、妙に面白く感じられるらしい。大学ではまさかと思ったが、入学後半月にして「お前いじりやすいよね」と幹事に言われ、
既にこのキャラクターが出来上がってしまっていた。
長年の蓄積で、もはや暴力でもセクハラでも嫌だと感じるような人間ではなくなっていたらしい。いや流石にストーカーだけは勘弁だが。
しかも今回は両者共に酔っていた状態だ。だからそこまで責め立てなくても、と私は逆に幹事がかわいそうに思えるほどだった。
別に気にしていませんから、あんまり先輩を責めないで下さいよ。私は言った。
それが周囲の人々にとっては異常らしく、一人は優しすぎるのよもう、と言い、もう一人は頭おかしいんじゃね?と言った。
さらに、お前は危機感がなさ過ぎだとも言われた。無防備、男に無闇に触り過ぎ、勘違いされるからやめろと。
え、まじか。そう思って自分の今までやってきたことを思い返してみる。
今日はカラオケで男二人がいる部屋で寝ていたような気がする。ああ確かに触り過ぎているような。だって嬉しいから仕方ないじゃないか、
久々に男友達が出来てついじゃれたくなったのだ。他にもネットで知り合った男を家に泊まらせようとしたり。
・・・・・・・あぁ、これはやばくね!?
その瞬間ようやく私は理解した。自分が相当なレベルでまずいことになっていることを。
さて、これから自分は一体どのようにして生きていけば良いのだろうか。
男への過剰なスキンシップを控えるか。
もう少しいじられにくい体質を目指すか。
危機感の無さをどうにかするか。
大人になるとは大変なことだ。