はてなキーワード: アニメとは
ルパンが、クラリスが、コナンが、ラナが、ナウシカが、アスベルが、パズーが、シータが、さつきが、メイが、トトロが、キキが、猫も、豚も、イケメンも、サギも、宮崎駿も全部全部ぜんぶのキャラがでる大甲子園なアニメがみんな見たいよね!?
・後半になればなるほど漫画としての実験的表現が多いので、それをどうアニメに落とし込むか楽しみ
・日常のアニメはアニメ本編95点、マーケティング20点みたいな作品だったので反省を生かせるのか
・どんなに頑張っても人を選ぶ作品だよなあとは思う、日常以上に
・とはいえ13年前よりかはあらゐけいいちの作風に理解のある人も増えたとも思う
・日常と同じ30分2クールは流石に無理か?既に完結している全13巻のどこまでやるのか
・OP,EDはヒャダインか、大穴で星野源、一番アレなのはYOASOBIあたりが来て80点の曲をお出しされること(YOASOBI別に嫌いじゃないんだけど、ここじゃないだろ感がある)
・個人的にヒャダインのカカカタ☆カタオモイ-Cは世界最高のアニソンだと思ってるのですが、超えてきても良いんですよ?
・グッズとかイベントとか増えるんだろうな、楽しみ
・加速度的に面白くなってくる作品なので1話のつかみ頑張ってくれ!感
・日常のハンガリーで録ったとかいうサントラ、なんだよその金の使い方はって思うけど確かに無駄に質感が良いのが分かって悔しい
・次回予告にベテラン声優持ってくるのもなんだよって思うけど面白いから悔しい
・でも別にそういうことはやらなくていいです
・オープニングでまたグイイイイイイインって迫ってくるやつやるのかな
・これはやってほしいです
・まあ多分実際に放送されたらしかのこみたいな雰囲気になるんじゃないかなって思います、おもろい!って人と1話でやめました、って人に分かれるのかなと
・とりあえず自分は動く南雲とかにーくらとかマカベエとか本官とかタナベさんとか鬼カマ先生とかサッカー部とか光岳とか見れるだけで嬉しい
本日、9月21日に京都アニメーションの新作発表会が配信された。
それにしても、京アニはジャンプとなろう系のアニメをやらないのかね。
この2つは最も人気のあるジャンルだ。雑に儲かる。
そんな最大の売れ線を京アニがやれば、まさに鬼に金棒と言ってもいいだろう。
ある晴れた春の日、俺は公園のベンチに腰掛けていた。周りには満開の桜が咲き誇り、花びらが風に舞っている。そんな穏やかな日常の中、ふと目に入ったのは、パヨクと呼ばれる人たちが集まっている光景だった。彼らは「平和」や「人権」をテーマにしたプラカードを掲げ、熱心にスピーチをしている。俺は思わず眉をひそめたが、同時にその姿に興味を惹かれた。
「おっぱいぽよんぽよん」とは、何のことだろうか?彼らの主張の中に、そんな言葉が混じっているのを聞いて、思わず笑ってしまった。ネトウヨの俺としては、彼らの意見に反対する気持ちが強いが、その無邪気さにはどこか愛らしさを感じる。彼らは真剣に社会を変えようとしているのだろうが、その姿勢が時に滑稽に映ることもある。
俺は子供の頃、アニメや漫画に夢中になっていた。あの頃は、何も考えずに楽しむことができた。今は、政治や社会の問題に頭を悩ませる日々だが、時にはそんな無邪気な気持ちを思い出すことも大切だと思う。パヨクたちの「おっぱいぽよんぽよん」という言葉には、そんな子供のような無邪気さが宿っているのかもしれない。
公園の一角では、子供たちが遊んでいる。彼らの笑い声が響き渡り、俺の心を和ませる。大人になると、どうしても現実に縛られ、自由な発想を忘れてしまう。ネトウヨとしての立場を持ちながらも、時にはパヨクたちのように、自由に物事を考えることも必要なのかもしれない。彼らの主張には賛同できない部分も多いが、彼らが持つ情熱やエネルギーには感心させられる。
「おっぱいぽよんぽよん」という言葉が、何かの象徴のように思えてきた。軽やかで、自由で、時には無邪気さを忘れないこと。それが、俺たちが忘れかけている大切な感覚なのかもしれない。ネトウヨとしての立場を持ちながらも、パヨクたちの存在を否定することはできない。彼らもまた、自分の信じる道を歩んでいるのだから。
結局、俺は彼らの主張を理解することはできないが、その存在を尊重することはできる。おっぱいぽよんぽよんのように、軽やかに生きることも時には必要だ。そう思いながら、俺は再び桜の花びらが舞う空を見上げた。春の風が心地よく、少しだけ心が軽くなった気がした。
奥さん聞いて下さいよYouTube開いたらべらぼうにクレイジーな動画が上がってたんです
では一緒に『崩壊3rd』 x 『崩壊:スターレイル』コラボメイキングエピソード動画を見てみましょう
https://www.youtube.com/watch?v=-Fpjv3N106k
どんだけ花火……いや爆発が好きやねん
このおっさんたちめちゃくちゃ楽しそう
ここは本当にやりたいことやってる会社ですわね
ゲームをIPビジネスの道具に貶めて小競り合いしてる所は見習ってほしいくらいですわ
二次創作もゆるくて公式がクリエイターを支援して発表の場をつくってるオープン気質なとこも好きよ
日本人クリエーターが作ったファンアニメで最近すげーの見つけたんですよ
俺はこれを娘と見ていたのだが、娘が「猫背のまま虎になりたい?どういうこと?」と聞いてきた。
いきなり娘に山月記の話を始める自意識歪めママにはなりたくなかったので「虎みたいに強くなりたいってことだよ」と説明した。
ああ、なんてことだ、本来の意味の3割ぐらいしか伝わっていない。
「猫背のままで?」と娘は返してくれなかったので、ただ「強くなりたい」という歌だと思ってしまったかも知れない。
でもそこで掘り進めるのは感想押し付け狭量ママみたいだから辞めた。
でもそれは弱いままの自分に対して否定と肯定を織り交ぜた強さだ。
李徴のように自意識過剰な自分の存在に対して「心が弱いままでも、物理的には強くなれるなら、そんな不健康な強さを自分のロックとして貫きたい」と宣言している、はずだ。
ギターヒーローとしての強さと、後藤一人としての弱さ、その二つを合わせた自分を「ぼっち・ざ・ろっく」として肯定してくれたことで、走り出した思いを載せた歌詞、のはずだ。
だから「虎」が意味しているのは「強くなりたい」では不正解なのだ。
「猫背のままで」と合わせて2回分の弱さと1回分の強さで、2:1で弱いに偏ったままの歪な強さ、それしか出来ないならそれを目指すという決意なのだ。
たとえば世の中によくあるのは「健全な精神と健全な肉体の両立。つまり強くなることで両方手に入れる!」という完全に前のめりな精神、最終的に0:1で強さが圧勝する強さ、それを目指すことが肯定されがちだ。
そんな世界に押しつぶされ、自分を偽りながら手に入れた見た目だけは0:1だけど実際には1:1の強さなギターヒーロー、そして結局残った1:0で切り捨てた弱さばかりの自分の心、それらを混ぜ合わせて生まれる2:1の弱さ多めの強さ。
「ぼっちちゃんのロックを」と背中を押されたことで、弱さ成分多めなままの自分を光の下に曝け出すことを選らんだから手にした1:0じゃない自分、それが「猫背のままで虎になりたい」なんだって、俺は思ってるから。
でもこんなこといきなり言われても相手は困るだろうな。
一生始まらないんだ。
なんてことだ。
10年ぶりぐらいかな?いやー、正直驚いたね。駅を出た瞬間、ヨドバシAkibaの大きさに圧倒されてさ、こんなの昔あったっけ?って。
10年前は確か、こんなに大きな家電量販店はなかった気がするんだけどなぁ。
周りを見渡すと、すっかり様変わりしていて、なんだか一瞬ここが本当に秋葉原か疑っちゃったよ。
昔よく通ったあのパソコンパーツのお店、ドスパラとかツクモはまだ健在だったけど、全体的に商店街の雰囲気が薄れてきてる気がする。
新しいビルがどんどん建っていて、特にアトレ秋葉原なんておしゃれなカフェや雑貨屋が入っていて、ここアキバ?みたいな感じ。
ラジ館もリニューアルされてて昔のくたびれた感じがなくなって、なんか都会的になっちゃったなーって思って歩いてた。
でもさ、@ほぉ〜むカフェは健在で、そこだけは全然変わってなくてちょっと安心したんだよね。
10年前もここでメイドさんに「お帰りなさいませ、ご主人様♡」なんて言われて照れ臭かったなぁ、なんて思い出しながら入店したわけです。
店内の雰囲気は相変わらず。
青臭い学生時代にタイムスリップしたみたいで、何だか目頭が熱くなってしまった。
そういえば、昔お気に入りだったももこちゃんはどうしてるんだろうなーなんて思ったけど、流石に10年も経ってるからね、居るはずもなかった。
メニューを見てみると、懐かしの萌え萌えオムライスを見つけて、迷わず頼んだんだ。あのケチャップでハート描いてくれるやつ。
で、オムライスを食べていると、近くの席のオタクたちの会話が自然と耳に入ってきた。
彼らは熱心に呪術廻戦について話してて、五条悟の強さについてとか、アニメの作画が神レベルだとか、聞くつもりなかったけど、声がでかくてね、つい聞いちゃったよ。
その二人のオタクが話してる様子を見てたら、ふと大学時代の自分と友人を思い出して、なんか微笑ましかったんだ。
俺と友人も昔はここでこうやって熱くアニメとかゲームの話してたなーって。
そう考えると、時代は変わってもオタクの情熱は変わらないんだなって、妙に安心した。
オムライスは美味しかった。店を出て、ふと空を見上げると、秋だっていうのにまだ熱気が残ってる感じがして、その熱気がこの街には似合ってた。
でも、根っこの部分は変わってないんだなって感じがして、なんだかほっこりしたよ。