はてなキーワード: アカポスとは
査読システムも万能ではない以上、それに代わるもしくは補完するシステムがあるのであれば、
それについてまじめに知りたいし、取り入れるべきだと思う。
逆に聞きたいんだが、理系は査読論文でさえあれば、なるほど一安心、信用できるね! って思考停止するの?
しないでしょ? 論文の内容を精査し、瑕疵があれば自分の論文の中で「誰々という学者が書いた何々という先行研究のここはおかしい」って批判するっしょ?
査読論文をたくさん書いてる研究者なら、ろくずっぽ論文を読まずに准教授に採用したりするの?
しないでしょ? 候補者を絞り込んで、どれどれこいつの論文を読んでみるか、なんだサラミばっかじゃねえか、こんなやつ不採用だ、ってなるっしょ?
文系も同じだよ。発表された論文を読んで、新規性とかをチェックして、良い論文なら褒めるし質の低い論文ならそれなりに扱う、それだけのことだよ。別に普通の営みじゃん?
そのプロセスの一部に査読を噛ませるのはわかるよ。査読論文の方が信頼性が高いのは文系も一緒だよ。ろくな学術業績もないくせに一般向けの本でテキトーなこと放言してる学者は白い目で見られてるよ(「ハーフは劣化」発言の自称若手社会学者を学問的に高く評価してるやつなんて私ゃ見たことないよ)。
一般向けの本の売り上げだけで採用してる大学も、ひょっとしたらあるのかもしれない。そいつらがなんちゃら大学教授の肩書であっちこっちで発言してたとしたら、その大学は腐ってるなと思うけど、そいつらは学問の世界じゃハナから相手にされない。仮にそういうやつがいたとしたら、それは大学が広告塔として三流学者にアカポスをくれてやってるだけだ。学問じゃなくて大学が腐ってるんだよ。
査読の重要性は否定していないし、学問にとって独創性とかそういったことが必要なことも当然でありそこについて議論する気はまったくない。査読なしでも良い論文は有り得るしそれは業績として認められるべきだ、というだけの話に何でこんなに説明が必要なのかマジで理解できない……
ブクマのざっと9割がアンチ左翼ないしアンチ・リベラルなコメントになってるじゃない。
約7年ぶりにはてブ見るようになって驚いた。
アンチ左翼IDと言えば、偏差値の低そうなネトウヨに2ch思想botみたいなnekoraさんとか合わせても片手で足りるぐらいの数しかいなくて。
俺が東日本大震災で精神的打撃を受けてネット論争から遠ざかっている間にはてブに何があったの?
民主党の挫折のせい? みんなアベ政治やトランプ政権に迎合しちゃったのかい?
それとも、院生やポスドクだったはてサたちが目出度く常勤アカポス見つけて(あるいは研究を諦めて実家に帰って)みんな引退したとか?
むしろ起業したほうが「そんなことどうでもいいから、俺の満足を満たすためにお前不愉快に耐えろよ」という話ばかり。
こんなもの思いつかなかったほうが良かったな。
いや、もっとだいぶ前にさかのぼって、人間トラブル起こさず、大企業に勤めてヒラメ的な人生を歩めば本当に良かった。
この日本のthe村社会、同調圧力から逃れられるような海外に行きたいな。
かと言って、どこ言ったって、開発に時間がかかるようなものをやってる以上、足元見られる人生なのは変わらんか。あと少しだと思うんだがな。
やっぱり思いつかなかったほうが良かったんだろうな。
これを実現したいという気持ちもありつつ、どうせぞんざいに扱われるの感じるし、それは悲しいからから、このままなかった技術に今からできないだろうか。俺の扱われ方見たら俺の利益にはならんのだし。
100年前、恐慌の対策として、ケインズ主義とマルクス主義(共産主義)が、生まれ、2つの陣営に分かれてどちらが優れてるかを争った。
実は、初めの頃勝っていたのは共産主義だった。有人宇宙飛行を先に成し遂げたのは共産主義陣営。
熾烈な競争の末、最終的には官僚主義の非効率化で負けたのは共産主義ではある。
負けた理由は、成果を出しても出さなくても意味がないから。官僚主義だから。
勝ったのは本当はケインズ主義ではあるんだが、ケインズ主義も勝つ直前のオイルショックに対処しきれなかったからと否定されてる。
で、ケインズ主義から新自由主義に転換して、初めの10年は確かに良かったんだが、その後失われた30年を作っている。
様々な分野が崩壊しているのがわかる。
医療もそうだし、オレは大学研究に近いところにいるからそれは感じる。
大学研究側は本質でない雑用で苦しめられる。そのひとつは助成金がらみの大量の書類だ。でも、助成金を取らないともう研究が成り立たない。
かつ、アカポスが本当に短すぎるし、数も少ないし、取れなかったらお前死んでねという世界だから、腰を据えての研究ができない。
故に小粒の研究しかしなくなったとは言われる。万が一にも挑戦的なテーマに挑戦して失敗したら、本当に人生が詰むから。
医療も同じだろう。なんとか金を減らせ。その元犠牲になるのは「献身的な医師」の過重労働だ。それすらも限界になったから、
自分自身の生活の質を高めようと思えば、逃げて楽な分野にいかないとならないということになる。
それは、小粒な研究で確実に成果を積んでいく=逃げて楽な医療業務で実績を詰むというのと似ている。大学研究側と同じ構造的な問題である。
企業の成果主義についても言える。まずは予算削減ありきがあったため、挑戦的なことをして失敗する惨劇が多すぎたから、どんどん挑戦的なことをしなくなった。
一方で減点主義が蔓延した。なので、大した成果ではないが失敗しないことばかりでの成果を皆狙うようになった。評価だという事で、書類ばかりは増やしてな。
これも、まず、自分の人生のために逃げて楽な仕事で成果を上げることを狙ったがゆえの結果だ。
いずれも、トップがこうだという元、官僚主義的に書類を増やしていく、だが、あくまでかける金を減らしていったからの惨劇だ。
ホントの新自由主義じゃないと言い出す奴がいるのは勝手だが、この現状は「効率的な予算配分」「小さな政府化」の名のもとに
まず新自由主義の元、競争で使う金を減らすという前提で生まれている。だから、予算削減型新自由主義と名付ける。
新自由主義の理念の一つとして「小さな政府化」というのがあるから、この現状は新自由主義の副産物だ。