悪質な恣意的切り抜きだな
業務妨害になるぞ
スロープ、⾞いすスペース、⾞いすのお客さま⽤のトイレをご⽤意しておりますが、劇場によりご⽤意のない設備もございます。⾞いすスペースは数に限りがございますので、あらかじめご了承ください。
⾞いすスペースでのご鑑賞をご希望の場合は、e席リザーブでのご予約はご利⽤いただけません。ご不便をお掛けいたしますが、劇場の有⼈窓⼝までお越しいただくか劇場までお問合せいただきますようお願いいたします。
またお座席への移動については、安全性の確保の観点から、弊社スタッフが⾞いすやお⾝体を持ち上げる対応は控えさせていただきますが、スタッフの肩や⼿でサポートすることは可能ですので、お気軽にお声掛けいただけますと幸いです。移動される際のお座席は、お客さまとお話した上で⾮常時のお客さまの安全を考慮した座席を提案させていただきます。お座席への移動が難しい場合は、⾞いすスペースにて、⾞いすのままご鑑賞いただきますよう重ねてお願い申し上げます。
ゲームがいくら上手くても顔についての誹謗中傷ばかりくる、気の狂ったガチ恋が湧く、マジの気狂いやストーカーが湧く、オタクに媚びないと女叩きが沸く、チン凸やキモDMがどちゃくそ来る、ゲームが下手くそな頭の悪いミソジニーガキが荒らしにくる、男に比べてあまりにも加害が常態化してる
昨日会ったとき、痔になった話をされた
とても驚いた
なんかアパレル店員みたいな暮らししてる人だし、その子の顔と痔が結びつく?イメージがなかったから
内容はまあ笑い話だったんだけど、めちゃくちゃ痛いんだよ〜って言ってて気の毒だった
自分は逆に痔になったことがないから、俺のケツでもいいのなら交換してあげたいと思った 可哀想に
寝る前にその話を思い出したらちょっと笑いそうになった
いまだに進歩してねえ
ドラム式洗濯機人間版みたいなのに入れば歯磨きも風呂も終わるようにしろよ
あと傘
ドラえもんででてきたみたいな雨避けセンサーみたいなのいまだにないんか
それでても結局あしもと濡れるしさー
カッパてwwwwアホかよwwww
ancient_tarako 職場で貰って嬉しかったお菓子発表増田
あっ限界OLギリ子の最新話の好きな総菜発表ギリ子もこれが元ネタだったのか
点と点がつながった
https://rookie.shonenjump.com/series/EmTZ65sk4do/EmTZ65so4Ok
ここ4日くらいまともなメシ食ってないけど家に引きこもってれば影響ないことが改めてわかった
逆にその状態で外出て歩いたりするとエネルギー不足で体調悪くなるから
仕事やめてもひきこもって飯食わなきゃ生きていけるんだなーって思うとまた仕事やめたくなってきたわ
住民税とかも無職なら最低ラインになるからそこまで負担じゃないし
psplusもあと10年くらいは入ってるからゲームにも困らんし
それがなくなりそうになったら保険解約すればまた1000マンくらい入るし
アラフォーだからぜーたくしなけりゃ60くらいまでいけるかなー
親がはやくしねば遺産も入るだろーし
年金は免除でへるかもだけどDCが400くらいあるからそれもあるし
ぶっちゃけ独身男性なんか早く死ぬから年金うんぬんとか考えても無駄なんだよね
R指定はわかったけど一緒にやってるこいつは誰なんだよこのパーソナリティっておもってたけどBBBBでこいつがDJだってしって衝撃だったわ
https://mainichi.jp/articles/20240418/k00/00m/040/267000c
児童らは、ゴミに気づいた男性に「このゴミはあなたたちのゴミですか」と尋ねられ「違います」と答えたが、
孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。
『サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身で一人二役して会話していた。
それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまりに一面的すぎる。
それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独も存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評の領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。
だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。
これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。
仮に合意形成の結果から相手の心理状態が類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。
復讐の意図を弱者男性が持ってるかは動機の主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。
これはデイヴィッド・ベネターが統計を引用して例を挙げてるが人というのは身体障害、知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己の幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。
どの立場であれ心理的抑制や環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。
━━正当防衛、一般に正当防衛が道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義のほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全が問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまりに人間的』
そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価で正当防衛の基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。
一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造に寄与している。よって社会的機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者の価値付けの基礎となる社会の進歩・前進はありえない。
社会的弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在は搾取する主体である強者が必要としてるからこそ残り続ける。
つまり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマも流行を規定するモードが存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である。絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者が剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)
万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態を規制しているのは社会的報酬である。それが除かれた場合、上記の行為が当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。
しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人が社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群の智慧である。