ここまで解釈が乖離するのはなぜなんだぜ、というのもあるだろうな。
例えば不気味の谷とかは、全人類があんまりブレることなくある写像に一致するもんだと思うんだけど、こういうエロ問題というのも一昔前ならば暗黙の了解が成立したと思うんだよね。(昔の方がエロ映画のポスターいっぱいあったというのはまた別の話)
でも、Japanはオタクカルチャーというニッチなドメインをもっこりさせちゃったせいで、つまりは多様性を生み出し過ぎちゃったせいで、国が二分されてしまった。
こんなバカなことで議論しているのは日本だけだろうな。よその国ではこんなあたりまえに答えが出る問題で意見わかれることないと思うよ。
いなかったよ
不愉快にさせられない権利などというものは基本的には存在しない。
名誉毀損罪や侮辱罪はそれが本人に言われたことではなく、外部に伝わって社会的な名誉が貶められる事を問題にしている。
猥褻物陳列罪などの表現規制は風紀や道徳を守ることを目的にしており、それを見た個人が不愉快になることを問題にしているわけではない。
これはもちろん建前的な部分もあるのだが、こういう法的な立て付けも知らずに権利がどうこう言い出すのは不誠実だ。
ときどき「うちの職場にいる分には美人で通るけど、プロのモデルとか女優と比較されたら厳しいだろうな」という容姿の人を見かけるんだけど、あのぐらいの容姿の人ってどういう自意識で生きているのか気になる。
私がそういう容姿だったら普通のOLとかになって職場の花としてちやほやされて生きたいと思うけど、周囲の人に「可愛い、キレイだ」と言われ続けると、「ひょっとしたら私、モデルとか女優になれるかも」とか思っちゃうんだろうか。
逆にアイドルとかで周りが皆可愛い子ばかりだと、自分の顔の些細な欠点が気になって、素で充分可愛いのに整形地獄に落ちたりするんだろうか。
私は一番若くて美しいはずの年頃に容姿コンプレックスの塊で、ろくにお洒落も化粧もせずに過ごしたので、そこそこ容姿に自信を持てる状況で生きてきた人の思考回路がどうなっているか気になる。むしろ歳をとってからの方がモテないこともさほど美人でないことも気にならなくなった。
学生時代に一緒のサークルで一番の美人と思われていた子は、充分自分の美しさを分かっていたが、そのわりにはそれほど男を選り好みするでもなく、とにかく告白してきた人のと付き合っていたらしい。その気になればもっと高望みして、名門大学でいい就職ができそうな人と付き合えただろうに。まぁ「(恋愛では)自分が優位に立ちたい」とか言ってたので、とにかく自分を大事にしてくれて「私が付き合ってあげてる」みたいな感じに浸れる相手が良かったのかも知れない。
そういう容姿の人が意地でも美貌を生かせる仕事を望むのか、とにかくちやほやされて人生イージーモードになる道を選ぶのか気になる。やたら収入の少ない地下アイドルとか二流・三流のモデルになるぐらいならそこそこ給料が良い職場で、いい男をつかまえられる道を模索する方がいいと私は思うけど。
自称美人の人、自分ならどういう道を選ぶか(あるいは選んだか)を教えてほしい。もっとも、そのぐらいの美人だとどの程度自覚があるか難しいところだ。
オーナメントでも飾ろうかしら
アンパンマンの絵でPRするのは全く問題ない→全員が納得するはず
ただ、今回の問題で単純でないのは、
1、その線引きがどこなのか?
の2点だ
そしてこの2点は主観によって完全に変わるし、客観的に定義することはできない
例えばおまんこの写真がダメ度10、アンパンマンの絵がダメ度1としよう
そして、ダメ度7以上が献血ルームに貼れないと思っている人もいれば、ダメ度9までは許されると思っている人もいる
そして、宇崎ちゃんの絵がダメ度3くらいと思ってる人からダメ度8くらいと思ってる人まで幅広く存在しているように思う
さらにダメ度8に感じている人同士でも、いいやろとダメやろは両方出てくるはずだ
宇崎ちゃんポスターがいかにダメなのか、を必死に伝えようとしている人は、結局、「私にとっておまんこの写真が貼られているのと同じなんです」ってこと
そう感じるとすればダメなのわかるでしょ?と言えば、お前がそう思うんなら確かにダメだな、って思うし、「私にとってはアンパンマンと変わらん」と言われれば、確かにお前の中では問題ないな、ってなる
今回の件で議論が成立するとすれば、「宇崎ちゃんはダメ度8だよね」が共有できる間柄の中だけで、8はアウトなのかセーフなのか?という内容だけだ
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/pinq4387/20191001/20191001091242.jpg
本当に?そう思う?
モフモフ社長( id:shields-pikes )です。
shields-pikes『批判対象の理解が甘すぎて、批判の根拠が主観でしかないのが、非常に残念。そもそもあの表情がは煽り顔で、アヘ顔(性的絶頂の表情)でないことは明白なので、漫画文脈の読解力も低く、無駄に議論を混乱させてる。』
と、このようにブコメにも書きましたが、この人は意見があまりにも拙くて、反論どころかフェミニストの味方を背後から誤射しているレベルです。
https://anond.hatelabo.jp/20191016150214
しかし、作品としての表現が許容されるかどうかと、公共の場に掲示されるべきかどうかは全く別の問題である、という論点はしっかり議論されるべきだと思うので、このまま有耶無耶にしてしまうのはもったいないです。
ということで、論点を整理しつつ、検証してみます。結論から言うと、論点は6と8のみです。
1.漫画作品としての表現と出版の適切さについて → 法令を遵守しているし、全年齢向けとして露骨な性的描写もなく、雑誌や単行本としてもゾーニングされているので全く問題ない。女性を性的に消費している表現は実際のところ存在するので、作品に対する意見や批評の余地はあると思うが。
2.この作品がコラボ企画としてポスターに起用されることについて → 人気漫画なので、グッズがもらえるコラボキャンペーンでそのファン層を献血のターゲットにしたいのだろう。関係各所が問題視していなければ問題ない。ちなみに、セリフ以外のイラストは3巻の表紙の流用である。
3.このキャラクターが起用されることについて → ウザ絡みしてくる後輩の巨乳女性である。胸が非常に大きい点が目立つが、それだけで不適切なわけではない。キャラクター自体が犯罪者や変態性欲者などの公的に不適切な存在というわけではない。
4.このキャラクターがこのセリフで起用されることについて → 原作の世界観とキャラ設定に則ってネタ消費されている。ポスターとしては若干攻めている表現。献血未経験者に対して、上から目線の煽りで多少の毒があるが、ファン向けの話題作りとしては問題ないレベル(そもそも今回はそこが論点ではない)。
5.このキャラクターがこの服装で起用されることについて → 黒のシャツワンピ?もしくはワイシャツ&スカートにエプロン姿。カフェ店員の制服として、特に扇情的な服装ではない。
6.このキャラクターの服装や身体の描き方について → 大きな論点。シワの描き方は一般的で、性的な要素はない。しかし、かなりタイトでピッタリしたサイズ感の着こなしで、胸が大きすぎるのでその部分が強調されているのが気になる。リアリティ描写としては、胸のボタンの間に隙間が出来るはずだが、それをあえて書いていないのはもしかして性的な要素を減らすためかもしれない。そのため、いわゆる風船のように膨らんだ乳袋っぽくなっているが、形状はそこまで不自然ではない。もし胸部をリアルにシワを書いていたら、より性的に見えていたはずだ。また、乳首などを表す陰影もない。手や顔などの部位も総じて、性的に描かれているわけではない。ただ、性的魅力をアピールするようなイラストもしばしば描く作者が描いているものなので、色っぽさの残り香のようなものはあると思う。そこが批判の対象になっていると思われる。
7.このキャラクターがこの表情とポーズで起用されることについて → あれはアヘ顔ではなく、ウザ絡みしてる時のニマニマ煽り顔。少し頬を染めているのは煽りで興奮気味なのと、話しかけてる相手の先輩が好きだから。これ自体には特に問題はない。ポーズも相手を馬鹿にしてる時の芝居がかった一般的な表現だが、公共ポスターとしては若干攻めているかもしれない。
8.総合的に、このキャラクターが公共の場に掲載されることについて → ここが最大の論点。秋葉原の献血所のみに掲示するのであれば、文脈を含めて特に性的なものではないと理解されやすいが、いわゆる萌え絵(死語)的なイラスト表現に慣れていない人も多い他の地域に掲示されるのは意見が分かれると思う。15年ほど前までは、そもそもマンガ表現を広告クリエイティブとして公共の場に出すこと自体の是非もあったが、今はアニメや漫画がひとつの文化としての市民権を得ているとされている。しかし、ここの前提は「市民権を得た」「慣れた」で済まさずに、もっと議論すべきだと思う。
まとめると、
8.= このような画風のイラストを公共の場に掲載するべきか?
の2点が重要です。そして、この2つは密接に絡み合っています。その他の議論はノイズなので捨ててください。
6は、漫画に慣れている人にとっては、これなら特に性的というほどでもない、という意見が大半ですが、このような画風や記号的表現や文脈に慣れてない人にとっては誤解を生みやすい。逆に、漫画ばかり読んでいる人は性的な表現文脈に慣れすぎて麻痺してしまっているのだ、という反論もそれなりに説得力があります(後述します)。
8は、6と直結するのですが、慣れてない人にとっては若干不適切で性的な表現と誤解されやすい表現を公共掲示物で使うべきか、ということになります。万人受けする無難なものだけを狙うなら、コボちゃんやアンパンマンなどのイラストを使えばいいでしょう。しかし、それでは若年層のオタク向けの広告としての効果は低い。2.や4.で指摘した通り、ここはターゲット層を獲得する目的とのトレードオフです。
一方で、仮にあのイラストが性的な視点を含むものだったとして、それを掲載することが生む具体的な問題とは何か、という点も議論が必要です。
困惑する、不快感を覚える、性的消費を連想させてトラウマが蘇る、性的消費を助長する、子供に見せたくない、教育上不適切である、などの意見があるでしょうか。
これ、難しい問題なんですよね。人によって判断基準が違う。無修正画像でも平気な人もいれば、サザエさんのワカメちゃんパンツでも困惑する人もいるわけです。
出版物であれば、この線引きはR15、R18などの年齢指定のゾーニング基準に任せるのが一般的ですが、公共掲示物のゾーニング基準は、それよりも少し厳しい基準で別途で設けた方がいいかもしれません。
この「公共掲示物専用のゾーニング基準を作ること」こそが、この文中での最大のソリューション提案です。
最後に、漫画ばかり読んでいる人は性的な表現文脈に慣れすぎて麻痺してしまっているのだ、という反論について。
ここは、本来は原作の作品や編集姿勢、漫画業界の歴史と今のトレンドをフェミニストとして真っ向から批判するべきなんですよ。
ただし、公共掲示物で使うべきか云々という論点といっしょくたに批判すると論点がズレます。判断基準がより厳しくなってしまうので。
なぜか、ポスターの批判をする人は、ゾーニングされた作品や原作を趣味で読む分にはいいんですよ、という人が多い。
柔軟な姿勢を見せて理解を示してるつもりかもしれませんが、まずそこが不可解です。フェミニストなら、まずそこを批判すべきなのではないですか?
男女同権を推進するスタンスなら男性の性的消費もさらに促進すべきですし、
性的消費表現を規制するスタンスなら男女同時に性的消費を助長する表現を批判するべきです。
ルッキズムを批判するスタンスなら、ダイバシティ文脈も踏まえて、美形だけでなく多様なキャラクターのエロを出すことを推進すべきです。
また、児童への偏った性的嗜好への偏重を憂えるなら、フェチズムではなくストレートな性行為のみを描くべきだと、主張するでしょう。
さらに、身体性の復権を求めるなら、局部表現の規制によりフェチズムに傾倒した業界を正すために、無修正表現の解禁を推進するでしょう。
なんだ。ツリー復活してるじゃん。