2016年12月21日の日記

2016-12-21

BCAAを飲んで鬱なのか真冬で鬱なのかわからない

BCAA飲むと鬱になるって誰か言ってたけどあまり信じてない

真冬で日照時間少ないか無気力なのか

昔、キュレーターやろうと思ったけどさ

著作権の話読んでると混乱してきたから出来なかったんや。引用だらけやし。

おまけに調べると案外まとまったサイトが出てくるもんだからこの記事いらなくね?と思ってしまう。

キュレーターはその壁を超えるか深く考えてないかをしないと出来ないんだと阿呆なりに思った。

あやね

おっぱいに顔をうずめるか

しりに顔をおさえつけてもらうか

ふとももに顔をはさまれるか

とても迷う

どちらにしても最後に「ほんとへんたいさんですねー」って言ってほしい

JASRACだって登録しなければ管理されないだろ

普通に商業流通に乗せればJASRACになるんだろうけど

ネット自分でアップした自作コンテンツ勝手に利用されるような仕組みはJASRACも何も全く無い

http://anond.hatelabo.jp/20161221110940

TCGなんてそもそもルールの単純な麻雀みたいなもんだろ。

その麻雀ですら上手くなれば最後は運の比重が9割を超える。

運が絡むゲームってのは全部最後はそうなるんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20161221174702

他人がイージーに使えて、そのぶん著作権者利益還元されるような仕組みではだめなのかなあ

PPAP恋ダンスのようなみんなで真似して盛り上がれるコンテンツが求められている背景には格差社会が隠れている

同じ行動をすれば容姿学歴収入も気にならんしな

格差拡大してるアメリカでもマネキンチャレンジとか出てきてるしさ

http://anond.hatelabo.jp/20161221174448

せめて、休会と退会の2つに分けて、

・休会ならいつでも再申し込みで再開可能過去の視聴情報を引き継げる

・退会なら経理必要情報以外はすべて削除する。

ぐらいになっていないとなぁ

http://anond.hatelabo.jp/20161221112634

多分ある程度レールができたら

互助会連中が乗っ取ってくれるから大丈夫だよ

とあるガチヲタクの話

私はガチヲタクである

現在の推しに対してだけでなく、多分ガチしかできないヲタクなのだとおもう。

これまで、自分の中の一番だった異性に対しては、その度にガチで恋をしてきた、つもりだ。

つい半年ほど前まで、私はあるジャニーズタレントガチヲタクだった。学生時代から9年ほど、ずっと彼と結婚したいと思ってたしどこかで出来るかもしれない、と思っていた。当然、お金を積んで良い席にも入ったし、ファンレターを書いたりしたけど、夜の仕事やそれに近いことをする勇気はなかったし、自分の出せる範囲ギリギリお金と体力を使ってヲタクをしていた。

多分、どんな手段を使ってでも彼に覚えてほしい、とか、繋がりたい、とか思っていなかったのは、いつかタレントになって彼と同じ立場で恋に落ちたい。と思っていたからだとおもう。

でも、例に漏れメンヘラの私はいつも病んでいて、最後のほうは彼のどこが好きなのか、彼をほんとに好きなのかわからいくらい、彼を憎いと思う感情が勝っていた。勝手に傷ついて、勝手に怒って勝手に嫌いになって、どれだけ理不尽で邪なファンであるかはわかっていた。だからこそファンとしていつも自信がなくて、「私なんかファンじゃないほうがいいよね。」とか病みツイートを1週間に一回は垂れ流していた。

昨年、この呪縛を解く人に出会った。

出会ったというより、見つけてくれた、彼は。

一人のジャニタレに一途になるのはつらすぎて、兼ヲタをして気持ち分散するという術を得た私は、その頃別分野のステージに夢中になっていた。大好きなキャラクターがいて(これは現在進行形だが)このキャラクターに対しても、ガチ恋のような感情を抱き、この子に構ってほしい。気づいてほしい。という気持ちで毎週通っていたし、手作りのグッズも作っていた。

ある公演で、いつも通りそのキャラクター手作りグッズを抱きしめていた私を見つけてくれたのが彼だった。

わたしの好きなキャラクターと同じ括りで出演していた彼が、私を構ってくれたのは不思議なことではないとおもう。今までも、コンサート舞台で、一番好きな彼以外に構われることはあったけれど、だからといって、「一番好き」が覆るような、尻軽な女ではないことは自負している。

なぜあの時が、私が彼に向かうきっかけになったのか。今考えるとそれは、ヲタクである私を認めてくれた、と思ったからだとおもう。

彼は、ヲタク気持ち悪いとか、下に見るような人ではない。

真っ直ぐな気持ちを、そのまま受け止めてくれる。そういう人だ。

から、私を構ってくれたのかどうかはわからないけれど、私は、「この人は私が○○を好きな気持ちを認めてくれた。」と思ったのだろう。

その頃もジャニタレガチ恋していた私は、他の異性タレントに夢中になることすら浮気心だと思っていたので、負い目を感じながらも明らかに彼に夢中になっていた。

彼に気づいてもらえるように、構ってもらえるように、出来ることは全てした。結局は、ファンサ厨であり認知であるわけだが、本心で、認知されたいわけではなかった。

ただ、彼が私を見てくれたり、私に笑顔を向けてくれればそれが嬉しい。そういうものが欲しくて必死になった。

けれど、彼は私が彼のファンになった途端に私を見なくなった。

彼のファンがいるあたりを見なかったのか、私がいるから見なかったのかはわからない。

けれど、わたしの浮き足立っていた心はスンッと冷えたことを覚えている。

この人は自分ファンになったら干すんだ。

じゃあどうしたら見てくれるのか、構ってくれるのかを必死で考えた。さら必死になったりもしたり、彼の演じるキャラクターのグッズを手作りしたりもした。

彼は私の目を見てはくれなかったけれど、そのグッズへの視線を感じて、私がいることはわかってくれてるんだ、と思った。

そして、考えに考えた結果、彼は自分ファン自分必死になって、その作品を見ない事、感じない事に傷ついているんじゃないか、と思った。

彼は演じている間も、あからさまに辛そうな顔をしていた。他の人にわかる程度なのかはわからないけれど、ファンになったばかりの私が気付く位には傷ついていた。

からこそ、私はちゃんと作品を見よう、愛そう。それが、私を見つけてくれた彼に対する誠意だ。と信じて、他のファンと小競り合ったり、ピリピリした空気を出したりせずに、純粋にその公演を楽しむことにした。

確かに、彼のファンになったきっかけは構われたあの日。だけれど、彼のパフォーマンスに夢中になっていた。この時にはもう、だれよりも、彼のパフォーマンスを見ている時が幸せで、楽しかった。

そして、この公演の千秋楽

彼は私がファンになってから初めて、目を見て手を振りかえし、頷いてくれた。

それからは転げ落ちるように彼のファンになっていき、いつの間にかジャニタレへの長年の恋愛感情も消えていた。

その代わりに、彼へのガチ恋はどんどんと拗れていった。

今、なぜこのブログを書いているか

それはもちろん辛いかである

彼を見ているだけで楽しい幸せと思えた時間は、どうして長く続かなかったのだろう。

やっぱり私が邪なヲタクからだろうなあ。

彼が頷いてくれたあの日わたしの頑張りを認めてくれたと思った。私が出した答えが、正解だって、示してくれたと思った。

彼はそういう人なんだ。彼にとって正しくないことをすれば、それ相応の態度を示される。その代わり、正しいことをすれば、些細な、大きな、ご褒美をくれる。

彼に見つけてもらえてから一年が過ぎて、彼は私がいるとほとんど必ず見つけてくれるようになった。

どんな場所だとしても、私が頑張らなくても、正しいことをしている私は彼が見つけてくれるし、ご褒美をくれる。

私は特別だと思った。

彼のことを特別わかってるし、彼もそれを知ってるから優しくしてくれる。

だって他のファンの人たちは視界に入っていなくても、私がいれば二度見してくれる。

私がいるのといないのじゃ違うの?私かどうかをそんなに確認したいの?

他のファンとは違うんだ。私は大事にされてるし、特別なんだって思った。

毎日幸せだった。会える日も、会えない日も。

彼にとって特別存在なんだって思えて自信が持てた。

私が何をしても、彼の目の前にいけば彼は認めてくれる。

どこで傷ついたとしても、私がどれだけ人間としてクズだとしても、彼を好きなことは彼が認めてくれてるって思えた。

ヲタク現実逃避のためにヲタクをする、と思う。

もちろん人それぞれだけれど、現実逃避のためにヲタクをする人は沢山いる。

私は現実逃避のためにガチ恋するヲタクだ。

彼の優しさに舞い上がって、私は特別だと決めつけて、半分ネタだけど友達には彼の妻だと名乗っていた。

それくらい、思いっきり舞い上がっていたし、それだけの自信があった。

ある日、彼に恋人がいたら、と考える出来事があった。

恋人がいる、と言い切れるわけじゃないし、あらぬ疑いと言われたら何も言えない。

けれど、一度疑った気持ちは拭えない。

あれだけ信じていた彼が、突然わからなくなった。

今までなら、彼らしい。と流せていた言葉が、引っかかる。

どうしてファンを傷つけるようなことを言うんだろう。

にわかが、彼に目線をもらったとか、何かされたというツイートを見ても、優越感に浸りながら草を生やせたのに、今はもうよくわからない。

そこでやっと気づいた。

自分は、どこまでいっても、ただのファンなんだ。

彼が、ファン関係を持って身を滅ぼすような人じゃないことは最初から知ってる。

そういう、隙がないところも大好きだから

自分に都合の良い解釈をして、それで現実逃避して、すごいなーアホみたいだなーと、急に客観的ガチヲタクであることを自虐的に見られるようになった。

自信がないから、すぐ疑う。

彼にとって特別じゃないことも、彼がくれた優しさも、言葉も、全部、100%で信じていたのに。今はよくわからない。

彼の周りにいる女の人たちさえ一人一人疑ってしまう。

嫉妬して、疑って、こんな邪なヲタクはいらないだろう。

彼にとっての正しさを守っていたいい子の私は、本当にいい子なわけじゃない。

彼に楽しくお仕事してほしくて、彼に好かれたくて、いい子と思われたくて、いい子をしていた。

もし、いい子でいたところで彼に選ばれないのなら、なんの意味もない。

最初からわたしは邪で、嫉妬深くて、歪んでいる、ガチヲタクだ。

彼は私のこんな気持ちに気付いているのだろうか。

気付いていたら私をどう思うのだろう。

嫌われたくないなあ。出来るなら、いい子と思われたい。

でも、いい子だから優しくしてあげよう、って思われてるなら、死ぬほど辛いなあ。

結局わたしは汚いガチヲタク

ジャニタレガチ恋からやっと卒業できても、やっぱり、同じ運命なのかもしれない。

もし、これから辛い日が続くなら、このタイミングでやめてもいいとも思った。

けど、きっと、私がいなくなったら、彼は私を嫌いになると思う。

それまでのファンだったって思われそう。そういう人だから

いなくなったらわかるくらいの存在でいられることはとてもありがたいとおもう。けど、あまたのガチヲタクが語るように、認知は辛いってことを、認知ヲタになって身に沁みてわかった。簡単距離を置けないし、簡単に離れられない。

多分、わたしはこれからも彼のガチヲタクをする。

きっと、このままいい子でいられれば、彼はファンとして優しくしてくれるだろう。

わたしは彼を好きで居続けられるだろうか?

好きな人を嫌いになるのは、とても辛い。

もっと、綺麗な、素直なヲタクになれますように。

http://anond.hatelabo.jp/20161221174145

そもそも他人著作物をイージーに使うものではないってことだよ

今の今まで「描画」の読みは「かいが」だと思ってた

IMEで変換できなくて気づいた

悲しい

でも「びょうが」なんてこれまで生きてきてほとんど聞いたことがない響きなので新鮮ではある

ほよ。研究者の皆様へ・・意見・問い合わせ先一覧

河野議員の一連のブログ記事を読んで分かったこと https://goo.gl/HVLeUc

河野太郎議員
文部科学省
内閣府意見登録システム

著作権の話を見ていると「無断で使ってはいけません」ということは書いてあるんだけど、

じゃあ誰に許可をもらえばいいのか、どういう手続きを踏めばいいのかという部分はちょっと調べたくらいだとわかりにくくない?

「使いたかたらこの窓口に問い合わせてね」みたいなのをはっきりさせてくれればもう少し正規手段で使いやすくなると思うんだけど

無断だとか違法だとか取り締まるばかりじゃなくて合法で利用しやす環境を整備してくれないかなあ

しかしたら既にそういう仕組みがあるのかもしれないけど、軽く調べた程度じゃわからなかったんだよ

軽く調べる程度でわかるようにしてほしいの。わかって。

キンコン西野的な「売り出し方」されても、魅力的なものは生まれなさそうな理由

キングコングというお笑いコンビ西野さんという人のブログホッテントリ入りしていた。

(「まだ『情報解禁』とか言ってんの?」http://lineblog.me/nishino/archives/9250121.html)  

自分なりに理解すると

「今の世の中は、ネットの発達もあって、すべての人がクリエイターだ。

クリエイター受け手・買い手の垣根はない。

から、みんなで一緒に何かを作り出して、たとえば10万人でものをつくれば、10万人に売れる。

 そんな時代に、制作秘密にして、小出しに『情報解禁』なんてやって期待感煽るやり方をしてるなんて、ダセーよ、馬鹿じゃないの?」

といいたいのだと思う。

言ってることは、それなりに正しいと思う。時代認識は鋭い人なんだろう。

マスな広告を派手にうちつつ、情報への飢餓感を刺激してものを売る方法が、昔ほど通用しなくなっているのは確かだと思うし。

でも、なんとなく、自分西野氏のいうやり方では、たいしたものが生み出されないような気がしている。



そりゃ、多くの人が関わって「俺たちが作った!」という実感を持てるモノは、多くの人に売れるだろう。

自分たちがかかわっているんだもの、そりゃ愛おしいし、人にも薦めたくもなるだろう。

でも、それって結局、仲間意識や達成感を売っているだけであって、生み出されたモノ自体クオリティとは関係ないところでモノが売れるってことじゃないのかな?

時々、はてなで、大して内容のないブログに妙に絶賛するブクマがついたりスターがついたりして、その背後に「互助会」の存在が指摘されているけれど、同じことが起きる気がしている。


かつて、それほどクオリティの高くない映画とかが、マスコミが派手な宣伝攻勢と情報操作で売れた時代があったが、現代ではそういうやり方は通用しにくくなった。

それは、悪いことではないと思う。

でも、そこで、新しい手法でモノを売るのは勝手だけど、それで、どうでもいい仲間内でほめあっているだけのモノがあふれるんなら、それもなんだかなあ、という感じだ。



「仲間」を「買い手」にしてモノを大量に売るという手法は、実は別に新しいものでもない、とも思う。

その究極の形は、大川隆法氏だろう。

彼の本は、少なくともここ25年を累計すれば、日本出版史上でも特筆すべき売り上げを叩き出していると思うが、まあ、まともに論じる人はいない。

それでも、売れる。

信者」という「仲間」が、がっちり買い支えいるからだ。

10万人を作り手にすれば、10万人に売れる」という発想は、これと一脈通じていると思うのだが、どうだろうか?

そういえば、ある程度知名度ができて信者が囲い込めるようになったら、はてぶから批判シャットアウトした、いんちきりん著作家がいたけれど、それも似ているのかもしれない。

まあ、仲間内で盛り上がってモノを買うのは勝手だけれど、部外者自分には関係ない。

よければ買うし、つまらないければ買わないだけだし。



そういえば、以前、アメトーークに出ていたとき西野という人は「とりあえず俺のファンになってよ! そうしたらドキドキさせてあげるから!」みたいな事を絶叫していた。

なにを言ってるんだコイツは、と思った。

順番が逆だ。

キドキ(じゃなくてもいいが、腹抱えて笑わせてもらったとか、感動させてもらったとか)させてもらった経験があるから、人はファンになるんじゃないのか。

あと「コイツあんまりきじゃないけど、でも漫才めっちゃ面白いよな」というスタンスもありだと思うが、そういうのはダメなのか。

「俺の信者になれば、幸せになれるよ」ってのは胡散臭い宗教教祖言い草だが、西野という人はもしかしたら盲目的な信者に囲まれ教祖になりたいのだろうか?

自分は、信者が絶賛する教祖様作品なんて、その時点で興味が失せてしまうけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20161221171620

案外認められそうな気がするけどね。「能年玲奈が出てる」と書いて能年玲奈キャプチャを貼った場合、そのキャプチャは単に能年玲奈が出演していることの補強としての役割しかないし、仮にキャプチャがなかったところで「能年玲奈が出てる」というツイートは成り立つでしょ。字幕付きでもないか画像だけじゃどんな内容が語られているのかも分からないし。

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