声じゃなくて演技で声優を語れよ
許されるために努力しなければいけない。
許されるためにこの身を削って奉仕しなければいけない。
他の世界を見ると、これまでの世界観って結構シビアだったんだなと気付く。
いろいろなシチュエーションにおいて、適切な世界観の設定というものがなされていると思う。
今、私はこの場に立っている。
私が最大限生きていくための世界観とは何だろうか。
俺は自分のことは好きか嫌いかでいえば間違いなく好きだが、良いかダメかで言えば丸っきりダメだと思うし
でも死んでないのは、死ぬ資格もない気がするのと、まあ死ぬ勇気がないからで、死ぬべきなのに死んでない点もダメな点という気がする
たとえ、電通が激務だと知っていて入ったならば自己責任なので救いようなし
たとえ、電通が激務だと知らなくて入ったならば東大のくせにもうまいムチムチの世間知らずの甘ったれた糞ガキ案件であり救いようなし
80歳過ぎると朝起きられただけで有り難いって感じるらしいよ?w
まじめな話、自分もそこまで肯定感強くないから難しいけど度合いの問題って気がする。
「レビュー:『ゴジラ』がまた戻ってきたよ。ウィンクしながらね。」
http://www.nytimes.com/2016/10/11/movies/shin-godzilla-review.html?_r=1
『シン・ゴジラ』は日本のスタジオ、東宝によるゴジラの最新ヴァージョンだ。
とっちらかった特殊効果のてんこもりはあたかもわざと印象を散漫にしようとしているのかのよう。物語はかなり雑でついていくのに苦労する。嵐のごとく大量に登場するキャラクターはまあ日本人の観客にとってはアメリカ人の思う以上にたぶん意味があるんだろう。
本作は、パロディに徹しているときには最高のパフォーマンスを見せる。だが、それだけで二時間の尺がもっているかといえば、あやしい。モンスターよりもユーモアをもうすこし付け足すべきだったのではないだろうか。
映画が開幕すると、打ち捨てられた船を捜査している最中に、水中火山が噴火したと思しき突然の爆発が起こる。政治家や政府関係者が真相を突き止めようとあわくって右往左往する一方で、中級官僚の矢口蘭堂(長谷川博己)は、この事態が巨大生物によって引き起こされたものであると気づく。
おそらく劇中人物のなかでこの男だけが、二ダースにも及ぶ他の東宝製ゴジラ映画を観たことのある唯一の人間なのだろう。
蘭堂とアメリカ公使(石原さとみ)の二人だけが、トーキョーに向かって上陸進撃してくる怪物に対処しうる能力を持ったキャラクターである。オリジナルのゴジラは原子力黎明期の恐怖から誕生した怪獣であったが、この2016年版ゴジラも原子力要素を孕んでいる。他にも、アメリカに対する日本の愛憎が大雑把かつ幼稚に描かれたりもする。
最終的に核爆弾をぶちこむか――日本にとっては過激な手段だ――、あるいはフリーズドライめいた変わった作戦を試してみるかの二択を強いられる。
私は日本の医学系研究者なのだが、アメリカの共同研究者(医者)の大学ホームページを見たら、患者からのレーティングがまるでアマゾンの書評みたいに5つ星で評価されていた。とはいえ大体は星5つなのは、本当にすごい医者なのか、もしくは向こうでも患者は多少は医者に気を遣うのかな。少し星が少ないのだと「★★★★☆ 待ち時間長い」とか。マジか。
人生、最終的には実家の近くの里山の一画を買って家と山の間をフラフラしながら引きこもりたい。
農村から政令指定都市に出てきたけど、マジで人が多すぎてめまいがする。
実際にめまいがする時期は通院投薬と電車を避けることでどうにか乗り越えたけれど、
夜に自転車で大きな橋を渡っていると、川沿いのマンションや、住宅地や、離れた道路を走る沢山の車のライトが見える。
その光一つ一つの下に人間がいると想像すると、鳥肌が立って、気持ち悪くて、なんだかそのまま死んでしまいそうな不安感に襲われる。
あとマンションとかいう構造物がどうしても蜂の巣に見える。中で幼虫の代わりに蠢いている人間、みたいな。
そう言う自分も今マンションに住んでいるけれど、ふとした瞬間に俯瞰してしまうと、艶やかな蜂の子の頭がモゾモゾと動きながらこっちを見てくるイメージがあって、
気が付いたら自分も人間サイズの幼虫になってしまったような感覚になって、何とも言えない気持ち悪さがこみあげてくる。
そういえば、昔行った夜景スポットでも、きれいな景色を見ていられなかったな……。
あの時は、眼下の夜景を見た瞬間に、今すぐ絨毯爆撃されてほしいという感想が思い浮かんでしまって、
その直後にがれきの中で泣く人たちを想像して、自分の感性のあまりの醜悪さと恐ろしさに怖くなって逃げたんだけど。
別に人間嫌いなわけではないしコミュニケーションを取るのが嫌いなわけでもないと自分では思っているのだけれど、
親しい友人でも半年に1回、友人なら数年に1回も会えば満足してしまうし、それ以上間隔があいても気にならないタイプなので、その辺はちょっとイマドキではないのかもしれない。
予告なくふらっと現れた古い友人と酒を酌み交わしながら一晩喋って、起きたら置手紙と出し忘れてた手土産を残してもう居ないとか、そういう付き合い方に憧れる。
そういう風に、ふと思い立った時でも、あそこに行けば増田は昔と変わらずいるよ的な、客人を迎えられるような場所を持ちたいと思う。
なんだったら、自分みたいに人の多い都会に疲れたけど、かといってあんまり逃げられないような人が、ちょっと元気になってまた人間の世界で頑張れるようになるまで、
なんとなく一緒にごはん食べたり、お酒飲んだり、話したかったら話してくれてもいいし、猫撫でたり、虫つついたりしながら一緒に暮らしたりとかしたい。
一週間ほどぶりにWin10でPhotoshop CS6起動したら一部(アクションウィンドゥのアクション名だけなど)が文字化けしていたので、その解決などの自分用の健忘録。恐らくその間にあったWIn10のアプデが原因の可能性があるので、またアプデで問題が生じた際の為。
ぐぐると、Win10にアップグレードした際にはよく生じる現象らしく、幸いにして自分はアップグレードの際にはそのような現象は起きなかったものの、adobeのサポートにも質問と解決が存在しておりまずはそれを試すことにした。
(https://forums.adobe.com/thread/1916841)
→全く改善が見られず。
上記では犯人説は否定されていた日本語補助フォントの削除を試す
(http://www.billionwallet.com/goods/windows10/win-adobe.html)
→試そうとした所、オプション機能の管理という項目自体が存在しないため削除事態ができなかった。さらにGoogle日本語入力がタスクバーから消えてしまい、念のため再インストールしインストールは完了しましたと表示されるもタスクバーには表示されず、わざわざコンパネ→入力方法の変更→入力方式の追加とすることでようやく使えるようになった。文字化けは当然直ってない。
大当たり録画を残す
ユーフォ二期
しっかり描かれている演奏シーンやリアルな学生達のギスギス感が何とも懐かしく他のアニメにはない魅力でほのかな百合も良い箸休めになってる
フィギュアシーンが良すぎる真剣に金をつぎ込んで作っているのが解る展開も面白い
オルフェンズ
当り最終回まで見る
三月のライオン
監督の独特の癖の強さと合うのか不安だったが良い感じでアニメ三月のライオンの世界を作ってる
きっちり娯楽として楽しませてくれる圧倒的安定感がいい新キャラも魅力的
二話以降も見る
歌プリ
一話のテンションは神アニメだったずっとあのテンションなら楽しいのに
一話で切るか悩み中
キャラデザ好きでムジークのシーンも好きだけどキャラにあまり萌えなかったのと録画をみるほど続きが気にならない
普通にできがいい少女漫画アニメだけど原作知ってるからもういいかな
オールアウト
一話でお腹いっぱい
年を取ったのかこう言うの目が滑るようになってきた
これから見る
気になるけど見ない
この辺ではやらないみたい
着地点、終わりを見極められないという広義では同じだな
松井優征を見習ってほしい
でも浦沢直樹はほんとにたためないんだろうか?わざとたたまないだけじゃなかろうか
マンベンみてたら、何の考えもなしに巷で言われるような風呂敷広げっぱなしにしてるようにあまり感じられない
つーかマンベンは漫画で一番大事なネタだしやらストーリーやらネームやらの部分に触れられることが少ないから、
そろそろ見てて飽きてきた
漫画家ごとにいろんな下書き、ペン入れの方法はあるんだなってのはわかったけど、やっぱり毎回それだと飽きるわ
下書きとかペン入れみたいに決まった絵を書く部分だけが漫画じゃないだろ
というよりもそれ以外の部分のほうが漫画に占める割合はでかいだろ
そこをもっと掘り下げてほしいんだよ