人生、最終的には実家の近くの里山の一画を買って家と山の間をフラフラしながら引きこもりたい。
農村から政令指定都市に出てきたけど、マジで人が多すぎてめまいがする。
実際にめまいがする時期は通院投薬と電車を避けることでどうにか乗り越えたけれど、
夜に自転車で大きな橋を渡っていると、川沿いのマンションや、住宅地や、離れた道路を走る沢山の車のライトが見える。
その光一つ一つの下に人間がいると想像すると、鳥肌が立って、気持ち悪くて、なんだかそのまま死んでしまいそうな不安感に襲われる。
あとマンションとかいう構造物がどうしても蜂の巣に見える。中で幼虫の代わりに蠢いている人間、みたいな。
そう言う自分も今マンションに住んでいるけれど、ふとした瞬間に俯瞰してしまうと、艶やかな蜂の子の頭がモゾモゾと動きながらこっちを見てくるイメージがあって、
気が付いたら自分も人間サイズの幼虫になってしまったような感覚になって、何とも言えない気持ち悪さがこみあげてくる。
そういえば、昔行った夜景スポットでも、きれいな景色を見ていられなかったな……。
あの時は、眼下の夜景を見た瞬間に、今すぐ絨毯爆撃されてほしいという感想が思い浮かんでしまって、
その直後にがれきの中で泣く人たちを想像して、自分の感性のあまりの醜悪さと恐ろしさに怖くなって逃げたんだけど。
別に人間嫌いなわけではないしコミュニケーションを取るのが嫌いなわけでもないと自分では思っているのだけれど、
親しい友人でも半年に1回、友人なら数年に1回も会えば満足してしまうし、それ以上間隔があいても気にならないタイプなので、その辺はちょっとイマドキではないのかもしれない。
予告なくふらっと現れた古い友人と酒を酌み交わしながら一晩喋って、起きたら置手紙と出し忘れてた手土産を残してもう居ないとか、そういう付き合い方に憧れる。
そういう風に、ふと思い立った時でも、あそこに行けば増田は昔と変わらずいるよ的な、客人を迎えられるような場所を持ちたいと思う。
なんだったら、自分みたいに人の多い都会に疲れたけど、かといってあんまり逃げられないような人が、ちょっと元気になってまた人間の世界で頑張れるようになるまで、
なんとなく一緒にごはん食べたり、お酒飲んだり、話したかったら話してくれてもいいし、猫撫でたり、虫つついたりしながら一緒に暮らしたりとかしたい。