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はてなキーワード: マネージャーとは

2024-04-13

anond:20240412155516

人の首しめたらいずれ自分の首締める奴の話では?これ。

昔のバイト先で似たような話があって、

匂いが強いかカップラーメンを休憩室で食べるのやめさせろ、ってパートのおばちゃん社員マネージャーに言いまくったせいで

文化されて禁止されたんだけど、そのおばちゃんもおばちゃんで作った弁当に入れてる沢庵の匂いが強かったのよ。

で、カップラーメンダメなのに沢庵は良いのかみたいな話になり、紆余曲折を経て面倒になったマネージャーが休憩室では食事禁止、水分補給のみと決めちゃった。

困ったのはおばちゃんで、食費うかすために弁当作ってたのにそれもままならなくなってしまった。

何が言いたいかと言うと他人自由を制約しようとする際、(公共)益もしくは制約しないことによる損失を明示せず

個人差が大きい快不快理由にしてしまうと

同じロジックを制約された側も使ってきて自身自由も制約されてしまう羽目になることが多いということ。

なので財産被害がでてるとかもしくは制約によって利益が見込めるとかでない限り多少の不快は目を瞑った方が吉よ。

まぁ、下衆の勘繰りだが、多分元増田の話は作り話で真意水着撮影会に対する当て擦りなんだろうけど

もし本当の話だったとしても「ルールが明文化されてお前の場所は無くなった、バカめ」なんて思っているとどっかでしっぺ返しくらうと思うよ

2024-04-09

人のキショを見て自分の襟を正せ

今バズってるラニーノーズのヤバファンnote全然他人事に思えない。

リアル人間性的消費するキモさも身に覚えがあるし、

あえて見つからないところでやってたのにわざわざほじくり出されて非難されるのを理不尽だと思う不服さも経験があるし、

でもそれがバレた以上接触NG出されるのはしゃあないよなという理性も分かる。

ガチ恋して感情に振り回される愚かさも全然あるし、

杞憂と厄介が高じた末にマネージャー面するお節介さもよくある話だよなって思っちゃう

いやまぁ、自分場合対象が全部別人だし時期もバラバラなので、これが一人の個人に一気に来たら絶対しんどいだろうな〜〜〜〜。

最新かその一個前のnoteで「こんな俺でも気にしてあげないと犯罪者になるかもよ」的な脅しをかけてたのは良くないけど、それ以外の諸々は同情する。

そうだよな、こういう人種ってキモいんだよ。だからこそ周りに害を加えないように気をつけて生きないといけないんだよな。

2024-04-06

とあるベンチャーslackで浸透していたある単語が嫌いだった

その単語は「つよつよ」だ。そんな言葉を使うのはTwitterだけにしとけや。2ch用語オフラインに持ち込んだかのような嫌悪感を感じる。用例なのだが、timesチャンネル作業を実況している新人に対して、「アウトプットつよつよでいいですね!」のように使われていた。しょーもな。マネージャーも使っていて本当に終わっている。

2024-04-01

anond:20240401204555

チョロチョロでいいです

五十代というとなんでどこも「キャリア」「マネージャー」「管理」などさせようとするのですか?

2024-03-30

1週間前に再起不能になったEdgeを、今日復旧させた

問題の再発に備えて書いた日記備忘録

ブログIT技術者向けSNS等は利用しておらず、はてブTwitterでやるにはやや長いので、増田投稿

発端

Windows 10 (22H2 19045.4170) 上のEdgeを、数十のタブを開いたまま新バージョン (123.0.2420.53) に更新したらハングアップしたため、タスクマネージャー強制終了させた

その後Edgeを起動させようとすると、更新時に閉じたセッションを復帰させる段階で強制終了するようになり、使用不能になった

Edgeに導入していた拡張機能には、Session Budy (4.0.2。GoogleのManifest V3対応するため、最近大規模改修を実施(1。増田の最終節の同番号を参照。以下同)) やuBlock Origin (1.56.0。新規のマイフィルターを多数追加中だった) 等があった

最初の試み

Edgeが起動しない」と直截な語句検索していくつかの解説ページにたどり着いた

いくつかの解決策(2・3)を実行したところ、有効ではなかったが次の知見が得られた


数日程度では修復できないだろうと判断し、別のChromiumブラウザを使いつつ、片手間で修復方法を調べることにした

Windowsの設定画面等にあるリンク有効になるよう、デフォルトwebブラウザEdgeから変更した

パスワードは別ツール管理してたため無くてもそんなに困らなかったが、uBlockの設定とSession Budyで雑に保存してた閲覧履歴必要だったので、Chrome拡張の復旧作業をした

"Default\Local Extension Settings"以下のフォルダと、念のために"Default\IndexedDB""Default\Local Storage\leveldb"の中身を移植(8)して作業完了

翌日以降

アイテム履歴データ破損が問題の原因ではと考えてその修復や初期化方法検索したが、これは徒労に終わった(ただし、このアプローチが完全に無効だとは言い切れない。参考ページ5は、復旧作業完了後に見つけた情報で、今回の問題活用できずに終わった)

Edge挙動を変更した(9・10)が、これも無駄だった

コントロールパネルシステムセキュリティセキュリティメンテナンス信頼性履歴の表示→問題レポートをすべて表示」で確認できた、Edge問題の要約やイベント名等で検索したところ、再インストールを勧めるページが数点引っかかった

既に何日も経ちWindowsの再インストールユーザーアカウントの作り直しをしようかと考えかけていたが、もう少し努力してみることにした

結末

Edgeを (アプリファイルを手動で削除したりするのではなく) なるべく安全アンインストールすれば、正常に再インストールできるのではと考え、検索結果通り(1112)に作業してみた

それでも「アプリ」のアンインストールメニュー無効なままで操作できなかったが、他に事例が無いか、"IntegratedServicesRegionPolicySet.json"等の関連語句で再検索した

コマンドラインアンインストールを試みた事例(13)が見つかり、実行したらEdgeが削除された (ただし、コマンドプロンプトでもポップアップウィンドウでも実行結果の表示がされなかった)

そして参考ページ4のインストーラを実行し、念のために修復とOS再起動をかけ、Edgeの起動を確認した

Microsoftアカウントログインしていたため、パスワード簡単に復旧できた

拡張機能は全て死んでいたが、仮に使っていたChromiumブラウザからコピペしたりエクスポートしたりして終了

利用していた拡張が少なかったので、プロファイルフォルダの内容の移植よりもその方が簡単だった

参考ページ

1. SESSION BUDDY V3 END OF LIFE | Google グループ

https://groups.google.com/g/sessionbuddy-discuss/c/HQPcLOq3-Ik

2. Microsoft Edgeが直ぐ閉じてしまう。 | Microsoft コミュニティ

https://answers.microsoft.com/ja-jp/microsoftedge/forum/all/microsoft/c414d2f9-b685-471c-8e78-2054c2e26c6c

3. ある日突然「Microsoft Edge」が開かなくなった、さあどうしましょう:山市良のうぃんどうず日記(224) | @IT

https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/2202/02/news009.html

4. Microsoft Edgeダウンロード

https://www.microsoft.com/ja-jp/edge/download?form=MA13FJ

5. Windows10の「タスクバーにピン留めしているアプリ」の、「最近使ったもの」と「固定済み(いつも表示)」の設定ファイルレジストリはここにある #Windows10 | Qiita

https://qiita.com/RyoIchimura/items/7e33980358f07e57a715

6. msconfigシステム構成)で解除してよいのは?使用場面と起動方法 | ドスパラ通販公式

https://www.dospara.co.jp/5info/cts_str_pc_msconfig.html

7. Windows Hello概要セットアップ | Microsoft サポート

https://support.microsoft.com/ja-jp/windows/windows-hello-%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%81%A8%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97-dae28983-8242-bb2a-d3d1-87c9d265a5f0

8. chrome.storageの実体場所 #Chrome | Qiita

https://qiita.com/k7a/items/cf644471d34d31f398e9

9. 第2回 グループポリシーとは何か:グループポリシーのしくみ(3/5 ページ) | @IT

https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/0602/23/news119_3.html

10. Microsoft Edge ブラウザポリシーに関するドキュメント | Microsoft Learn

https://learn.microsoft.com/ja-jp/deployedge/microsoft-edge-policies

11. Windows 11/10からMicrosoft Edgeアンインストールするシンプル方法が見つかる | ソフトアンテナ

https://softantenna.com/blog/windows-11-10-uninstall-edge/

12. Releases · thebookisclosed/ViVe | GitHub

https://github.com/thebookisclosed/ViVe/releases

13. 各チャネルごとの Edge 削除状況 | 内気なもんた君

https://coolvitto.hateblo.jp/entry/2023/12/17/231027

2024-03-28

こういうストーリーはどうだろうか?

大谷水原通訳マネージャー以上の関係大谷財産は実質二人の共有財産だった

しかし、大谷の親は敬虔キリスト教信者大谷がそういう属性の人であることを親にバラしたくなかった

そのため大谷関係を隠すために偽の妻まで用意した

このタイミング結婚を報告したのも賭博の件で捜査が進んでいることを事前に察知し、今回の件で操作のメスが大谷水原関係まで及ぶことを恐れたか

肩代わりとか盗難とか主張が二転三転したのも「ただ共有財産を使っただけ」という真実を隠すための拙い言い訳

莫大な財産赤の他人に任せているなんて異様?水原赤の他人ではないのだ、ただそれは隠された関係

彼らは別に誰が捕まろうと、世間から非難されようとどうでもいい

二人はただ誰も知らない二人の秘密関係を守る、それだけのために動いている

2024-03-27

anond:20240326155421

でもあのまごまご具合を見てると多分大谷に何かしらの瑕疵があるんだろうなと思っちゃう

ろくな契約してないのに通訳マネージャーみたいな仕事させてたとか

2024-03-26

腰の炎を燃やしてたゲイは今の大谷スキャンダル見てどう思うんだろう

彼の野球人生を絶ってしまうかもしれないマネージャーへ、ドス黒い怒りの炎が点火してんのかな

2024-03-25

anond:20240324024513

ご反応いただきありがとうございます

権限。ない。ないのです。

弊社においてプロデューサーとはマネージャーに毛が生えたようなものと考えて頂ければ、大体イメージにあうかと思います

ですので、思いつく限りの手段を駆使して声を上げるしかない、ということをご理解頂ければと思います

2024-03-23

anond:20240323002358

Jeff Bezos悪名高きマイクロマネージャーだ。彼は Amazon の小売りサイトの1ピクセルまで管理する。彼は以前 Larry Tesler を雇った。 Apple主任科学者で、たぶん世界で最も有名で尊敬される HCI エキスパートさ。そんでもって、 Jeff は Larry が言ったことを、 Larry が辞めるまで3年間無視し続けた。 Larry は大規模なユーザビリティ研究もやっただろうし、少しの疑いの余地も無く誰もそのひどいサイト理解できないってことをデモしたに違いない。けれど、 Jeff は1ピクセルたりとも動かさせはしなかった。トップページにぎっちりつまった内容の1ピクセルたりともね。それらはまるで何百万という彼の貴重な子供達なのさ。けれど Larry はそうじゃなかった。

https://anond.hatelabo.jp/20111018190933

パスワードマネージャーを意地でも使わん人

おるよな

それでログイン不自由してないならええけどそういう人は得てしてってやつ

2024-03-21

大谷通訳が金の使いこみで解雇

芸能人マネージャー横領って話はたまに見るけど通訳大谷の金を使えるんや。

2024-03-20

anond:20240320193711

だいぶ昔から関係ない

 

もっともそれなりの規模の会社部課長のポジ求人大卒以上って書かれているのはダメだけどね

あと海外出張海外支社出向が前提となってるやつ(まぁマネージャーってことにしとけばいいし、語学力目的による)

ファミレスバイトしてたとき

その日のランチヘルプに来るはずだったエリアマネージャーが大遅刻してきた。

後日、そのエリアマネージャーはお詫びにコンビニハーゲンダッツを大量に買ってきてくれた。

コンビニレジ袋があんなに輝いて見えることってあまりないと思う。

ハーゲンダッツバイトのみんなで美味しくいただきました。

一人で2個食ったのはあいつです。

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

anond:20240317232558

ちょっと聞いた話なんでどこまでホントわからんけど、とある派遣会社にとても優秀なエンジニアがいるらしいんだけど、

その人はプレイヤーでいたいけど普通に会社務めするとマネージャーやらされるから、それが嫌で派遣社員でいるらしい。

他より抜きんでて能力があるから、めちゃくちゃ稼げるらしく、その派遣会社の稼ぎ頭だとか。

んでバリバリ働いたら、たまに長期に休みを取ったり、自分スタイルにあった働き方をしてるらしい。

能力がある人はそういうやり方もあるんだな、と思った。

2024-03-17

Windowsバージョンアップで絶賛されたのは

95と2000のときだけだな。

それ以外は「前のほうがよかった」と全部言われてる。

絶賛の95でも、95のUIは使いにくいとわざわざWindows3.1のファイルマネージャーを使ってた人らもいたくらいだし。

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