「フェチシズム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: フェチシズムとは

2022-01-16

anond:20220116012637

結局解釈なんかフェチシズムの発露でしかないわな

腐にしろヲタクしろフェミしろ自分フェチシズム絶対視できるやつはすごいと思っている

ああはなりたくないけど

2019-12-12

催眠エロゲが終わった日

先日からFANZA(旧DMM.R18)で『催眠』と検索しても一作もヒットしなくなった。

どうやら作品名から催眠』という単語が一括置換され、なおかつカテゴリとしても削除するという改修が行われたようだ。

DLsiteでも似たような改修が行われており、警察指導なのかオリンピックへ向けた配慮なのかはわからないがとにかくエロゲ同人誌販売プラットフォーム倫理規程の大幅改定が行われたようだ。

自分子供の頃から催眠術が好きだった。

エロ概念なんて知る前の幼い頃に子供向けのバラエティ番組催眠術師に翻弄されて自分名前を思い出せなくなる女性タレントのお姉さんの姿にやたらドキドキしていたのをやたら覚えているし、ドラゴンボールGTビーデルが敵に洗脳され娘を裏切る回は理由もわからず何度も何度も繰り返し見た。

今考えるとゲイの人が生まれ持って男の人を好きだったみたいに、自分も生まれ持って催眠術が好きだったんだと思う。

世の中に催眠フェチシズムなんて概念があると知ったのは自分PCを買ってもらった後だった。

初めて遊んだエロゲBLACKRAINBOW催眠学園だった。

クラス嫌われ者主人公村越進太が催眠導入機を手に入れてクラスのマドンナや生意気女子を手にかけていく様は凄まじいほど興奮した。

前半は「ドラえもんの道具を手に入れたらどうする?」みたいなリアルで生々しい男の妄想をそのまま描き、後半は企画者のAVのような笑えるほどシュールシチュエーションを描くそ作品を遊んでから俺は催眠術に更にハマっていった。

社会人になってから学術的にも催眠術を勉強し、催眠とつく商業作品ほとんど手を出すようになった。

女にもモテずとりわけ友達と呼べる存在もいなかった自分にとって催眠エロゲの新作を遊ぶことは唯一の生きがいですらあった。

最近は『催眠』とタイトルにつく作品がやたら多くなったと思う。

これはぶっちゃけジャンル規制や締め付けが厳しくなったからその隠れ蓑エロ方向に展開を転がす便利アイテムとして催眠術が利用されて発展したような経緯もあったりからガチもんの催眠フェチコミュニティで受け入れられるような作品は割と少なかったりするが、最近愛上陸みたいな超画力の人も参戦してきて、ようやく本格的に盛り上がりだしたなという段階だった。

ただ、もう先日を持って催眠エロは終わった。

検索上ここまで露骨迫害されるということは売上にも大きく関わってくる、商売でやっている人達は方向転換を余儀なくされるのだろう。

露骨な陵辱物が倫理規定改定エロゲ市場から姿を消したように、催眠というジャンル市場からひっそり姿を消していくのだろう。

どこかが裏で糸を引いているとしたらもう既にソフ倫あたりにも働きかけているのかもしれない。

愛上陸催眠指導シリーズの新作も、催眠学園を作り上げたNATORI烏賊氏の新作も、ファンタジーとしての催眠術のみだけではなくリアリティも追求したおくとぱす氏の新作も、もう自分は遊ぶことができないのだろう。

ゲイの人は生まれ持って男が好きで、彼らは『正しさ』によってパートナーと愛し合うことを認められた。

俺のよう生まれ持って催眠術が好きなだけな惨めで哀れでモテない男はたかが絵を見ながらオナニーする権利すら『正しさ』によって奪われる。

なんて正しさなんてご都合主義で歪で勝手ものなんだろう。

こんなに簡単に1つのジャンルが潰されるのかと心底悲しいと思った。

ひっそり使う人のオナネタケチつける奴なんて政治家だろうとフェミニストだろうと米国だろうとオリンピックだろうとみんなくたばっちまえ。

恥を知れDMM。ふぁっきゅー正しさ。

こんな世の中でいいのか?俺は絶対に嫌だぞ。

すべてのエロ漫画家やエロゲ製作者に幸あれ。

2019-10-19

anond:20191019124210

おっぱいフェチシズム関係なしに興奮するよ

大きさに個人の好みはあるけども男はみんなおっぱい見ると興奮するよ

2019-07-15

人間の体はすけべか?

人間の体って別にすけべなもんじゃなくね?と思うんだけど、だいたい誰にも同意されない。

自分とかこの世にオギャーと生まれた時からこの体で生きてんだけど、自分の体のどこにもすけべ性を見出せないんだよな。成長のどの段階でも自分の体をすけべと思ったことないし、逆に他人の体においてもそれは同じで、女性の裸体にも男性の裸体にもいずれの性器にも性的興奮を覚えたことがない。

ツイッターとかちょっと見てると無限盗撮とか出てくるけど(犯罪から全部インターネットホットラインセンター通報しているよ♡)、真剣意味わからん。何がいいんだぜ?弟にそう言ったら、「知ってる可愛い子のパンツなら気になるかも」とかいいだしてガチドン引きしたんだぜ。体そのものにすけべを見出せない自分からすると、パンツにすけべを見出す奴のことはもっと理解できん。

日本だとそんなんばっかだから自分が異常なのかなと思ってたんだが、留学先でキャンプ行ったとき女の子たちが平気で男の前でパンツブラジャー姿になって服を着替えてて、男も全然気にしないで自分も着替えてるの見てやっぱ環境によるものなんかね?と思った。もちろん盗撮なんかしてるやつもいない。誰もまったく気にしてなかった、普通のことだからな。初めて自分感覚がその場での「普通」になった瞬間だった。

まり人間の体そのものにすけべを感じるかどうかっていうのは、初めからシステムされてるものじゃなくて、体→セックス!体→セックス!体→セックス!!!って環境自分が条件付けしてるか否か?って問題なんじゃね?体とセックスが結び付きすぎて、それ以外の思考がぜーーーーーーんぶ止まってるからなんじゃね?

体ってセックスしてる時間より、そうじゃない時間の方がだいたいはクソ長いのに、頭が常に誰かの体を「すけべ」と認識し続けてたら、そら相手人格とか尊重できないよなって。他の性的フェチシズム全般にも言えることだとも思うが、そういうのはどっかのタイミングでその人の中でそれがセックスと結びついちゃっただけで、運命とか業とかではないと思っている。

誤解しないでほしいが、弊投稿は性欲やセックス否定するものではないんだぜ。ある意味大事なもんなんだろうからな。(盗撮通報する。犯罪から

自分セックスしたことあるし、自分の性欲に関しても否定しないぞ。でも、人間の3大欲求?とかいう奴には疑問を覚える。寝なかったら死ぬし、食べなかったら死ぬが、セックスしなくても物理的要因で死ぬことはないからだ。精神に関しては知らん。少なくとも自分は死なん。

こういう奴もいるよって言いたかたから書いた。読んでくれた人がいたら、ありがとな!!!!!!!!!!!!

2019-07-03

下着をくれることになった

とある女性と日々LINEでやり取りをしていたところ、話の流れで、その女性が着用した下着をもらえることになった。

相手自分も、特に下着に関するフェチシズムは無いと思うが、下着をくれることになり、興奮している。

道を踏み外しそうである

2017-04-24

おしっこ我慢する女の子に対する考察美学

さて、皆さんは2Lペットボトルを見たことはあるかと思いますが、このペットボトル、相当な大きさがありますよね。

家に置いておくのは結構ですが、持ち運ぶとなると一苦労。結局出先では然程嵩張らない500mlのペットボトルを持って行くのがベターとなります

しかし僕は「外ではペットボトルを持って行くのが良いか」という至極どうでも良い話をしたいのではありません。

――――華麗な美少女お腹の中に、2Lペットボトルと同じ量のおしっこが溜め込まれているとしたら――――

様々な理由によりトイレに行けず、なまじ女の子の”我慢”の能力が強かったが為に解放を許されずに居る大量のおしっこ

それは結局はただの液状の老廃物でしかありませんが、我々生物の持つ社会的機能/思考により"恥ずかしいもの"という意味を付加させます

”恥ずかしいもの”、つまり下品、異常なもの。それらを隠していくことで、正常であり、立派なものと見做されます

当然”恥ずかしいもの”を皆の前で露呈させるわけにはいきません。出しても良い場所に移動するまで、必死必死我慢します。

しか彼女膀胱の中に入っている2Lの量のおしっこは相当な物です。本来一般女性限界容量は平均500mlと言われており、1L以上我慢出来る人は稀有であると言われているほど。

(因みに、実際に2L以上の量を我慢した例は存在しており、この量は非現実的数字ではないということを明記しておきます)

本作では着ている服装関係から下腹部の膨らみは見られないだろう、と言う事で描写を省きましたが、彼女下腹部は大量のおしっこでみっともなく膨れ上がって居ます

見てて痛々しくなる程にパンパンに張った彼女お腹。そこまでお腹を膨らませた原因はおしっこであり、実に下品で”恥ずかしいもの”そのものであると考えられます

しかし同時に、そこまでしておしっこ必死我慢する行為には「彼女が”正常”で”立派”なものであろうとする」ことへの拘りが感じられます

下品身体”と”立派な思考”。おしっこが詰まった彼女お腹は、そんな二つの側面を兼ね備えているのです。

勿論そこまで我慢をしていて平気な筈がありません。恥ずかしい部位に意識を集中させ、身体を捻らせ我慢をしなければその場でお漏らしをしてしまうことになります

必死に足をクネらせ、手は恥ずかしい部位をグッと押さえ、腰は引け、お尻はもじもじと捩り、顔は真っ赤になり、目は涙で滲み、頬は汗が伝う。

その姿は、この手のフェチシズムを持たない人でも扇情的に映るでしょう。そしてそこまでの醜態晒しても尚、出口からじわじわと染み出る熱水。

駄目だ、漏れちゃう、もう我慢が出来ない。彼女思考おしっこに関することで埋まります

暴力的尿意による痛み、公共の場醜態を晒さなければならない辱め。しかし真に辛いのは、それほどの苦痛を味わいながらもまだ我慢をしなければならないという状況にあります

おしっこを本当に漏らしてしまえば全てが終わる。その恐怖から逃れる為に、彼女必死尿意我慢するのです。そう、お腹をみっともなくおしっこで膨らませながら。

僕はそんな彼女に「じっと立ってろ」と命令したいのです。おしっこ我慢している彼女には無理な話ではありますが、無理矢理じっとさせます

そして服を捲り、パンパンに膨らんだ下腹部をじっくり観察したあと、その神秘的なお腹ギュッと押したいのです。

その固い感触、触って改めて感じさせられる途方も無い量のおしっこ。そしてその瞬間に喘ぐ彼女の声、同時に響くド派手な水音。

滝の様に溢れ出る下品な熱水は下着を突き抜け、あっという間に巨大な水溜りを作ってしまます

その水溜りは僕の方まで伸びており、彼女と僕の足元はおしっこでビショビショ。我慢我慢を重ねたおしっこ匂いが、より”お漏らしをした”という事実事実であることを強調します。

一通りおしっこを出し切ったあと、泣き喚く彼女。僕はその場を離れます。最早この場において、僕は不純物だからです。頬を伝った彼女の涙が、水溜りの中でぽちゃんと鳴り響くのです。

コピペ

2016-05-03

大家さんは思春期

エロ入れたら一気に陳腐エロ漫画になるなあと思ったら、すでにつきみそうのあかりがやってた

まあそうだよなあ・・・

一線超えないからこそそそる面白さが出てくるってのは不思議だよなあ

これもある種のフェチシズムみたいなもんなんだろうなあ

2014-03-26

喪服の死神という非モテ化身。あるいは汚い顔と罵られた人間の末路

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2

徹底した自己開示と執拗自己解釈による独演を社会提示した喪服の死神

幼少の個人的出来事からネット右翼アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティカムアウト。

陳述で同性愛告白し、ボーイスラブ二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。

自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学学歴バスケマンガでの成功ボーイズラブ二次創作での人気の3つになります

31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります

自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。

「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。

執拗自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である

喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ自意識には向けられて、彼は饒舌ウェブ上に氾濫する非モテキモオタ類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。

本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識代替されている。

動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から自分人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。

汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。

もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。

ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャルマイノリティは「自分セクシャル存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。

彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまりホモオカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。

ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。

しかし、喪服は否定なき同性愛者。

喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期ボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実セクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。

自らを汚物と信じた喪服は、現実セクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。

自分愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件交通事故被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。

LGBT当事者書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。

今ではオープンリーゲイ公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である

愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。

2000年代2ちゃんねるはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定レッテルを貼り付けることで自己肯定転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。

あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定レッテルに飛びついた人々である

自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定スパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。

自己否定レッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。

しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。

冗談はさておき、明け透けに申し上げますと「こんなキモい奴は死刑でいいじゃないですか!」という気持ちです。

幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。

汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティ現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。

従って、彼らは漫画記号を愛でる者、オタクになった。

本来ならば健全セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美世界を描いたボーイズラブ二次創作を愛した喪服の死神

現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性世界性愛に耽溺している。

喪服のチグハグセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。

「何か」が欠落してしまっていた。

ウェブ上での自己開示および匿名対話からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。

だが、喪服の自意識歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。

喪服の自己対話精緻であって、他者解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内インストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。

このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。

さら自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分ネットスラングで言うところの「魔法使い」です。

喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャルマイノリティの為に用いられる言葉は現れない。

ゲイ社会で用いられる言葉も、LGBTを構成する言葉も無い。

自らを異性愛者の視点から同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子言葉で性指向を空想している。

喪服の自己対話には、セクシャルマイノリティが自らをセクシャルマイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。

というより、喪服がウェブ本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。

ローカルルール同性愛者の投稿が禁じられたモテない男性板。

非モテから同性愛者を斥けてミソジニーホモソーシャル産物断罪するセクシャリティ論。

女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ二次創作世界

最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定トンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティ本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。

しかし、喪服が創作するには、表現原動力たる空想の世界耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間ウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。

何より、彼には努力をする気概が無かった。

喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力

本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ自己否定トンネルに差す光として見えるのみ。

もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元ベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である

喪服は、呪っただろう。

喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ二次創作賞賛を得る者を。

空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美世界肥大化した自我は、現実世界自己表現を求めて、自走する。

喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。

ボーイズラブ二次創作

喪服に残された肯定的表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。

喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。

「『何か』に罰され続けて来た自分がとうとう統治権力によって罰されることになったのか」

恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。

喪服は、斑目晴信オタク濃度を感じたように、キモオタ秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。

喪服は、ボーイスラブ二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。

喪服は、セクシャリティに、疎外を感じてはなかったか

喪服は、自覚することはなかっただろう。

喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。

執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。

自己疎外された人々が、自らに自己否定レッテルを貼り付けることで、健全精神ギリギリのところで保った非モテ論理

2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。

喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性ホモソーシャル世界であって、男の喪服を救わなかった。

セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。

身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。

身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美世界に誘い込み、彼の自我肥大させて、現実を呪った。

非モテにすらなれなかった「非・非モテ」の喪服の死神、怪人801面相こそが、性愛社会を呪う非モテ化身である

2014-03-17

腐女子は黒バス脅迫犯を生んだ罪について真剣に考えた方がいい

黒子のバスケ脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/

黒子のバスケ脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/

黒子のバスケ脅迫事件犯人の「自分語り」全文公開されたが、自重しない腐女子は黒バス脅迫犯を生んだ罪について真剣に考えた方が良い。

問題は彼がBLに入れ込みすぎた結果、脅迫を犯したという事実である。彼はこのように書いている。

31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。また、新宿につきましては、16年前に自殺をしようとしてJR新宿駅周辺を彷徨し、11年前にJR新大久保駅周辺を歩き回ったことがきっかけです。

喪服の死神は自らを同性愛者と語っているけども、これだって本当か疑わしい。おそらく自己愛性人格障害であって、同性愛というのはあくまで詐称か、BLに入れ込んだ自称腐男子程度のものではないだろうか。本当の同性愛者ならBLに入れ込むようなことはしないと思われる。

彼の自分語りから漏れ出る意識肥大化して歪んだ自己愛であり、その結果として表れたのがBL愛好と詐称同性愛といったところか。

「22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯」を記している。

いったい何の同人誌を知ったのか私には知る由もないが、ボーイズラブ系の二次創作同人誌の問題は、純粋に作品を楽しんでいる愛好者が、本来ならあり得ない視線男性登場人物を性的に絡ませる)という嗜好にある。

一昔前までは腐女子の活動はアンダーグラウンドものだった。検索避け隠語を用いた隠れたやりとりをして、あくまで自分たちが特殊嗜好者であることを自覚した振る舞いをしていた、と記憶している。

ただ現在腐女子オープンBL談義をすることも珍しくなくなったらしい。

この辺は「ゴキ腐リ」という言葉があるようで、pixiv百科事典なんかにも載っているようだ。

ゴキ腐リ (ごきぶり)とは【ピクシブ百科事典】 http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B4%E3%82%AD%E8%85%90%E3%83%AA

この解説でとくに興味深いのは、この項だ。

実際にはファンタジーであるBLは、『男性(もしくは元となる人物)の形状を模した異質なクリーチャー』を恋愛や性行に結びつけて楽しむ嗜好であり、現実同性愛とは全く関係が無い。

まとめサイトでは、「同性愛者の為の作品」や「同性愛テーマにした作品」は問題が無く、同性愛嫌悪の無い人や、実際の同性愛者の中にもBLを嫌う人がおり、BLを問題に感じる人もいることから、「BL同性愛」ではない、『男性の形状を模した“何か”を当人達以外の人間妄想の中で恋愛・性行に結び付けて楽しみ喜び興奮する嗜好』と解説されている。

BLは実際の同性愛とは違うし、同性愛者や、同性愛嫌悪のない人物にも気持ち悪がられている・・・とのことらしいが、この解説は直感的に正しいと理解できる。

喪服の死神が入れ込んでいたのはあくまでBLであって、本当の同性愛では無かった。一方で彼は自ら童貞キモブサメンオタク用語を使って自己解説している。

ここには非常に強い性愛のゆがみが見て取れる。

例えば純粋バスケ漫画を好きで黒子のバスケを読んでいる人が、腐女子人気の増大により黒バスを読む際に同性愛者と思われるようになったら、通常なら強い憤りを感じる。

現在腐女子がおおっぴらにBL談義をする風潮(ゴキ腐リと呼ぶらしいが・・・)が、喪服の死神ねじれを生み出したと。

あるいは、喪服の死神が本当に同性愛者だった可能性。

この場合もっと事態は深刻である

彼が黒子のバスケターゲットにしたのは、ボーイズラブ二次創作が盛んだったからであり、実際の同性愛とは全く違う女の妄想少年誌に持ち込む異常性が、喪服の死神内面を作り上げた現実に対する文化的な自省について、腐女子たちは真剣に考えるべきだろう。

被害者面をする腐女子たちに警鐘を鳴らしたい。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん