はてなキーワード: 昭和生まれとは
愛着あるかなあ、無電柱化が綺麗だよねって流れや無電柱化推進法はまだまだ昭和生まれ世代が主導した範囲ではないかな。
この先世代の入れ替わりが進んでいくんだろうが。
日本の景観が酷い等のように言われるが実は景観論争は昔からあったらしい。
もっとも、日本人の景観への意識が強くなったのは景観法施行まで待たないといけないかもしれないが。
東京市街の不潔にして乱雑なるは家屋の概して粗悪なると建築の様式及び塗色の無制限なると、其その他あらゆる都市的設備の不完全なるとに因よるものなりと雖いえども、これ等らを外ほかにして尚なお一個の原因、即すなわち市民自身が故意に市街の体裁を破壊すること、宛あたかも小学児童が自身の手を以もつて顔面に墨を塗り付くるに似たるの事実あり
初めて東京の人となりたる時に於おいて最も市街の乱雑を感ぜしむるものは電柱の遠慮会釈無なく街路の両側に林立せると、之これに貼付せる各種の広告のだらし無きと、商店の看板の拙悪にして無作法なるもの多きとの三にして
とこう書かれていたらしい。
推理から北村薫(空とぶ馬、覆面作家の愛シリーズ)、泡坂妻夫(亜愛一郎シリーズ)
もっとしっとり純愛系というのであれば純文学で伊豆の踊り子とか細雪とか
どエロであれば
(男なら)フランス書院かなー
出てくるやつみんな妄想女ぽい
というかもうエロ系の薄い本はみんなこれのひ孫みたいなとこある
ある意味で食傷気味じゃないかなとおもう(すぐビ薬にまかせてご都合主義なんだもん)
だがノリがあえば楽しめるとはおもう
O嬢の物語のほうがドライで底抜けの人体破壊、人格破壊のSMの怖さがある
ラノベさえも読んだことない(アニメで見たこともない)のなら、まずは適当なラノベから始めることをおすすめする
増田で時々目にする、昭和生まれのおっさんが息巻いて書いたんだろうな、と思われる文章がたまらなく好きだ。
あのおっさんくささというものを一意に定義するのは難しいけれど、独特のクセ、時代を感じさせるギャグ、知識量、そして謎の説得力、すべてはおっさんの人生経験によるものだと思う。
そういった言語体系をマスターするには、やはりおっさんの人生をできる限り忠実に追体験するしかないと思う。
本なり、ビデオなり、データとして「あの時おっさんが通ったもの」に触れることはできるが、あの時代のリアルタイムな雰囲気を肌で感じることはできない。
インターネットアーカイブという便利なサービスもある。が、膨大すぎて使い方がよくわからない。単純に2000年代くらいまで遡ればいいというものではないと思う。
以下、言いたいことを要約すると
「生活が面白おかしくないor生活を面白おかしくしようとすることの言い訳として芸術という名分が許されていたのだからそれをこれまでどおり延命しろというのがこのツイッタータグの(複数の)発信者のツイートを明らかだ。」
となる。
このツイッタータグを我が国の「文化」を支えるような著名人は誰も発信していない(ようにおもわれた)。
そもそも「文化」+「芸術」の「文化芸術」の定義が特殊用法であるようにおもわれるので、その一点を突く。
「文化」はもはや私たちがとりあえず生きるために必要だが(貧困国に裸一貫で放り出された場合をシミュレートせよ)、「芸術」ははたして生活必需品だったのか、翻って日本人芸術家によって生み出されたそれがあったかというと問いには、少なくとも昭和生まれのマーチ文系卒である単身労働者である私は答えることができない。
勢いで強制終了しそうになる生活に対して踏みとどませるようなるような、詩が、小説が、流行歌が、映画がここ20年でありましたっけ?
この問い自体が間違いだ。
このツイッターハッシュタグの発信者にとっての「芸術」は「imitation of life」に過ぎないのではないだろうか。
う〜ん。今時、オタクだからモテないってこともないと思うんだけどねえ。増田も「平成生まれの私には(それが関係有るのかすら良く分からないが)あなた方のその憎しみがどこから来るのか、正直に言って皆目分からない」って書いてるってことは、自分の世代では、もうオタクは一般社会に溶け込んでて、差別の対象じゃないんだと思ってるんだろうし。
昭和生まれの世代でオタクがそんなに差別されてたかといえば、自分にはそういう印象もないな。「オタク」や「ビョーキ」は好事家たちが好んで使う隠語っぽい自称だった。オタク差別の例としてよく取り沙汰される、東海林のり子がコミケ会場で「ここに10万人の宮崎勤がいます」って言った、ってやつも何度検証してもソースが出てこず、細部も辻褄合わず、何より東海林さん自身が「コミケに取材に行ったこと自体1度もない」とはっきり否定してて、結局「デマだったらしい」という話になる。そんなに差別されてたなら『七人のおたく』みたいな映画の題材にもならなかったと思う。平成生まれの人達の中で「昔はオタクは差別されてた」という伝説が一人歩きしてる感じがする。
学校に行かないというのは、同年代の子供と付き合う機会が少ないわけで、周りの大人(おもに親)の影響をもろに受ける。
学校には行ってるが、学校外で友達付き合いのない、うちの子もそう。
昭和生まれのわたし顔負けの、レトロ感に満ちた趣味嗜好を持ってたりする。
中学生男子が普通、親に「カタクリ咲いててきれいだから見に行こう」とか言わないよね?
確かに子が小さい頃、暇つぶしに自然観察園行ってカタクリきれいねえとかやってたけど、私だってそんなに興味があるわけじゃない。
別に押し付けたいわけでもないし、自然に興味がなくてもいいし、ゲーム三昧だっていい(心配はあるけど)。
「子供が観たいと思ったコンテンツを、親に観せてもらえず制限されたりしてはいないか?」
押し付けてる、制限する、ということなら、ある意味心配いらないのよ。
本人は周りの子と同じような趣味嗜好を持ちたいってことだから。
たぶんあの子はそうじゃなくて、周りの大人の趣味嗜好をそのまま受け入れてるところがあるんじゃないかと思う。
流行りのコンテンツへの嗜好って、自分が見たいやりたいというより、周りが見てるやってるからっていうところもあるからね。
その周りが同年代の子供たちじゃなくて、大人(親)だったというだけ。
わたしは自分の子のこと心配してる。いつ、同年代の子供たちと同期するのかなって。