はてなキーワード: 塗色とは
11月4日午後3時頃、米沢市福田町2丁目地内の道路上で、下校途中の男子児童が、
車に乗った見知らぬ男から後を追いかけられた上、「おい、ボウヤ、待て」などと声を掛けられる事案が発生しました。
【男の特徴】
・年齢:30歳位
・体格:中肉
・顔色:日焼けして浅黒い
・頭髪:黒色短髪
【車の特徴】
・塗色:グレー
登下校や外出の際は、出来るだけ複数で行動すること、明るい道を通ることを心掛け、不審者を見かけたり、身の危険を感じたりした場合は、身の安全を確保した上ですぐに警察に通報して下さい。
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目を落とせば、その合間に見える横断歩道。
ふと、この横断歩道の白い部分だけ使って渡りきることができたら…と思い始める。
小学生かよと思いつつ、渡りきれたら、今日は何か良いことがあるような気分になった。
先程の思い通り、横断歩道は白い部分を踏みつつ進む。
そして、丁度3つ目の白線を踏むその瞬間にそれは起こった。
横断歩道が七色に輝き出したのだ。
横断歩道は塗色が剥がれかけ、白い部分も所々、アスファルトをあらわにしている。
剥がれかけた白色も、フラットデザインのようにのっぺりとした面になる。
これは帰って知ったことだが、横断歩道の線幅には規定があり、45~50cmなんだそうだ。
そして、その間には同じサイズの隙間がある。
つまり、白色部分を渡り続けるには、その2倍の距離ずつ進まなくてはいけない。
小学生のような幼い子どもにとっては、大股になったって渡れない幅だろう。
実際、3つ目までは何の苦もなく渡りきれた。
それなのに、私の希望は結局叶わない。
もはや、その塗色は白色ではなかったが、その上を踏みつつ渡りきった。
もはや白色など見えもしないのに、色の規則的な移り変わりが音楽を思わせたのだ。
人に聞けば楽しくも感じられるだろうその体験だったが、気づけば涙が流れていた。
振り返って見る光景も、どことなくにじんでいた。七色の先に点滅する緑色。
あの瞬間は終わったのだ。
様々な色の車に隠されながら、その横断歩道は元の白色だった。
その白色は、剥がれかけながらも非常に鮮やかに感じられた。
横断歩道が白色であるのは、視認性が高いからなのだと身を以て知ったわけだ。
そんな蛮行の理由を聞かれて、「今日は何か良いことがあるような気分」だったからなんて言えない。
なぜなら、私は大人になったのだ。
つまりはそういうことだったのだ。
やがて、その様子を見るに耐えられなくなって視線を上げる。
かの国で、虹は不幸の象徴だと言われる意味がわかったような気がした。
虹は私を惑わし、不安を残していく。
まるで、虹のような突然の出来事だった。
愛着あるかなあ、無電柱化が綺麗だよねって流れや無電柱化推進法はまだまだ昭和生まれ世代が主導した範囲ではないかな。
この先世代の入れ替わりが進んでいくんだろうが。
日本の景観が酷い等のように言われるが実は景観論争は昔からあったらしい。
もっとも、日本人の景観への意識が強くなったのは景観法施行まで待たないといけないかもしれないが。
東京市街の不潔にして乱雑なるは家屋の概して粗悪なると建築の様式及び塗色の無制限なると、其その他あらゆる都市的設備の不完全なるとに因よるものなりと雖いえども、これ等らを外ほかにして尚なお一個の原因、即すなわち市民自身が故意に市街の体裁を破壊すること、宛あたかも小学児童が自身の手を以もつて顔面に墨を塗り付くるに似たるの事実あり
初めて東京の人となりたる時に於おいて最も市街の乱雑を感ぜしむるものは電柱の遠慮会釈無なく街路の両側に林立せると、之これに貼付せる各種の広告のだらし無きと、商店の看板の拙悪にして無作法なるもの多きとの三にして
とこう書かれていたらしい。