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はてなキーワード: すったもんだとは

2013-08-09

わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。

中学入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネット世界にのめり込んでいった。

中でも楽しかったのはチャット

友達放課後マックに行ったり、クラス男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、

ちょっと不良ちっくな男の子達のリアル体験談にわくわくした。

わたしは地味で目立たないタイプ中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。

というか、クラス友達がいるっていうだけで、クラスメイト普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。

そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。

あの人に出会ったのも同じチャットルームだった。

あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、

そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。

毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然あいさつとかするようになった。

あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、

(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)

あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。

あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。

つの間にかそれを心待ちにしている自分がいて、

つの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。

あなたはどんな人なんだろう、

どんな生活をしてるんだろう

どうやら新潟県在住の歳はひとつ上。

人望厚く、生徒会長をやってるらしい。

(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)

部活野球部ポジションは不明。

すきなマンガはるろけん。

てゆーかけっこうオタク

(じゃぁ私もアニメ詳しくなろうかな!?

シニカル時事問題論破!そこがまたかっこいいよー!!

って思っていた。

ある日あの人が自分小学生の頃の恋愛について話し始めた。

それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、

というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、

(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)

その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。

でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。

私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。

だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。

そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、

使い方が謎すぎて放置していたメーラー説明書100万回読んでメールのやり方を会得し、

メールの画面が夢にまで出てきた)

やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。

あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、

あの人から毎日メールが届くのが嬉しくて仕方なかった。

何回も何回も推敲推敲をかさねて返事を書いた。

他愛のないお話ばかりをしたと思う。

学校友達部活先生

そして、友達たくさんいて楽しい生活送ってんだー!

みたいな見栄もはったきがする。

本当はクラス友達なんていないし、

楽しいことなんかなにひとつない毎日だったけど。

でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、

チャットだけではわからなかったあの人の本当の姿が、

少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。

夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。

あの人がどんどん近くなって来るような気がした。

ずっと昔から友達みたいに。

ある日わたしは決心した。

どうしてもあの人が同じ世界にいることを確かめたくなった。

あの人が生活する街を見てみたくなった。

本当は会いたかったけど、言えなかった。

から誰にも秘密で行ってみた。

電車で六時間雪国

そこは穏やかに時間が流れる真っ白い世界だった。

あの人が歩いているだろう道を歩いて、

あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。

源氏物語みたいなやつ。

今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。

ストーカー・・・??

ではないと思いたい。

帰ってからもそんなことは書かずにずっとメールを続けた。

そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。

それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。

文字以外のあの人のことを何も知らない、

会ったことも見たこともない。

でも気持ちだけは本当だった。

そしてあの人にはあっさりふられた。

理由は好きな人いるか・・・だったと思う。

まり覚えていない(笑)

都合のいい脳みそだな(笑)

そして私たちの1年間のメル友生活は終わった。

それから一年間はあの人のことが頭をよぎって仕方なかった。

あの人からメールが恋しかった。

そのあいだにわたしは高校に上がった。

高校生活は最悪だった。

高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。

唯一仲がよかった友達からも口を聞いてもらえなくなった。

成績もガタ落ちで留年寸前だった。

先生からは通信の高校定時制に編入することを勧められた。

私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。

心を閉ざして暗い顔をしている私に家族も冷たかった。

両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて

わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。

私は中学の頃以上に孤独だった。

誰かに理解されたかったんだろうけど、

それをうまく言葉にすることもできなかった。

勇気をふりしぼってあの人にメールを送ってみた。

あの夏の夜、あの人からメールの返信が来た。

絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。

どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、

私たち携帯の番号を交換して電話で話すことになった。

たぶん私が言いだしたようなきがする。

心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。

その時、わたしははじめてあなたの当の名前を知った。

それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンHNでやりとりしてたの笑

なんか本当に不思議な感じだった。

はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。

私たちは何時間も何時間も話した。

なにをあんなに話したんだろう?

たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。

気づくと朝日が昇って、朝になってた。

そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。

「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」

・・・わかんないよ笑」

・・・すき。」

どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。

たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑

でもわたしたちはこの電話きっかけに付き合いはじめることになった。

その日から私たちは何回も好きだよって言い合って、

毎日明け方まで電話お話しをした。

携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)

会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、

どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。

あの人は早朝の高速バスで遠い学校に通っていた。

その登校時間ギリギリまで話してることもあった気がする。

あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデル女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)

そうしているうちにあの人からあることを告白された。

それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。

それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。

当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。

今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。

自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。

でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。

本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。

それを説明することともできなくて、

たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。

実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。

なんでそんなこと言ったんだろうね、10年前のわたし。(笑)

変だよね。(笑)支離滅裂だ。

壊れる前にぶち壊しにして安心たかったのかなとも思う。

大切なものからこそ。

よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。

あの人と別れてすぐに私は高校中退した。

やめる前後はピークに荒んでいたけど、

いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、

それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。

わたしは友達がほしかった。

から信頼できる仲間が欲しかった。

身も心も生まれ変わって新しい自分になりたかった。

それから3カ月。

今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに

冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。

私の誕生日に短いメールを送ってくれた。

そのメールきっかけにあの人とまた連絡を取るようになった。

ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。

厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。

家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。

付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。

でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。

相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。

というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw

わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。

でも自分からはとても言い出せなかった。

あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。

春、私は高校入学して天理の寮に入った。

ぞの生活の厳しさたるや、それはもう想像を絶するものだった。

朝6時に起きて掃除点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校

はげしいルーティン。

金曜日ジェイソンとかよりずっとずっとこわーい先輩。(笑)

ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、

それでも自分自分で決めたことだから頑張ろうと思った。

もちろん携帯電話は禁止。

どじでまぬけな私は入学早々携帯が見つかり没収(笑)

反省10枚は書いた)

というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、

どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。

この公衆電話がまたすっごいの!

長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!

でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)

ちょー不便!!!(笑)

そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、

あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)

あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。

別に電話しても何を話すわけでもなかったけどさ。笑

それでも。

地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。

そうだ、手紙も何通か交換したんだ。

今でも大事にとってある。

あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。

(確かにあの人は字がへただった(笑)

そういう生活が4年目に突入した頃、

あの人と実際に会おうかって話になった。

あの人は大学生になっていて、

サークル関係京都に来ることになったので、

せっかくだからついでに会おうよってことになった。

その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。

あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、

みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。

わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール

でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。

だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから

と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。

いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、

誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。

から私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。

家族との間に感じている確執にも、

ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、

なんにも向き合えてなかった。

実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。

会うのが怖かった。

実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。

あの時、わたしはもう本当に緊張していた。

心臓爆発だった。

京都駅アトムの下で私たちははじめて会った。

2007年5月12日

出会ってから7年がたってた

わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を

わたしは一生忘れないと思う。

あの人は細くて折れそうな体で

外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。

黒いジャケットに黒いジーンズの全身黒づくめの人だった。

京都駅の長いエレベーターをあがりながら

あの人は私に一言

「でかっ!」

って言ったんだ笑

不思議な感じだった。

はじめて見たあの人は知らない人だったけど、

声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。

人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、

それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。

よく晴れた気持ちのいい日で、清水寺散歩に行った。

綺麗な新緑のさわやかな感じも、

景色の良いお店で食べたカレーの味も、

あの人の横顔も

今もあの日のように思い出せるよ。

よく歩いて、よくしゃべった。

あなた大学の話を、

わたしは寮生活の話を。

帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。

手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、

あのときの私にはそれがどうしてなのかわからなかった。

寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。

あの人からメールが来た。

「楽しかった。また会いたい」って。

私もおなじ気持ちだった。

数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。

いま考えれば不思議なことはなんにもない。

必然だったと思う。

私は寮生活仕事学校で本当に時間がなかったけど、

時間を作っては早朝まであの人と長電話した。

あの人は高校生の頃からずっと苦しみ続けてたみたいだった。

自分の些細な一言のせいで大切な人を亡くしてしまって、

もう人と深く関わるのが怖いって。

ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。

自分は生きてる意味なんかないのかもとも。

私になにかできることはないのか?って思った。

少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。

あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、

本当はものすごく苦しんでるように見えたから。

怖くないって言いたかった。

そうしながら少しづつわたしもあの人に自分のことを話した。

あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉不思議とすらすら出てきた。

いじめられてたこと、家族について、自分性格について。

そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。

混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。

私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。

それは数年前の私たちにはできなかったことだ。

今までどうしても踏み込むことができなかった、

でもとても知りたかった、

知って欲しかったことだった。

話しても話しても話したりなかった。

やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。

ずっとそうしたかったんだと思う。

たぶん14歳ときから

一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。

あの人が私に言葉をくれたんだ。

はじめてあの人に会いに新潟に行った夏休み

本当はわたしは不安だった。

戸惑ってたんだ。

あの人と話すのは楽しいっていう言葉意味を超えて楽しい

でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。

それが無意味不安だってすぐに分かった。

あの人がはじめて私に作ってくれた料理ペペロンチーノ

そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。

帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。

あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、

離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。

あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。

わたしも同じだった。

出会ったことが奇跡なんだって思った。

メール電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、

あの人は神様かそうでなければスーパーマンみたいな人だった。

いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、

私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。

自分のことがよくわからなくなってすぐに投げ出す私の、

私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。

ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。

お父さんみたいだった。

肉親以上の愛情を注いでくれた。

あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。

思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。

わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。

わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。

なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。

それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。

幸せエピソードを並べはじめたらきりがない。

真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、

会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸栃木クリスマスに買いすぎたモスチキン

大学ピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、

別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。

ねえ、わたしはおかしいのかな?

思い出を美化しているだけなのかな?

もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。

たまに幸せ妄想をするんだよ

あの人に出会うために何回も何回もの生を生きて

やっとこの世界めぐり会えたのかもしれないなって

からはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ

あの人がいればなんだってできるような気がした

あの人に話してないことがひとつだけある。

わたしはそれでも迷っていたんだ

私は若くて無知だった

本物がどれなのか判別がつかない程に。

奇跡だと思ってた

完璧だと思ってた

からこそ関係が変化するのが怖くて仕方なかった

わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた

いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った

しろそうなるべきとも思った

そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから

早くあの人を大切にできる自分になりたい

つの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、

あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、

あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった

わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした

わたしは確信がほしくてほしくてたまらなかった

あの人を失ったわたしは

かたずっぽになって

うまく立つことができなくなった

うまく声も出せなった

うまく笑えなくなった

うまく人と話せなくなった

世界は違うものに見えた

怖くてわたしを押しつぶしてくるの

何時の間にかわたしはあなた

荷物を預けて楽してたみたいだ

全部がのしかかってきて

息ができなくなった

笑顔は今でも引きつってる気がしてる

それでも

時間と一緒に少しづ

あの人がいない新しい灰色世界

わたしは受け入れていった

考えることをはじめた

どうしてこうなってしまったのか、

ここはどこなのか、

これからどう生きていくべきなのか 、

あの人のことを何度も思った

ずっと考えていて

分かったことはふたつだった。

ひとつめは、

自分感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと

どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ

ふたつめは、

本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなた出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。

出会えたことがすべてってこと。

ここは確かにあの人がいない Permalink | 記事への反応(2) | 23:51

2013-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20130529121129

不正受給割合は全体の1%以下、という前提が共有されてないから、「適切な受給がなされる」という部分ですったもんだするんじゃないかという気が。

2013-04-03

アファーマティブアクションって、打ち切るタイミングをきちんと決めてそして、それを実行できるなら別に悪くないと思うんだけどな。

曖昧な期限切りになるに決まってるし、悪いことばかり起きるって論ばかり読むけど。

それはどんな時限法でもみんな同じで、実際通ってしまってから色々すったもんだしたりするのに、どうしてここまでそうなるのかな。

メリットは「普通」の改革で、受益者は個々人ではないし、結果は全体でしか語れなくて抽象的になってしまうから

具体的に個々の悪い事象を想定できたり、不利益を被るのが個々人であるから害悪論の方が強くなってしまうのかな。

2012-07-21

中学の頃、友人から「夜、寝てる間無意識に腕を傷だらけにしてしまった」と打ち明けられたことがある。

当時彼女人間関係ストレスを抱えていて、原因はそこかもしれないと語っていた。

かまってちゃんメンヘラじみたところは全くない友人だった。

先日母が父に連れられて精神科受診した。めまいと倦怠感で起き上がれなくなったのだった。

詳しくは聞けなかったが、付き添いの父はうつかもしれないとだけ言った。

昨年母方の祖母と母とで一年近くすったもんだがあったので、元から体の不調を抱えていた母に追い打ちをかけたのかもしれなかった。

私自身も精神的なトラブルを抱えていると思っていた。

実際精神科半年ほど通っていたことがある(引越し就職を機にやめた)。

ただ、上のようなケースを考えると、私は別に精神科など通わなくてもよかったのではないのかと思ってならない。

彼女らほどひどい状態には至っていなかった。無意識にどうこうとか、体が動かないとか、そういうレベルではなかった。

今も通院していた頃の問題を引きずっているが、たぶんこのままの状態が続いても自分は壊れないようにできているのだと思う。

辛いとは思うし逃げたい気持ちも変わらないのだが、身体面に現われない以上思ってるより丈夫にできているようだ。

人より精神的に弱いと思っていたが、思い違いだったのだと知った。酷使しても壊れない人間だった。ただ甘えていただけだった。

2011-12-30

横浜市会議員C氏は、神奈川区選出の中山だいすけ(民主議員 現在も活動中

なんで正々堂々と実名出さないのかね。やっぱり中田は怪しいと思われてもしょうがない。

ハレンチ市長」が弾けた合コン

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1112/26/news024.html

さらに、この記事では横浜市会議員C氏のコメントを載せ、「ハレンチ中田氏の乱行を耳にして、本人に注意した」ら、「中田氏が鬼の形相で『わざわざそんな下世話な話をする必要はない。そういうスタンスなら選挙応援については考えなきゃならん!』と強く言ってきた」(鍵カッコ内は記事などの原文通り。以下同様)と書いている。

 実は、このC氏、横浜市議会でこの問題が取り上げられたときは「そんなことは言ってない」と言い、裁判でも「合コンの注意はしていない」と証言している。しかも、彼は市会議員になる前に、くだんの看護学校の関連病院に勤めていた。

 C氏は以前、私に選挙の応援を頼んできたことがあったのだが、議員活動に不熱心だという評判で、同僚議員を巻き込んで「応援する」「応援しない」のすったもんだがあった。いつも選挙に汲々としているようで、今年春の選挙では、本人の許可を得ないまま現在横浜市長の林氏からの「推薦」を取り付けたと選挙公報に記載し、公職選挙法違反書類送検された。

横浜市会議員で該当するのはこの人だけ。

神奈川区選出の中山だいすけ(民主

http://www.dicek-nakayama.net/dicek/index.html

市長推薦虚偽で公職選挙法違反

http://www.ohnuki-norio.jp/old/blog.php?ID=940&cID=3

不起訴処分

http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20111217ddlk14040290000c.html

中山だいすけブログはこちら

http://ameblo.jp/daisuke-naka/

神奈川区選出の中山だいすけ(民主)の連絡先

http://wiki.livedoor.jp/jskana/d/%C3%E6%BB%B3%C2%E7%CA%E5

彼のコメントが楽しみ。

横浜市神奈川区の皆さん、「議員活動に不熱心」な彼のコメントに注目ですよ。

どうして実名をださないのでしょうか。ククク

上記のbizmakotoの記事には不起訴になったことには触れていない。

 

大阪市アドバイザー中田氏が登場。いろんな意味でご活躍が楽しみです。

名ばかりアドバイザーになりませんように注視しましょう。彼の真の狙いは次の国政選挙です。

2011-07-05

それは言っちゃいけない

生活保護受給者です

今日保護費の受給日。窓口は激混み。(銀行振り込みにすればいいのにと毎回思います

すったもんだしながら順番を待っていると、隣のオッサン同士が口論を始めた。

「オメー今押しただろ!」

「押してねーよ!」

「押したつったら押したんだよ!」

殴り合いになるかと緊迫してきまして、職員の方も様子を見ています

さんざん押した押してない、謝れという口論を繰り返した後

帰り際に一人のオッサンが放った一言

「謝ることもできねえのか!人生やり直せ!」

いや、ここでそれは言っちゃいけないし。

ていうかあんたここに来ている意味がわかってないのか?

2010-11-15

政界が再編されると思ってたけど・・・・・・

昨年9月民主党政権誕生して、いろいろとすったもんだがあり、政界が再編されればいいと思っていた。

でもまた自民党に戻っちゃいそうだなあ。


民主党政権

もう管さんじゃだめと国民が判断

小沢はセーフかアウトのギリギリの状態だが、裁判が長引きアウト

自民党政権

返り咲いたけど、ハニートラップ疑惑の代表じゃなあ

何にも変わっていない自民党国民がNOを突きつける

自民党内・民主党内それぞれで分裂が本格化

みんなの党が造反を吸収又は結成した新党と連立

連立政権誕生


こんなストーリーと見た。

あと10年くらいはイライラしなきゃならんのか?

2010-10-16

この会社ダメだと思った瞬間

一人新人がやめた。

どうも鬱の気配があったらしくて、でもそれを表に出さずに三か月ほど頑張ってたんだけどついに糸が切れてしまったようだ。それですったもんだあって「鬱だったら最初からそう言ってくれたらいいのに」なんて社長がぼやいている。最初から言ったら採用しなかったんだろうなーと思った。

それはまぁ、経営者の身からしたらわからなくもないぼやきなので(口に出すなとは思うが)いいとしよう。

 

けどなぁ。

「俺は最初から続かないんじゃないかなーという気はしてたよ」とか言い出す始末。

で、理由を聞いたら「飲み会に来なかったから」。

 

こりゃダメだと思った。

別に新人歓迎会でもないたった一度の飲み会、しかもその日は彼の出勤日ではない日の会合にに顔を出さなかったからってそんな判断されてたまるか。

悪い人じゃないのはわかってるんだが、そういう判断する人なんだってことは覚えておこうと思った。

2010-08-24

一般論リスカする人は大抵長袖をまくるときに一瞬誇らしげな顔をする

長いよ。ごめんね。

発端は、実家に行ったときに駅で中学の同級生に会ったこと。

時間もあったので、1時間ほど近況報告をしながらお茶を飲みました。

携帯番号とメールアドレスも教えあいました。

1年ほど前に離婚して、現在子供と二人暮らし。

慰謝料はもらえず、養育費アルバイトで生活しているのだとか。

実家の近所に住んでいて、アルバイト中は子供実家に預けているという。

離婚してから精神状態が悪くなり、重いうつにかかってしまい、入院経験

今もぜんぜんよくならなくて、薬をたくさん飲んでいて、よく死にたくなるのだそうです。

ほら見てと腕まくりをすると、無数のひっかいたような白いリスカのあと。

彼女とは、その後もたまにメールのやり取りをするくらいの付き合いが続きました。

ある日、友達と旅行に行く直前になって、彼女から添付ファイルありのメールが届きました。

死にたい、もう死ぬ、私もうダメ」という本文と、腕に切りつけたような傷の写真

でも、先日ダンボールを切るときに勢い余ってカッターで切った傷よりぜんぜん浅い。

旅行をあきらめたとしても、彼女の家までかけつけるには、少なくとも2時間はかかります。

いろいろ考えて、彼女実家へ連絡をしました。

子供を頻繁に預けていることでわかるとおり、彼女の家から実家までは徒歩圏内です。

両親と祖父祖母、社会人の弟妹がいるので、人手もあります。

卒業アルバムをひっくり返して電話番号を見つけ、なんとか連絡をつけました。

すみませんと謝る妹さんに、早く行ってあげてと声をかけて、その件は終わりました。

終わったと思っていました。

旅行に行って早々に、携帯メールがうまく受信できなくなりました。

(単純に自分の設定変更によるミス

旅行先でショップに持ち込み、原因がわかって、設定を変更しました。

受信できるようになったとたんに、ものすごい数のメールが届きました。彼女からです。

最初のほうのメールはこんな内容です。1文1通な感じ。絵文字も使っています。

ひどいどうして返事してくれないの?

ずるいよ来てくれたっていいじゃない。

どうして○○(妹)ちゃんに電話したの?

まだまだ続いています。漢字絵文字がなくなります。200通を越えたころです。

おこらないであしわるくない

いたいよちがでてまっかだよしんじゃうよ

かぎかけてはいれなくした××(私)さんだけいれてあげる

なんできてくれないのなんでめるめるしたのに

たすけてたすけてたすけてなんでこないの

そして、数えるのも面倒になった最後の方。ご丁寧に赤文字です。

しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね(以下略

ひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろし(以下略

とんでもない通数に、パケット定額に入っていてよかったと思う反面、

何で私がそこまで面倒見なきゃいけないわけ?と不満に思って、内心ムカムカしていると、

友達が教えてくれました。(同じ中学出身で実家住まいなので、地元情報には強い)

噂なので話半分に聞いてね、と言われたことによると、

彼女離婚の原因は、彼女自身の浮気と散財、家事放棄。

洗濯掃除は旦那さんの仕事彼女は買い物と食事の準備が担当専業主婦ですが)

旦那さん(夜勤もあり)の不在のときはほとんど彼女も不在。

貯金を1ヶ月、給料を3日で使い果たし、実家に金の無心「ダンナが安月給だから」

朝食が食パン牛乳、夜はファストフードスーパーのお惣菜、カップめん。

子供が出来たら、食事の準備も旦那さん。気晴らしに一人で遊びに行き、朝まで戻らない。

あげく、生まれた子供は明らかに人種が違う。日本人じゃない。すったもんだして離婚

実家に戻るも、資金不足とワガママが通らないことで頻繁に自殺未遂。別居になる。

そういう状態なので、地元にはもう相手にする人がいないらしい。

そうかー、私はいいカモだったのねぇ。メールアドレスを拒否設定にしました。

その後は平和です。

自宅の住所と電話を教えなかったのは、何か感じるところがあったのかも。

2010-06-19

張本勲江川紹子降板騒動

ニュース記事とか、きっこのブログとかによるとすったもんだがあったようだが...。

要は、張本の「喝!」ってのは芸なんだから、共演者は芸を壊してはいけない。

小島よしおの「熱湯風呂熱くないのバラしちゃった」事件とおなじで。

要は、江川紹子に「演者」としての自覚がなかったということで、

ジャーナリストだというのもわかるけど、「芸の場」では多少立ち居振る舞いを変えないとだめだー。

そういう人が芸の場にはご遠慮ください、と言われるのはまあ、わからんでもないし。

要は、サンデーモーニング報道っぽい面をしているが単なるバラエティショーなわけで

言論というほど高尚なものでもない。

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