はてなキーワード: 煎茶とは
(正直、コロナ騒ぎで好事家がコレクションを手放さないかなーという岡村的発想もあった)
ここ数日明らかに新着出品の傾向が変わってきた
個人の焼き物好きが集めるもの「ではない」有名陶芸家の作品が出回り始めているのだ。
個人がよく集めるのは、だいたい以下のような感じだ
上記に加え
上記に加え
要するに、趣味や家に飾れる範囲のインテリアにはお金を出せても、揃えて10-30万クラスの食器で普段の食事をしようという人はいくらなんでも少ないということ。
陶芸家の方もそんなことは無論承知だから、この類のものはもともと市場に出回らず、ダイレクトに料亭やレストランに卸されることが多い。
で、件の出品群の中には、料亭出品であることを明言しているものもある。
それが手放されるということは、、、悪ければ倒産に伴う債務整理か、もう少しポジティブに受け取ると、秘蔵の食器類を少し減らして当面の運転資金にしようとしているのだろう。
で、落札の傾向を見ているとやはり「個人で集めるもの」にかすっているようなモノは高額で落札されている(例えば大型のお銚子単体とか。一品で持続化給付金くらいになってたりする)が、皿類は低調に見える。
http://anond.hatelabo.jp/20160513123402
和菓子って、おいしくない。 - はてな匿名ダイアリー
レシピ本には、さまざまな一工夫が載っている。
ひとつまみの塩を入れると甘みがたつとか、黒砂糖など精製度が低い糖を使うと、餡の味に深みがでるとか。
家庭でつかう上白糖よりも、敢えて精製度が高い氷砂糖、グラニュー糖を煮溶かして使う。
渋抜きも少なく、小豆の旨味と雑味に、砂糖の甘みをギリギリのバランスまで。
あと少し念入りに渋抜きをしたら、きっと平凡な味になっただろう。
足し算と引き算だ。
足すのは砂糖それ1つ。
おそらく、豆嫌いには苦手な味だろうし、豆嫌いでなければ、単調で平凡と感じる人が多いことと思う。
ほんの一工夫で、水墨画から奥行きがあってカラフルでグラマラスな世界に飛躍できるのに、それをしない。
書のような、潔さ。
口の中に残らず、脳に残る余韻。
俺にも、生ドラ、生クリーム大福、ああいうものを有難がる時代もあった。
しかし、意外とないのだ。
よもぎだかクロレラだかわからないくらい、香りがなく色だけつけたような草餅だったりする。
昔なら餅を使う大福も、うるち米でつくる柏餅や草餅も、餅粉や求肥だったりする。
さすがにどうかと思うんだけど、昔ながらの作り方だと冷蔵庫に入れると硬くなるから敬遠されるらしい。
常温でいいものを冷蔵庫に入れるために製法を変えるとか、なんかのパロディだろうか。
はちみつやら水飴やらみりんや醤油の隠し味なんか要らないのに、なぜ要らん工夫をするのだ?
ところで、コーヒーと和菓子が合うことは意外と知られていない。
実際、お茶よりも合うかもしれない。
甘くないやつがいいの!
つかコーヒーってそんなに売れてんの?
コンビニ行っても、ホットのコーナーにはお茶、烏龍茶、ほうじ茶、無糖紅茶、煎茶、玄米茶と各種取り揃えてるじゃん。
お茶飲もうと思って自販機行ったら、唯一のお茶が「うりきれ」だった時の絶望。
そりゃ売り切れるよね、だって他はミルクティーとコーンポタージュとホットいちごみるくで残り10枠コーヒーだもん。
何なんだよお前ら。
レパートリーとして、ミルクティーやコーンポタージュがあるのはいいと思うよ。
ホットいちごみるくだって、まあ、そういう枠が一つくらいあったっていいよね。
3枠ゆずれよ、譲り合いだろ?
お前らに10枠使うくらいなら、「つめた~い」に席譲ったほうがまだマシだっつの。
むしろその水あっためとけよ!
俺的にコーヒーなんざお湯以下だよ!お湯買うよ?
なんなんマジ
ほんとなんなん・・・
しかし伊藤園は更に考えました。単に「緑茶」だけでは、消費者のみなさんへのアピールが足りない。どんな名前が適当なんだろうか?そこで行った追加調査で、「日本人は緑茶に家庭的なぬくもりと、すぐそこにある日常性を感じている」ことがわかりました。
1970年代、島田さんが「お~い、お茶」とおっとりとした口調で呼びかける緑茶リーフ(茶葉)商品のCMがたいへん好評で、それが伊藤園が消費者のみなさんに伝えたいイメージとぴったりであると考え、“缶煎茶(かんせんちゃ)”に代わるネーミングとして採用されたのです!
ただ「おっとりとした口調」ってのがミソで本来なら主従関係にある夫婦では「おい!お茶」くらいが普通のところ、日本人らしい(笑)優しい父親のいる家庭内では「お~い、お茶」という呼びかけになる、っていうことからいいイメージっぽいって思ったんだろうね。
でも結局は「お茶」って体言止めを命令にするって非常に相手を見下したことはやっちゃってるんで、それは拭いがたい男尊女卑の意識があるんだろうね。
アホかと馬鹿にしていたが、昔の茶人とか、野原や河原、しまいにゃ戦場や山のてっぺんで茶会を開いてたんだよな。
敷物もって、釜もって、茶筅、茶杓をもって、紙コップや軽量プラスチックのカップなんてなかったから、落としたら割る重たい茶碗を持ってさ。
火をおこしてお湯を沸かして、お茶を飲む。
カレー作ったりバーベキューするならとにかく、お茶だけのためにその労力わけわかんねぇ。
と思ったんだが、山でお茶を淹れて飲んだら美味かった。
急須持ってってお湯沸かして飲んだら最高。
山まで出かける必要もない。
深夜の歩道橋でお茶を沸かして、ミルで豆を挽き、ドリップしてみたら、もう飲む前に香りだけでやばかったね。
いつものコーヒーがまるで酒のように気分を高揚させた、住宅街の窓の明かりが、世界遺産かなにかのように思えてならなかった。
西の空が赤く染まり、東の空から一つ二つと星が輝き出す様子をみていると、地球って素晴らしいと思うことさえできた。
野点とかいう野外の茶会って、大名だってはまったんだから、貧しい者にとっても富める者にとっても、単身者にとっても独身者にとっても、気持ちいいことなんだろう。
コーヒーでもお茶でもいいんだけど、お湯を沸かしてカフェインチャージするだけで、人は簡単に幸せを実感できる。
閉店間際のスーパーで、半額の寿司と発泡酒を買って、公園で食べるのもなかなかのもんだ。
就職できないからとか、リストラされたからとか、モテないからとか、そんなことで悩む必要はない。
涼しくなっていい季節だ。
リュックにヤカンとコンロを詰め込んで、ドアを開けて外に出よう。