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はてなキーワード: 倫理学とは

2009-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20090222194001

倫理的規範はそんなの常識じゃねえよっていくらでも言えるところが怖いんだよ。

実質的には、常識かどうかを疑うことは何も言ってないのに等しい。

哲学における倫理学も、「人を殺してもいい」「傷つけてもいい」なんて疑いだしたら成立しなくなるだろう?

そういう根っこの前提を疑うこと自体がたいていおかしい。

確かに、時として前提を疑うことも必要ではあるが、その場合は新しい前提を導入することでどういう利益があるかを示さないといけない。

でないと、繰り返しになるが、何も言ってないのに等しい。つまり、お前の言ってることは中身が無い。

文句言うだけなら誰にでも出来る。

さあ問題に立ち返ろう。

コンビニがずさんな管理をしていたというニュース。どう見てもbadだろう?

これをナイス!と思うのは不謹慎だという倫理が君にはないのか?

2008-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20081221065818

いや、どうなんだろう。

元増田は、今現在多分学業もしくは仕事の面での現役世代で、「私が死んだときは一切そんなことはして欲しくない。直ぐに焼いてくれ!」と言えるくらい毎日精一杯目一杯に生きてるんだと思う。

そんな人として、「この葬式システムは、現状に即してない無駄な部分が多すぎるのでは」という感想が湧いてくるのはごく自然な事と思う。

それに対し、「精神的に孤独になったときに生きていく自信はあるのか。

あなた自身の葬式はなくてもいいと自分では思っていても、呪いで出てこない自信はあるのか。

出てこないと誓うとしても、確実なことはわからない。」

とまで言うのは余計なお世話かと。

元増田がおばあちゃんを悼む気持ちは、旧世代の人間達と変わらないだろう。

そして、彼(彼女)は現代社会リアルに生きている人間で、葬式の形式が確立された時代とはかけ離れた感覚なのは当たり前だろう。

それを、「心理学とか倫理学とか哲学とかに触れたこともない学の無い人間」みたいに書いちゃってるのはどうかと。

http://anond.hatelabo.jp/20081221094619

こういう意見もあることですしね。

2008-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20081220125045

精神的に孤独になったときに生きていく自信はあるのか。

あなた自身の葬式はなくてもいいと自分では思っていても、呪いで出てこない自信はあるのか。

出てこないと誓うとしても、確実なことはわからない。

心理学とか倫理学とか哲学とかそっち系放送大学かどこかで学ばれることを勧めます。

2008-11-16

妥協したくない

今、二十代中盤。

いまだに精神的にはガキのままだ。

中学くらいから、ずっと、正義とか、真理とか、真実とか、何の得にもならないことを考えて来た。

哲学にかぶれたり、倫理学に手を出したりもした。科学にそれを求めたこともあった。

疑いようのない、絶対的な一つの指針みたいな物を、ずっと探してた。

三十歳が見えてきた今も、それはまだ見つかっていない。

二十歳を過ぎた頃からだろうか。そんな絶対的な物なんて、なくたっていいじゃないか、と思うようになってきた。

みんな、そんな物なくたって立派に暮らしているだろう?

そんな物なくたって、幸せになれるだろう?

そう考える度に、それは妥協だと、自分に言い聞かせてきた。

どんなに自分が幸せを感じたって、豊かな人生を歩んだって、それを計る指針がなければ……。

死に際になって突然、「あなたはこれをするために生まれてきたのだ」と神から教えられたとして、それに背いた生き方をしてきた自分は、「満足のいく人生だった」と納得できるか?

もちろん神だなんてのは物の例えだ。

けれど、何でも良いから心の底から宗教を信じられれば幸せだったかも知れないとも思う。

疑いようのない、確かな物を持っているというのは、それだけでとても凄いことだと思う。

今、歳を重ねるにつれ、昔抱いていた疑いようのない確かな物への憧れは、徐々に薄れて来ている。

それが当たり前なんだと思う。

みんなそうやって生きている。それで何も困らない。

けれど、自分の中の一部がそれを否定する。

このまま、妥協して生きていきたくない。

けれど、それを見つける術は、まだ見つかっていない。求めれば求めるほど、それは存在しないのではないかと思えてくるほどだ。

2008-11-13

目的目標を区別しよう

yahoo!辞書より引用

もく‐てき【目的

1 実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。「当初の―を達成する」「―にかなう」「旅行の―」

倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。

[用法] 目的目標――「目的目標)に向かって着実に進む」のように、めざすものの意では相通じて用いられる。◇「目的」は、「目標」に比べ抽象的で長期にわたる目あてであり、内容に重点を置いて使う。「人生の目的立身出世に置く」◇「目標」は、目ざす地点・数値・数量などに重点があり、「目標は前方三〇〇〇メートルの丘の上」「今週の売り上げ目標」のようにより具体的である。

もく‐ひょう〔‐ヘウ〕【目標

1 そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの。「島を―にして東へ進む」

2 射撃・攻撃などの対象。まと。「砲撃の―になる」

3 行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準。「―を達成する」「月産五千台を―とする」「―額」

目的抽象的、実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。

目標:具体的、目印、対象、実現・達成を目指す水準。

目的は1年後の決算で黒字にする、目標は1ヶ月の売り上げを2500万円を目指す。

目的は持続可能な社会を目指す、目標生産→消費→破棄→資源(循環を目指す)

目的幸せになりたい、目標金持ちになる。

・・・これではわかりにくい。一つの目的に複数の目標があるって考えたらわかりやすいかな。

目的は○○大学に受かりたい。目標偏差値60以上、金銭面で大丈夫か確認。

目的偉人たちの考え方、発想法、創造力を取り込みたい。目標ヴィトゲンシュタインアインシュタインカント原著を読む。

目的言葉の使い方を知り、区別することで考え方を整理する。目標は、目的目標の区別をする。

んー、戦略戦術みたいな違いだろうか。理念と方針の違いとか。抽象的とか具体的とかを考えるとき、集合を使って考えた方がわかりやすいような。KJ法みたいに、ラベル目的で、各要素が目標・・みたいな。

2008-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20080921135110

匿名ダイアリーで書くことへの批判を、匿名ダイアリーで行うとはなんという皮肉

自己言及の逆説は「逆説倫理学」に書いてあった。「詭弁倫理学」だけでなく、こっちも面白い。

やれやれ、また匿名空間でちくちくはじめるわけか。

また新たなSokalian君が現れて顕名デビューして恥かくのかねえ。

2008-09-16

ホロコーストポルポト関東軍

理解するつもりは無いと言われたd:id:Apemanと理解できないと言ったd:id:HALTANの間のやり取りが面白い。

なにごとかを批判する際に「ホロコースト」を参照することが許せないらしい id:HALTANとか id:Sokalian のような潔癖な方々(しかしその割には「ポル・ポト呼ばわり」はスルーするんだよね)には、日銀大阪府下の市町村教委と関東軍の間にどれほどの接点があるものなのか、ぜひともご高説をうかがいたいところだ。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080915/p2


これに対してd:id:HALTANは「汚いぞ(怒) - HALTANの日記」(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080915/p2)で怒っているみたいですが、怒るところがコミニュケーションの不成立なのか。確かに皮肉めいた部分は多分にあるとしても、関東軍呼ばわりについての意見を聞きたいというのは、それに対する批判的な意見を良しとしている、少なくとも悪いとは思っていないと判断できる。これはポルポト呼ばわりについても同じ。

それを「ホロコースト」の参照にも適用すれば、これもまた批判を期待しているということ。実際には批判はすでになされているので、批判を認めるというように解釈できる。

だから、これをもってホロコースト批判を正当な物として暗黙に認めたとも解釈可能。

とするのは詭弁がすぎるかもしれないけれど、これはもともとが詭弁だから。「詭弁倫理学」に書かれている「相殺法」で、さらに細かく言えば「公平の原則」というもの。具体的な例を出せば、悪いことをして怒られた子供が「自分だけじゃない」と言ったり、交通違反で捕まったドライバーが「他にも違反している人がいる」と弁解するようなこと。自分の行動や主張が正しいということを言いたいのならば、それを言えばいい。他を持ち出してのいいわけは、自分の非を認めていることになるのは自明なんだけれども気がつかない人は多そう。

自分が『「声高に」「連呼」して悲劇を「見世物」にしているああ恐ろしい……』のような非難をされたから、他の人もそうされるべきというようなことを書くのは、率直に言って良くないこと。皮肉として言ってるとしても、たとえでは無いと主張されているものと、たとえとして使われているものではまったく別だとかd:id:HALTANに言われたら困るんじゃ。

ホロコーストの参照が、ポルポト関東軍呼ばわりと違うのが「たとえ」であるかどうかという点。後者はたとえとして使われているもの。別の言い方をすれば比喩やアナロジーホロコーストに関してが「たとえ」ではないというのは、そういった主張が本人によってなされているから。それがたとえの意味としてはおかしいという批判が一部にあるにしろ、本人の主張は尊重すべき。

d:id:hokusyuアナロジーとしてのたとえでは少なくとも無い、と限定した意味使用していることを説明しているのがさすがに頭が良いところ。とはいっても、○○では無いということは言っても、それでな「何である」のかについては書かないのが不親切。まあこれも頭の良い行動ではあるんだけど。

d:id:Apemanの「ポルポト呼ばわり」や「関東軍というたとえ」の是非に関する意見や、それらと関連した「ホロコーストの参照」の、それぞれの類似点や相違点についてまとめて書かれた物を読んでみたいと思うけど、あまり期待はできないかな。

それよりは「捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/)の「俺が見たトリアージ論争」の続きでホロコースト論争についても言及されることや、「ARTIFACT@ハテナ系」(http://d.hatena.ne.jp/kanose/)で意外と知られていない有用なエントリーが紹介される方が可能性が高そう。

それ以外の人だとd:id:sk-44あたりがもし「ポルポト」や「関東軍」のたとえと、「ホロコースト」の参照に関することを書いたら興味深い内容になるのではと勝手に期待。

(追記)

d:id:Sokalianhttp://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080915/p2コメント欄で「知るか。」と書いているから、関東軍ポルポトホロコーストについては書いてくれないかな。でも、d:id:Sokalianの立場なら全部良くないと言っても整合性がとれてしまうのが面白くない。ホロコースト使用に肯定的で、ポルポト関東軍のどちらかにでも否定的な意見の人の見解の方が興味深い。

2008-08-17

トリ-ナチ-経営学論争への個人的疑問総まとめ

増田では概ね有意義な反応が尽きたようなので、戦闘的でも粘っこくもなさそうな方に試しにトラバ

http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080814/1218670547

さて不謹慎な表現など多々あるかと思うけど、以下に私的な疑問・論点をまとめます。

時間掛けて経営学医学倫理学歴史学を学んでたら、軽くクリアーできる論点・誤解もあるかも知れないけど、その他も含めてご容赦を。

●論点1 トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

●論点2 「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

●論点3 「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

●論点4 経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

●論点5 トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

●論点6 トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

●論点7 むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。

●論点1

トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

たとえば、短い時間で選択を迫られるという意味でなら、(汚い例で恐縮だけど)映画館で上映開始数分前に便意を催し、

そこで素早くトイレを済ませるか、そのまま2時間前後我慢するかなど分単位決断を迫られたりとか、

あるいは語源となる(らしい)コーヒーの選別作業など秒単位決断を迫られる行為が、実は日常でもよくある。

もちろん時間以外の資源をモノサシにする場合も同様に議論を進められるはず。

つまり、時間等の量的な制約をその条件とするのであれば、いわゆるトリアージ以上に「極限状態」とみなせる

選択はいくらでも存在することになり、なぜトリアージだけを取り上げて「極限状態」と呼ぶのかがわからない。

そして呼ぶだけならいいとして、そこに殊更特別な意味を見いだそうとする行為には恣意性が入って来ないか?

明確な基準がなくはっきりしないせいで、そうした疑問が浮かんでしまう。

もし資源制約等々を最初から全部取っ払って、人の命を「切り捨て」るプロセスを指し「極限」と呼ぶのであれば、

蘇生行為の中断や、人工呼吸器の取り外し、あるいは脳死判定?など、(当事者にとっては非日常ではあるものの)

平時の医療行為の中にもそれらは存在する。これらはいずれも倫理学検討に値する問題ではあるんだろうけど、

今回の問題意識とはずれているのではないかという気がする。なぜなら、経営学講義中の「資源制約下の選択」

というトピックで取り上げる事は難しいと思えるから。よってこれも不適。

ここからはさらに妄想。そこで「資源」の意味をもう少し拡張し、技術水準まで含めるとしたら?

現代医療で人工呼吸や蘇生脳死判定が要請される重態の患者でも、実は簡単に救えるほどの医療技術

遠い将来いずれ誕生する事を想定すれば、それらの現場を「極限状態」と呼ぶ事も可能かも知れない。

けれど何事も有限なこの世界で、資源の有無は所詮相対的な問題でしかないから、逆に心臓マッサージも知らない

ような時代まで遡れば、現代医療は「極限」でも何でもなく、相対的にかなり恵まれた状態だとさえ言えるかも知れない。

だからこの妄想理論も、当然すぎるほど当然ながら、使えないよね多分。

●論点2

「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

トリアージ現場では、住所氏名年齢性別人種思想信条宗教経済状態等ではなく、たとえばSTART法に

代表されるように、あくまで症例とその喫緊性を判断材料にして、医療資源の配分が決定されて行く。

そこでの個人は、生存者の最大化という観点から、同じ人間同士限りなく対等に扱われると見ていいはず。

他方、ナチスアーリア人種なんかにとって、異民族共産主義知的身体障害者等の存在有害だと

訴えてたわけで、その排除は平時であると有事であると問わず、進行していたんじゃなかろーか。

不謹慎な言い方をすれば、対等ならざる「異分子」の排除は、保健所動物駆除のように、

生存権私有財産権その他の人権を持たざる者と扱った上で、粛々と進められたんじゃないかなと。

また日本北欧等でも障害者社会的弱者の断種手術が進められたけれど、これらも特に有事であるからと

行われていたわけではないはず。社会ダーウィニズムや通俗的な理解によって「市場原理主義」など(あるいは

原理主義資本主義」?)と呼ばれる淘汰のプロセスは、ある緊急時の必要に応じて進む(進められる)

と言うよりは、むしろ長期的に徐々に着実に進行していくモデルだと考えるのが妥当だと思う。

そして比喩としての「極限」的危機のアピール自体は、かつてのワイマール共和国を含む(民主主義・非民主主義問わず)

あらゆる国家で行われる、支持者獲得の為の常套戦略で、たとえば、核戦争原発メルトダウンの恐怖を時に過剰に煽るのも、

類似の行為と言えるのでは?ナチスに特徴的な行動として取り上げるのは些か困難じゃないかと感じる。

以上の点から、トリアージ差別的な(どころか相手を人間扱いしていない)ホロコーストとなぞらえるのは

間違いであるし、また仮にトリアージが「極限状態」の選択であると仮定しても、ナチズムやホロコーストとの

同質性を認定するのは恣意的だと考える。トリアージの普及推進や例示がホロコーストと地続きである、または

そうした考えを広げるというのは、不謹慎である事を除いても有益な議論とは言い難いはず。

そもそもホロコーストの最たる物である絶滅収容所等におけるユダヤ人殺害は、ナチスドイツ

敗色が濃厚になった戦争後半期にかえって加速していたようで、一般的な意味で言う有事への対応や

資源の最適な配分という意図からは、どうも外れた感が強い。元々戦場の論理とは別物なのでは。

●論点3

資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

トリアージ現場においては人員物資設備等の制約がボトルネックとなっているけど、そもそも人員物資設備等が

無限であれば、トリアージはもちろん企業経営の探求や経済学考察など、資源の効率的な配分を研究する

学問・営為は生まれなかったはず。経営学経済学をはじめ、多くの人間知的営為はその濫觴において、

現実世界資源の有限性を前提としており、その有効活用目的としているわけだから。

たとえば、市場メカニズム根本を支える価格シグナルは、財やサービスの需要と供給によって決定されるけれど、

供給無限商品の物量だけでなく運搬供給設備やそれらの生産性等も)であればその価格ゼロとなり、

人は欲望の尽きるまでそれらを蕩尽するはずだが、もちろん現実はそうじゃない。一見価格ゼロに見えても

広告販促込みだったりして誰かが費用を負担しており(そのままでは持続可能ではない)、いずれにしても

価格」の存在は、資源の有限性がこの世界に付き物だという事実を、端的に示していると言えるわけ。

またたとえば、かつて環境問題が今ほど注目されなかった時期には、社会的制限が存在しない中で

工場は排煙を垂れ流し放題だったけど、現在では空気ですら無限ではないというのが、環境問題認識する

あらゆる人間の知る所で、その為に各種の環境規制や課税が行われ、少なくとも先進国では、工場経営者も排煙その他の

公害原因の扱いに注意を払うようになっている。逆に各種エネルギー補助金(それは低い技術水準とワンセットだが)を

与えている中国インドなどは、その凄まじい蕩尽によって資源の国際価格高騰や各種公害の原因としても台頭している。

以上のように、資源無限か有限か(≒価格ゼロか否か)は、その資源を効率的に扱うインセンティブを決定している。

そして、およそあらゆる物に価格税金規制が付きものなのは、それらが現に有限だからに他ならず、

経営学経済学トリアージはもちろんとして、多くの人間知的活動はその資源制約によって発展・流転を促されてきた。

よって「資源の有限性を前提にするな」という主張は、現実を無視し多くの知的活動を否定する行為に等しく、場違いな指摘だと考えます。

有限性の前提や資源の効率的利用・効用最大化と言った考えがナチズムへとつながるのであれば、必然的にこの世の

学問・営為・制度・生活習慣は、その多くがナチズムの眷属となり、今回の件を特別批判する意味は限りなく薄まるはず。

●論点4

上と関連して。経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

経営学経済学は、もちろん共に資源制約の下での効率的利用を目的とするんだけど、後者が主に

社会全体の効用最大化を目指すのに対して、前者は時に社会全体の効用をかえって損なう決定を推奨しかねなかったりする。

既に上で述べた環境問題における企業行動が典型例だし、あるいは独占や寡占の追求、他企業とのカルテル

最近も相次ぐ情報の非対称性を悪用した偽装問題など、企業は時に利益追求という存在意義に忠実なまま、

社会全体の最適化からは逸脱しちゃう場合がよくある。そうした行為には違法な物からグレーゾーンまで何でもあり。

他に経済学概念上でだけで考えれば、ブランド構築・製品差別化特許等の独占的使用販売権の取得等も、

完全競争を避ける狙いから行われる、社会全体の最適化に反した行動とみなせる。もちろんこれらの場合は

消費者社会利益となる場合もあるんだけど。ともかく経営が目指すのは本質的部分最適・部分均衡なわけ。

このように企業はいろいろな経営的実践を通して、市場における競争を避け、超過利潤・独占利潤を得ようとする。

それに対して、各種公害規制や独占禁止政策・不正競争防止、情報の非対称性の排除などを通じて、市場メカニズム

健全な作用を維持し、また時に所得再分配考慮し、社会全体の効用最大化を目指すのが、一般的な意味で言う経済学の使命。

つまり、別々の学問として定立している以上当然なんだけど、経営学的実践における「全体」と、

経済学的・政治的・社会的実践における「全体」とは、多くの場合かけ離れているんだね。

よって、(仮に)経営学的営為の例としてトリアージを取り上げる場合でも、それらが一般的な意味で言う「全体」、

社会国家全体に敷衍されて適用される恐れがあると考えるのは、学問目標を見誤った、飛躍を含んだ主張じゃなかろーか。

●論点5

トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

既出のようにこの世界のあらゆる物は有限であり、ある選択は必然的に他者の選択を制限してしまうのが世の常。

だからたとえば、日常の買い物で財布の中身と照らし合わせながら商品を決める(予算制約下の最適化行動)裏には、

売り上げ好調で繁栄する勝ち組企業と同時に、売れない商品を作って経営不振に陥り、場合によっては

倒産する「かわいそうな」負け組企業存在があったりする。ひょっとしたら「切り捨て」られたその経営者

自ら命を絶ってしまうかも知れない。その他日常ありふれた選択が、当然のように多くの他者の運命を決定している。

政治上の決定で見ればもっとわかりやすい、再分配は必ず財源を必要とする。

たとえば公共事業を削ればどうしても倒産は増えてしまう。増税だって薄く広いだけで景気を落ち込ませずには居られない。

以上のように考えれば、無視出来ない他者の範囲は空間的・時間的に際限なく広げる事が可能であり、

トリアージだけを取り上げ、その「他者性がない」側面を強調する行為には、恣意性が含まれているのではないかと。

●論点6

トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

仮に「災害時に被災・負傷し、物的人的制約のある災害医療の拠点に搬送された場合にどのような治療戦略を望むか」

という契約をあらかじめ(被災時に意識を失えば意思の確認が出来ず不公平なので)交わすとすれば、

そして公序良俗に反するという立場から、金銭などの代償を対価とした優遇や、自己犠牲を禁じ手とすれば、

自由かつ平等な個人は、期待生存率を最大にする為=自分自身の為にトリアージを選択する権利を行使するはず。

これが全体主義国家ならマイノリティ放置され、地位や能力のある者の治療を優先させられるかも知れない。

よってトリアージは「みんながひとりのために」でも「ひとりがみんなのために」でもなく、

「ひとりがひとりのために」という個人主義ベースとした選択と考える事も十分可能だと思う。

また自分の命が常に他者の命と可換であるという強い認識が働くから、他者認識がないという批判も的外れとなるはず。

(ちなみに治療従事者自体はロボットだって構わないわけで、その他者性認識を問題にする意義は仮想の話の上では薄いと思われ)。

以上はリベラリズムの基本である無知ヴェールアイデアを多少拝借した物。

無知ヴェールとはリベラリズム上の社会正義のあり方を考える思考実験で、それを被された者は他人はもちろん

自分も含めたあらゆる属性・・・住所氏名年齢性別人種主義主張経済状態等々・・・がわからなくなってしまう。

その状態で、各個人は自身の利益も含めもっとも望ましく公正な社会の条件を考えてみよ、というのが実験の中身。

で、リベラリズム上の議論においては、その条件の下で「格差は最も弱い立場の人々の効用を最大化する目的でのみ正当化される」

という「格差原理」が導出される事になっている。では、トリアージ現場において、それがどのような人々に当たり、

かつその条件の下で選択要請される治療戦略とはどのような物になるだろうか、ちょっくらこれを考えてみる。

まず被災患者を症例・緊急度により以下のように分ける。

A.所与の医療資源技術では、どれだけ治療を施しても亡くなってしまうとされるグループ(START法では黒いタグを付けられる)

B.放置すれば亡くなってしまうが、治療を施せば助かる可能性のあるグループ(赤、または黄色のタグを付けられる)

C.治療の必要が無い軽傷か無傷のグループ(緑のタグを付けられる)

そして以下のように選択可能な治療戦略が提示されているとする。

1.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、医療資源を人数分で割って全員に割り当てる「平等戦略

2.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、各人へのくじ引きで割り当てを決める「機会均等戦略

3.最も重症で生存の見込みのないAは一番「かわいそう」だから、そこに医療資源限界まで注ぎ込む「蜘蛛の糸戦略

4.Bに医療資源を注ぎ込む、いわゆる「トリアージ戦略

5.まずCに医療資源を注いじゃおうという、文字通りの「贅沢戦略

これら5つの内であれば、各人は全体最適など考えずとも(それを考えるのが完全な悪というのもおかしいんだけど)、

個人の利害に触発されて、自由かつ平等な権利の下に、最も自らの期待生存率の高い4のトリアージ戦略を選ぶはず。

ではその場合の「最も弱い」人はどの患者グループなのか、その効用はどうなるのかを不謹慎な表現も交えるかもだが次に検討

もし医療資源を注ぎ込んでも「ほぼ」助からない黒いタグ、この場合グループAの患者だとすれば、どのような治療戦略においても

「ほぼ」死亡という結果に終わり、効用は「ほぼ」不変=「ほぼ」常に最大だからトリアージを選ぶ事は「ほぼ」許容される。

次に死亡状態とみなされる人ではなく、助かる可能性はあるが治療を必要とする赤や黄色のタググループBに含まれる患者

「最も弱い立場」とするならば、トリアージによって最も手厚く医療資源を配分される事になるから、やはり許容範囲となるはず。

グループCの緑のタグ患者検討するまでもないとします。

問題はもちろんグループAについての「ほぼ」の取り扱い。技術水準の問題として閑却する事も話の上では出来るんだけど、

(前にネタのした時は確実に生存率を判定出来ると仮定したので簡単だった)、現実トリアージではそうは行かない。

ただ、いずれにしても確率的な選択を強いられるのであれば、やっぱり4のトリアージ戦略しかないと思うんだけどね。

あと検討の順序が逆だったり、戦略や条件の設定の重複・恣意性等あるけど、まあ素人なんで大目に見てくださいな、と。

基本的には無知ヴェールまで降りて議論するまでもなく、最初の期待生存率+公序良俗の「治療戦略選択契約」の話で

大体OKと思うし、そこで「全体主義的」なる批判はシャットアウト可能だと考えてます。よってここらでこの論点終了。

字数制限でhttp://anond.hatelabo.jp/20080817193711へと続きます。目障りでごめんなさい。

2008-08-15

秀逸すぐる。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p1#c1218639527

同じことを言ってたつもりだったのだがこの人のほうが数段平易で緻密で簡潔だ。

トリアージ自体は経営学的発想の応用

経営学的実践たるトリアージ

トリアージ的な状況は既にして「常態化」している

トリアージ的な、資源制約下の選択という問題はこの世界普遍的な現実です

まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。

分かってないな、この世は全部トリアージ的な物なの。

とか言ってる人(たち?)に対して俺が下手な言葉を尽くすより、これ一本で反論としては十分だよな。

どうせ「分からない」で返すんだろうけど。

俺から補足できるところがあるとすれば。

「かわいそう」の論理を「女の発想」として単に論外に退けるようなのは、倫理学の発想としてはもう古い、ってのは、キャロル・ギリガンあたりを知ってれば分かることなはず。まあ福耳先生は知った上でああいう態度を取ってそうだが、福祉の学生相手にああいうDisをやるってのは相当その気でやってるってことだよなあ。

2008-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20080810113249

あんただけでなくApeman支持者全員に言いたいのだが、「比喩の適切性」というのがそれほどまで強く求められるという価値観社会的に一般的ではないよ。たとえば「産む機械」騒動というのがあったが、あれも話の構造としては似たようなものだ。そして、「産む機械」という言葉を比喩と断ってでも使ってはいけないという意見はさほど広く支持されてはいなかったはずだ。少なくとも、比喩に目くじらを立てることに懐疑的な人間は多くいた。そのことには注意を喚起しておく。

当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。

あんたらはそういうことを言うが、あれを「女性性への揶揄」と読むのは勘繰りが過ぎると思うし、仮に女性性への揶揄だとしてもどういう含みになるのか俺には理解できん。

現地でトリアージに当たった医師専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。

福耳先生という経営学専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?

あんた、学部生かなんかだろ。「専門性」ってものがわかってない。ある意味では過大評価してるし、ある意味では過小評価しすぎてる。

たとえば、俺が数学の話をちょっとしたら俺の専門が数学だと断定したが、俺が披露した程度の知識はたとえば経済学においても常識レベルの話だ。そもそも、あの話は普通は工学に分類するものだが。

そういう意味で、あんたは「専門性」を狭くとらえすぎている。トリアージの話が経営学の話と極端に乖離しているように誤解しているのはたぶんそのせいだろう。

一方、専門家は自分の専門以外の分野では素人だ。福耳氏も医者氏も倫理的判断においては専門家ではない。もっと言えば、そんな専門家などいない。倫理学宗教学はやや近いが、それであってさえ「倫理」や「宗教」という現象を説明しようという営みだ。従って、この件の倫理性に関する判断で、福耳氏がどういっただの、あるいは医者がどういっただのという意見は一当事者主観以上の意味がない。

どっちだかははっきりしてんだろ。俺みたいに理系でも分かる平易な言葉で過不足のない説明をしてもわかってないんだから。

じゃあ、その「平易な言葉で過不足のない説明」を抜き出してみてくれ。それはいったいどこにあるんだ。あと、自分を基準にして物事の難易度を測るのはやめた方がいい。あんたはいい意味でも悪い意味でも特別な存在ではないから。

俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?

あんたの話題の設定が曖昧すぎて何とも言えない。だからあんたのゲームの比喩については答えようがない。

露悪的にユダヤ人を描いたのであればそりゃもちろん問題があるだろう。だが、本人の内心に秘めていたはずの秘密が何らかの形で暴露されてしまったとかいうケースならそれはよくわからない。

似たような話として、ワーグナーの話がある。ワーグナーは死後に作品をナチスによって政治利用された人物で、イスラエルでは現在タブーなのだが、彼が本当に反ユダヤ主義者だったかどうかはグレーゾーンとしか言いようのないところだ。

で、ワーグナーの曲をイスラエルで敢えて演奏したバレンボイムという音楽家がいて、非難を浴びたことがある。そしてバレンボイムは自身がユダヤ系のイスラエル人なのだ。

つまり、ちょっとのことで話の性質は変わってくる。一般的にああだこうだと言うことはできないだろう。ワーグナーバレンボイムの件などは、もはや当事者主観の枠内だけで話を付けるしかなかろうと俺は思う。程度の差はあれ、ゲームの問題(テトリスであろうと囲碁将棋であろうと)にも似たようなことが言える。

ついでに言うと、俺は戦争ゲームが好きではない。たとえば、信長の野望三国志には抵抗があるし、大戦略などは頼まれてもやりたくない。ホラーも嫌いだ。一方で、ドラクエFF囲碁将棋はむしろ好きだ。こういう好みはあり得ることだと思うが、ただその線引きに倫理的な必然性があるとも思えない。単なる俺の主観だ。

そういうことから、ゲームの件にせよトリアージの件にせよ、「これが絶対正しい、これが絶対間違い」なんてことは言えると思っていないし、トリアージを比喩に用いるのは言語道断不届き千万という言説には強く反発を覚えるのだ。

つか人を人文系だの左翼だのにカテゴライズしといてよく言うよ。

俺は「左翼」という言葉を使っていないし、「人文系」という言葉は「今までのお前らの説明は高踏的な人文系用語の羅列と、過度に込み入った構文によるはしょった説明ばかりでとうてい理解できん」という一文で一度使ったのみだ。そして、「高踏的な人文系用語」を羅列する人間は別に人文系に限らんよ。俺も一時期やってたことがあるしな。

そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。

終わってない。当事者がどう考えようと問題が消滅したことにはならない。少なくとも俺は、福耳氏は謝罪すべきではなかったと思っている。もっとも、福耳氏の立場なら、理非はどうあれ謝罪しておかなければ実害が及びかねなかったから、それはそれで仕方のない判断だとも思うが。

何度も言うが、デリケートな例を持ち出してはいけないという根拠はどこにあるのだ?不快感を覚える人間がいるかも知れないというのは理解できる。だが、不快感倫理的判断の根拠にはならないぞ。


ついでに言っておくが、俺はトリアージに近い扱いを受けたことがある身分だ。

俺は阪神大震災で負傷した。全治十日程度の怪我だったが、しかし命に別状はなく、相対的には軽傷と言ってよかった。そこで、病院に行ったところ、俺の治療は徹底的に後回しにされ、重傷者ばかりが優先的に治療されていた。そして、包帯が不足していた当時、俺は包帯を没収されてガーゼ絆創膏だけで我慢させられた。当時は包帯を洗濯して使っていたのだ。

俺はまだガキだったが、それでもこの判断には感銘を覚えたものだよ。俺は不利益な扱いを受けたにもかかわらず、な。

2008-06-24

だから「文学」という概念の捉え方が違うのだぜ

なんか色々同情するな。

星新一宮沢賢治教科書に載っているからOKだったかなw

SFにハマった季節が来たときはそんな空想本ばっかり読んでいないで現実の本を読めと怒られた。

文学は空想だろw

増田の言う通りだよ。文学は空想だ。だからSFも当然文学だ。別に、たとえば”SF界の抒情詩人ブラッドベリや、”哲学者フィリップ・K・ディックだけが文学だと言うんじゃなくて、ハインラインだってアシモフだってJPホーガンだって、あるいはオレが中学時代少しエロい興味で読みふけってたバロウズだって(笑)文学だ。ちなみにオレも小学校のときは推理小説が好きだったし、純文学的なものは高校に入るまでほとんど読んだことが無かったな。高校時代には教師のすすめるままに読み狂った。まあ半分も分からなかったが。

…まあ、気の毒に思うのでもう少しサービスする。

今でも人を疑うのは好きではないが、そんなものは実戦経験で嫌でも身につく

「簡単に信用しない」といったのは「批判的(critial)にとらえて理解する」ということだ。「信用しない(distrust)」だけなら子供でもできるだろ。

と言うかその「高校国語」とやらははむしろ歴史部活の役割であって文学とは関係がないのではないか?

歴史」を学ぶことに文学を学ぶことと同じような効果がありうることは理解するが、それは歴史学本来の目的とは違って、単に歴史を「文学を読むように」読んだ結果ではないのか? また、部活動のような合目的的なある程度等質な人間集団で、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」が得られるかどうかは難しいな。音楽系の部活動でなら、たとえば過去の偉大な音楽との出会いなどでいくらかそれに近い体験は可能かもしれないが、誰もが使っている「ことば」を媒介にすれば全体に対して正課の授業時間内でそれができるわけだろう。部活(のそういう効果)に意味があるのなら、より低コストにかつ誰にでも体験可能な形で、国語の授業時間内でそれを行うことにはもっと大きな意義があるんじゃないのか。

それに人を楽しませる文章は文学なのか?

時代小説ラノベ歴史書SFファンタジー推理小説は好きだが文学

少なくとも純文学とは言わないだろう

「純」文学というのは、文学の中のものすごく狭い(それも日本限定の特殊な)ジャンルに過ぎないので、その変な教師に教え込まれた変な定義正直忘れた方がいい。実は、増田の受けた教育の中でもっとも有害なのがその頑なな思いこみだと思う。俗に、教え込まれた「内容」よりも自然と学び取る「根本姿勢」こそ教育本質的価値だというが、増田の場合、まさにその「根本姿勢」の部分でバッチリその変な教師の影響を受けている(だから気の毒に感じるのだが)。

再度言うが、上で書いたとおりSFは当然文学だしラノベだって文学に決まってる(疑うなら、どこの大学文学部文学科の適当研究室電話して、気の済むまで聞いてみても良い、以下の内容も含めて)。大体「純文学」などというジャンル分け自体が、過去歴史上のある特殊な「考え方」に過ぎないというのが、現在の一般の評価。純文学新人賞という主旨のはずの芥川賞にしてからが、最近は(大衆文学新人賞という主旨の)直木賞と見分けがつかん、というより正直受賞作は逆じゃねえのか、と言われるようになって久しい今日この頃。だから、生徒に「純文学こそ文学!」とかそういう価値観押しつけてブンガクばかり論じたがる古い文学青年崩れの困った教師に教わった不幸には同情するが、とりあえずそれは忘れて、現代の「文学」観に目を向けるべき。たとえば、今や現代思想をまともに語れないようでは高等学校現代文教師というのはやってられないのだぜ。

その証拠に、昨今の大学入試の「現代文」というのがどういうものを取り扱っているか。小説(それも純文)なんてほとんど出ない。出るのは大抵現代思想関係で、ざっとキーワードを例示してみると「記号・身体・空間・言語論・メディア情報・文化論・芸術論・経済教育日本論・近代主義・心理学倫理学宗教歴史学国民国家テロ文明の衝突ポスコロ」……etcだ。大抵の国語教科書は、これらのテーマに可能な限り触れるようにしてるし、これ以外のマイナーテーマ(たとえば少数民族問題・沖縄差別風景論・都市論・スポーツ時間論・労働高齢化社会etc)を取り扱ってそれをウリにしようとしてる(さらに言えば、気の利いた会社なら、中学校教科書から生徒が自然とこれらのテーマに触れるように仕組んでいたりする)。教師はそれを意識して、生徒の理解力と相談しつつ、何をどのくらいどういうシステムで学ばせるか考えてる。このへん詳しく知りたければ「教養としての大学受験国語」(石原千秋)でも読んでくれ。さらに、小説の読解についても、「この小説テーマはなんでしょう?」なんて寝言を言って漫然と黒板の前でむにゃむにゃと自説を垂れ流してるようでは商売あがったりで、一行一言に込められた含蓄をあの手この手でどのくらい掘り起こせるか、読む作業の中にセンスオブワンダーを感じさせることができるか、たとえばわずか一つの比喩にどのくらいの意味と力が籠もっているかを解き明かせるか……それだけの文学理論の裏付けと力量が必要になる。これ全部「高校国語現代文)」の仕事なのだな。

それに、「学校国語」で扱える領域なんて、実際に大人が出会う「国語文学」の領域全体の広さに比べれば、庭の池みたいなもんだ。雑誌編集後記だってエロ小説だって新聞記事だって漫画だって、「ことば」の介在するコミュニケーションの領域は全てが「文学フィールドだ。その意味での「文学教育というのは、メディアリテラシー教育であり、社会学であり哲学教育であり、知的好奇心の喚起であり、ひいては大学以降のあらゆる高等教育の基礎を為す重要資質(少なくとも読み書きという点だけを取っても)の育成なわけで、これから「知の大海」に漕ぎ出す生徒にとって国語が必修科目であるのは当然すぎるほど当然なことなのだ。

まあそんなわけで、困った「国語教師」との出会いには重々同情するが、「国語」という教科の意義を疑うなら、これらが全部無意味だということを示してくれるか、あるいはそれを全て外の教科で代替する(たとえば論理的思考力の育成なら英語科の授業内で全て行う、とか、ギリシャ哲学に始まり構造主義と記号論に至るまで全て倫理で教えるとか、メディアリテラシー情報で、日本文化論は日本史の教師が、芸術論は芸術の教師が教える、とかしてくれると、かなり楽だが、多分嫌がられるだろう。なぜなら、これらを教えるための大前提としてあらためて『膨大な本を読まなくてはならない』から。だから結局、これらは国語の教師がやれということになってるのではないかと推測する。そんなわけでこれらの提案は余り現実的ではない。やれやれ。)現実的な対案を示して頂く必要があろうと思う。

どうだろう。増田の言ってるような狭い意味での「ブンガク」授業に価値がないということを否定しているのではない。むしろそこに関しては積極的に同意だ。こちらが言ってるのは、あくまで「国語」というのがもっと広い領域を扱っているということ、だからこそ「国語」を否定するのは間違いで、実際にそれは必要とされているのだ、ということなんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080624192723

2007-11-19

[][][][][]指紋と汗とDNA

[死刑][飯塚事件][無期懲役][足利事件][DNA][MCT118型DNA鑑定][目撃]

科学的に物を言うには、「ブラインド(二重盲検査法)」という手法を使わなければいけません。その検体が誰のものか分からないという設定でなければいけません。

二重盲検法 - Wikipedia

観察者効果 - Wikipedia

確証バイアス - Wikipedia

反証可能性 - Wikipedia

二重スリット実験 - Wikipedia

コンタミネーション - Wikipedia

写真から指紋を複製、認証システムをスピード突破可能に… : ギズモード・ジャパン

脊椎動物:祖先はナメクジウオ ヒトと遺伝子6割共通 国際チーム、ゲノム解読 - 毎日jp(毎日新聞)

ナショナル ジオグラフィックチャンネル:番組探検 - 人間とチンパンジー:DNA2%の相違

オラウータンとは96.4%、ゴリラとは97,7%、

そしてチンパンジーボノボとは98.4%もの

DNAがまったく同じである

相変わらず証拠は“DNA鑑定” (つづき) - JUNSKY blog 2015

チンパンジーなら9割以上(99%以上?)DNAは一致するという。

人間ならなおさらのことだ。

人間に誰でも共通する部分を比較して見せて、『DNA完全に一致した』と言えば、

それは見かけ上A・G・C・Tの配列完全に一致して当たり前である

人類犯人となりえる。

チンパンジーでも・・・



はてなブックマーク - 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)

DNA鑑定の倫理学的考察

PCR増幅法の特徴は、僅かな資料からでもDNA鑑定ができるという点である

清水論文によると、鑑定に必要な量は、

血痕で2ミリメートル四方、精液斑で1ミリメートル四方、毛根鞘のついた毛髪なら1本から2本とのことである(清水1992、p.20)。

また、プロープを使わないため、それほど設備がなくても鑑定が可能であるという利点もある。

そのかわり、PCR法で増幅できるのはある程度短い部位だけなので、YNH24やCMM101などの部位はこの方法では鑑定できない。

また、少しでも別のDNAが混入すると混入したDNAまで増幅されて結果が狂ってしまう可能性もあるので、資料を慎重に扱う必要がある。

日弁連 - 「足利事件」再審請求棄却決定に関する会長声明

このDNA鑑定は極めて初期の方式に基づいて行われたものであり、

DNA型判定のものさしとなるマーカーに狂いがあったことが判明して

現在使用中止になっているなど、その正確性自体に大きな疑念がもたれている。

「科学の名による冤罪—足利事件」再審無罪を求める東京集会参加報告−JanJanニュース

SさんDNAは「16-26」という型ではなく、「18-29」の型であることが判明しました。

 弁護士によると、型の違いはB型とA型のちがいほどの違いであり、当時の技術水準は低かった、と語りました。

審判決後、科警研サイズマーカーの誤りを認め、犯人DNAは「16-26」ではなく、「18-30」と訂正しています

しかし、SさんDNAはその型とも違います

これだけでSさん犯人ではないことがわかる、と弁護士は強調しました。

日本大学医学部(法医学)のO教授は,

当時の(証拠である下着に付着した精液)のDNA型と

S受刑者受刑者の髪の毛から採取したDNA型が違うという鑑定結果を出した。

O教授は言う。

「可能性は2つある。1つは当時のDNA鑑定が間違っていた。

もう1つは真犯人でない人を捕まえていた。

どちらも大問題なので書類にして裁判所に提出した」

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これが我が国におけるDNA鑑定名誉ある第1号であると同時に、

それはまたDNA鑑定足枷をはめられた被告の長くて苦しい冤罪の闘いの始まりであった。

被告は一審段階に於いて肉親への手紙の中でこう書いている。

「俺は、事件など起こしてはいません。DNA鑑定は間違っています。もう一度やってもらいたいものです」

 被告の願いは2審結審後、弁護団独自の再鑑定という形で実現する。

果たして新たなDNA鑑定は別人であるとの結果を出したのであるが、

最高裁の5人の裁判官が下した判断は……。

弁護士のお話

Aちゃんの死体は,本件の被害者Mちゃんの死体発見された渡良瀬川河川敷から

約200メ-トル離れた対岸で発見されていたため,

捜査陣は,3つの事件犯人は,同一と考えて捜査をしてきた

最高裁の段階で,Sさんの髪の毛を使って,MCT118法の型判定をしたところ(日大のO先生による鑑定),

SさんDNA型は,18-30ではなく,18-29だということがわかりました。

Sさんは18-29ですから

真犯人が18-30だとすると,Sさんは,それだけで無実であることになります

しかし,最高裁はこの重大な疑問を無視して,上告を棄却したのです。

DNA鑑定の問題点

科警研顕微鏡確認しえた犯人のものとされる精子の数はたった3個だったのに、

最低でも700個~800個の精子必要というDNA鑑定がなぜ可能だったのか。

資料編 フライデー

「F・Mちゃん事件」の捜査が難航したまま、半径2Km圏内幼女の失踪・殺害事件が続発する。

’86年にH・Yちゃん(5)、’90年にはM・Mちゃん(4)が、ともに衣服を脱がされた状態で、遺体発見されたのだ。

S被告は、3件すべてを驚くほど具体的に自白した。

だがその内容は、矛盾だらけだった。

 結局、起訴されたのは「M・Mちゃん事件」だけ。

「F・Mちゃん事件」「H・Yちゃん事件」に関しては、証拠不充分で検察起訴を見送った。

訴訟

足利幼女殺人事件の再審棄却への疑問: 教育に情熱をかける教師のために

最高裁棄却した。

棄却理由は、今回提出された鑑定に使用された毛髪のDNAが請求人の毛髪から採取したものであるとの証拠がないとのことであった。

だが、そういう疑いも考えられるかも知れないが、それなら、裁判所の職権において再鑑定すればよいと思うのだが、なぜそこで終わってしまうのだろうという疑問が残る。

Amazon.co.jp: 魔力 DNA鑑定: 佐久間 哲: 本

第二審でDNA鑑定で逆転無罪になった大分短大生殺害事件 について知りたいです

はてなブックマーク - 5号館のつぶやき : 政治に翻弄される科学者 (横田めぐみさん遺骨事件)

刑事裁判を考える:高野隆@ブログ:プッテン殺人事件 - livedoor Blog(ブログ)

DNA鑑定で無罪、全米で200人 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」

【海外】強姦罪で服役19年、DNA鑑定で無罪判明 「誰も恨んでいない。自由に感謝している」

<かくも多き冤罪事件>米の死刑囚ら188人、DNA鑑定で続々、無実を証明(朝日新聞)

世界・米国:DNA鑑定が無実の人間を救う

愚慫空論 無実の“死刑囚”124人の衝撃 ~冤罪に揺れるアメリカ~

内科開業医のお勉強日記 : オリンピックレスリング選手では汗による感染対策すべき

ボンソワール書房日誌 Éditions Bonsoir Journal: B型肝炎ウイルスが汗から発見、感染の可能性も?

一卵性双生児はDNAがまったく同じ。

DNAに左右されないところはある。

たとえば指紋。DNAに依存しない。


横田めぐみさんの「偽遺骨」の鑑定について

コピー用紙や感熱紙に残された指紋からDNAを解析する技術確立した。

<遺伝子を操る>DNA鑑定、超微量でも 犯人像の再現も視野に

コピー用紙や感熱紙に残された指紋からDNAを解析する技術確立した。

アルコール溶液に浸すなどして指紋の中にあった細胞からDNAを取り出す。

これを増幅してDNAの量を増やし、酵素で切断してどんな長さの断片ができたか調べる。

この断片のでき方のパターンを、指紋の持ち主の血液DNAを切断したパターンと比べたところ、ぴたりと一致した。


指紋から性別、嗜好、人種なども判別可能な新技術: Do you think for the future?

指紋の識別方法 十指法・一指法|法科学鑑定研究所

徳山高専女子学生殺害事件

任意提出を受けた「男子学生試料」(自宅を訪ね部屋から髪の毛を採取した模様)と、

「ひもに含まれた汗」のDNAを照合したところ、これが一致。

今枝弁護士が受け取ったとされる脅迫状から指紋・DNAが検出されたというのは本当なのか - TERRAZINE

未解決事件捜査班、31年前の事件解決も - 社会ニュース : nikkansports.com

18歳“早撃ちマック”逮捕…大阪、19〜71歳女性に射精

14年前の殺人とDNA一致 女性下着を投棄の男、再逮捕へ (2/3ページ) - MSN産経ニュース

ひったくり未遂の18歳少年、バッグの汗のDNA型で御用 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

【川口・女性殺害】 殺害女性の部屋の「汗」、強盗強姦で逮捕の男のDNAとほぼ一致…犯人の指紋?も発見、解析へ

8年前の殺人現場のDNAと一致 梅田の殺人事件

痴漢:JRの元バイト逮捕 指先付着物のDNA鑑定で

2007-11-18

空気読学

空気読学を作りたい。

空気を読むことを学問として成立させたいと思います。

人間関係を円滑にすすめるためのコミュニケーションの基礎として

学習教育を行えば昨今のヒキコモリニートいじめなどの諸問題を

解決できるではないかと思う。

空気辞書」の作成

空気を読むための辞書を作成する。

空気は千差万別で一定ではないがマイルストーンとして最初の成果物

日常生活で使用でする範囲の「空気辞書-日常-」を作成する。

俗に言う修羅場で使用する「空気辞書-修羅場-」の作成は

困難を極めることが予想されるので優秀な空気学者の登場が待たれる。

国立空気研究所の設立

空気を読むと言う行為は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚に続く第六感である

可能性が高く、現に空気を読める人間存在している。

この空気を読むという感覚生物学倫理学医学言語学などのさまざまな分野から

研究を行う国家級の研究所を設立する。また、空気辞書の作成機関でもある。

教育での総合空気を読む時間の導入

小学生から空気を読むことにふれさせ、人格形成の基礎に役立てる。

中高ではさらに発展させ一般社会冠婚葬祭や男女間での空気の読み方を教育する。

このことにより日本で暮らすための必須スキルを高度な次元で身に付ける。

2007-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20071010123428

哲学倫理学は対象外かもですね。

ケネス・アローとかアマルティア・センとかの研究の多くはゲーム理論的現代ミクロ経済学とも厚生経済学とも倫理学とも言えるものだと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20071010123428

まず。

経済学というのはばっさり整理すると社会学政治学倫理学最適化理論ゲーム理論ハイブリッドした学問です。

最適化理論は、工学部(とくに電気系、化学系かな‥)の勉強をきっちり極めた人なら基本はすぐ理解できます(計算だけなら今はExcelがやってくれるし)。実際、現代数経済学の大成者であるポールサミュエルソンは学部学生時代にはMITエレクトロニクスをやってました。ゲーム理論はそれよりはちょっと純粋数学かもしれない。要するに理論系は数学・工学系有利で、すごく勉強が好きなら後からでもなんとでもなります。

問題は最初の文系三科目で、要するに「主張」と「事実」の区別をつけづらい、つけても意味のないことの多い世界です。マックス・ウェーバーの『職業としての学問』とか『プロテスタンティズム精神資本主義倫理』あたり、あとはアマルティア・センとか小室直樹(ただし『ソビエト帝国の崩壊』までね)とかかじってみると、経済論争の原動力になっているそういうどろどろした世界の様子が少しわかるかもしれません。

2007-09-03

結果論てそういえば何だと思ってちょっと調べるとまた自分の無知を知ることになりました。

結果論はよく聞きますが、動機論という言葉を知りませんでした。

これって常識ですかね。倫理学よりの用語みたいですが。

2007-08-04

anond:20070804140147

倫理学か……そもそも善とは何なのか定義しようとして、定義不能とかいう状態に陥って……功利主義の遙か手前で問題提起してる学者もいたようないなかったような。

倫理学において、功利主義って克服されたの?それともこの考えはいまだに主流なの?教えて偉い人。

2007-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20070617161002

利益或いは損害が及ぶにもかかわらず行動を起こしてしまう人間感情とその原因をも考慮した論理的な解は重要なんじゃないでしょか? 感情なんて個々人異なっていて予測が難しいといわれるかもしれないけれど、それだと同様に道徳的な考え(倫理だと倫理学とかイメージしちゃうので、勝手道徳に変換しました)であっても予測不可能=無秩序になっちゃうし、予測可能であればそれを論理考察に組み込むことも可能なはず。


人間感情とその原因をも考慮した論理的な解」って具体的にどういう事?

http://anond.hatelabo.jp/20070617152444

経験してようがしていまいが論理重要だと思う私は人間じゃないのでしょうか?

ただ、論理構築には、感情も考慮するべきだとは思うけれど。例えば、「復讐は連鎖を生むから云々」みたいな意見があったとしても、憎んでいるものの破滅を喜ぶのは至極最もだし、喜びのために行動するのも当然のことなのだから、それも考慮に入れるべきというように。

間違っているのは人間を実利のみで動く機械と仮定したような、感情を考慮しないで構築された論理であって、無利益或いは損害が及ぶにもかかわらず行動を起こしてしまう人間感情とその原因をも考慮した論理的な解は重要なんじゃないでしょか? 感情なんて個々人異なっていて予測が難しいといわれるかもしれないけれど、それだと同様に道徳的な考え(倫理だと倫理学とかイメージしちゃうので、勝手道徳に変換しました)であっても予測不可能=無秩序になっちゃうし、予測可能であればそれを論理考察に組み込むことも可能なはず。

問題は、こうした言論自体が経験者の感情を逆撫でしちゃったりすることだけれども、それはそれ。論争の勝利が目的じゃなく、多少とも好ましい行動を取ることが重要なのだし。

2007-06-08

機械主義者

http://anond.hatelabo.jp/20070608125214

その議論は近い将来に是非やっていただきたい。技術的に可能になる前に。

臨床ロボット倫理学サイバネティクス法学、のような名前になるのかな?

以前この記事を書いた増田なんだが、

http://anond.hatelabo.jp/20061220085714

「劣っている場合、それらを切り捨てていくことは是か」を考える時には、

「劣っているとは何か」「その場面での適切とは何か」がどこで決まるのか?

という古い議論が問題になりそうな気がする。

世界レベルで考え方の共通の土台を設定してそれに従うべきなのかどうか?というところから。

2007-04-19

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google:生活保護法がある限り、経済的理由での中絶は認められない。

ジョルダーノ・ブルーノ。地動説を擁護し火刑に処せられた。

1932年ナチス党230議席を獲得し第一党となる

[集団浅慮]世論に総論なし、整合性のない各論あるのみ。

[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]

[ディベート][議論][利害]

「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」

合理的無知

ディベート判例集 | 参謀本部日誌

The Ultimate English: ディベートのジャッジについての考察

[政治]「良い」を定義することは権力闘争

「すべては主観である。」モニモス

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

美人投票 - Wikipedia

はてなブックマーク - 審査員を審査する(仮題) : 作品情報 - 映画.com

詭弁の上手い奴が場を支配する

1年生の算数の時間に、先生が「2-1は1、では1-2は?」というので「-1」と答えたら不正解にされた。

 「パパが教えてくれたもん」

 「おまえのパパは気違いだ」

バカ・馬鹿(ばか) - 語源由来辞典

秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。

群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

はてなブックマーク - ディベート教育とか、キモイので、やめてほしい(ほしかった) - 女教師ブログ

ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。

何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。

ディスカッションをこそ学ばせるべき。



チェリー・ピッキング (英: cherry picking) とは、

数多くの事例の中から自らの論証に有利な事例のみをならべたてることで、

命題を論証しようとする論理上の誤謬、あるいは詭弁術。

チェリー・ピッキング - Wikipedia


悪魔の証明とは - はてなキーワード

無知に訴える論証 - Wikipedia

ストローマン(英: straw man)は、

議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、

歪められた内容に基づいて反論するという誤った論法、

あるいはその歪められた架空の意見そのものを指す。

藁人形論法ともいう。

ストローマン - Wikipedia

衆人に訴える論証(しゅうじんにうったえるろんしょう、羅: Argumentum ad populum)とは、

論理学における誤謬の一種であり、多くの人々が信じているという理由で、ある命題を真であると論証結論付けること。

多数論証、多数派論証とも。

88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。

世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。

衆人に訴える論証 - Wikipedia

人身攻撃(ラテン語: ad hominem、argumentum ad hominem)とは、

ある論証や事実の主張に対する応答として、その主張自体に具体的に反論するのではなく、

それを主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法。論点をすりかえる作用をもたらす。

人格攻撃論法ともいわれる

人身攻撃 - Wikipedia



偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。

[政治]「良い」を定義することは権力闘争

[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]

反証可能性 - Wikipedia

科学哲学者のカール・ポパーは、反証可能性を持つかどうかを「真の科学」であるかどうかを見分ける基準として提唱しており、それ故彼は精神分析学は科学ではなくて疑似科学に過ぎないと断じた。

純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。精神分析やマルクス主義を批判。ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。また、「開かれた社会」において全体主義を積極的に批判した。

[多数派][多数決][民主主義]天動説と地動説

[天動説][地動説][コメンタリオルス][コペルニクス][ガリレオ]

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

7対1の賛成多数によって判決は下された。

[差別]公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらない。

[差別]黒人が人間だと考えることは不可能である。モンテスキュー

アラバマ州出身で、1962年民主党からアラバマ州知事に当選した。

[差別]今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!ウォレス

アドルフ・ヒトラー - Wikipedia

1932年7月の国会議員選挙ではナチ党は37.8%(1930年選挙時18.3%)の得票率を得て

230議席(改選前107議席)を獲得し、改選前第一党だった社会民主党を抜いて国会の第一党となった。

ヒトラー 〜最期の12日間〜 - Wikipedia

ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯(うそぶ)く

国民自業自得自己責任)。国民地獄を味わうのは当然の義務。

われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ。』



アローの不可能性定理 - Wikipedia

選択肢が3つ以上あるとき、

定義域の非限定性、全会一致性、無関係な選択対象からの独立性、非独裁性をすべて満たす

社会的厚生関数」を作ることはできない、とする。



[六韜]仲間の多い人間とは腹黒い人間。

コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想

アドバイスをするというのは、疑わしい療法だ。ユング

韓国地下鉄火災事件における「多数派同調バイアス」と「正常性バイアス」

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

多数決をとってみたところでそれが正しさの保証とはならないデカルト

[同調圧力][空気の研究][馬鹿]同調圧力・空気の研究・馬鹿・いじめ

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

斉一性の原理 - Wikipedia

自薦の用心棒 - Wikipedia

衆人に訴える論証 - Wikipedia

多数論証

88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。

世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。

多数論証(ad populum)

米国人の6割「原爆投下は正しかった」、米世論調査 国際ニュース : AFPBB News

米調査組織『ギャラップ』によると、アメリカ人の92%が神を信じている。

「神はいない?」偉人たちの無神論的な50の格言:らばQ

Amazon.co.jp| 神は妄想である―宗教との決別| リチャード・ドーキンス, 垂水 雄二| 本

神が宇宙をつくったなら、その神は誰がつくったのですか? - Yahoo!知恵袋

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

地動説 - Wikipedia

進化論 - Wikipedia

1964年度 赤穂浪士 最高番組平均世帯視聴率 53.0%



女性には障害胎児を殺す権利があるのか

Amazon.co.jp: なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010)): 小浜 逸郎: 本

殺生

優生学 - Wikipedia

最大多数の最大幸福は、道徳と立法の基盤である。いかなる法律も自由の侵害である。ジェレミ・ベンサム

多数者の利己主義 vs 民主主義 衝撃的な引揚げ体験を目にして

「みんなのためだ、行ってくれ」


Yahoo!辞書 - 君子(くんし)は三端を避(さ)く

Yahoo!辞書 - げん‐がく【衒学】

人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト

公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな

[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、
あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。

リンカーン

Better to remain silent and be thought a fool than to speak out and remove all doubt.

Abraham Lincoln

馬鹿をさらけ出すよりは黙っていて馬鹿だと思われる方がましである

キングスレイ・ウォード

世の中で成功を収めるには、

馬鹿のように見せかけ、利口に活動することである

モンテスキュー

反論せずに、ただニコニコしている人を説得するのは不可能だ。

リエルスパーク

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

「すべては主観である。」モニモス

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]

投票の逆理 - Wikipedia

詭弁の上手い奴が場を支配する

詭弁 - Wikipedia

アローの不可能性定理 - Wikipedia

[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

言葉遣いで人は決まる。バルト

「誰が言ったかではなく、何をいったのかが重要だ」

批判の後には、オルタナティブ(代わりの提案)を忘れずに

「監視カメラ」と「防犯カメラ」とは、全く同じものを指している。どちらの語を使用するかは、本人のイデオロギーによって決めることである。

実際のカメラはどちらなのかを議論することには意味がない。

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

チャーチル「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」 : メカAG

チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。

しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

それでもう一度無理難題要求すると、またこれも呑んでくれる。

すると議会は、いままで以上の要求をしろという。

無理を承知要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、

「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。


【天使の代理人】胎児は人間ですか? - 読書と映画の時間

「もし、あなたがお腹にいる赤ちゃんだったら、その理由で死んでほしいと言われて納得できますか?」

[中絶]なぜ人を殺してはいけないのか

「もし、あなたが母親の胎内の胎児だった時に、中絶するから死んでくれと言われて納得できますか?」

[倫理]中絶はいいけど、子殺しは駄目。

戦争、死刑、中絶、非配偶者間人工授精、尊厳死安楽死自殺、宗教、禁酒、タバコ一夫多妻制 - Wikipedia

語りえないことについては人は沈黙せねばならない。

人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

バカの壁 新潮社 養老孟司 「話せばわかる」なんて大うそ!

言葉でも文章でも相手がわからなければ何にもならないんだもの

平易な言葉で分かるような言い方をしなければ駄目なんだ。

五島昇

[思想][頭脳][論文][卒論]多量の思想を少量の言葉に収める。

少しの言葉で、多くのことを言って聞かせるのが大器の印。

自分にしか書けないことを、 だれが読んでもわかるように書く

容器は、それが空っぽのときに一番大きな音をたてる。

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

何度も止められましたが、そのたびに時計万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。

それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。

リーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。

そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。

文芸春秋5月号 五木寛之 藤原正彦

[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]

[民主主義][資本主義][笑者]

404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり

同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。

搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。

この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。

泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。


天下皆美の美たるを知るも、これ悪のみ。老子

怒りよりも軽蔑を隠すことがより必要である。

[マキャベリ][タキトゥス]賢明で思慮に富む人物

[社交性]心にもない言葉よりも沈黙。モンテーニュ

人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい

デカルト

大事を小事の犠牲にしてはならない。

ゲーテ

小事省事

椎名悦三郎


議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。

しかし、それはむなしい勝利だ―相手の好意は絶対に勝ち得られないのだから。

ベンジャミン・フランクリン


大衆がする尊敬と侮辱

われわれは喧嘩口論に近付いてはならぬ。

これらのことからは足を遠ざけねばならない。

無知な人々のするこのようなことは、何にせよ無視されねばならない

(このようなことは無知な人でなければすることは出来ない)。

そして

大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。

われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。


くだらない質問には答えぬがよい。

ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。

くだらない話には耳をかさぬがよい。

あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。

道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。

荀子

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。

荀子

やたらに人と争い競う性質の者とは

事の是非を語り合うことはしないほうがよい。


君子(くんし)は三端を避(さ)く

君子は文章・武術・弁論で人と争うことはしない

はてなブックマーク - ディベート教育とか、キモイので、やめてほしい(ほしかった) - 女教師ブログ

ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。

何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。

ディスカッションをこそ学ばせるべき。


竜馬は議論しない。坂本龍馬

もし議論に勝ったとせよ、

相手の名誉をうばうだけのことである

通常、人間は議論に負けても

自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、

負けたあと持つのは負けた恨みだけである


どの港に入るのか分からなければ、どの風も追い風にはならない。

「すべては主観である。」モニモス

404 Blog Not Found:ΔxΔp≧h/4π(が欲しかった) - 書評 - そして世界に不確定性がもたらされた

Amazon.co.jp: 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書): 竹内 薫: 本

トレードオフ 最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。トレードオフ(Trade Off)

安全と利便性

リスクとリターン

一長一短

ケースバイケース

美人投票 - Wikipedia

例外

論理飛躍

擬似相関

レトリック

バイアス

ポジショントーク

二元論 - Wikipedia

経験論 - Wikipedia

ブラフ

シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。

合成の誤謬 - Wikipedia

ルサンチマン - Wikipedia

ほめ殺し

アイロニー

知者を自認する相手を問いつめ,無知の自覚を促す,ソクラテス的問答法の一性格。

アイロニーとは - はてなキーワード

「自分の無知」を盾にして、「知ったかぶりをする相手の無知をさらけ出す」

自分の批判対象の主張を徹底的に賛美してみせ、

その論理を極限まで押し進めることによって

そのグロテスクさを浮き彫りにさせるという批判レトリック

[無知の知][ソクラテス]

【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】

はてなグループ

人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である。

相手を自分の好みに変えようと思うことは相手の人格を無視した行為。

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ

犬に道を譲る。噛まれた傷は治らない。リンカーン

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

[六韜][外交][交渉]無能ならば歓待せよ。

巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)

巧言令色に惑わされているようでは、社会人として未熟だ。

浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者

[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時

どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・

そしてたいていの馬鹿がそれをやる。

ベンジャミン・フランクリン

君子は行いをもって言い、小人は舌をもって言う。王陽明

人間は考えることが少なければ少ないほど余計にしゃべる。

賢者は聞き、愚者は語る。ソロモン

自分の行いが馬鹿げている人に限って、

真っ先に他人を中傷する。

フランス劇作家 モリエール

中傷誹謗に対する最善の返答、

それは黙々と自己の義務を守ることである

ジョージ・ワシントン 米国初代大統領

沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、

あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。

リンカーン

愚者に対するもっとも正しい答えは沈黙である

アフガニスタンの諺

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

徳をもって人を支配する者は王たり。

力をもって人を支配するものは弱く、

富をもって人を支配する者は貧し。

筍子


一般に人間は犬に似ている。

他の犬が遠くで吠えるのを聞いて、自分も吠える。

ヴォルテール


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