はてなキーワード: マウンティングとは
仕事と子育ての両立ほんと大変…もうツイッターで愚痴るしかない…
まぁでも総合職で正社員で時短で働かせてもらえて子育てに理解ある職場でボーナスも福利厚生も産前と変わんないってコト励みに頑張るしかない!
私ははてなが嫌いだ。
正確にいうと「はてなーが大嫌いだ」。
嫌いというか、全員地球上から消えていなくなってほしいくらいには思っている。一見見た目が普通の人でも、「趣味:はてブ」とか言われちゃったら、それだけで正直印象は悪いし仲良くしたくない。
恋人は絶対にはてなー、ひいてはネット以外の趣味をお持ちの穏やかな人がいい。絶対にはてなーとは深い関係を築きたくない。家族にいなくてよかったと思ってる。
ここまで聞いて「お前、はてなーに親でも殺されたのか?」と思った人は沢山いるでしょう。
あと、「頭ごなしに否定するのもやめろ!全員が全員悪人じゃない!いい人も居る!」と思った人もいるでしょう。そんなのはわかってる。わかった上での結論が「はてなー全員いなくなってくれ」だ。
なんでそこまではてなーを嫌いになったのか?
そもそも私ははてなーだ。しかも、休みがあればその休みを全部ブクマにつぎ込むような人間だった。
更に言えば、ネット好きが高じて「私も自分の手で大好きなネットを盛り上げる手伝いをしたい!」と思って、高校大学と死ぬほど勉強をし、念願のネット運営関係の仕事に就く事になった。(過去形だけど。)
ネットの友達も沢山いたし、SNSのみっともない炎上や言い争いを見ても「まあ、ネットってそういうものだしな」とスルーできていた。
そこから数年経って、仕事や私生活が忙しくなってブクマできなくなり始めた。ホッテントリは追っていたものの、前と比べるとぼんやりと追っていたと思う。
今までやったこともないような新しいことを体験して、知見が広まったような気がした。それでその時、「増田ってなんであんなにギスギスしてたんだろう」と思ってしまった。
新しい趣味はどれも来るもの拒まず、去る者追わず、何も知らない人に対しては「もっと好きになってもらって欲しい!」と全力で応援するようなスタイルだった。知識量やマウンティングでどっちが上とかもない。楽しんだもん勝ちで、みんながみんなお互いを尊重していた。ていうか、普通はそれが当たり前であって欲しい。
対するはてなといえば、まず初心者や所謂「にわか」にとって全然優しくない。「(個人差はあれど)自分と違うスタンスの人間が見逃せなくて、それを主張したくてたまらない人が多い」というのが、はてなーでありネット運営側から少しだけ見ていた自分の印象だった。
本来であれば人の好きなものを自分が嫌いだからと言ってわざわざ面と向かって否定はしないだろう。だってコミュニケーションを円滑に行う上でその行為は害しかないから。
「Togetterが好きで、アプリも入れてるんです。」という人に、「俺、棘嫌いなんだよね〜w」とかいう奴はまずいない。いたとしても、空気が読めないバカぐらいだろう。
だけど、はてなーには余裕でいる。余裕で言う。「はてなってそういうものでしょ?」という考えがあるから、言った側も「違う。こいつは滅んでよし」程度で普通にメタブしてくる。メタブされた側からしたらたまったもんじゃない。
さっきの例えに続くなら、「違う。酷いことを言われたと言っても、お前が棘が好きなのをオープンにするのが悪い。言われて当然なんだから我慢しろ(納得しろ)」とまで言うような人もいる。セカンドレイプもいいとこだ。
極めて異常である。お互いにトラバを飛ばしたり、敵対心を持って対峙する増田での空気がいつの間にかに染み付いて、ネットの外にも持ってきてしまっている。
しかもこれが一般のはてなーだけじゃなく、階級上位にいるような「お前そう言う偏見持ちながらブクマしてたらアカンやろ」というような立場の人にもいた。いたと言うかなんなら結構多い。「自分の方が上」とでも言いたいのか、ネット民を見下すような発言もよく見られた。
数年経って転職したのもあり、ネットという話題から離れて、増田に足を運ぶ機会もどんどん減って行ってしまって現在に至る。
増田特有の空気感や考え方が染み付いてしまうとおかしくなってしまう。めちゃくちゃやばいやつを見て「あいつ程ではない、まだ自分は分別がついている」と思ってる人は多いが、普通の一般人から見たらおそらく大体のはてなーはやばい人のくくりの中だと思う。
なんでこんな話を改めてしたのかと言うと、とあるオフ会で最近はてなブログ始めた女の子が「去年から増田鑑賞をしてて、AQMさんを応援しているんです」と言っていた所に、やっぱり「俺アクメ嫌いなんだよね!」「やっぱ連投してて星稼ぐからお気に入りになったんでしょ?」、有名ブクマカが好きと答えると「まあ、キモイよな〜笑」などと、平気な顔をして言う酔っ払いの古参気取りが複数いたのを見たからだ。
女の子の顔は引きつっていた。
やっぱりはてなーは全員爆ぜていなくなって欲しい。
何が言いたいのかわからない=まともな文章を書く能力もないあたりガチの高3に思えるので書く。
「精神壊れた」と書く人間ほど精神が壊れてないことを示す言葉はない(感情がないマンと同じ)。中学受験できる程度に裕福な家庭のガキが有料アプリで遊んでいるあたりまともな生活送ってないのはわかりきってるし俺の人生には関係ないので、おまえがクズでバカの他責野郎だって告白なんかなんの価値もないから「いま何がつらいと感じてるのか」「なにが不安なのか」を黙って書け。言わなきゃわかんねえんだよ。友だちいないのが嫌なのか、親との折り合いが悪いのか、勉強できないのに大学受験迎えてるのがつらいのか、好きなひといるのに話せないのが苦しいとか色々あるだろ。匿名で書くならそれくらい晒せ。お前が書いた範囲で見えてくるお前の人生ありきたりでつまんねえんだよ。
声を上げられなさそうな弱そうな女性が優先的に狙われるから、そういう女性に「自分も立ち向かえる」という自信を与えるために、方法は色々あるが選択肢の一つとして安全ピンで武装するという案が出てきた
それで刺せと言ってるのではなく、それを持つことで生まれる安心感や自信によって、声をあげられるようになるかもしれないということ
その「安心感や自信」ってのは無実無関係の男性の恐怖やリスクを踏み台にしたもんなんだが?
何の資格があってこっちを踏みつけにするの?
3200件というのはそういう背景のある数字
お前が言ってるのは、いじめが発覚したら教師へのペナルティとなる学校でいじめがもみ消されるようになり、
Twitterなんかで虐待の経験や怖さについて(旦那さんを通して)話してくれている、フリーダム嫁さんと呼ばれている方が「ブスは浮気されても仕方ない(大意/特に見た目に関して努力しないブスを指している?)」とブログで発言したことで、大きい反響があったようだ。
でも、本人や旦那さんに自覚があるかどうかわからないけど、これも虐待の爪痕の一部なんじゃないか?という感想を持った。
少しでも親の思い通りにならないと虐げられてしまうような状態を子どもの頃継続して経験していると、「○○じゃないから愛されないんだ」→「○○じゃないと愛されなくても仕方ない」といった思考回路が身につく。過激な虐待ゆえ、あまりにもそれが当たり前すぎて、他人に対してもそういう印象を持つようになったんじゃないかなあ。
実際のところ、少なくとも日本じゃ民法上不倫は認められてないんだから、原因はどうあれ不倫はされないのが前提、されたら傷つく、順序がきちんとしていない限り不倫した側に非があるって考え方が一般的に認められてると思う。みんながみんな見た目綺麗なまま/かっこいいままじゃいられないしね。
それを「いや、傷つけられた方がちゃんとしてなければ、ちゃんとしてもらえなくても仕方ない」って、理屈を曲げてまで傷つけられた側の責任を問うようになってしまうことこそ、虐待の爪痕だなあと思った。
フリーダム嫁さんが受けた虐待の酷さとはかけ離れてるとはいえ、何をしてもこれだからお前はだめなんだ(要約)と言われて育った私も比較的近い考えになってしまいがちなのでよくわかる。最近私も結婚して、うっかり腹丸出しで寝ちゃったり、うっかりおならが出ちゃっても好きと言われて初めは「こんなに駄目なのになぜ!?!?」と思っていた。
でもこの頃は自分自身も、配偶者の鼻毛が出ていても、とりあえず何でもいいから元気でいてほしいなあと感じるようになり、ありのままでも愛される権利は失われないのかもしれないと思うようになった。
上からっぽい目線?マウンティング?っぽくなってしまうけど、程度は違うといえ、同じ親から認めてもらえなかった経験を持つ人間として、頑張ってばかりでいなくても、時に可愛く/かっこよくなくても、愛される権利が自分にも他人にもあるってフリーダム嫁さんが思えるようになったらいいなと思った。まあ、本人達が幸せなら、そんな考え方だってただの押し付けになっちゃうけど。あー、虐待の後遺症の一部だと思うから、あまり叩かれないといいなっていう話だったんだけどなんか論点がずれてしまった。
※筆者はアダルトチルドレンや、虐待を受けた経験のある大人の心理に関して全く専門的な知識を持っておらず、自分の経験のみに照らして書いているため、意識して「感想」「思った」「思う」を連発しています。また、不倫されたら傷つくのが一般的なのではないか、○○なら浮気されても(傷つけられても)仕方ないという思考回路は虐待経験によるものかもしれないという考え方について、私の中で男女に差はありません。