液タブの代わりにしたいのなら同じ値段でも画面がなるべく広くとれるしグラフィックメモリも盛れるアンドロイドかウィンドウズがコスパよくておすすめ
iPadには他のものでかわりのきかない機能があるがそれは描画ではない、どっちかというと動画撮影などが強いと思う
他に遠隔授業を見るなどするにしても値段みて迷うレベルの人は買わなくていいと思う
ゲームなどプレイしたいなら3年後は新しいOSじゃないと対応してなくなったりするからな
ちなオレは別に他にほしい金かかるグッズもないからアイフォンもアイパッドも両方もってる
ペンシルはどうしようかまよってる
まあポテンシャルは感じてないわけじゃないんだけど、どうなんだろうね
近いといっても釜山が近いというだけでソウルとか仁川は羽田からでもそう変わらん気もするんだけど。
正直どうなっていくのか分からんわ
鬱鬱としてる時に、隣の芝は青々として光り輝いて椰子の木が生えてるようなSNSを見つけてしまって、もう道端に座り込むネズミ男みたいな気分
彼と知り合った時、私たちは19歳で、大人になったばっかりで自由になったら出来ることを全て一緒にやった。自由とは言えまだ責任とは程遠い私たちはザ・若気の至り的な事をたくさん一緒にした。それこそ朝から晩まで毎日毎日そこら中でSEXもした。ヒリヒリするのにした。会話は止まらず、必ずどこかの皮膚が接触していて、何もかも面白かった。アホみたいな理由で泣くようなケンカもしたり、お互いの家族友達ペットもみんな混ざった。今でも笑える思い出話はあの時の事が多い。
ホルモンのご指導通り3年ぐらいで別れたけど、家族や友達を混ぜてしまったのでつながりはあったから焼け木杭みたいな事も一回あったな。家族友達の冠婚葬祭、私が結婚した事も向こうが結婚した事も生まれた子供の写真のやり取りもした。
お互い連絡先はずっと知っているけど直接連絡を取ったことはない。
2人とも地元を遠く離れているけど一度だけ、地元でもない、住んでいるとこでもないとこで偶然会った事があった。びっくりしすぎて、やだこれ運命?!とか言って再会を純粋に喜んで立ち話をした。お茶か食事でもと誘うのはお互い躊躇して、立ち話のまま、後ろ髪を100mぐらい引きずりながらじゃあまたね!と言ったのが10年前か。
で、今、急に彼がとても幸せだと言うのをSNSで見た。彼の妻が世界に発信している。
映える手作りのおやつ、記念日の食事、たまの大人デート、親子で楽しそうに勉強したり、バリキャリ女子のオフィス。
ああ、あの人は私と別れて良かったんだ。めちゃ幸せそう。こんなデザートや食事私では到底無理。私の大人デートは友達の居酒屋。仕事場は夫が屁をこきながら寝転がってるのが見えるここ。
楽しかった思い出は本当にただの思い出。二度と帰らないってマジなんだな。
考えてみたらあの映えるデザートだって買ったのかも知れないし、記念日の食事だって無理やりかもしれないな。って言うかデパ地下食材並べただけとか。子どもだってうちの子の方が可愛いし。大体結婚式の写真見て思ったもん。私のが可愛いやんけ。バリキャリ気取ったオフィスの写真て何やねん。誰得。あんなSNS世界に発信するような女と結婚するなんてあいつも知れとんな
テレワークが当たり前になって、飲み会をやらないのが当たり前になって、レジはずっとビニールカーテンがかけられて、出前のバイクが沢山外を走ってて、これからそれが普通になるのかな、なればいいなと思ってる。
作らなきゃ作れと言われ作ると言えば逆ギレと言われ
そもそも全国一律の基準なんて出したら東京は解除遠くなるだけなのに…
はっきり言って国を混乱させちゃっただけだと思うの
吉村がズルい言い方した(緊急事態宣言の解除権限は国だが、自粛要請の権限は都道府県。なので国が(緊急事態宣言の)解除基準示さないので、大阪府が(0から自粛要請の)解除基準作りました。であれば何の問題もなかったが、括弧の中身は言ってない)のは事実だけど、緊急事態宣言の解除基準は国としているだろ……。あげくその後に安倍が作るって言っちゃったので、仕事してないのに都道府県に先を越されて逆ギレしてるようにしか見えないし。完全に役者として負けてるから降りた方がいいわ。
日清が「在庫ならある(怒)」っていってたからすぐ補充されるだろ
開封放置される小麦粉にダニくったやつでアナフィラキシーショックおこして医者に運ばれる元転売奥様が増えないように祈るだけだよ
元来、自分以外に対する批判だとか罵倒だとかが、まるで自分に向いているかのように錯覚してしまう。その様な厄介な性格を抱えた人間がコロナ禍で精神を保てるだろうか。勿論そんなことはありえない。
日常会話でも、マスメディアでも、SNSでも、コロナへの愚痴・政府への批判・外出自粛を行わない人への苦言に出会わない日はない。そしてそれらの言葉の矛先が自分であるかのように感じる。言葉をナイフに喩えるなら、ありとあらゆる方向から絶えず刺され続けるような感覚に陥っている。
周りの人が私を傷つける訳ではなく私が勝手に傷ついているだけだという自覚はある。その結果、「誰も私にナイフを向けていないのに、私はあらゆる人にナイフで刺される」という不思議な現象が起こっている。
無論、コロナウィルスへの恐怖や自粛生活のストレスは感じているし、政策の全てを肯定する気はない。自分以外に対しても不要不急の外出を避けてほしいと願っている。しかし、コロナ等への愚痴に受けるダメージの方が大きいのが正直なところである。
追い打ちをかけるかのような辛さは、「コロナ等が何よりも辛い人」が圧倒的多数だということである。
少なくとも私の周りでは、ほぼ全ての人がコロナ等に対して愚痴を吐く。勝手な憶測だが、そのような人々は私のような「コロナ関連の愚痴を聞くのが辛い」という感情をあまり持ち合わせてはいないのだと感じる。
コロナ・政府・自粛しない人への愚痴は共鳴し合い、肥大化してゆく。マジョリティが結託してゆく。自分へと向かうナイフが益々増えていくのと同時に、果てしない疎外感に襲われる。
先述したように、私に対して攻撃しようとする人がいる訳ではない。故に彼らを責めようとも思えない。しかし、「明確な敵がいて、共に戦う仲間が日本中・世界中にいる」という彼らの状況が羨ましくてたまらない。
最近では、多くの著名人が「みんなでコロナに立ち向かおう」「お家で楽しく過ごそう」などとポジティブな言葉を投げ掛けている。非常に素晴らしいムーブメントだと思う。だが、ここでいう「みんな」は誰を指すのだろうか。
答えは簡単だ。コロナと身体的・精神的に戦う人々。今の日本の状況にストレスを抱える人々。
そこに私はいるのだろうか?
コロナやそれに関わる社会問題以上にそれらへ対する非難に苦しむ私は、「みんなで戦おう」「みんなで笑顔に」の「みんな」に含まれるのだろうか?
残念ながら含まれるとは思えない。
最早、ポジティブな言葉が溢れることさえ、疎外感を強めるきっかけとなってしまった。
だけど、仮に今自殺したとなれば「コロナ鬱の犠牲者」として世間から扱われるのだろう。私の「コロナ鬱」の実情は理解されることのないまま、「コロナへの社会不安により自ら命を絶った人」として終わる。そして寄せられるコメントはきっと、「コロナが許せない」「アベは辞めろ」だ。皮肉にも程がある。
もちろん、コロナウィルスで2年間大量の死者が出て欲しいと言う話ではない。
今の生活はすごく居心地が良い。もともと引きこもりの俺にとっては最高だ。
「オンラインで済ませられることは頑張ってオンラインで済ませる」と言う世の中は理想的だ。
しかし、これが世の中に根付くには、1年では無理なんだろうと思う。
他の女の人をどうにかしたい願望は無いんだけど、アスナだけは何か気持ちよくさせてあげてえな…って思う。なんでちんちん生えてないんだろ。
ベッドに組伏せてじっくりじっくりセックスしたい。
最中にキリト君とどっちがいい?って聞いて、最初はキリト君…とかのたまうんだけど!何回か聴いてるうちに「増田のほうがいい…」とか言われたい。そしたらめちゃめちゃキスして奥まで挿し込んでギューってしたい。
終わったあととろけた顔でこっちを見てるアスナの髪の毛を優しくなでたい。
キリトくんになりたい。
でもキリトくんより良いっ♡って言われたいから、キリトくんばりにイケメンでステータス高いんだけど、ちんこでかい男としてアスナとセックスしてみたい。
出会いはなんだろ…ボス戦の攻略パーティで知り合って、キリトくん共々仲良くなって、なんやかんやしてるうちにアスナといい感じになっちゃって…みたいな。
こんな姿をキリトくんが見たらどう思うだろね…?って耳元でささやきたい。大蛇丸みたいな声で。
はあ。