みくが劣等感を抱いてるって話は聞いたことがないなぁ。幸子じゃねえのそれ。
大体劣等感ってのは全く主観的なものだから、他人の何かと比べられるものじゃないだろ。絶世の美女だって自分の容姿に劣等感を抱くこともあるだろうに。
実際にプレイして共有できる物語と二次創作で表に浮かんでくる物語は非なるものなので、後者しか追わないゴロにはそんな権利はないってそれ一番言われてるから
ってか分かりにくい文書だなこれ
プレイしていないソーシャルゲームの二次創作を行っていたところ、非プレイヤーには二次創作の資格がないと云われカチンと来たので書く。
スタティックなゲームにはどんな些細なものであっても名詞には最大の注意を払っていてほしい。
なぜならプレイヤーが見ているのはゲーム画面ではなく、その向こうにある物語なのだから。その起因や発達を阻害する名詞はプレイ体験に致命的なダメージを与える。
スタティックなゲームのプレイヤーにとってゲームはよりしろの機能の側面を持ち、プレイヤーはひとつひとつのアクションには意味を持たせたがる。選択行為への意味の総体がゲーム体験となり、ゲーム体験というプレイヤー共通の基盤からプレイヤーひとりひとりに固有の物語が発生する。
ところで、ある名詞が致命的なものである場合にプレイヤーに可能なのは以下の三つである。
(2)名詞を視界に入れないようにする
(1)はやがて意味の総体を混濁させ蝕む。(2)は有り体に言えば縛りプレイである 。最も険しい。(3)はお手軽だ。
いったん、ゲームのよりしろとしての機能に着目すると、必要な機能はゲーム性ではなくむしろよりしろだったとわかる。
であれば、(3)は最もお手軽であるだけでなく、最も経済的な選択肢だったと明らかになる。合理性バンザイ。我らの経済性に喝采を。
しかしながら、(3)には決定的な瑕疵があり、プレイヤー(ですらない誰か)は無限に孤独である。ひとりで無体験から物語を幻視し、幻視し続けなければならない。共感すべき体験を持たず、基盤を持たず、回路を持たない。原理的に共感を拒むことになる選択肢であり、孤独の選択肢だ。
それでも私は誰かとよろこびを分かち合いたかったのだ。
手を握り合い、肯き合いたかったのだ。
2014年面白かったマンガだとかベストなんちゃらだとかでよく見かける松浦だるま先生の「累」を読んでみたが、面白いことは面白い……けどそこまで2014年を代表する名作として語られるような作品か、というと疑問が残った。設定は大変興味深いんだけど実際の本編が設定負けしてるっつーか。
これは既に書いてるブロガーさんもいらしたんだけど、主人公の累がとんでもない醜女という設定の割に可愛らしすぎる作画なんですよ。長すぎる前髪で顔を半分隠してるさまが、わたモテのもこっちみたい。(もこっちは可愛いよな。)なので、自分を見る人が皆あまりの醜さに眉をひそめ、ほとんど誰からも優しくされないような人生を生きてきた累が、それゆえに他人の美しさをかすめとるという凶行につい及んでしまう、そのことの凄みがいまいち伝わりにくい。
何かの作品の欠点について語るのに他の作品を引き合いに出すのは下の下だというのは承知の上であえて言えば、山岸涼子の「舞姫 テレプシコーラ」にはそれこそ本物の醜女が出てくる。主人公のクラスに転校生として登場する須藤空美だ。小学校5年生にして全く女性らしさのないガリガリに痩せた長身、地味なだけで端正でもない目鼻立ち、ざんばら髪に荒れた肌。そんな須藤空美の容姿は、キングダム序盤の河了貂よりももっと、男にしか見えない。だが女だ。
その上須藤空美は大人しく、というより暗く、必要な会話も十分に交わせないし学校も休みがちなので女子からは浮いてしまい男子からはいじめられるようになる。「舞姫 テレプシコーラ」はバレエ漫画であるのだが、貧乏で育ちの悪い須藤空美は、主人公の実家でやっているバレエ教室に興味を持つが体験レッスンの日にも平気で遅刻してきた挙句(ただし遅れた理由はある)挨拶もできないし、使う人が居ないからと貸与されたバレエシューズをそのまま自分のものにしようともする(ただし思い直して返しに来る程度の善良さは持っている)。須藤空美の抱えている事情は特殊だ。貧乏すぎるので母から児童ポルノの撮影モデルをさせられている(ただし母が空美を食い物にしているかというとそうとも言えず、男との絡みを伴う撮影は母も断固拒否しようとする)。父親はアル中で働かず、どうせ生活保護を貰うのだからとパートに出る母親を常に馬鹿にする。父親の姉である伯母はかつて偉大なプリマだったので空美は幼い頃から一流のバレエを習うことができたが、今は伯母が心身を病んでいるので世話をするためにたびたび学校を休まざるを得ない。父親の家系はかつて名のある地主だったようで、伯母のバレエでの妹弟子であったとおぼしき母親にも貧しさとうらはらな気位の高さが稀に見え隠れする。
おそらく貧しさとか醜さとかいったものはそういうものなんじゃないかと思う。本人にはさして大きな悪意はないのだが、抱えているものが特殊で大きすぎるがゆえに周囲の人と普通のコミュニケーションが取れず、ごく自然に浮いて、いじめられる。その点「累」は何かと悪意が明白すぎる。累自身の悪意も周囲の累に対する悪意も明白なのにそれを支えるはずの醜さの描写が象徴的でしかなくて、しかもどちらかというともこっちみたいで可愛いときている。だからいかにも作り物めいていて、あたかもB級ホラーかレディコミか、といった風情なのである。決してつまらない訳ではなくて、醜さの扱いが軽いのだと思う。でも野菊が出てきてからは割と面白くなったと思うけど。と言ってもこれもどこか大映ドラマっぽい面白さなんだけど。
少し話が逸れるが、累が丹沢ニナの顔をしている時に演出家と懇意になるエピソードがある。演出家はニナの顔をした累の中に、累がその人生で感じてきた執念や情熱の片鱗を見てそこに魅かれるが、逢瀬に現れた本物のニナを別人のように感じ拒絶する。ここはなかなか胸のすく演出で、見た目が醜い女の方が最初のハードルを越えて話してみたら美人より話していて面白かったというのはよくあることじゃないかと思う。同時に、デレマスアニメに出てくる前川みくが劣等感を抱えているという件を思い出す。正直噴飯ものである。語尾に「にゃん」とかつけられる程度の劣等感。みくにとってはアイデンティティを賭けた決死の選択かもしれないが、醜女にはもちろんそんな選択肢は初めからないのだ。中途半端に可愛い子ならではの心理を細やかに描いてくれたらデレマスの評価は一変するのだが、今のところはただの薄っぺらいアニメだなーと思っている。しぶりんは最高。
一人の壮年の男が若く美しい10代の少女と性の営みを行うもの。
しかし、男性が10代の少女に想いを馳せる事の何がいけないのか
一般的な成人男性はロリコンであってはならないとか精神疾患などと病気扱いをする
如何ともし難い話であった。
一番の問題は誰を好きになるかであって
たまたまそれが10代の少女であっただけ、という事にはならないのか?
これは罪深い事なのだろうか。
あれ「ウソと言うのは悪手だ。写真のときみたいに撤回することになる」みたいなことを言ってる人がいるじゃん。
「ウソじゃありません。私は岡田さんと付き合ってました」みたいに名乗り出る人が一人や二人はいるかもしれないけど、なかったことにしたい人がほとんどだろうからあれで終了だろうな。
あんなに毎日ウザいぐらいメールしてきて「好き」だの「会いたい」だの言ってたのは何だったの?
フェラが上手いとか下手とか締りがどうとかそんなもん自分じゃわからんだろ(怒)
ていうか他の女と比べるとか失礼にも程があるでしょ。
・・・みたいなやつどっかに上がらないかなー
よく知らんけど、広告だしてダウンロード数が増えて、ランキングが上がるからさらにダウンロード増えるって好循環のことをブーストって言ってるんでしょ?
プラットフォームのランキングで注目されるって言うのはアプリ独特かもしれんけど、広告を出すのは映画とかゲームとかほかのジャンルでも同じなんじゃないの。
よう、俺。
とりあえずネタ元は書いておこうな。
http://anond.hatelabo.jp/20140609130314
・他の女とセックスできなくなる
え?別に普通に他の女とセックスすればいいんじゃないの。ばれない自信があるなら。
墓場まで持っていく秘密の一つだと思えばあんまり気にならないよ。
・子供がほしくない
嫁さんは子供が産めない体なので、ずっと独り身だったからちょうどよかった。
結婚して二人で一生、老後も楽しもうねって話してる。
・彼女の親や親戚との付き合いが嫌
まったく付き合わなくてOK。盆と正月のあいさつだけは行ってくれと泣いて頼まれたので、その日だけは一日酔っぱらってなんとかこなしてる。
寝入りばなやうたた寝してる時に金縛りの夢見るんだけど、夢を見てるって意識あるんだよね。
あーまたこれかー睡眠外来そろそろちゃんと行かねば、とか思う。おしっこ行かなきゃなんだけど寝てしまったときになることが多い。からだが起きろっていうサイン?
夢なんだから自分の思った通りのことが起こせるのでは? って考えて(この夢を見てる時はそう考えられる)、でも何も出ないしそもそも金縛られてるので何も出来ない
このまま幽体離脱っぽくなったらどうしようとかこのまま死にたくないとか考えて、起きよう起きようと必死になるとしばらくして起きられる。
この状態になっちゃうともう普通の睡眠に再移行するのは無理なので、起きるしか無い。多分因果関係が逆で、そうなって起きた時しか覚えてないんだと思う。
ある日を境にカルボナーラやチーズ乗せミートソース、タイカレー、豚骨ラーメンからゲロの臭いを感じるようになった。それまでは好き好んでどれもよく食べていたが、そうした体質になって(?)からは避けるようになってしまった
少しググってみた限り同様な人も多いようだが、いまいちその現象の原因を見つけることはできなかった。
安いレトルトカルボナーラを食いすぎたせいか、それとも酷い食生活で体質が変わったのかそんな理由しか思いつかない。もし何かわかる増田とかいれば教えてくれ
あれってさ、はてブで新着エントリー入れてホットエントリー入れて、
を作り出すために
クラウドソーシング(笑)で金で人を雇ってはてブしてもらう、っていうのと殆ど同義だよね?
最初の少数を金で買って、で後はちょっと上がったら自然と上がっていく、っていうシステムを利用して。
なんでああいう、明らかな詐欺的な事をやる気になれるんだろう?
勿論それはシステムの穴で、犯罪でも何でも無いから使えるものは使うんだ、っていう姿勢なんだろうけど、
明らかに世の中を悪くしてる。
そんなことしてあとで残念な気持ちにならないんだろうか?
そういうの専門にやってる会社とか人とか、どういう神経してるんだろう?
てか、そういう人の中で、もう儲けりゃ良いんだよ、って開き直ってる人はまだいい。
中には本気でそれが素晴らしいことで凄いことで、と思い込んで偉そうに論じてる人もいる。
おれとほぼ同じ考え。
・レス歴8年? 定期的にフーゾク行ってるよ。
・カミさんの実家に行ったのは3回かな。カミさんは年に数回帰ってるけど、つまんないし遠いし。
・一緒に住んでるけど、一戸建てで自室もあって自分の空間は確保してる。掃除洗濯してくれるのは助かるよ。
・共働きでサイフは別。食材費・日用品はカミさん持ち、その他住宅費・光熱費・外食他はおれ持ち、って感じ。
これはこれで悪くないよ。
何で結婚したんだろうねえw