2014年03月25日の日記

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325192444

スーツを着てったらあすぺ?

私服を着てったらあすぺ?

どっち?!

本気でわかんね。俺あすぺだから

私服面接を受けるのはアスペチェック

 よく企業で「面接を受ける場合私服で来てください」というけど、あれってアスペチェックだと思う。

 

 空気を読んでスーツで来てほしいと言うよりも、空気を読めない自閉症者を見つけ出すリトマス試験紙みたいな感じがする。

 そういえば、フェルミ推定でも自閉症者を探しだすためにやっていたという事例があった。

 

 もしそうなら、日本企業フェルミ推定のごとく、自閉症者をあぶりだそうとしている。障害者権利条約抵触していてもおかしくねえ?

http://anond.hatelabo.jp/20140325191325

いやいや、あるだろ。

http://okwave.jp/qa/q7900879.html

関連付けをWindows Media Playerなりに変更すりゃいいのはわかってるし、

それ以外でも俺自身が困ってるわけじゃないけどさ、人に勧めるなら7のほうがいいと思ってる。

http://anond.hatelabo.jp/20140325181242

スクライドだってグレンラガンだって硬派じゃなくて一周回って媚びアニメだろ

それがいいんだけど

そもそも硬派の定義が分からなくなってきた

どっちかというとWUGとか客に媚びる気一切無しってスタンスの方が逆に硬派な気もするし

http://anond.hatelabo.jp/20140325190806

ねーよ

関連付け間違ってんじゃないの

http://anond.hatelabo.jp/20140325173620

このスケベ野郎が! という類の言葉責めを乞われている感

仮想現実という幻想

直接を受けてはこれ。

http://fanfiction-novel.com/archives/544

仮想現実物のアニメラノベについての雑記

ただし、別に反論とかそーいう代物ではないです。

?B から REV さんの

http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20100128/p2

ゲームの中が舞台ラノベ

も参考にしてます

 

web小説のVRMMORPG物とかが書籍でまであふれていて、いくつかのそういうラノベの状況への批評を読んで、そういうのに対してもにょもにょとした感覚を持ってたのだが、アウトプットしてないなと。で、アウトプットしたいなという感覚がとっても大きくなってしまったので落書いてます

で、自分領域だと ?D も ?H も Tw も読む人が皆無なので、自分のところよりは読む人が多いであろう増田借ります

結局のところ独りよがりチラシの裏なので、嫌いな方はページを閉じてください。

また、ねたばれを平気で入れます

 

よござんすか?

 

よござんすね?

 

そんじゃ、チラシの裏を徒然なるままに。

物語類型

一番最初に気になったのは、物語類型としての分類。

ぽすてぃぶさんが

仮想世界物の「SF」がSAO

仮想世界物の「異世界召喚物」がログ・ホラ

仮想世界物の「サスペンス」が.hackこうではないでしょうか?

としていたのですが、これの SAO を疑問に思いました。

SAO最初は、ゲーム仮想世界に閉じ込められて、命がけのデスゲームを行うというものです。

そこで、確かに世界の作り方は SF なのですが、では「物語世界」を考えると、これは「ファンタジー」の方が近いのではないかと考えています

ぽすてぃぶさんが持ち出した SAO の要素として

思考加速、人工知能ロボット、A.Iが住み管理する街、これだけ聞くと完全にSFです。

とあるのですが、作中でこれらのギミックが「SFとして」活用され始めるのは、少なくともアインクラッドを抜けた後になりますユイのボディを現実につくるためには?など。

そう考えたとき、少なくとも最初アインクラッドでは、彼らの世界ファンタジーと同一の代物でしかありません。行き過ぎた科学により魔法と見分けがつかない代物です。そして彼らにとっては、それだけが世界」です。

 

同様の構造クリス・クロスにも見られます

ダンジョンの中に閉じ込められ、クリアするまでログアウトできない。ゲーム中の死はそのまま本人の死につながる。

作中のスキル「ゲーム」という設定なので「SF」ではありますが、キャラクター世界にとらわれいることからゲームの中だけが知覚できる「世界」になっています。そしてその「世界」の中には SF ギミックは問題ではありません。

 

これらに比べてログホラで違うのは「キャラクターの死」が「プレーヤーの死」と直結していない、というルールが典型でしょうか。

しかし、作中キャラクターにとっての「世界」とは何か?を考えたとき、彼らの世界はもともとの現実と全くつながっていない、「世界はいま生きているそこだけ、という意味では、同じになります

 

その意味で、彼らの物語類型を考えた時に重要なのは

このように設定された「世界であるのではないかと考えています

 

となると、これらはすべて「貴種漂流譚」の系譜とみるべきではないかと最初に思いつきます

貴種漂流譚?

しかし貴種漂流譚とした場合物語類型としては明らかに違うものがあります

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E7%A8%AE%E6%B5%81%E9%9B%A2%E8%AD%9A

VRMMORPGMMORPG場合主人公は貴種というわけではなく、また、多くの同様の他人と一緒に異界に漂流しています

これは明らかに貴種漂流譚とは違う特徴です。そもそも貴種漂流譚は神話類型で、英雄譚のいくつかにみられる特徴なので、そのまま当てはまるものではありません。

行きて帰りし物語

となると、他に近い分類を考えると、「行きて帰りし物語」というのが出てきます

http://hiki.cre.jp/write/?YukiteKaerisiMonogatari

これは乱暴な言い方ですが、貴種漂流から「貴種」の特徴をとっぱらったものといえます

結果残るもの

というパターンになります

多くの場合冒険に駆り出される理由は「日常からの欠落」が起き、「冒険の中でその欠落したもの、あるいは替わるものを見つけ」「日常に帰ってくる」というものです。スターウォーズなんかこれの典型ですね。

 

ここまで来ると、物語類型であり、一方で物語論として「読者に受ける物語とは何か」という話にもなってくるのですが、そちらの論は話の方向性微妙に違うので割愛

 

さて、では素直に「行きて帰りし物語」の類型としてまとまるでよいのでしょうか?

集団漂流というジャンル

ところがここでも問題が、行きて帰りし物語場合冒険に投げ出されるのは「主人公」とかその周辺がせいぜいです。

また、「日常に帰ってくる」というのも重要になりますログホラの場合ゲーム中に行われている冒険では「日常に帰ってくる」のですが、「現実世界」の意味では帰ってきていません。

 

では、さらに共通項をと考えた時に残ってくるのが「集団漂流物」というジャンルになります

これの古典で有名なのは十五少年漂流記(小説)ですね。

個人的に思い出すのは、空飛ぶ!竜峰学園(ラノベ)とか、勇者110番(NG97)とか、かなりマイナーどころになるわけですが。

類型とその違い

ということでもう一度元に戻り、SAOログホラ、.hack で考えてみた場合

という分類になるのではないか……と考えたのであります

なお SAO ですが、実際には細かく変わっていて

というのが物語類型での分類になると思われます

異界へのギミックや、異界で使う技術「ゲーム」ベースであるため、一見 SF なのですが、実際なところはあれらは「魔法」と物語上ほぼ変わらないものほとんどです。

となると、物語類型を見る場合にはもっと重要ギミックがあるのではないか?ということで、このような分類を夢想しています

ゲームという題材が特殊なのか?

ここで気になったのが、では「ゲームという題材が特殊なのか?」ということです。

で、最初の方に戻る。

web 小説や、そこから現実書籍になったものが、いろいろと「似通ってるな」という印象は、はたして「本当なのか?」。そして「似通ってるな」と思ったものは「何か?」。

個人的に多くなったなと感じているのに、確かに VRMMORPG に取り込まれるってのがあります。そして俺TUEEEEE。

しかし同様に、異界漂流物も多くなってるなとも思うわけです。ファンタジー世界で「生まれ変わる」とか「召喚された」とか。そして俺TUEEEE

で、これらを考えた時、ある意味昔っから変わってないのではないかと思うわけです。ファンタジー世界に行って無双っての。ゲートも戦国自衛隊ファンタジーにしただけだ、と乱暴に切り取ってみたり。

結局「無双の理由づけ」に何を使っているのかという部分で、VRMMORPG というのが身近になったのかなと。

 

そもそも「コンピュータを用いたゲーム的異世界」で冒険というのであれば、いろいろと話は出てきます

それこそ、最初は「ジャックイン」でしょうか。ニューロマンサー('84)。これのジャンルだと SFサイバーパンクですね。この場合マトリクス現実世界の裏にある(人工)異世界という視点で見れば、ファンタジーの一種とみることも不可能ではありません。

同じくサイバーパンク電脳世界があるもので、漫画で有名になったのがサイレントメビウス('88)でしょうか。

他、こちらはハビタットのような電脳街という感じの世界ですが、BOOMTOWN('92)という漫画もありますAI が住み、自己増殖する電脳世界に入り込み、バグ退治を行います表現SF 側です。

そして、ゲームといっても電源不要東京N◎VA('93)なんかが思い浮かびますサイバーパンクなTRPG

一方、完全にゲームの味付けでは、クリス・クロスが '94、クラインの壺だと'89ですね。

 

そしてこの「ゲームな味付け」で「異世界」となると、コンピュータを捨ててファンタジーにぐっと寄ったものとして思い出せるのが遥かなる異郷ガーディアン('90)。死亡無し、バイト感覚ファンタジー世界魔王を倒そう!という話です。あるいは、日帰りクエスト('93)なんかも近い代物でしょうか。これらは日常の延長として異世界ちょっと冒険してくる代物ですね。

これらと .hack が似てると思ってて、ギミックに「異世界」が絡む程度なんですよね。物語世界の構築法の話であって、物語としてはその異世界重要なのですが。

 

そして、完全にファンタジーに話を持って行ってしまえば、作品は一気に広がります

世界現実を行き来するってのでは、ナルニアとか。

個人的には魔法使いになる方法(ダイアン・デュアン著)を持ってきたいです。翻訳がまた止まった……。こちらは、現実世界の「裏」にある世界なので、ナルニアのように現実世界の「隣」にあるのとは違っていますが。

 

ここで VRMMO を題材に使っているのを考えてみますと。

VRMMO は現実世界の「隣」にしかなれません。アクセルワールドのように現実世界を模した世界であっても、現実世界に影響は与えていません。

その中で主人公プレーヤー集団が「命」であったり「記憶」であったり「思考」であったりの影響を受けるという、世界以外が対象になります

となるとこれは別にゲームではなくファンタジーであっても同じなので、ここの類型から考慮しないでも済みます

 

一方、魔法使いになる方法では、魔法使いだけに見える世界というのは、現実世界と表裏一体です。魔法世界で変化があれば、それは現実世界にも影響を及ぼします。

これは電脳世界を用いた場合でも同じギミックがあるように作ることもできます

N◎VAもそうですし、サイレントメビウスもそうですね。

 

このような違いを見るに、ようするに「VRMMO などに見えるゲーム世界・異世界」というのは「現実に影響を与えない箱庭」という概念でくくれるように見えます

世界漂流ファンタジーもその多くは「現実に影響を与えない箱庭」的世界です。

このように、完全に切り離されている異世界かどうかというのが重要ポイントなのかもしれません。

俺TUEEEの源泉

ちょっと話が散乱したので、少し戻します。

無双の理由づけ」です。

VRMMO 、あるいは「ゲームルールがある異世界」を用いた場合、「俺 TUEEEE」に対してこじつけが作りやすいのが、この分野が氾濫している理由なのかなと思ってみたりしてます

どういうことか?

 

多くの場合対象となる異世界は、技術文化水準が現代より低いです。

FPSSLベースにした場合は逆もありますが、氾濫しているのは多くが「ファンタジー世界」として「中世西洋」がベースです。

そこで俺TUEEEとして従来のファンタジー神話伝説英雄譚、ファンタジー小説などがとった手法が「貴種」です。

これは現実にも祭事が政であった時代に、「神の信託を授かる巫女」(卑弥呼など)とか「神(竜)の血統」(中国皇帝日本天皇)とか「神に認められた」(キリスト教や同影響下の国々の王など)が用いた手法で、何か特殊存在が力を認めているから「偉い」という考えから来ている物と思われます精霊信仰や祖霊信仰なども同様なので、世界中で行われた、あるいは現在進行形の考え方ですね。

 

そして、漫画アニメラノベでもこの手法はいくらでも使われています。作品は割愛。 

では、一般人ではダメなのかってところから始まったのが、異界に行った時に「異物」なので強くなったというものです。この場合だと貴種である必要性がなくなります

この場合重要になるのが、多くは「機転」や「思考」だったりします。その世界にない視点で物事を考えることで、打開するなどもありますね。

 

VRMMO の場合、この後者の考え方を用いて俺TUEEEをするというのが基本ですね。

ログホラがわかりやすいですが、異世界にはないけど現実世界にあったものを再現することで、異世界でのアドバンテージを得る。蒸気機関はこのギミック

この手の異世界で発想で先手を取るってのが、他だとアウトブレイク・カンパニーであったり。あるいはくじびき勇者さまを思い出してみる。他にも新書であったような記憶があるのに、題名全然出てこない。

まおゆうも「その世界になかった概念を持ち込む」事で「世界に影響を与える」という部分で、ログホラとそっくりなことを味付け変えてやってます

 

てなところで、俺TUEEEの源泉をあれこれいじってきてるのは増えてきてはいるなとは思った。

今までだと単純に戦闘つえー、魔法つえー、だからねぇ。

とめどなく

結局まとまらないので、適当なまま増田に投げつけて終了。

続きも別に考えてないで投げっぱなし。

たとへば君

暗みからこっそり忍び寄って

私を殺して行ってはくれぬか

http://anond.hatelabo.jp/20140325143223

この記事のブコメに「お金が腐るシステム必要だな」ってブコメがあった

例えば、給料ボーナスの一部を期限付きにするってのはありかもしれないと思った

ただ、これでは資産家には金を使ってもらえないので、何かい方法ないかな?

http://anond.hatelabo.jp/20140325183217

トピシュは他人をイジるけど自分がイジられるのを真面目に拒絶する。

へーそうなんだ。じゃあid:topisyuって単なる日常生活鬱憤を晴らしたいだけのおばちゃんなんだな。

哀れだ。

ブコメ年収がわかる釣り

http://anond.hatelabo.jp/20140324164403

結局釣りでした、ブコメあなた年収ゾーンが炙り出されます

って釣りのような気がしてきた。

http://anond.hatelabo.jp/20140325182252

男が求めている「硬派」って艦これみたいな奴だったりして、それを求める人向けに作品出したらストパンとかになったってだけじゃないか?

いくら何でもそれはないだろ…

自分ナメック星出身だが、なぜか誰も信じてもらえない。

http://anond.hatelabo.jp/20140325182345

現実をみない勇気も最大のスキル

そしてもう戻れないと思い込む事、それもスキル

増田へのセルフブクマやめませんか?

そこまでしてはてブトップに出したいですか?

匿名ブログで、匿名ブクマ。これほど滑稽なことがありますか。

多くの人に読んでもらいたいなら正式ブログで書けば良い。

その内容が光っていれば、セルクマしなくても、自然ブクマが付きますよ。

暇人オナニー増田なんか誰も読みたくないし、はてブトップに出てきてほしくない。

よってこれ以降のセルクマは「釣り」と断定します。

http://anond.hatelabo.jp/20140325173620

味付けが濃すぎて素材の味がしないというような残念感。惜しい。

時々ほんとに死にたいしか思わなくなる時あるなぁー

今とか

http://anond.hatelabo.jp/20140324204657

生産性の高い人間は生き残ると思う

レッドオーシャンもいいところだけどな

創造性のないやつや、リスクを取ってバクチできないやつはこの路線しかないと思うぞ

生産性が今10倍だとするよ、5年後は多分その生産性素人でも出せるような技術がととのってると思うんだよ

こんなことにはならない。Webに関して言えばドンドン技術が専門化してきていて素人が簡単に入れない世界になっている

時間が経つと周りの技術力が上がっていくから技術力がそのままのやつの価値は下がるけどな

まー、なんで勉強し続けてくれ

つうかさあ。格差の話題で所得だけで語る奴らはなんなの?目くらましのポジショントークでやってんの?

本質は親の知性の差だろうが。所得は知性を隠れ変数とする相関に過ぎない。因果ではない。

分かるだろそのくらい。常識的に考えて。

人間らしい生きかたとは

われわれ人間にとって、「生きる」とは何だろうか。一体、何がわれわれの生と死を定義付けているのだろうか。医療技術の発展は、このような問いをわれわれに投げかける。

一般に、死は心機能あるいは脳機能が不可逆的に停止し、生物としての機能を失った状態であると考えられている。またいくつかの国では、脳機能の一部が停止し意識消失しているものの、呼吸や心機能など無意識的な人体の基本機能が残存している場合にも、それを「人間らしい生」の終息として、尊厳死安楽死として「死」と定義している。

医療技術の発展は、人の「体」の寿命をのばすことに成功したが、同時に「人間らしい生き方」「心」とは何かという疑問を提起した。その結果として、尊厳死安楽死の考え方が生まれたのである

だが、「人間らしい生き方」を追求することは、死の定義を過剰に広げてしまわないだろうか。そもそも「人間らしく生きる」とはどういう状態のことを指すのだろう。

例えば終末期のがん患者場合、完治の見込みがなくなった際には、重い副作用のある抗がん剤による治療をやめ、自宅に帰り家族とともに「人間らしく生きる」ことを選択することがある。この場合、「人間らしい生き方」とは家族とともに普通日常生活を送ることを指すこととなる。

この考えに従うと、ホームレスなどの自宅も家族も持たない人々は人間として死んでいることになる。

あるいは、自己認識する「意識」を人間らしさであると考えてみよう。

すると重度の精神障害者認知症の人々はどうなるのだろう。彼らは自己認識を持たないゆえに、人間として死んでいるのだろうか。

医療の発展が投げかけた生死の問いに対して、人間らしさを追求することは大切である。だがその危険性を忘れてはならない。

経済格差による教育格差お話

この話は結構されつくされた感あるが、最近インターネット無料講義が受けられるみたいじゃないか。

これなら貧乏でも東大いけるな!!!しか講師東大卒京大卒とかだし!!!!そのへんの予備校よりもいいかもな!!!

でもそんなことはないんだわな

教育格差は同じとこでループしてる。貧乏な家庭では生活環境が悪いことが多い。

親の仕事低所得場合が多い。そうなってくると親も高卒であることが多い。

高卒の親が子ども東大に入れようとするか?しないだろう。もちろん中学受験もしないまま公立の中学へいきそこで躓いで低偏差値高校へ進学→就職→親になり・・・

ループしている。逆も同じだ。

勉強にとって環境というのは悪いと話にならない。だから学校勉強する。(環境というのは勉強を教えてくれる人も含む)

家庭の環境がよくないとまず勉強へのモチベーションをどこでもてばいいのかわからなくなる。

塾へいけば少しはましになるが、勉強っていうのは本人が理解しようとして成り立つ。モチベーションをもてないような家庭ではこうした取り組みに参加しようとはしないだろう

親が全てというところもあるかもしれない。

から教育格差を~というような政策はこれるやつだけこいということなのだろう

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