はてなキーワード: マイクロプラスチックとは
大丈夫なん?
この作品はパリオートクチュールコレクションに2023年の時点で唯一参加する日本人ファッションデザイナー中里唯馬氏に密着したドキュメンタリー映画だ。これはファッション業界が地球に対してネガティブな影響が多すぎること、GHG排出量や環境汚染の大きな原因になっていることに対してファッションデザイナー自身が向き合い、コレクション制作に取り組んだ記録である。
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ここ以降、ネタバレ的な話、映画制作に関わったステークホルダーたちの発言の抜粋などにも一部言及する。そのためこれから視聴を控えていらっしゃり、なんの前評判も誰の感想も読まずにまず自分の主観で作品を視聴したい方は、ここ以降は念のため読まないでください。
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>Fashion production makes up 10% of humanity’s carbon emissions, dries up water sources, and pollutes rivers and streams. What’s more, 85% of all textiles go to the dump each year (UNECE, 2018), and washing some types of clothes sends significant amount of microplastics into the ocean.
>ファッションの生産は人類の二酸化炭素排出量の 10% を占め、水源を枯渇させ、川や小川を汚染しています。さらに、毎年全繊維製品の 85% がゴミ捨て場に送られており ( UNECE、2018 年)、一部の種類の衣類を洗濯すると、大量のマイクロプラスチックが海に流されます。
(引用:The Geneva Environment Network, https://www.genevaenvironmentnetwork.org/resources/updates/sustainable-fashion/ )
しかしファッション業界も、企業やブランド毎に速度も歩みの幅も大きく異なるが、ネットゼロへ進みはじめている。2023年後半の時点で、NIKEとadidasの靴やアパレルを購入した際には、この2ブランドについては、製品タグを付ける紐は紙製、靴の梱包材も全て紙製など生分解性素材への移行が見られた。近年adidasがコラボレーションを発表し続けている英国のデザイナーであるステラマッカートニーは、ステラ氏自身のアパレルや化粧品において早くから持続可能性を追求している点でも名高い。
それでも私たち人間が消費するファッションアパレルとしての服や靴それ自体が、最終的にゴミとして扱われ、それがアフリカへ、良い言い方をすれば「皺寄せ」、正確に言うと「ゴミ処理先」として送られる。
映画『燃えるドレスを紡いで』では、中里唯馬氏と監督の関根光才氏がアフリカを訪れた。中里氏は自身が身を置く業界がうみだしたものたちが消費された結果どこにいくのかという点で、行き着く先のひとつとしてアフリカを選んだのだ。映画本編では、彼らがアフリカで過ごす様子を視聴したのち、中里氏の仕事風景を見ることができた。そしてそのまま、彼のオートクチュールコレクションの映像と、それらへの評価、メディアの反応などを見ることができ、映画は終わった。
ファッション業界とそこに携わる人間としての中里氏の考えなどについては、ここでは言及しない。それぞれが視聴した上で、それぞれの考えを抱いて欲しい。
私自身は、人間の存在とその経済活動ほとんど全てが地球への負荷であると考えている。ファッション業界の影響が大きいにしても、私そしてあなたの存在も地球環境に負荷をかけているのだから、それをわきまえれば「特定の業界が悪だ、最悪だ」なんて意見は軽薄ではないかと思う。気分によっては、2024年に子供を産もうとしている人は、2044年や2064年の地球環境は確実に悪化するだろうことがわかっている中で、なんて酷なことをするのだろうと考えることもあるくらいだし、しかし、そう考えるが子供を産み育てる人を軽蔑や見下げたりすることは決してない。ファッション業界だけが地球環境を悪化させているわけではないと言いたい。
しかし、人間たちの研究開発と技術革新は進み、各業界で既存業界の課題と技術のブリッジが続く中、ファッション業界においては、消費者の意識とともにいろいろなことが遅れているのかもしれない。
映画『燃えるドレスを紡いで』で中里氏がアフリカで過ごしている時の映像で、中里氏がたびたび自分の見たものや景色に対して「美しい」と口にしていたのが印象的だった。その形容詞が、多勢に同じ感想を与えるものかはわからない。実際、監督も「どのあたりが美しいですか」というように問うていた(言葉が少し違ったかもしれない。違いましたら後日修正します)。
アフリカの映像は、日本などの先進国とは全く違う環境で、雑多としたものたちに溢れ私たちがゴミとして扱うものが最終的に行き着いたアフリカのゴミ山や、雨が降らず乾燥し切った土地、そこを移動しながら暮らす遊牧民たちの生活などだ。
中里氏はここから美しさを見出したし、私はそれに感動した。キュレーションされていない場所に行って何を見て何を感じ、どう言語化するか?、これは人による。単純すぎる感想だが、美しさを見出せる人は美しいものを作る側にもなれるのかもしれない、と思った。
中里氏がアフリカから戻り、チームに制作のコンセプトなどを発表したときの様子が好きだった。
制作のコンセプトをチームに発表する、チームはそれに従う、でいい。それでいいのだが、そのときにチームメンバーがそれぞれ発言をして、その様子は「中里氏に完全に従う」といった様子ではなかった。語弊があるかもしれない、もちろん彼の名前で発表するコレクションであり、彼のチームメンバーは彼のコレクションのために働くことになるのだから結果的には従うことになる部分が大きいだろう。しかし、中里氏の決意や発表に対して、取り掛かる前に、チームメンバーが各自発言ができること自体が、これができるチームは日本にある数多の組織の中でも意外と少ないのではないかと思えたのだ。とても良いチームに見えた。
私はオートクチュールの制作現場に対する知識がほとんどないに等しいが、ステークホルダーの多さや切迫感は目を見張ったし、最終的に時間との戦いになるさまには共感できる部分もあった。私などが共感を覚えるなんて言葉選びとして軽率では?おこがましいのでは?という点は一旦脇に置くとして、スケジュールの甘さや時間管理の不備ではなく、自分の名前で成果物を提出するときに「もう少し、どうにか良くできるのではないか」と思えてしまい手を止められなくなった経験は、私に限らず、ビジネスパーソンとして経験したことがある人も多いはずだ。さらにそれが、オートクチュールのコレクション…!?その後のルックがメディアなどで写真動画そしてモデルや取材者の感想とともに二次三次と広がる。なんて覚悟のいる仕事だろう。「とりあえず自分の持っているボールをなんとかして、次の人に投げれば、なんとかしてくれる、そしてそれはとりあえず所属会社の名前として世の中に出る」ような仕事のやり方と比較すると、全く異なる状況だ。自分の名前で作品を出す、誰も拭えない。そんな状況、いつまでだって試行錯誤したくなるに決まってる。これで完成だ、と手を止める瞬間はどう決めるのだろう?、あるいは降りてくるもの?そんなことも思った。
試写会では作品上映後にトークショーが行われ、WIRED編集長の松嶋氏が進行をつとめ、登壇者から話を引き出した。
松嶋氏はアフリカのゴミ山で服が舞う様子や鳥が飛ぶ様子が美しかったというようなことをおっしゃった気がする。実際に美しい映像だと思った。嘘みたいに大きい鳥(そして実際にも多分、とても大きい鳥)が前後左右に悠然と歩いたり止まったりしている間でゴミを拾う子供や女性の映像、洋服やその切れ端などが鳥とともに空を舞う映像。その映像を現地で撮影した関根氏と中里氏は、現地で風が吹いたり竜巻が起きたりした時は死ぬかと思ったと笑いながら話してくれたが、その裏側は本編に一切残さず、本編では映像として映すのみで、感想は見る側に委ねてくれたことを嬉しく思った。
全体を通して、感想を視聴者に委ねるような仕上がりになっていたように受け取ったし、私はそれに感謝した。この映画で見ることのできる映像たちに、美しい、汚い、怖い、綺麗、綺麗事、すごい、面白い、行ってみたい、行きたくない、見てみたい、着てみたい、など、どのような感想を抱いてもいいし、自分の抱いた感想に対して、なぜそう思ったのか掘り下げたらいいだろう。白黒はっきりつけず、議論し続けるべき話題はたくさんある。WIREDで取り上げられる特集や話題のほとんどがその類のものだ。人々は対話を続けなければならない。だからこの映画『燃えるドレスを紡いで』への感想も、私のようにとても良かったと考える人もいれば、地球温暖化は陰謀だとか、アフリカにゴミが集まるのは当然だといった感想を抱く人ももしかしたらいるのかもしれない。自分あるいは他人が抱いた多様な意見に対して、なぜそう思ったのか、と対話を続けること、対話を諦めないことが日本にも世界にもファッション業界にも必要なのだろう。
この映画を見て、自分が買っている服、ひいては、自分の買い物という消費行動を見直したい、誰かに拭わせるような生活や仕事をせず自分の責務やその範囲を適切に見定めて、その範囲を広げたりしっかり守ったり、うまく守れた時は余力で周りを助けたりしながら自分と地球の関係性をよく考えながら生活したいと思った。
あと、WIRED JAPANが大好きなので、これからも愛読し続けたい。
追記。
映画に登場する人々に、登場シーンでクレジット(登場人物の名前や所属)を表示させた上で、もちろんエンドロールにも名前を掲載する、という画面の作り方は、ドキュメンタリーの手法としてめずらしくはないのでしょうか。この辺りの知識がないため滅多なことは言えないのだが、登場人物の名前や所属をその画面で明示する編集が好きだった。やはり、協力者の一人として自分が登場するシーンには、期待や嬉しさなどをもっているはずだ。私はこのような、協力者たちへ感謝を伝えるようなあたたかな編集や画面作りに強く好感を持つ。1人ではできなかったことへ協力したくれたステークホルダーにできる限りの感謝を述べる姿勢を、私も忘れないようにしたい。
ユナボマー(セオドア・カジンスキー)の未来予測は正しかったんや、とも思ってしまうけどな
だからって、ターミネーターのサラ・コナーみたいになるつもりもないし、あそこまで反AIになったら映画同様に精神病院やろうし
というか、レジ袋削減とか、紙のストローとかアホやと思うわ、いいかげん元に戻ってほしい
せめて、こういう努力をしたら、環境にこういう結果が出ました、というのを数値化してほしいわ
何事も数値化しないと適切なフィードバックができない
いわゆる、やってる感出してるだけ、になってしまう
マイクロプラスチックだって、大元はタイヤだとか分かってるのに、レジ袋とかストローとか影響の少ないものに力入れるのアホだと思う
パック納豆
人体へのマイクロプラスチック被曝量が普通の風船の1兆倍だったからな
みなさん、「香害」という言葉をご存知だろうか?
簡単に言えば柔軟剤や洗剤、香水の香りで頭痛や吐き気、めまいなどが起こること。
マイクロプラスチック等の化学性物質に長期に渡って曝露することにより、化学性物質過敏症を発症し、その症状の一つとして合成の香料の匂いを起因とする体調不良が現れるとのこと。
酷くなると数メートル先の人の柔軟剤でも倒れることがあり、また曝露することによって誰でも発症する危険性がある、と説明される。
(説明がシックハウスと似ているがシックハウスは匂いは関係ないので香害とは別)
確かに香りの強い柔軟剤や香水をつけすぎの人の近くだと匂いがキツくて気分が悪くなることはある。(ほとんどの人が経験があると思う)
だが、どうも香害を主張する人のいう↑はそのまま鵜呑みに出来ないような気がするのだ。
まず柔軟剤や洗剤の匂い(成分)により化学性物質過敏症を発症するなら、曝露率や曝露量が圧倒的に高くて多い柔軟剤使用者自身に発症者が多いはずなのだ。
だが、現実には自分が使用していた柔軟剤により、化学性物質過敏症を発症したと主張する人は少なく、むしろ、周囲の人(隣人や会社の同僚など)のせいで発症したと主張する人が多い。
そもそも柔軟剤起因でそんなに発症するなら柔軟剤の匂いが日本より強い訴訟大国アメリカで集団訴訟が頻発しているのではないだろうか?
香害を主張する人のコメントなどをいくつか読んだが読めば読むほど「ほとんどの人が何らかの精神疾患や自身の体調不良を身近にある匂いのせいに置き換えているだけなのでは?」との疑いが強くなる(ワクチン臭と並べられて「両方とも数メートル先からでも臭いから分かる!」って言われても。。)
最近は「香害を主張する人のために柔軟剤や香水は使わないで!」というように主張する人もいる。
しかし、原因が匂いだと明らかではない状況で彼らの主張を鵜呑みにするのは本人たちも救われない。
周囲に肯定されることで自己の体調不良が匂いのせいだとの思い込みを強くすれば、疾患に即した治療のチャンスがなくなってしまう。
マイクロプラスチックが、環境ホルモンの強力なキャリアーになってるんだって。
マイクロプラスチックが原因なんて証拠あんの?普通に考えたら環境ホルモンのせいでは?
マイクロプラスチックで精子減るって誰が決めたん?
本当の少子化の原因は、マイクロプラスチックにあるねんて。
ここ40年間の間にマイクロプラスチックの汚染が世界中に広まり、その結果、男性の精子量が半減してるんよ。
精子量の半減は、先進国、発展途上国問わず、あらゆる環境から汚染が進んでいるので、
コンテンツの普及も関係なければ、男女平等の度合いも関係ない。
精子量が激減した結果、結婚してまで異性を求める男が激減した。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD226TU0S2A121C2000000/
精子の数の減少が、中南米、アフリカ、アジアの男性にも見られたということは、その原因となる生活習慣や環境因子が世界的に存在することを示唆している。
そうそう。柔軟剤じゃなくて芳香剤だったかもしれないけど、香りを閉じ込めるカプセルみたいなイメージ映像はCMでも見たことあるんだよね。
でも、そのカプセルがNHK曰く「外側の膜にはプラスチックなどが使われ」ということは知らなかった。普通に液体的な泡みたいなもんだと思ってた。マイクロプラスチックとかが問題になっている中で、香害とは別に、そんな仕組みで無数のプラスチックを環境にばらまいてもいいの?という感想。また、プラスチックの粒だからこそ、花粉などと同様にアレルギー反応があってもおかしくないなぁとも思った。
もっとも、個人的にはマイクロプラスチックの環境への影響には懐疑的。砂粒との違いが分からない。
そして、「プラスチックなど」と、「など」付きで表現されているということは、環境に優しい(?)プラスチックではないマイクロカプセルもあるのかな?とも思った。
日本海の塩は塩だと思ってもらえない太平洋岸の霊とかめんどくさい展開希望
必死で手精製した塩を使ったら一定量混じってたマイクロプラスチックで死んだみたいなオチとか
プラスチックごみを減らすと確かに環境負荷は減るが、こと日本に於いては慎重にならなければならない。
表題の理由を真っ先に述べてしまうと、日本は東京のゴミの最終処分場問題というものを抱えているためだ。
簡単に言えば「東京のゴミを燃やして圧縮した灰(スラグ)を捨てる場所」が後20年程度で埋まってしまう。
数年は地方にスラグを回すことでなんとかなるだろうが、限界は早い。
そうなるとどうなるかと言えば、めちゃくちゃ金がかかるし搾取的で倫理的にも批難されそうな「外国にゴミを持っていく」か、「新たに自然を破壊し埋立地を作る」の二択が発生する。
現状としては日本は手をこまねいており、この2つに向かって突き進んでいるというのが大まかな問題点である。
マイクロプラスチック問題も深刻ではあるが、この2つはそれらを遥かに上回る環境破壊が発生するため本末転倒だ。
もちろんプラスチックごみを減らした上で発生したゴミをリサイクルするという形ならば問題はない。
しかし、マクドナルドを例に見てみればプラスチックを紙ストローに変えたものの、それらは特に分別されることもなく燃えるゴミとして処理されている。
現状としては「とりあえずプラごみ減らせば良いんでしょ」という教義的な愚かしさがあるのは否めない。
ここから鑑みるに、「とりあえずプラスチック減らせばいいや」という動きは巨大なゴミ処分場を用意できる大陸や米国型の、ある種余裕の上で成り立っている論理でしかなく、
我々のような島国、特に最終処分場問題を抱える日本においては「焼却するゴミの量を減らす」というテーマに沿わなければ全くの逆効果であり環境破壊を早めてしまうと言える。
要するに「燃えるゴミ」の削減が環境に対してもっとも重要な課題になり、原材料として再利用する「マテリアルリサイクル」と「ケミカルリサイクル」に力を入れる必要がある。
なぜなら、日本のプラスチックのリサイクル率の高さというのは実際には燃やして燃料としてリサイクルしているためであり、結局スラグが出ているからだ。
プラスチック削減をするにしても、「とりあえず紙ストローにしてみました」というようなものではほぼ逆効果に近い。
削減したならしたで「原材料として再利用できる形して、スラグを減らしました」にならなければ意味がないと言える。
例えば全国で画一的で細かいゴミ分別を行い、それらの原料化やリサイクル原料を用いた製品には補助金や減税などをかけて早急に浸透させるなど抜本的な改革が必要となる。
上勝町のような分別は人口が多くなると難しいだろうが、志布志市並の分別をした上で原材料の再利用に更に力を入れ、スラグ自体を削減していかなければならない。
更にマテリアルリサイクルやケミカルリサイクルに他国より力を入れて成功することは、楽観的な憶測ではあるが国際社会でも優位に立ちやすいと考えられる。
「環境を守る」という技術の最先端を走ることの優位性はなんとなくわかるだろう。
プラスチックごみを減らすということは確かに環境問題において大切だが、こと日本においてはスラグの発生量に気を配りながら運用しなければ環境を大きく破壊してしまうという話。