はてなキーワード: 民明書房とは
女が横一列に並んで歩くのは、古くはGメン75、最近ではまーん歩きと呼ばれる、女特有の習性である。民明書房の書籍によれば、類人猿の頃から続く本能との調査があるらしい。
あれは、その女グループでの序列を作らないための行動で。あの横一列から一歩でも後ろに下がることは、グループの中での格落ちを意味することになるので、絶対に列を崩さない。やむなく避ける場合には、隣と目配せして横に詰めるなどして横一列を維持し続けようとする。女特有のマウンティング合戦だね。
バタートーストを背中に付けた猫を使って発電ができるように、この形態保持、圧縮伸展の動きを使って新たなエネルギーを生み出す技術が開発中らしいよ。
要するに、"ウチ"と"ソト"の区別がついていない/つけられない人達ってことだよ。通行の邪魔をしてはいけないという"ソト"の論理よりも、グループ内での序列という"ウチ"の論理が優先されてる。これが日本人特有なのか知らないけれど、金商法やら労働法やらJIS法の法律よりも社内のルールが優先とか、警察よりも協会に先に報告だとか、男女に関係なく世の中はそんなことばかりだから、あんまり気にしても仕方ないよ。
月面基地に滞在する人間は大きく分けて『科学者』と『技術者』、『行政代表職員』に区分される。
そもそも、月面基地は科学研究所であるのでそれを受け持つ科学者が花形であるが、極地における基地運営には特殊技術を持つ多様な人材が必要であるので、人口の割合としては技術者団がもっとも大きい。
しかし、数百人から千人以上の人間が生活する居住施設でもあるので、やはり物品の手配や各国の利害調整業務を請け負う行政担当職員も少なからず滞在している。
だが、全ての人員が自ら希望して、厳しい選抜を勝ち抜いて赴任している事には変わりなく、その裏には共通して宇宙への憧れを推進力として持っている事が見て取れる。
その為、結託し、非番の日に自転車用ジャンプ台を自作し、体育館で『ETごっこ』に興じる者達が大勢いる。
重力が小さいため、同じ高さから落下したときの衝撃そのものは小さいが、その分高く飛ぶため、結局は地球上で同様の愚行を行うのと同じダメージが体にかかる。
一応、厳密に放物線軌道が計算され、着地用のマットも必要十分に用意されるのではあるが、射出時の出力=速度が人力である為、どうしても失敗が起こる。
行政側としては無用の事故を避けるため『自転車を用いた跳躍の禁止』を通達したが、その裏でかなりの数の行政職員(主に男性)がETジャンプに携わっていたことも有り、有名無実の禁止令となっていた。
やがて、非公式に始まったETジャンプは物理的研究のお題目と密閉環境のストレス緩和というお題目を与えられ、一種の娯楽として確立されていき、エクストリームスポーツのように発展していった。
このETジャンプに女性としてはじめて挑戦した職員は、映画そのもののコスチュームを着込み、自転車にも宇宙人の人形をくくりつけて登場し、大いに観衆を沸かせたあと、百名を越える観客の前で思い切りよく跳躍を見せた。
彼女がその直後に残した言葉は、大くの女性に影響を与え、後に宇宙開発へ女性参加者が増大した遠因となり、初期宇宙開拓史を代表する文句となった。
ジャップランドであることをやめようとしたらジャップランドはすぐにでもジャップランドで無くなるだろう。
そしてなによりジャップランドがジャップランドである原因がジャップランドであり続ける事にあるのは、ジャップランドの中でジャップランドを否定しながらもジャップランドを脱しようとして動けば後ろから刺される恐怖により誰もがイヤイヤながらジャップランドであろうとし、そうするウチに頭が壊れてジャップランドであり続ける努力に加担して魔女狩りのような真似をする自分こそが正義であり一億火の玉のヒーローの1人だと信じ始める所にジャップランドのジャップランド性が宿るからである。
一つ、肉道とは焼くことと見つけたり
(訳)お肉はちゃんと焼いて食べないとダメだということ。生肉がもてはやされた時代は(保健所的に)終わった。
一つ、手間か味かを選べと問われたなら、自分の手間など微塵も惜しくはない
(訳)美味しいお肉のためには、漬け込む、低温でじっくり、炭火を起こすなど、手間を惜しんではダメだということ。
一つ、ひとつの肉に悟りを開ければ、どんな肉にも精通し多くのことを理解できる
(訳)牛であれ豚であれ鳥であれ一つの肉の火入れがわかると、多くの肉の調理法を理解できる。
一つ、肉奉行の心得として最も重要なものは何か?自分の成し遂げたい肉のために、一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと
(訳)お肉を焼いている間は、目を離さないようにしよう。
一つ、肉奉行とは、周りの「腹減った!」の嵐の真っ只中にあろうとも、ひとり立ちすくせる者でなければ価値がない
(訳)どんなにお腹空いたと言われても、美味しい肉のためには客も待ってもらおう。
一つ、何の準備もなく突然の焔に肉が曝されたとしても、慌てふためいたり、逃げ隠れるようなことがあってはならない。立ち上がる炎に心を乱さず、それを受け入れ肉を逃せ。
(訳)焼肉してて火があがったら、肉に火が当たらないようにしよう。
民明書房かと思ったけど念のため調べてみたら:
https://www.google.com/?hl=en#hl=en&q=thanks+a+ton&safe=off
http://english.stackexchange.com/questions/90984/is-thanks-a-ton-a-commonly-used-phrase
http://forum.wordreference.com/showthread.php?t=1272440
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20110308090706AAu1995
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20121017141128AAjabVG
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20120923114515AAXvzeb
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20120923114021AAIBQxI
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20120917144543AA58tP5
「アニメオタクの強迫観念とブロガーの自傷について」(民明書房1930年1月刊より抜粋)
すると、Aの症状は軽減。Bは過呼吸が頻繁になり自傷行為も出現。
理由として、Aは「現実的な虚構」の中にいたが、Bは「虚構的な現実」の中にいたから。
といっても意味不明だが。
簡単に言えば。
「アニメオタク」を支持することは「アニメ好きのありのままのA」を支持することなので治療的である。
しかし、
「ブロガー」を支持することは「ブログという虚構の世界のB」を支持することで、「ブログを書いていないときのありのままのB」は支持してないことであり、反治療的になる。
ということのようだ。
つまり、「ブログを書いていないときのあなたも素敵ですよ」というアプローチが治療的ということか。
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以上http://d.hatena.ne.jp/annojo/20060605/p1をインスパイヤ。コスプレイヤーとブログ管理人両方経験してるけど「虚構的な現実」という意味合いでは、結構近いものがあると思う。ブロガーじゃなくても、サイト管理人やニコニコ動画うp主、ニコ生の中の人、モバゲー・Twitter・mixi等のSNSユーザ、2ちゃんねらー等に読み替えても、良いと思う。もちろん健全にそれらのサービス使ってる人も居るけれど。