はてなキーワード: 人参とは
○ご飯
朝:バナナヨーグルト。昼:もやし、人参、キノコ、餃子のスープ。夜:おにぎり。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
ファミレスムーンパレス、そこには店員がおらず奇妙な客と無限に利用できるドリンクバーがあり外には出れず閉じ込められている、永遠に浮かび続ける月を眺めながら淡く何処かへ消えてしまいそうな雰囲気が魅力のアドベンチャーゲーム。
ゲームシステムはコマンド選択式だがポイントアンドクリックの要素も少しあり、夜空に浮かぶ月を調べられる辺りかなり雰囲気を出している。
ファミレスの自席と、それぞれの客席、そしてドリンクバーを巡りながら、この謎多きファミレスからの脱出を目指す。
開幕早々気になる謎が提示され、徐々に明らかになっていくのだけれど、その謎解きの過程が議論や捜査ではなく、雑談がベースになっているのが、この作品の強い独自性だ。
試験勉強の気分転換にファミレスに寄ったところ巻き込まれた普通の女性である主人公だが、雑談のタネを撒くのが大得意でグイグイと他人を距離を詰める。
主人公の雑談力によって、無限のときを生きていたムーンパレスの面々が変化していき、ストーリーが前に進んでいく。
勿論、謎が徐々に解けていき設定が開示されて行くのも面白いのだが、個人的には物語の本筋とは関係のない空振りの雑談を噛み締めるように遊ぶのが楽しかった。
冷静沈着な落ち着いたキャラだが、少しづつ熱が見えてくる熱いキャラでもある。
魅力的な女性陣に囲まれながらもソワソワしたところがない達観さは超越したものを感じさせられた。
雑談の細かい内容よりも、頭が回る知恵者の側面で謎解きの際に頼りになる印象が強い。
次にオドオドして小部屋から出てこない幼そうな女の子ツェネズ。
閉じ込められたファミレスの中でさらに引きこもっているコンプレックスの塊のようなキャラ。
明らかに何かを隠しているため、序盤は彼女の元に足繁く通うことになる。
なにかに怯えているようだが、決して泣かないエピソードなど、弱さに立ち向かおうとする話の流れに呼応するような雑談が面白いキャラだった。
引きこもっているためルックは中盤までわからないが、想像通りな可愛らしさなのが、雑談で話が進むからこその想定通り感が面白かった。
このキャラだけ第一印象の世界観が違うため、雑談の内容もかなり変則的。
ノブレスオブリージュのような人の上に立つことからこその義務感の話や、普通の暮らしからは想像できない悩みなど、異なる世界の人間であることが伝わる雑談が面白い。
それでいて、同じところもあることが、話を前に進めるキッカケになるのが主人公の雑談力の高さだ。
そして、今作のメーンヒロインとも言うべき存在で主人公と濃厚な関係値を築くことになるガラスパン。
しかし、そんなことで怯まない我らが主人公がドンドンと距離を詰めていく様は、ちょっとしたギャルゲ主人公でもまだ控え目にアプローチをかけるぞと心配になるほどだ。
少々ネタバレになるが、実のところ彼女は物語の全体像からはあまり関係のないキャラで、ハッキリ言って彼女が居ようと居まいと、あまり本筋とは関係ない。
そして、そのように主人公も思っていたからこそのラストも素晴らしい。
以上四人がメインキャラになるが、忘れちゃいけないのが、雑談の鬼にして、彼女たちを色々な意味で変化させる主人公だ。
プレイヤーイコール主人公のようなスタイルだが、雑談を通じて、そして合間のモノローグから、少しづつ彼女は彼女で中々に奇妙なキャラであることが見えてくる。
無個性なプレイヤーが感情移入しやすい一般人であること自体は間違っていないのだが、彼女の有り様もまた四人の奇妙な客たちと同様、興味深い可笑しさがあった。
ここまで雑談を通じてのキャラクタの魅力を語ってきたが、その先にある展開もこれらの雑談が程よく前フリとして効いていて面白い。
設定の開示のタイミングが絶妙で、その提示のタイミング毎に読む手を止めて彼女達の感情を想像してしながら、それまでの雑談を振り返っていた。
雰囲気を重視した物語によくあるボカしたような曖昧さや寓話的な部分はあまりなく、かなりじっくり練られた設定の開示と、その設定を踏まえた登場人物達の葛藤とその根底にある愛が非常に面白かった。
限られた空間の閉じたファミレスの中で進む会話劇でありながら、壮大な物語に思わず、僕も月を見ながらファミレスでドリンクバーを嗜みたくなってしまった。
エンディングの読感も非常によく、大団円でかつ、洒落の効いたいいオチも待っている。
個人的には主人公とガラスパンのカップリング的な魅力も感じられて、文学的でありながら、エンタメも意識されている、非常に面白いゲームだった。
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。