はてなキーワード: アマとは
ブコメにもあるが銀河英雄伝説だな。アスターテ会戦っていうエピソードが3回アニメ化されてる。
ちな小説原作(全10巻と外伝5巻)で出版社や装丁を変えて何回も出版されてる。時代に合わせて表現も改定されてる。んでメディアミックスも多い。オーディオブック化(声優違いで何パターンかある)、舞台化(OVAのやつもあればノイエもある。あと宝塚)、漫画化(道原かつみ先生もやってた。藤崎竜先生が今ウルトラジャンプで連載してる)、ゲーム化(ソシャゲサ終してたり三国志のDLCになってたり色々)、他パチとか食品とかとのコラボ。
アニメ化はOVA版(石黒版)、劇場版(映画版)、ノイエ(Die Neue These)だな。石黒版はOVAとして作られたんだがテレビでも放送されてたから俺みたいなおっさん世代は見たことある人が多い。全110話で内容は原作10巻全部。最近アマプラで観れるようになったぞ。
劇場版(映画版)は主に外伝の内容を上映してた。あ、9月か10月に東京大阪福岡で上映されるらしいぞ。ドリパスで採用されたらしい。よかったら行ってくれ。入場特典で布マスクが貰える!
ノイエは2018年にMBS系でファーストシーズンの邂逅(全12話+1)が放送されてて、2019年に劇場でセカンドシーズンの星乱(全3章)を上映してた。んで今現在進行形でNHKのEテレで月曜の22時50分から放送してる。これはファーストシーズンとセカンドシーズンを通して全24話の「銀河英雄伝説 Die Neue These」としてだ。ちな今日が21話だからもう終盤だがwよければ観てくれ。初見だと登場人物多くて訳分からんと思うが、21話はメカニック好きなら発狂するぞ。詳しくはネタバレになるから言わん。とりあえず観てくれ。
ここまで色々書いたが、銀河英雄伝説は小説原作だからキャラデザが複数種類ある。自分の好きな絵柄のやつを選んで観たり読んだりできるぞ。おっさんならOVA版を懐かしいと思うだろうし、ノイエは今どきのイケメンになってる。道原版は少女マンガ系でフジリュー版は少年マンガ系。渋い声が好きならOVA版かオーディオブックをオススメする。まとまりがなくて申し訳ないが、3回アニメ化されたら国民的と言えるだろうという言説に基づいて、どうぞ国民的作品の銀河英雄伝説をよろしくお願いします
アマプラ解約運動の裏に、三浦瑠麗氏への“羨望と反感”…鬱憤晴らしの格好の標的に
https://biz-journal.jp/2020/08/post_174880.html
非国民よばわりされたくないならamazonプライムを契約しろよ
そんでも映画とか漫画のストーリーを5分とか10分にまとめてるチャンネルよく見るんすね
その内容そのものっていうよりそこのコメント欄見るのが好きで、
それに特化したコミュニティもメンバーがだいたい決まってたりで雰囲気が硬直化してて面白くないんすね
だけど最近そういったチャンネルを見ることを映画鑑賞だって捉えてる奴がちらほらいることに気がついたんですよね
「こういう動画で映画見れちゃうからアマプラ解約します」みたいな
お前Switchでひたすら体験版ばっかプレイすんのかそれで満足できんのかと
お小遣いからやりくりしてちょびちょび映画借りて観てるしかなかった自分の青春から考えたら
月1000円もかけずに毎日のように映画観れる環境どうなってんの?っておじさんそんな感じなんですけどね
まあ映画ちゃんと2時間かけてまったり観るのってなかなかいいよって
映画鑑賞の楽しさって映画そのものの出来不出来とはまた違うんだよってさ
たとえつまんなくても、ながら見でざっくりとしかわからなくても、
「あなたはコンビニまで歩いて行ける地域と、車に乗らないとコンビニがない地域では、どちらの地域を選びますか」(文章を多少改変した。)
とある講師は、このような質問を生徒にするそうだ。本人談である。名前は明かさない。
他の情報無しで考えれば、この2択では、あなたはコンビニが近い方を選ぶだろう。
利益をとるか、不利益をとるかという構図にすれば、利益が出る方を選ぶのに決まっているのである。
仮にコンビニがないというデメリットを踏み潰せるくらいの何かがあればべつの話だ。
好き好んで不利益を被る人は少数派だ。もし、ここが進んで不利益を被る人ばかりの世の中の場合、経済学でいうところの「見えざる手」が働かない世の中であり、それはつまり市場経済が機能しない事を意味する。よく自己犠牲精神が美徳とされるのも、それがある種特異なものだからである。
しかし、この講師からすると、それは「間違い」のようなのだ。だから、そちらの方を選び取った生徒に対して、「(授業の内容が)実感なく終わりかねないから、覚悟して取り組んでね」(文章を多少改変した。)と伝えるそうだ。
この質問を上級生にしていると、先生が伝えた授業で私が考えたのは、この質問に沿って例えると、そこの地域をコンビニがなくても魅力的な場所にすることが大事なのでは無いか、という事だ。
それには、受け手的ではどうしようもなく、担い手として地域に働きかけ、変えていく必要があるのだ。
しかし、「コンビニまでの距離が、」と聞く事で、完全な受け手である消費者的な視点で、生徒たちの考えを先生は縛るのである。先生は生徒を前者を選ぶように仕向けている。
罠を仕掛けて、かかったものには、
「(授業の内容が)実感なく終わりかねないから、覚悟して取り組んでね」という言葉を浴びせると先生は仰っているのだ。
さしずめ後出しジャンケン、”RickRoll”、”YOU JUST GET 〇〇(過去形)” とやっている事は同じなのだ。
なんて性格の悪い卑怯な先生だろう。この件だけで一気に嫌いになってしまった。
ちなみに化物語1期をアマプラで一気見してきたので文章がちょっと影響受けてる感じで恥ずかしい、自らで自らの痛さを感じる。西尾維新に文章力と文章量追いつけるわけがないのになに真似してるんだ俺
まぁだからこそこんなところに書いてるんだけどね
こうして秒で時間が過ぎていくことに恐怖を感じないか?今の一秒が寿命から刻々と減らされていく感覚。
漫画を読んだり、アニメを見たりしたいのもわかるが果たしてそれでいいのか?って思って資格の勉強なり、資産形成の勉強なり、何かにつけてスキルを身に着けなければならないという強迫観念に日々かられてしまう。
なんなら料理や家事もする際は何か学習的視点を持ちながらじゃないと心苦しい。例えば、この比率で調味料を混ぜたら美味しくなるとか、この順番で干すと最も効率が良いとか。後は英語を聞き流しながら取り組むとか。
もちろん、コロナでほぼ行ってないけど、飲み会で同僚や上司と話すのも好きだし、どこかに意味なく出かけるのも好きだけれど、でもどこか心の奥底ではこのままじゃだめだ、何かやらなきゃ…ってなってしまう時間がよく訪れる。
よく休日何していますか?って質問でみんな一日中Netflix、Youtubeやアマプラ見てる〜とか言うけど、本当にそうなの?