はてなキーワード: たたずんでとは
『女性が32歳になったら見直すこと』
http://yukixxxxx.hatenablog.com/entry/2013/12/17/205707
彼女が「32歳になった」女性を「見直す」ときに使用する判断基準とは、自分の目で自らを省みるときに確立されたものだ。
それは「32歳になった」女性が「見直」せば確かに見つかるようなある客観的な指標ではなく、
彼女の身体と、身体を鏡で眺めた視線の調和というごく個人的な事情に由来している。
32歳でそれができないのはまずい
これらの独語はすべて「ただ私一人の振り返り」以上のものではない。ここにあるのはまなざしが自己自身へと向けられるときに
覚える、単純な苦々しさの感情だけだ。しかし彼女は、「私が見直」す自分自身の服装・振る舞いへの視線を、
同年代の他者にもまた瞬時に振り向ける。まなざしが自分ではなく他者へと向かうとき、自身が裁かれた裁きによって彼女は
その他者を裁く(「きつい」「痛い」「変」)。
ところで、そこには同時に、酷評された他者の身に置き換えられた自分を眺めわたす視線も同居している。
他者に向けていた視線は、再び自分自身へ戻し返されている。ここでは、他者を裁く裁きによって彼女自身が裁かれている。
このとき、振り返られた「私」への視線・評価とは、当初の、鏡で見たときの自身への視線と同一ではある。けれど、
「私」はすでに鏡で「私」を見るのではない。まなざしの対象であった他者の身に置いたとき、「私」は「私」の目に見られる者と
なってしまった。外からの目にさらされ、だから彼女は「恥ずかし」いと想像したのである。この仮想の経験をきっかけとして、
「まずい」という彼女の苦々しい感情は、標語的な自戒の確認へと変わっている。
改めて気をつけたいと思います。
こうして見ると、文章を通して彼女のまなざし=評価基準は一貫していながら、目とまなざしの関係はころころと変転していることが分かる。
第一に、ひとり鏡を見るときのような「振り返り」のときもあるし、第二に、品評するかのように視線を他者に振り向けるときもある。
かと思えば、第三に、身体は他者の身に置きながら、目はそのまま固定され、「私」となった他者を凝視している。そしてけっきょく
各項目の最後では、まなざしの対象となる身体は「私」に舞い戻り、反省的に鏡を眺める目との関係を回復する。
しかし、これらの順序は実際はほとんどでたらめで、ひとつの文の中でもごったまぜに入り交じっている。
彼女は、もう自分自身の身体の固有性を強く信じることができるほど自分が美しくないことを知ってしまったのだ。
「もう20代が終わってちょっと時間が経ち、大学生でもなくなったあたりから10年」経ったそこらの女性と、自分の容姿はもはや見分けがつかない。
少なくとも、周りの視線は「私」の身体を特別扱いしてはくれなくなった。こうして、自分と他者の身体が置き換わっても何もおかしくないことに
気づいたときから、彼女の身体に他者の身体が闖入するようになった。だから、鏡を見ているかと思いきや、鏡の向こうには批評されるべき
他者がたたずんでおり、その他者の身体は間をおかず彼女自身の身体に変貌してしまう。
「私」の身体を鏡で眺めるとき、「私」はそこに同居している、美しいとはとても言いがたい他者の身体を苦々しく思う(第一)。そこで彼女は侵入してきた他者の身体を
切り離すために、実在する他者に転嫁しようとする(第二)。そうすることで安心して自分自身の身体の奪還を演出することができるからだ。
しかし今度は逆に、彼女は他者に汚らしい自分自身の身体を見出す羽目に陥るので(第三)、彼女は慌てて鏡の前へと退却してしまう。そうして、
混じりけのない自分の身体とまなざしの純粋な関係を取り戻すことを願いつつ、鏡に向かって言い聞かせる。
改めて気をつけたいと思います。
そこに他者の身体が入り込む余地など最初からないということを示すために、この文章は「ただ私一人の振り返り」でなければならなかった。
「他人を侮辱」してしまえば、酷評される他者の身体が自分と同居していることを認めることになるだろう。しかし一方で、
自身のまなざしに由来する自省は、他者に向けたまなざし、およびその断罪とは切っても切り離せない。というのも、
彼女の身体に他者の身体があまりに重なりあってしまったために、それを脱ぎ去ることはできないからだ。
したがって、「32歳になった」他者に対して「改めて見直すといいのではと思う」ことと、「私が見直した」ことは根源的に区別できないし、区別すべきでもないことになる。
そしてまた、「べき論」であってはいけないが、「私」を裁くことは同時に「32歳になった」「私」と他者をまとめて裁くことになる。
「自分のこと」というタグにも関わらず、タイトルが「32歳になった」女性に向けられているのも、身体の特権性を回復させようとする意図的な錯誤である。
こうして、彼女は耐えがたい矛盾を抱え込みながら、またもや鏡の前へ遁走することになる。自戒の身振りを通して、鏡の中の「私」の身体を証立てるために。
けれど、その身体はもう他人の身体と見分けがつかない。
【男】
・女の子といちゃいちゃしたい
・良い繋がりが欲しい
【女】
・ビッチ
ほんとこんな感じの人しか来ないよね。
美人は紹介してほしがる男がたくさん群がるんだけど、とくに自らはしゃべりもせず静かにたたずんでて、
かわいい女の子はそわそわしながら群がった男から飛んでくる質問に一生懸命答えてた。
ビッチは甘ったるい口調でいろんな男のこの膝に座ったり、スカート丈について男としゃべりながら裾まくったりしてた。
男は人間の品定めをし合い、女は鑑賞されるためだけに来ている。
特に女性はなぜ怒りが湧かないんだろうと不思議で仕方なかった。
(この日記は、この増田さん http://anond.hatelabo.jp/20130612102930 にインスパイアされ、1年ほど前の事故をつづったものです)
(露骨な表現を含んでおりますので、お食事中の方や下品な表現が苦手な方はお避けくださいませ。)
僕はちゃんと朝家でトイレに行っても、通勤中にもよおすクセがついてしまっていました。
しかもここ数年、硬いのが出たことはなく、毎回ゲリ便なのです。
なので、少し早めに家を出て、駅で用をたすようにしていました。
ある朝、家を出るのが遅くなってギリギリの電車に飛び乗った時のことです。
いつも特急に乗っているので一度乗ってしまうと10分程度は降りられません。
電車に乗る直前、腹部に違和感を感じたのですがタイミングよく電車が来たのとかわいい子がゲフンゲフン電車に飛び乗りました。
いつもならあのタイミングのあの程度の感触なら10分は我慢出来るのですが、あれよあれよという間に我慢の限界がきてしまいました。
両手でつり革を持ってうつむいたまま足腰をくねらせ汗をかき、周りから見ると相当キモかったと思います。
なんとか次の駅で降りてトイレに向かうものの、既に肛門は汗だくでプルプルけいれんすらしており、まともに歩くこともできません。
太ももの間に物をはさんで歩くような歩き方で、汗だくのおっさんがノソノソと歩いていたわけで、これまた周りから見ると相当キモかったと思います。
正直いって記憶が余りありません。
決壊したのです。
「ゲリ便がドシャー」っと出たのです。
それでもまだ50%程度大腸に残っていたため、疲労しきったかつやく筋にムチを打ちながらトイレへ突き進みました。
苦しいやら恥ずかしいやらで下を向いたままだったのでどれほど注目されていたのかはわかりませんが想像すらしたくありません。
既に残りの50%をこらえる意味すらあるのか状態でしたが、ここで立ったままさらにドシャるわけにもいかず、アスリートばりに苦痛を耐え抜きながら並んでいました。
うんこが垂れてる先をたどっていくとこぶしを強く握り、汗だくでうつむいたまま震えている僕。
壮絶な光景だったことでしょう。
大便がガチャッと開いた時、前に数名並んでいる人はいたのですが、僕は何も言わずうつむいたまま入って行きました。
その人達が、どん引きしながら譲ってくれていたのか、順番を抜かされて怒っていたのか、わかりません。
中に入るとやっとの思いで残りの50%を放射し、賢者モードが訪れました。
あんなところ靴以外でなにも触れたくないですよね?普通
僕はヘナヘナとそこに座り込みました。
完全放心状態で通勤ラッシュの駅の騒音だけが耳を通るだけのしかばねと化しておりました。
大きくため息をついたあとで、会社に連絡し、家に連絡し、母に着替えを持って来てもらうことにしました。
着替えは持ってきてもらうにしても、足や靴がうんこまみれになっておるわけです。
やっと気力も体力も回復してきた頃、着替えを持ってきてもらうに1時間ほどかかるので、それらを洗うことにしました。
まずは手で便器を洗います。
そして和式便器の中に足を入れて、片足ずつ便器の水をすくいながら洗いました。
一通り片付いた所で、30分ほど、下半身マッパのまま、トイレから出ることもできず、することもなく、ただただ、絶望のうちに、たたずんでおりました。
いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡りました。
やっと母が着替えを持ってきてくれて、男子トイレの中に入り、大声で僕の名前を呼びました。
もう怖いものはありません。
とりあえず乙武の主張を信じる、という前提でだが、
このやりとりに傷ついた友人は、泣きながら階段を駆けおりてきた。
なので、一緒に降りてきたという感じではないが。
これ結局、食べログが悪いって話なんじゃね?
[# 01 #]=イタリアン
[# 02 #]=入店
[# 03 #]=店を予約
[# 04 #]=座席
[# 05 #]=店主
[# 06 #]=シェフ
[# 07 #]=店のスタッフ
[# 09 #]=エレベーター
[# 11 #]=店も狭い
[# 12 #]=三段ほどの
[# 13 #]=階段をのぼる
[# 14 #]=段差
[# 15 #]=上がって
[# 16 #]=ケンカを売っている
[# 17 #]=店名を挙げる
[# 18 #]=車いす
[# 19 #]=使用する電動[# 18 #]
[# 22 #]=体
[# 25 #]=友人
[# 26 #]=抱え
[# 27 #]=バリアフリー
[# 29 #]=飲食店
[# 30 #]=おいしそう
[# 01 #][# 02 #]拒否について
軽率だった。自分でも、冷静さを欠いた行為だったと思う。では、なぜ僕はあのとき、[# 17 #]という、多くの方からお叱りを受けるような愚挙に至ったのか。ここに記しておきたい。
19時過ぎ、一週間ほど前に予約していた[# 01 #]に到着した。奥に[# 09 #]が見えたが、ビルの入口に[# 12 #][# 14 #]があり、[# 18 #]ではビルに入ることさえできない。しかも、[# 09 #]も[# 01 #]のある[# 10 #]ようだった。僕の[# 19 #][# 18 #]は[# 20 #]があるため、こういう場合は[# 21 #]して、僕の[# 22 #]だけ[# 01 #]内に向かうしかない。
お恥ずかしい話だが、自分で[# 03 #]する際、あまり[# 27 #]状況を下調べしたことがない。さらに、[# 01 #]に対して、こちらが[# 18 #]であることを伝えたことも記憶にない。それは、とくにポリシーがあってそうしているわけではなく、これまで困ったことがなかったのだ。
普段は、[# 23 #]が[# 01 #]まで送迎してくれることが多い。だから、たとえ[# 14 #]だらけの[# 01 #]であっても[# 04 #]まで[# 26 #]てくれる。[# 23 #]が不在の場合でも、[# 25 #]たちが代わりに[# 26 #]てくれる。また、[# 07 #]が[# 26 #]てくださることも少なくない。いざとなれば、僕は自力で[# 13 #]こともできるので、デニムを履いている日などは自分で[# 15 #]いってしまうこともある。
だが、この日はすべてタイミングが悪かった。[# 23 #]は仕事の都合で来れず、当日同行していたのは、ひさしぶりに会う約束をしていた[# 24 #]の[# 25 #]。身長150cm台の[# 24 #]が、僕を[# 26 #]て2階まで上がることはまず不可能だ。自力で歩いていこうかとも思ったが、あいにくこの日は仕事の都合でスーツを着ていた。10mほど先の階段まで歩き、さらにそこから尻を擦るようにして階段の上り下りをすれば、スーツは泥まみれになるだろうし、下手すれば破れてしまうかもしれない。
もちろん、すべてこちらの事情なのだが、ここまで悪条件が重なってしまうと、どうしても[# 07 #]にお手伝いいただくしかない。僕は路上で待機し、[# 25 #]だけが[# 01 #]に向かい、様子を聞いてきてくれることとなった。
[# 01 #]内は、僕らが想像していた以上にこじんまりとした造りだったようだ。[# 07 #]は、[# 05 #]と思しき[# 06 #]が[# 01 #]を一人で切り盛りし、もうひとりの大柄な[# 07 #]が[# 08 #]していたという。土曜日の夜ということもあり、[# 01 #]はずいぶん繁盛していたようで、おふたりとも忙しく立ち働かれていたという。
[# 25 #]は[# 07 #]の男性にこちらの事情を伝え、階下で待つ僕の[# 22 #]だけを[# 01 #]内まで[# 26 #]てもらうことができないかと頼んでくれた。彼は「いまは手が離せないので難しいけれど、手が空き次第、迎えに行きます」と言ってくださったそうだ。その言葉に安堵した[# 25 #]は、そのことを伝えるため、路上で待つ僕のところに戻ってきてくれた。
しかし、10分ほどお待ちしていても[# 07 #]が来られなかったため、[# 25 #]がもう一度、様子をうかがいに[# 01 #]まで行ってくれた。しばらくして[# 25 #]の存在に気づいた[# 07 #]の男性が、「ようやくひと段落したので」と階下に向かってくださろうとした。そのとき、[# 05 #]が[# 01 #]から出てきて、[# 25 #]にこう伝えたのだそうだ。
「[# 18 #]のお客様は、事前にご連絡いただかないと対応できません」
「あ、でも、[# 18 #]は置きっぱなしで、友人の[# 22 #]を[# 26 #]ていただくだけでいいんですけど」
おそらく、[# 05 #]は「ひとりの客を[# 26 #]るために[# 07 #]が数分でも不在になると、せっかく作った[# 28 #]が最高のタイミングで提供できなくなる恐れがある。そうなれば、ほかのお客様にご迷惑がかかる」ということが言いたかったのかもしれない。だが、彼の表情や言葉のチョイスはそうしたニュアンスを伝えられなかったようで、[# 25 #]はひどくショックを受けてしまったようだ。
「[# 18 #]の人が来たら、迷惑ってことですか?」
「そういうわけじゃ……とにかく、うちは[# 11 #]ですし、対応できません」
僕はその場にいたわけではないので、どこまで彼らのやりとりを忠実に再現できているかはわからない。だが、とにかく[# 25 #]は[# 05 #]の言葉や態度から「排除されている」という感覚を強く受けたという。
[# 24 #]ならではの感性かもしれない。このやりとりに傷ついた[# 25 #]は、泣きながら階段を駆けおりてきた。僕は予期せぬ出来事に目を白黒させていたが、話を聞くうち、ひさしぶりに会った[# 25 #]が、僕のせいでこれだけ悲しい思いをしてしまったことに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ふたりでその場にたたずんでいると、40代くらいの[# 05 #]が階段を下りてこられた。僕の姿を確認すると、一瞬ギョッとしたようだったが、すぐに気を取り直し、僕に向かってこう口にした。
「[# 09 #]が[# 10 #]って、ホームページにも書いてあるんですけどね」
「ああ、そうでしたか。僕、今回は『食べログ』を見てお電話したので……」
「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で[# 18 #]って言っとくのが常識じゃないですか?」
キョトンとしてしまった。僕は、いまなぜ[# 05 #]は僕に[# 16 #]だろう? いや、もしかしたら彼には[# 16 #]つもりなどないのかもしれない。でも、それはどう考えても初対面の相手に放つべき言葉ではないと思うし、あきらかに[# 16 #]ようにしか思えない口ぶりだった。
「そうですよね。事前にお知らせもせず、失礼しました」
この状況でも、こんなセリフが素直に口をついて出てくる大人に、僕はなりたい。でも、僕はなれなかった。愚かなことに、その[# 16 #]の言い草に、[# 16 #]で返してしまったのだ。それは、僕の[# 25 #]を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあったかもしれない。
「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
「いや、常識でしょ」
他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる[# 05 #]に、ますます僕は頭に血がのぼってしまった。
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
「ええ、どうぞ」
もう、この頃になると、僕は激昂状態だった。こんなに冷静さを失ったのは、いったい何年ぶりだろう。
このあと、二言三言やりとりがあったかと思うが、残念ながら記憶が定かではない。だが、[# 05 #]が最後に言った言葉だけは絶対に忘れない。
「これがうちのスタイルなんで」
その言葉はとても冷たく、これ以上のコミュニケーションを拒むひとことだった。扉を、閉ざされた思いがした。この時点で、僕は完全に思考停止となってしまった。
彼はTwitterで、「うちのスタイルだなんて言ってない」と否定しているが、なぜそんなウソをつくのか。もしくは、記憶から抜け落ちてしまったのか。だけど、僕は絶対に忘れない。ついさっき、[# 24 #]ならではの感性かも――と書いたが、けっしてそんなことはない。僕もいま、この瞬間、はっきりと彼によって排除されたような腹立たしさと情けなさとを感じとった。仮に彼にその意図がなかったとしても、彼の態度は、言葉は、表情は、残念ながら僕らふたりに、くっきりとそのような印象を与えた。
ネット上の声を見るかぎり、僕は「[# 01 #]側に[# 26 #]てもらえなかったことに逆ギレした」となっている。でも、それはまったくの誤解だ。
これまで何とかなってきたことで必要性を感じていなかったとはいえ、事前に連絡をしていればスムーズにご案内いただけたかもしれない。これは、僕の落ち度。だから、[# 01 #]の状況によっては対応が難しく、結果的に[# 02 #]が難しいと言われても、「じゃあ、またの機会にお願いします」と笑顔でその[# 01 #]を後にすることができる。僕にだって、それくらいの理性と常識はあるつもりだ。
相手が、理性と常識あるコミュニケーションを図ってくださるなら。
ここだけは誤解されたくないので、繰り返させてほしい。僕はいきなり訪れた[# 01 #]で無理難題を吹っかけて、それが受け入れられなかったから逆ギレしたのではない。客とか、[# 05 #]とか、そんな関係性を抜きにして、はなから相手を小馬鹿にしたような、見下したような、あの態度が許せなかったのだ。彼の本意がどこにあるにせよ、こちらにそう受け取らせるコミュニケーションに、僕は深く傷つき、腹を立ててしまったのだ。
僕はあの[# 01 #]の[# 28 #]に惹かれ、ひさしぶりに会う[# 25 #]との会食を楽しみに、[# 01 #]へと向かった。でも、そんなワクワク感もぺしゃんこになってしまった。わずかでもいい。「何かできることはないか」「どうにか[# 01 #]の[# 28 #]を味わってもらうことはできないか」――そんな心意気が少しでも感じられたなら、結果的に[# 02 #]がかなわなくとも、僕は気持ちよくその[# 01 #]をあとにすることができたと思うのだ。だが、彼の態度から、そうした心はまるで感じられなかった。僕らは、刺々しい扉のまえで門前払いをされたような、とてもさみしい気持ちになってしまった。
そんな思いが、[# 17 #]という安直な行為に結びついたことには、深く恥じ入るしかない。「こんなひどい対応をされた」と、普段から応援してくださっているみなさんに泣きつきたかったのだ。愚痴りたかったのだ。そうでもしなければ、とてもやりきれなかったのだ。
当日夜のTwitterでは、[# 17 #]理由として「僕のように、こんな悲しい、人間としての尊厳を傷つけられるような[# 18 #]ユーザーが一人でも減るように」と書いたが、その思いにウソはない。だが、あの日の僕は、あきらかに正常な判断能力を失っていたことも、あわせて告白しなければならない。
僕が公開したことによって[# 01 #]側に抗議の電話などが行き、業務に支障などきたしていたら、それは本当に申し訳ないし、本意ではない。僕がみずから蒔いた種とはいえ、みなさんには絶対にそうした行為は行わないでほしい。
もし、僕があのとき冷静さを保っていられたなら、[# 01 #]名を伏せて、「じつは、こんなことがあったのですが」という形で報告できていたなら、それは「[# 29 #]の[# 27 #]を問う」といったテーマで広くみなさんに議論していただくことが可能だったかもしれない。それが、ひとえに僕の未熟さにより、その機会をつくれなかったこと、猛省しています。
もしかしたら、あの[# 05 #]も、ただ不器用で、人づきあいがうまくないだけなのかもしれない。もしそうだとしたら、もう一度、あの店に行って、カウンター席にすわって、「[# 06 #]、この[# 28 #]おいしいですね」なんて会話を交わしながら、舌鼓を打てたらいい。そこでふたりで写真を取って、Twitterでアップでもしたら、今回の幕引きとしては美しいのかもしれない。
でも、ダメだった。あの日の夜のことを思うと、どうしてもそうした気分になれないのだ。そんな未熟な自分が、いまはただ腹立たしい。まだまだ、僕は人間が小さいのだと痛感させられる。
今回の件で僕に対して批判的なみなさんが、このブログを読んで考えを変えてくださるとは思っていません。でも、ウソをついてまで、何かを偽ってまで釈明しようという気にはどうしてもなれませんでした。ここまで書いたことが、あの夜に思ったことすべて。これ以上でも、以下でもありません。
P.S.でも、やっぱり、[# 05 #]がお許しくださるのなら、いつの日か再訪してみたいな。だって、[# 01 #]の[# 28 #]、本当に[# 30 #]だったから。
これじゃあ駄目だろ。
中学の頃、あだ名が赤ペン先生だった俺様が、アンチを味方にする文章術とやらを教えてやるぜ。
軽率だった。自分でも、冷静さを欠いた行為だったと思う。では、なぜ僕はあのときこのときあのばしょで、店名
を挙げるという、多くの方からお叱りを受けるような愚挙に至ったのか。ここに記しておきたい。
その前に、ぼくのことは「五体不満足」に書かれているからよく読むように。550万部を売ったベストセラーだ。
1,680円×550万部×0.1で、印税にして9億2,400万円を手にした名著さ。
え、凄いって?君の生涯獲得賃金よりちょっと高いぐらいさ、HAHAHA。
19時過ぎ、一週間ほど前に予約していた店に到着した。奥にエレベーターが見えたが、ビルの入口に三段ほどの段差があり、
車いすではビルに入ることさえできない。しかも、エレベーターも店舗のある2階には止まらないようだった。
僕の使用する電動車いすは100000gの重量があるため、こういう場合は歩道に“路駐”して、僕の体だけ店内に向かうしかない。
さすがのぼくでも、幽体離脱して精神だけ向かうことはできないからね、HAHAHA。
お恥ずかしい話だが、自分で店を予約する際、あまりバリアフリー状況を下調べしたことがない。
さらに、店舗に対して、こちらが車いすであることを伝えたことも記憶にない。
それは、とくにポリシーがあってそうしているわけではなく、これまで困ったことがなかったのだ。
ぼくレベルになると、いわゆる顔パスってやつさ。HAHAHA、大したことないよ。
普段は、金で雇った事務所の男性スタッフが店まで送迎してくれることが多い。だから、たとえ段差だらけの店であっても座席まで抱えてくれる。
スタッフが不在の場合でも、友人たちが代わりに抱えてくれる。また、店のスタッフが抱えてくださることも少なくない。
いざとなれば、僕は自力で階段をのぼることもできるので、デニムを履いている日などは自分で上がっていってしまうこともある。
ワイルドだろぅ~?
だが、この日はすべてタイミングが悪かった。事務所のスタッフは仕事の都合で来れず、
身長15,000mm台の彼女が、僕を抱えて2階まで上がることはまず不可能だ。そんなことしたら彼女のおっぱいに顔をうずめちゃうじゃないか、HAHAHA。
自力で歩いていこうかとも思ったが、あいにくこの日は仕事の都合でアルマーニのスーツを着ていた。10mほど先の階段まで歩き、
さらにそこから尻を擦るようにして階段の上り下りをすれば、アルマーニのスーツは泥まみれになるだろうし、下手すれば破れてしまうかもしれない。
もちろん、すべてこちらの事情なのだが、ここまで悪条件が重なってしまうと、どうしてもお店のスタッフにお手伝わせるしかない。
僕は路上で待機し、巨乳だけがお店に向かい、様子を聞いてきてくれることとなった。
店内は、僕らが想像していた以上にこじんまりとした造りだったようだ。食べログのレビューをちゃんと読んでおけば良かった。
スタッフは、店主と思しきシェフがキッチンを一人で切り盛りし、もうひとりの大柄な男性スタッフがホールを担当していたという。
土曜日の夜ということもあり、店はずいぶん繁盛していたようで、おふたりとも忙しく立ち働かれていたという。
ま、ぼくなら顔パスでいけるだろうと思ったのが、砂糖の分量を間違えたショートケーキのように甘かった。
巨乳はホールスタッフの男性にこちらの事情を伝え、階下で待つ僕の体だけを店内まで抱えてもらうことができないかと頼んでくれた。
彼は「いまは手が離せないので難しいけれど、手が空き次第、迎えに行きます」と言ってくださったそうだ。
その言葉に安堵した巨乳は、そのことを伝えるため、路上で待つ僕のところに戻ってきてくれた。
しかし、60分マイナス50分ほどお待ちしていてもスタッフが来られなかったため、巨乳がもう一度、様子をうかがいに店まで行ってくれた。
しばらくして彼女の存在に気づいたホールスタッフの男性が、「ようやくひと段落したので」と階下に向かってくださろうとした。
そのとき、店主がキッチンから出てきて、巨乳にこう伝えたのだそうだ。
「車いすのお客様は、事前にご連絡いただかないと対応できません。すいま千円」
「あ、でも、車いすは置きっぱなしで、大作家先生の体を抱えていただくだけでいいんですけど」
おそらく、店主は「ひとりの客を抱えるためにスタッフが数分でも不在になると、せっかく作った料理が最高のタイミングで提供できなくなる恐れがある。そうなれば、ほかのお客様にご迷惑がアフォー!!!」ということが言いたかったのかもしれない。
だが、彼の表情や言葉のチョイスはそうしたニュアンスを伝えられなかったようで、巨乳はひどくショックを受けてしまったようだ。
「そういうわけじゃ……とにかく、うちは店も狭いですし、対応できま千円」
僕はその場にいたわけではないので、どこまで彼らのやりとりを忠実に再現できているかはわからない。
だが、とにかく巨乳は店主の言葉や態度から「排除されているし、帰れやボケ」という感覚を強く受けたという。
巨乳ならではの感性かもしれない。このやりとりに傷ついた巨乳は、泣きながら階段を駆けおりてきた。泣きながら階段を駆けおりてきたって、
ドラマかよwwwwww。さて、僕は予期せぬ出来事に目をパンダのように白黒させていたが、話を聞くうち、ひさしぶりに会った巨乳が、僕のせいでこれだけ悲しい思いをしてしまったことに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。男としてはこのまま引くわけにはいかねぇ。
チョメチョメしてぇwwwww。
ふたりでその場に口笛を吹きながらたたずんでいると、40代くらいの屈強で筋肉隆々の店主が階段を下りてこられた。
僕の姿を確認すると、一瞬ギョッ(魚)としたようだったが、すぐに気を取り直し、僕に向かってこう口にした。
「エレベーターが2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどねェェェェ、無駄無駄無駄ァァァ!!!!」
「ああ、そうでしたか。僕、今回は『匿名ダイアリー』を見てお電話したので……」
「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?オラ、わくわくすっぞ!」
キョトン(巨根じゃないYO)としてしまった。僕は、いまなぜこの人にケンカを売られているのだろう?
いや、もしかしたら彼にはケンカを売っているつもりなどないのかもしれない。
でも、それはどう考えても初対面の相手に放つべき言葉ではないと思うし、あきらかにケンカを吹っかけているようにしか思えない口ぶりだった。
「そうですよね。事前にお知らせもせず、失礼しました」
この状況でも、こんなセリフが素直に口をついて出てくる大人に、僕はなりたい。
でも、僕はなれなかった。愚かなことに、そのケンカ調の言い草に、ケンカ調で返してしまったのだ。
それは、僕の僕による僕のための巨乳を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあったかもしれない。
「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
「いや、常識でしょォォォォォォォォォ、ウオッホオオオジャオアオガモファオウmixi潰れろホウガウオウ」
他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる店主に、ますます僕は頭に血がのぼってしまった。
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ。」
「ええ、どうぞ、銅像。ぷぎゃー。」
もう、この頃になると、僕は激昂状態だった。こんなに冷静さを失ったのは、いったい何年ぶりだろう。
昨日、足の小指をぶつけて以来かもしれない。
あ、足の小指なかった(こんな時に冗談を言えるぼくって、Coolだと思わないか?)
このあと、二言三言四言五言六言七言やりとりがあったかと思うが、残念ながら記憶が定かではない。
その言葉はとても冷たく、これ以上のコミュニケーションを拒むひとことだった。扉を、閉ざされた思いがした。この時点で、僕は完全に思考停止となってしまった。とりあえず、開けゴマ~。
彼はTwitterで、「うちのスタイルだなんて言ってない」と否定しているが、なぜそんなウソをつくのか。
もしくは、記憶から抜け落ちてしまったのか。だけど、僕は絶対に忘れない。絶対に負けらない戦いがここにある、日本!日本!
ついさっき、巨乳ならではの感性かも――と書いたが、けっしてそんなことはない。僕
もいま、この瞬間、はっきりと彼によって排除されたような腹立たしさと情けなさとを感じとった。仮に彼にその意図がなかったとしても、彼の態度は、言葉は、表情は、残念ながら僕らふたりに、整形したのかよってぐらいの二重のようにくっきりとそのような印象を与えた。
ネット上の声を見るかぎり、僕は「店側に抱えてもらえなかったことに逆ギレした」となっている。でも、それはまったくの誤解だ。
それは、偏差値の低い人間だから、誤解しているだけだ。早稲田以上の学歴なら誤解するわけがないからだ。
これまで何とかなってきたことで必要性を感じていなかったとはいえ、事前に連絡をしていればスムーズにご案内いただけたかもしれない。これは、僕の矮小な落ち度。だから、お店の状況によっては対応が難しく、結果的に入店が難しいと言われても、「じゃあ、またの機会にお願いします」と笑顔でその店を後にすることができる。僕にだって、それくらいの理性と常識はアルジャーノンに花束と札束を。
相手が、理性と常識あるコミュニケーションを図ってくださるなら。
ここだけは誤解されたくないので、繰り返させてほしい。僕はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけて、それが受け入れられなかったから逆ギレしたのではない。客とか、店主とか、そんな関係性を抜きにして、はなから相手を小馬鹿にしたような、見下したような、あの態度が許せなかったのだ。彼の本意がどこにあるにせよ、こちらにそう受け取らせるコミュニケーションに、僕は深く傷つき、腹を立ててしまったのだ。チンコは勃ってないぞ。
僕はあのお店の料理に惹かれ、ひさしぶりに会う巨乳との会食を楽しみに、お店へと向かった。でも、そんなワクワク感もぺしゃんこになってしまった。わずかでもいい。「何かできることはないか」「どうにか店の料理を味わってもらうことはできないか」――そんな心意気が少しでも感じられたなら、結果的に入店がかなわなくとも、僕は気持ちよくその店をあとにすることができたと思うのだ。だが、彼の態度から、そうした心はまるで感じられなかった。僕らは、刺々しい扉のまえで門前払いをされたような、とてもさみしい気持ちになってしまった。開けゴマ~。
そんな思いが、店名を公開するという安直な行為に結びついたことには、深く恥じ入るしかない。「こんなひどい対応をされた」と、普段から応援してくださっているみなさんに泣きつきたかったのだ。愚痴りたかったのだ。そうでもしなければ、とてもやりきれなかったのだ。っていうか、ぶっちゃけ
潰したかったんだよね。アリを踏むゾウのように。俺様を敵に回したことを後悔サセテヤリタカッタンダヨォォォォ!!!!
当日夜のTwitterでは、店名を公開した理由として「僕のように、こんな悲しい、人間としての尊厳を傷つけられるような車いすユーザーが一人でも減るように」と書いたが、その思いにウソはない。だが、あの日の僕は、あきらかに正常な判断能力を失っていたことも、あわせて告白しなければならない。
僕が公開したことによって店側に抗議の電話などが行き、業務に支障などきたしていたら、…ぼくの計算通りだ。僕がみずから蒔いた種だ、みなさんには絶対にそうした行為は行わないでほしいの反対の反対の反対。
もし、僕があのとき冷静さを保っていられたなら、店名を伏せて、「じつは、こんなことがあったのですが」という形で報告できていたなら、それは「飲食店のバリアフリーを問う」といったテーマで広くみなさんに議論していただくことが可能だったかもしれない。それが、ひとえに僕の未熟さにより、その機会をつくれなかったこと、猛省しています。っていうか、ぶっ潰したカッタンダヨォォォォ。
もしかしたら、あの店主も、ただ不器用で、人づきあいがうまくないだけなのかもしれない。もしそうだとしたら、もう一度、あの店に行って、カウンター席にすわって、「シェフ、この料理おいしいですね」なんて会話を交わしながら、舌鼓を打てたらいい。そこでふたりで写真を取って、Twitterでアップでもしたら、今回の幕引きとしては美しいのかもしれない。
でも、ダメだった。あの日の夜のことを思うと、どうしてもそうした気分になれないのだ。そんな未熟な自分が、いまはただ腹立たしい。まだまだ、僕は人間が小さいのだと痛感させられる。9億を越える印税を手にしたぼくでもこんなに小さいのだ。君たちはもっと小さいはず、HAHAHA。
今回の件で僕に対して批判的なみなさんが、このブログを読んで考えを変えてくださるとは思っていません。でも、ウソをついてまで、何かを偽ってまで釈明しようという気にはどうしてもなれませんでした。ここまで書いたことが、あの夜に思ったことすべて。これ以上でも、以下でもありません。
巨乳の前で恥をかかされたから、ぼくの力をもってぶっ潰したカッタンダヨォォォォ。
P.S.でも、やっぱり、店主がお許しくださるのなら、いつの日か再訪してみたいな。だって、お店の料理、本当においしそうだったから、HAHAHA。
数十分走ってちょっと疲れたなと思って、歩きに切り替えたわけですよ。そこはちょうど上り坂できつかったものですから。そうすると「こんばんはー」ときたものですから顔をそちらに向けると、学校帰りなのか中学生くらいの女の子が1人歩いていました。何かなと思いまして。だって知らない子ですし。挨拶のしっかりした子なのかなとも考えられますけれど、私はぴんと来ましたね。これは防犯対策ですよ。
といいますのも、ちょっと前にたまたま地域の防犯情報を目にする機会がありまして、そこには不審者情報も載っていたんです。そしたらあるんですね、学童がらみの情報がたくさんで、なかんずく多いのが下半身露出系です。声をかけて露出。振り向いたら露出。たたずんで露出。うちの地域はどうなっているんだと思いましたよ。
で、まあたしかに向こうの子からすれば怖かったんでしょうから仕方ないですし、私がジョギングからウォーキングに切り替えたタイミングも悪かったかもしれませんが、やっぱりなんだかこう、疑われるというのは心地がよろしくないなあということです。悲しいような怒りのような、でも仕方ないかなという諦めもある。一番怖いのは、これが状況がそうさせたではなく私の属人的要因が彼女に不審を抱かせたのではないかということですよ。考えすぎでしょうか。
こういうのは気をつければ気をつけるほど不審になりがちです。変に距離をとっても隙をうかがっているように見えます。急いで通り過ぎようとしても怪しい。不審の谷はすりばち状のようです。おっといけません、すぐ悪いほうに考えるのでね、このくらいにしましょう。
なにはともあれジョギングは気持ちよくしたいですね。そうして体力をつけて、さわやかに走り去っていければ何の問題もありません。
A「まったくきみは現実から逃避しているのだよ。目の前の習わし、風習、決まり事、自分にとって面倒なすべてのことを否定しては、僕はヒトとは違う、なんて言葉を吐いて優越感に浸っている。君は逃げているだけだ。現実逃避だよ。どうだね、何か反論は出来ないのか」
B「現実を否定するのが逃避だとは誰が決めたのだよ。眼前に広がる常識を疑って何が悪いのかね。むしろ、きみたちは常識を受け入れることによって、自分の頭で考えることから逃避しているんだよ。妥協している。それこそ逃避だよ。現実逃避。現実へ逃避しているんだ。”逃避”という言葉について少し考えてみようじゃないか。行動として簡略化した場合、それは本質的には単なるある一方向への移動とみるべきだよ。相対的であれ絶対的であれね。つまり相対的な逃避とは例えばよく使われる意味での現実逃避だよ。”現実”が存在していて自分は立ち往生している。これも逃避として考えられる。つまり現実が時間的に進んでおり、相対的に見れば自分が後方に移動して見える。だから逃避だ。だからだね、逃避というのはある一方向への移動として考えられる。ここで重要なのは”ある一方向”という言葉だよ。これはanyではなく特定の一方向だ。しかも面倒だが、其の方向は相対的であるべきだし、ある場合はそうなっている。其の相対性は個人個人の価値観と社会の価値観のバランスによって位置づけられる。ある直線を仮想して一方を物事のあるべき姿、追い求める価値観だとすれば、その逆方向に進むことが逃避である。つまり君は僕が現実逃避しているとおっしゃるが、その逃避の判断基準の底には、無意識的にではあるけれど社会から強制された価値観がでんとたたずんでおらっしゃる訳であるのだよ。僕が現実逃避ではないことを論理立てて説明するには、社会の価値観を僕が細かく切り分けてその問題点を明快に説明する必要があるわけなんだが。物事はそうは単純にはいかない。社会通念そのものを否定するのは傲慢というよりは無知だよ。結局僕は自分が現実逃避していることを否定できない。それとは逆に僕が君の行為に現実逃避とレッテルを貼れば君は比較的簡単にそれを論破できる。その社会的な価値観を行使することによってね。社会とは過去から積み上げられてきたものだから、社会の価値観であれば、それ自体が肯定される理由となるんだよ。ジャイアンの「お前のものは俺のもの」理論だよ。社会は強者だ。この強権を行使して僕の価値観は否定される。なんということだろう。こうして僕が一生懸命、価値観の本質を追究しようとしても、いとも簡単に否定できる。ああああああ。なんということだ。なんということだ。」
A「そういった思考が逃避というのだ。君の考え方は、考えるために考えているとしか思えない。答えもなければ対策もなく発展もしない。全く持って役に立たない。」
A「まったくきみは現実から逃避しているのだよ。目の前の習わし、風習、決まり事、自分にとって面倒なすべてのことを否定しては、僕はヒトとは違う、なんて言葉を吐いて優越感に浸っている。君は逃げているだけだ。現実逃避だよ。どうだね、何か反論は出来ないのか」
B「現実を否定するのが逃避だとは誰が決めたのだよ。眼前に広がる常識を疑って何が悪いのかね。むしろ、きみたちは常識を受け入れることによって、自分の頭で考えることから逃避しているんだよ。妥協している。それこそ逃避だよ。現実逃避。現実へ逃避しているんだ。”逃避”という言葉について少し考えてみようじゃないか。行動として簡略化した場合、それは本質的には単なるある一方向への移動とみるべきだよ。相対的であれ絶対的であれね。つまり相対的な逃避とは例えばよく使われる意味での現実逃避だよ。”現実”が存在していて自分は立ち往生している。これも逃避として考えられる。つまり現実が時間的に進んでおり、相対的に見れば自分が後方に移動して見える。だから逃避だ。だからだね、逃避というのはある一方向への移動として考えられる。ここで重要なのは”ある一方向”という言葉だよ。これはanyではなく特定の一方向だ。しかも面倒だが、其の方向は相対的であるべきだし、ある場合はそうなっている。其の相対性は個人個人の価値観と社会の価値観のバランスによって位置づけられる。ある直線を仮想して一方を物事のあるべき姿、追い求める価値観だとすれば、その逆方向に進むことが逃避である。つまり君は僕が現実逃避しているとおっしゃるが、その逃避の判断基準の底には、無意識的にではあるけれど社会から強制された価値観がでんとたたずんでおらっしゃる訳であるのだよ。僕が現実逃避ではないことを論理立てて説明するには、社会の価値観を僕が細かく切り分けてその問題点を明快に説明する必要があるわけなんだが。物事はそうは単純にはいかない。社会通念そのものを否定するのは傲慢というよりは無知だよ。結局僕は自分が現実逃避していることを否定できない。それとは逆に僕が君の行為に現実逃避とレッテルを貼れば君は比較的簡単にそれを論破できる。その社会的な価値観を行使することによってね。社会とは過去から積み上げられてきたものだから、社会の価値観であれば、それ自体が肯定される理由となるんだよ。ジャイアンの「お前のものは俺のもの」理論だよ。社会は強者だ。この強権を行使して僕の価値観は否定される。なんということだろう。こうして僕が一生懸命、価値観の本質を追究しようとしても、いとも簡単に否定できる。ああああああ。なんということだ。なんということだ。」
A「そういった思考が逃避というのだ。君の考え方は、考えるために考えているとしか思えない。答えもなければ対策もなく発展もしない。全く持って役に立たない。」
昨日公園でたたずんでいたら、遊具のあるエリアから5歳くらいの幼女がこちらに向かってトコトコと寄ってきた。
どうやら俺の近くにいた鳩に興味を持ったらしい。
嬉しそうに飛び跳ねたり走り回ったりしているのを眺めていると、思わず笑みがこぼれる。
すると幼女は、こちらの視線に気づき、手で顔を覆って「壁|∀`*)」のようにして此方を伺い始めたではないか。
それを見て、また癒やされた気持ちになる。
そんなこんなで幼女と少しの時間戯れていたら、遊具のほうから母親らしき人が連れ戻しにやってきた。
やや表情をこわばらせ、セカセカと歩いてくる母親を見て、嫌な予感めいたものは感じていたが、それは見事的中した。
ちょうど子供を抱きかかえる時の、母親の警戒するような目線。あまり気分の良いものでは無かった。
あれは間違いなく、何か子供にしでかそうとしているロリコンを見るような目つきだった。
断っておくが、俺は決してロリコンなどでは無い。特別子供が好きというわけでもない。
ただ、その時その女の子がとても楽しそうだったので癒やされたし、構って欲しそうなので少し遊んであげたというだけの事だ。
もちろん、昨今は幼女に構い過ぎると不審な目で見られかねない事は知っている。
だから、遊んだといっても、話しかけたりお菓子を与えたりはせず、いろいろと誤解をまねかないように気を配った。
なにしろ、ただベンチに座ったまま表情を交わしたり、彼女と一緒に鳩にエサをやったりしていただけなのだから。
それなのに、母親の不審者を見るようなあの目つき。
なかなか嫌な気持ちにさせられた。
この感覚は、街を歩いていて前から自転車に乗った女性がやってきて、スカートのあたりを何気なく見やった時に、
女性に警戒されてキッと睨まれるような感じに、非常に似ている。
そんなつもりは全く無いのに変質者扱いされる気持ち。
若い女性の表情というのは、非常に良く警戒心や猜疑心といったことを物語るから、
変質者を見るような目で見られた時のダメージも結構大きなものである。
なんだかすぐに真っ直ぐ帰りたい気持ちになって、家に向かった。
「俺はロリコンじゃないんだ!違うんだ!悪気はないんだ!」などと自分に向かってしきりに弁明するものの、なかなか納得がいかない。
家につくと少し気持ちが落ちついたものの、やはり釈然としないので、ぼんやりテレビ見ながらいろいろ冷静に考えてみた。
その結果、俺はやはりロリコンではなくて、博愛的で人に対してオープンな感性を持っているだけなんだという結論がでた。
実際に俺は、老若男女関わりなく相手に親しみを持つことが多いように思われるし、初対面の人に話しかけたり微笑んだりすることが多い。
レストランや服屋などの店員さんと親しくなるのは得意なほうだし、近所のおばさんでよく立ち話する人も何人かいる。
また、嫌いな人や苦手な人はほとんどおらず、割と誰とでも楽しく接することができるほうなのではないかと思う。
もちろん、相手に悪い印象を与えないようにしているし、何か見返りを求めてオープンな態度をとっているのでもない。
また、中には話しかけられるのが嫌な人もいるので、そこは配慮するようにしている。
博愛というと大げさ過ぎるかもしれないが、長所は誰にでも一つや二つあるもので、
そんな長所の一つとして、俺は博愛傾向が他の人より強く出ていると思う。
そのように考えることで、ようやく納得がいき、傷つけられた自尊心が回復した。
きっと明日の夕食は美味しく食べられるはず。
目覚めると、さびしさだけがあった。
今日は変なメールがやたら来るなァ、と感じていたら、とあるアダルトサイトに携帯電話のメールアドレスを晒されていたことが発覚。思い当たる節は、ひとつしかなかった。私と確執があったのはあの男ただひとりで、しかもそのアダルトサイトを見せつけたのもあの男だからだ。あの男が晒したであろうことは95%くらい確実なのだろう。それに対して傷つきはしなかったが、ひどく脱力した。なぜ今になって?という疑問もわきあがってきた。ケンカ別れしたのはもう一月も前の話だというのに。ねえ、そこまで私のことを憎んでいるのですか?もてあそびたいのですか?
寂寥感が胸をえぐる。それでも私は愛していたんだ。
でも、あっちが私のことをどう考えていたのか?――それを考えるととても暗澹とした気持になる。ただの、便利で、自分の言う通りになる、性奴隷、とでもいうところだろうか。
あの男のことを考えると私のさみしさが浮き彫りになる。ひとりぼっちでさみしくで、だからだれでもいいからそばにいてほしくて結局はろくでもない男にひっかかった私のさびしさ。孤独であることを受け入れられない、未熟なこどもである自分が深夜早朝の今、たたずんでいる。うまく女になることもできず、きちんと大人になることもできないままでいるんだ。
ひどく、虚しい。
「女」になりたかった。ショッピングと恋話が大好きで、友達や彼氏と笑いあっている、奇麗に着飾った「女」に。ネットでは「スイーツ(笑)」などと馬鹿にされるかもしれないが、私は彼女らが心底うらやましい。
あるいは「大人」になりたかった。ひとりで生きていくことを受け入れた、きちんとした「大人」に。
私はどっちつかずだ。いや――、年齢的に考えて、私が「女」になることは、もう出来ない。やったとしても痛いと見られるのがオチなのだから、私に残された道はたったひとつ、「大人」になることだ。だけど、「大人」になる方法がわからない。
周りを見渡せばみんな「大人」だ。少なくとも、そう装えるだけのスキルを持っているように思える。けれど、私は――それすらできない。ずっと、こどもだ。それもかなり未熟なこども。途方に暮れるヘンゼルとグレーテル。
どこでどう道を間違えたのか。そもそも道はないのか。けものみちを進むしかないのか。はじまりの合図すら、聞こえない。私は月夜に光る小石をみつけることができなかった。
――さびしい。毎日毎日、耐えきれない。
誰か。
ねえ。
誰か誰か誰か!!!