はてなキーワード: 理解力とは
先週展示会を見に幕張メッセまで行った。喫緊の課題はないがコロナの間キャッチできなかった業界の流行を少しでも感じられればと半ば物見遊山であったが、久しぶりにコンパニオンのちゃんねーに声掛けられて就活以来だなと少し昔を思い出して懐かしくなったりもした。
その頃は何か気恥ずかしくて興味ある企業に声を掛けることもできず、行っただけで帰ってきたので企業主催の説明会に直接出向いたりするスタイルに切り替えるきっかけになったが、その分数を打たなかったことが結果には繋がらなかった。ただ、そもそも働いて何するのかもよく理解できていなかったし積極性の欠如や理解力、注意力の乏しさからどの道、第一志望は難しかったかもしれない。
その後、たまたま拾われた企業で学歴による贔屓を受けて幹部ルートの職歴を付けてもらい各上司の薫陶やイベントもあり経験と知識と判断力だけは磨かれた。中小企業あがりらしい現場感のある幅広く業務を知っているタイプといって通じるだろうか、東プラにいる専門性で勝負するのとは違った味わいがあると自負している。
自分語りが長くなり過ぎたが、久しぶりの幕張メッセで後ほど合流した上司と部下とこんな機会だからと海浜幕張駅付近で飲みに行くことにした。
そういった役回りが期待されるキャラクターなので飲みに行く話もあったので事前に海浜幕張周辺の情報は下調べしていた。折角ならチェーン以外にしようと、まず私のいい飲み屋の探し方である「海浜幕張 酒場放浪記」および「孤独のグルメ 海浜幕張」で検索してみたがヒットせず、次に「海浜幕張 穴場」で検索してもホテル内のレストランが出てくる程度、これはちょっとおかしいと思い内心やや焦り始めてGoogleマップで丹念に飲み屋のレビューを検索してみたら、どれも酷い酷い酷い、どれも表面上、まともなレビューはあるもののいくつか掘り下げるとすぐに接客が〜、料理が〜、値段が〜と低評価ばかりである。
いや、どんなにいい飲み屋でも悪いレビューはあるものだし、もうそういったものは無視してある一店舗に狙いを見定めた。
ビルに入る前から嫌な予感はしていた。四時にビル前にキャッチがいてビラを配っている。今の時代にそんなことする??? 歌舞伎町かな、と思ってしまった。あまりにもその兄ちゃんが元ヤンの雰囲気しかなくチラシを受け取りながらビルに入ると、何か匂う。。。まだ多くの店舗が開店前だからとはいえこれは適切な排水処理がされていない飲食店群の放つあれである。匂うからその上に消毒効果のある薬剤を撒くことで匂い自体が固着するアレ。
入店後のことは長くなるので箇条書きするが、
・三人で入ったのに席に置いてある四人分の取り皿をひとつ下げない
・焼き餃子がパリっとしてなくて芯がある固さ一度(焼いたものを解凍してる)
いやほんと久しぶりに飲みに行ったのに上司と部下に申し訳なかった。私たちが退店させられたあと予約客が続々と入っていくことから人気店ではあるのだろうけれど、彼らはリピーターなのだろうか。それとも、私たちのような展示会関係の一見さんなのか。
で、ここでようやく本題なのだけれど、海浜幕張周辺にまともな食事スポット、飲み屋は存在しないということでOK?
あるなら次行く時の参考にするし、お前の探し方が悪いんだって罵倒して欲しい。しかし、私のレーダーに反応するのは有限会社〜みたいなところくらいで、そこも駅から微妙に離れているため利用できなかった。なので、イ◯ンや富士◯の社員やロッテファンのかたが普段どこ行くのか興味がある。諦めて千葉に出るのだろうか。
いやしかし、私も一時期内房線沿線に住んでいた身として言いたいのだが、千葉から君津にかけてそれなりの人工集中地帯があるにも関わらず、まともな名物や有名な食事処がないという事実は毅然として存在していいだろう。
他の地域に行けば、名物と呼ばれる美味しいものや、なかったとしても金さえ出せばそれに見合うだけの美味しいものが食べれるものであるが、こと内房に関してはそれがまったく見られなかった。食に関する文化というものが育つだけの素地というものが存在していないのではないか、というレベルで。
わかりやすさ重視、誤用より誤読を無くすことを優先しているからだろ。
TVというのは歴史的にいかに裾野を広げるか?を追求して生きたメディアだ。
多少間違いがあっても頭の優劣による理解力の差を無くすことを追求してきた。
一部の人が賢さを誇示したり、他人を見下したりして、インテリっぽい態度を取る理由はさまざまある。
それでも一瞬の脳内変換はあるだろ。おまえは相手の理解力に甘えてるんだよ。自分が負担すべきだった「正しく伝える」コストを、相手の「正しく理解する」コストに転嫁している。「伝わればいい」は間違えている側が言うべきではない。開き直るな。
「何のためにそんなことを聞くのか?」
「それを聞いてどうしたい(どうしてほしい)のか?」
がわからないことがある。
しかし毎度毎度相手の言葉だけでなく、細かい表情やジェスチャー、ニュアンスや言葉の裏まで、1つたりとも取りこぼすことなく察知しなければならないとなると、とてつもなくコミュニケーションコストの高い相手であり、安易に接触したくなくなる。
「お前が書いてる内容は的外れ」や「お前の理解がおかしい」等の、相手の理解力をぼんやりと批判する
「書いてる内容がわからない」や「比喩が意味不明」等の、相手の文章をぼんやりと批判する
「顔真っ赤」や「これだから〇〇は」のような薄っぺらいレッテル貼り
「何言ってるか分からない」「日本語で書け」とか言ってる奴がほんと限界知能みまである。
「この言葉はどういう意味で使ってるの」とか「このくだりからどうしてその結論が出てくるの」とか文章から不明な箇所を具体的に指摘してるなら書き直しようがあるけど、ただ分からないと言われたって、多分その相手自身同じことを言われた場合書き直すことなんてできないはずなのに、こんなことを正当な反論のつもりで言ってしまうのがやばい。
「俺は日本語で書いてるよ。逆に何語だと思うの?」とでも返すと、「比喩も知らんのかアスペか?」と都合よく理解力上がって今度は会話が成立した答えを返してくる。
特別な意図でもなければ同じ人間が同じやり取りの中で書いたものについてその個別の文章ごとに理解に必要な読解力が変わってるなんてことはないとは思わないのかねと。
ってのは全くの正論なんだけど、とりあえず個人開発でWebサービスを何か一つ作ってみろとかいうアドバイスをすると何故かあらぬ反発をくらうというか逆ギレされることが結構あって、それは要するに本人がそこまでたどりつけないというか何もできないからなので、そういう人たちも想定して取りあえず簡単な資格試験でも受けてもらって自分の理解力・能力の無さを否応なく認識してもらうための関門として提案する意味はあると思う。資格試験に受かったからといって特に有利になるというわけではないものの。
だって、基礎情報どころかITパスポートすらも突破できない連中だっているんだぜ。そういう連中に「実際になにか作ってサービスを1つでもいいから稼働させて」とか言ってもさあ、、
常に聴力や想像力をフル回転させなければならず、非常に疲れる。
逆に聞いている私がシンプルにわかりやすく言い換えなければならない。
せめて事前にテキストにでもしてくれれば、それを見ながらやり取りができてよいのだけど、そもそも言語化するのが不得手なのだからテキストに起こすこともできず、結局呼び出されて対面で話を聞かされることになる。
最近は相手も私(…に限らず他人)の理解力に依存した、意図的に稚拙な話し方しかしないようになってきて、私以外にも同様の感想(もはや愚痴…)を漏らす者がいる。
力の関係上、まったく接触を避けることもできず、複数人が煙たがる中、私にお鉢が回ってくるケースが少なくない。