はてなキーワード: 死にたいとは
夫に義母との関係が共依存的だと説明したら「増田ちゃんにとって自分にないものだから嫉妬してるんでしょ」と言われてもういいやとなってしまった。
確かに私は親に親らしいことはしてもらえなかったけど、そう言われては手も足も出ない。
以下は精神の弱い人間が大学院あまり行けなかったけど、無理やり酷い論文で修了したという話である。どこにでもあるような最悪な内容であり、頭の悪さも相まって「お前が悪いじゃん」「でもでもだってばっかりでそうなるのはお前が悪い、死ね」なのは重々わかっているのですが、自分の踏ん切りと内容全てを何処かに残しておきたい、という気持ちのため、ここに書かせてください。ごめんなさい。
私は地方大からちょっと良い地方大の院へ進学した。移動理由は色々あったが、地元への帰省と、自身のやりたい分野がその大学院にあったからだ。ちなみに計算科学系から有機合成系へ移った。
進学当初、私は先輩につくことができなかった。理由は単純で、単に先輩の手が空いてなかったからだ。とはいえ別グループの同級生が私に研究室のノウハウを教えてくれたため、何とか実験の動作は分かるようになった。しかし私はあまりに頭が良くなかった。合成や測定結果でわからない点を同研究テーマの先輩に聞いても、直属の後輩でないから分からなかったり、手一杯だったりで、かわされてしまい上手く相談ができなかった。教授との関係も悪く無く、寧ろ気にかけてくださっている方だったが、上手く相談できずどんどん一人で抱え込んで沈んでいってしまった。合成が下手というよりは、PDCAサイクルを回すのが致命的に出来なかったのだと今は思う。勉強は少しできても、研究が出来ない最悪のタイプだった。
研究室は先述の通り有機合成系で、コアタイムは緩いものの朝早く夜遅くが基本だった。もちろん私もそれに従った。しかし一つ問題があった、同居している両親である。詳細は省くが、父が難病、母が精神疾患を抱えており、家の面倒を度々見なくてはならなかった。夕飯を作ったり、買って帰ったりは日常茶飯事で、深夜まで母が狂ったように叫ぶのを宥めたのも数えきれない。そんな状況で大学院に行くなと言われればそうなのだが、それでも進学してしまった。なので授業、就活、実験という生活の中、親の面倒も見ると言うタスクが重なり、上手く眠れず個人的にかなりシビアな状態だった。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎると、周囲の学生とも何と無く関係ができてくる。当たり前だが、私のように「夕飯をどうしよう」なんて考える人はおらず、良いなあと心の底で思っていた。それに周囲は、学会や論文に共同研究とバンバン結果を出している。勿論努力の結果だし、純粋に凄いと思っている。対して私は何も出来ていない。B4から入ったのと、M1から入ったのでは理解も習熟度も異なるのは当然なのだけど、それでもどうしても周囲との差を感じてしまい、日に日に自身と比較しては落ち込んでいってしまった。当時の自分もそれは分かってはいたのだが、どうしても辛くなってしまった。家庭環境も含めスクールカウンセラーにも行ったが、どうにも辛さは解消しなかった。
トイレに行く時間が増え、学食から研究室へ戻るときが憂鬱になり、通学時に息が詰まる。仕方ないのでYoutubeで面白い動画を探し、見ながら笑顔になっている自分を感じながら「笑えるから大丈夫」と誤魔化していた。
しかし急に、ある日ベッドから起き上がれなくなった。どうしても起き上がれない、動けない。希死念慮が浮かぶ。自分はいなくなったほうがいいのではないか、私みたいな無能はどうやっても何も出来ないんじゃないか。実際無能だし死んだ方がいいと今も思ってる。ズルズルと風呂に入りもせず、ずっとベッドの上で死んだように寝ては泣いていた。いま文章を書いていても論理が不明だけれど、でも確実に辛かった。そして秋だった気候が冬に変わり、気づけば年も明けてしまった。研究室の友達も先生も凄く心配してくれたが、ずっと引き篭もっては一人体育座りして、夜が明けるのを日々恐ろしく思っていた。朝の鳥の飛び立つ羽音が余りにも力強くて、自身の無力さから泣いたりもした。そしてあれだけ楽しかった実験が、苦でしか無くなってしまった。
そうこうしているうちに就活が本格化し、それでも研究室にいけない日々が続いた。しかしこのまま退学をしても生きる道はなく死ぬしかない。極端な思考だと思うけど、行くか死ぬかという2択だった。どうしようもないけれど研究室に行くよりは就活は楽で、頑張って色々と行動して内定を得て、研究室へ復帰して、時折休みながら修士論文を書き上げた。ちなみに修士の中間報告や各種講義は、先生のお目溢しと慈悲と過去(M1前期)の頑張りでなんとか修了単位を頂いた。情けない限りである。
言わずもがな、周囲と比較して大変悲惨な修士論文が完成した。数ヶ月でできるテーマを2年もかけたのか?と言われたら反論の余地はない。自分でも悔しいし、誰もが優しかったし、大層恵まれた環境だったのに、自分に耐えられなかった自分が許せずにいる。今も死にたいし、実際周囲は嘲笑っていた。
休んだ理由はカウンセラーだけにしか言っていない。仮に本当のことを言ったとしても、休んだ事実は覆らない。
長々書いてきたが、勝手に精神を病んで、勝手に辛いと思い迷惑をかけた上に、カスみたいな修論を出した。もう2度と行かないし連絡しても欲しく無いから、正直連絡先も記したく無かった。
研究室の先輩、同期、後輩には色々とお世話になり、休みがちだったことが原因で叱られたこともあったが、本当にお世話になった。休んでからは直球の悪口も聞いたし(そいつは絶対に許さない)、嫌われていたのは承知だけれど、それでも何とか話してくれて有り難かった。
教授たちにも多大な迷惑を掛けてしまったものの、手厚い優しさ、応援を頂いた。それなのに何も出来ず本当に申し訳ない。
研究結果で返したかったのに、より一層自分の出来なかった・しなかったことが悔やまれる。期間を戻せるならやり直したいが、戻しても同じ病みかたをする気がするし、無能なのは代わりないから、そもそも院試で落ちた方が良かったのかもしれない。私の代わりに誰かが落ちたと聞いた。本当に申し訳ない。
面と向かって家族関係の諸般の事情を伝えていないのもあり、伝えにくいのだが、本当にありがとうございました。修士論文の末尾に謝辞を書いたが、あんな短い文章じゃ収まりきらないほどの感謝だ。
なんもしたくない
仕事をしたくない
仏教がいう通り人生は苦しみばかりなのに産むんでしょ?子供への嫌がらせだろ
産まれることを望まずに誕生させられてるんだから死ぬ時くらい楽に死なせてほしいよね
首吊り失敗して後遺症残ってもう二度と自殺企図できない体になったら地獄だよね
死ぬ前になんかデカいことやってやろうかなとかいう気持ちにもなったりする
何重にもオブラートに包んだけど
はあーしんど
アホくさ
生きてるだけで地獄だろ
毎日死にたいよ。毎日憂鬱になって、毎日消えたくて、毎日寂しくて、悲しくて、苦しくて、痛くて。毎日泣いて、憂いて、どうもがいても明日がやってくるのが怖くて仕方がない。何も持ち合わせない自分だから、毎日惨めだ。天は僕に何も一物も与えることはなかった。
死にたいけれど怖いものは見たくない。勇気がない。そんな小さなことすらできない。
病院に行ったって何の病気とも告げられない。ただの名も付かないような甘えた無能だった。薬は効かない。効いたらそりゃみんな飲んでるだろうしね。今じゃ病院に行くお金もない。
行って治るなら、みんな行ってる。飲んで治るならみんな飲んでる。多分人類みんな何かしら病気を抱えてる。それが当たり前なんだとしたら、こんな程度で喚いてる方がおかしいのだ。仕事ができないとおかしいのだ。
起きられない、覚えられない、頭が回らない、話しかけられない、顔を見れない、まともに喋れない。ないことだらけなのに、穴だらけなのに救われるべきボーダーまでは落ちてない。
死ぬ気で頑張って毎日順応して、首の絞まるような思いで働いているのに、やっぱり甘えだ。無能なだけの、でも働けてるじゃんって見られるから。どれだけ無能が惨めか、外側の人間は知らないのだ。スタート地点に前乗りして、終わって毎日復習して、ここにやっと立てているのに。
若さが何だと言うんだ。生まれながらの無能は何年経とうが無能のままだ。歳を取ったらマシになると言うならその間の数十年どうやって生きて死んでいけばいい。
今時の若さの水準がどんどん下がっていることに焦って、でも歳を重ねるのは止まらない。もう21歳だ。自立もできずにこんな歳だ。学生でも何でもない、20歳以下でもない、何の特別もないただの純粋な数字だ。そんなものに価値を感じるのも忌々しさを感じるのももうやめたい。
仕事がつらい。でも精神的に苦しいことを表に出せなくてどうしようもなくなってる。
上司とか同僚とかにいきなり「仕事つらすぎて死にたいです」って言っても大袈裟と思われるだろうし、「ちょっとしんどいです」くらいだと「もう少し頑張ってみて」って言われるだろうし。
友達に愚痴ってたけど、最近おっくうと言うか、ずーっと憂鬱な気持ちを聞かせるのも悪いと思って連絡をやめた。どうしたらいいんだろう。
私。発達障害、統合失調症、双極性障害、強迫性障害、20代の女。
でも、仕事向いてないな、と思う。楽しいけど。物忘れはひどいし、事務も漏ればっかり。電話をとれば全然聞き取れない。利用者が癇癪おこせば私までイライラする。
ここからは本当に最低な発言をする。先に謝っとく。ごめんなさい世間様。
ミスを指摘されるたびに、またやっちゃった、なんでこんな出来ないんだろう、なんてだめ人間なんだろう、って考えに支配される。
そんで、奇声あげてる知的障害の利用者を見て、ときどき羨ましくなる。この人たち、死にたいって思ったことあるのかなあ。
一般就労できる程度のIQはあった。だから、余計に辛く感じる気がする。仕事もできないほどの人間に産まれたら、人生、どうだったろう。
障害者を支えて賃金貰ってる立場なのに最低の発言してる自覚はある。でも、吐き出さずにはいられなかった。最低な自分を自覚しているから。
【追記】
書き方が良くなかったな。
私の疾患は歴代であり、統失は前の話でもうずいぶん良くなった。寛解とまでは言わないけどね。あとは躁鬱と強迫症だが……強迫症も発達が診断される前に、私の「こだわり」がそう見えていた可能性もある。なんにせよ、歴代そのような診断を受けた、というだけのことである。