はてなキーワード: 寒いとは
寒いんじゃない?
A「バスケットウェブいいよなあ…俺もバスケットウェブにすればよかった」
B「!!?!? おい、A!!バスケット部行くのか!?俺と一緒に甲子園目指すんじゃなかったのかよ😭」
とか
A「その前に!!!」
周り「????(; ・`д・´)」
周り「_(┐「ε:)_ズコー」
とか
子供の頃やってたアニメでこういうクソ寒いやり取りが頻出で、ほんと嫌で嫌でたまらなくてなるべく避けて生きてきた。
さすがに今の時代もうこんなやり取りなんて消え去ってるだろうと油断して、俺の趣味を題材にしたアニメ作品見てみたらまだ平気でやってたから即視聴停止した。
頼むよ……。
この手のやり取りに歓びを見出す視聴者なんてほんといるのか?
とてもじゃないけど信じられないんだが。
せめて仮にダウンタウンに見せたとしても
「うわっ寒っ……」
と彼らが慄然としなさそうな掛け合いの作品ばかりになったら俺アニメ見てもいい。
こういうやり取りほんとナシにしてくれ。
ていうか書いてて気づいたんだけど、このクソ寒いやり取りって完全に俺を除くはてなーのセンスだよな。
教えてくれよ、こういう掛け合いのなにがいいんだ?
半額目当てにスーパー行ったら惣菜コーナーに「Merry Christmas」って赤と緑で書かれたテーブルクロスが惣菜コーナーにかかってるわけ。
んでその上には定価のままのローストチキンの売れ残りだけが鎮座してるわけよ。
それはスルーして別の商品取ってレジに行ったらオバちゃんがサンタの格好してるわけよ。
24日の夜中にコスプレさせられて労働してる人がいるってのは中々しんどいなと思いながら商品を置いた。
そもそもこんな日に半額惣菜目当てに一人でスーパーに行ってる俺が、目の前の人に対してしんどいとか言ってる場合なのかって疑問が湧いてきた。
年末ってことに対して仕事納めがちゃんと出来るのかって不安で頭がいっぱいで、楽しいこととかイベントとか全然考えてなかったな。
負け組の怨嗟を見るためにツイッターを開いたら負け組共は有馬記念の結果でヤイノヤイノ盛り上がっていた。
ギャンブル依存症の連中にだってあるようなイベントの楽しみが俺の人生には存在しないのか。
なんかスゲー虚しくなってきたな。
ただでさえ寒い季節だってのにこんな気持じゃ病気になっちまうよ。
病気になったら……仕事納めが失敗するなあ……なんで残り一週間で仕事のこと考えてなきゃならないんだろ。
アホくせー
黙るしかないと言いつつ、私がこの問題に対して黙らなかったことで失った大きなものを思い出して、反省を残すために書く。
大体X(Twitter)の世論では、実家の太さ細さというのは定期的に話題になる。しかし、これはあまりにもピンからキリまで幅広く、個人の感覚に寄与する。だからこそ、この話題では「十分恵まれているのに自分が裕福だと気づかないタイプ」が大抵槍玉に挙げられる。その無自覚でいること自体が、暴力的だからだ。
そして私は自分が恵まれていると「気づき」、「無自覚でいることが今の世の中では暴力的なのだ」と思って寄り添う姿勢を見せたら、それこそがブルジョワ仕草だと痛感したという出来事があった。
自分が恵まれていると公言するのは、あまりいい美徳ではないだろう。そもそも家にお金があるかないか、人と話すこと自体は上品かというとそうではない。
そして生まれ育った地域や環境は、大いに自分の金銭感覚に影響を与えるため、周りと感覚が似通っていればわざわざ話すことでもない。そうして恵まれている場合は中々気づかない。また、大いに時代の影響もある。かつては夜職は「影の職業」という感覚があったが、今では本当に生活のためにその選択をせざるを得ないという状況は、中々理解できないだろう。
そして個人的なお金持ちの感覚は、例えば松濤に家がある、インターナショナルスクールに通う、などが指標だった。しかし、このようにわかりやすい金持ちよりも、日常に出るお金の使い方で色濃く個人の感覚は出てしまうのだなと大学に入ってから思った。
私は1000円くらいのランチは量にもよるが、安いと感じる。高いと感じ始めるのは1400円からで、1300円くらいまでならまあいいかと思う。
一方で違う友達は、2500円のランチを普通に誘ってくる。何十万もするバッグを普通に下げてニコニコ集合してくる。でもいい子だし、大好きな友達だ。これも彼女の世界で、彼女の感覚だ。でもその時点で私は世界が違うな、と感じた。彼女は幸せそうに、何度でも海外に行っている。そこに嫌味はなくて、ただ単に「世界が違う」。
そしてまた違う友達は、数百円でも昼ごはんには高いという。500円でもダメらしかった。そういう彼女から見れば私のお金の使い方は、あり得ないほど豪快なんだろうと思う。こちらがこのくらいかなと思って出した500円でも、彼女には受け入れられない。
親が学費を出してくれること。本が欲しくて言ったら別途それは必要なお金だと出してくれること。外食に行ったら好きなものを食べなさいと言ってくれること。私の日常は、とても贅沢なんだとある時気づいた。これは日常ではないんだって。
自分でもこれは使いすぎだと自分で買う。でもその感覚ですら甘やかされて育った様子が滲み出てしまって、自分に対する厳しさになっていない。うちの家庭の必要経費の感覚は、他では必要経費ではない。そんなギャップは友人間ではとても根深くて、日常的に出てしまう癖が酷く友人を傷つけてるなんて分からなかった。
某有名作家のスタンスを見ると、自分の父を思い出す。似たような年代で、同じように無自覚なブルジョワだ。友達の前で一言「寒い、上着持ってくればよかった」と話した世間話が、「じゃあユニクロがあるから上着を買ってこい」と飛躍した話になる。本当に現代のマリーアントワネットみたいで一切の悪気なく放つ言葉が、根深い社会的階層を示す。友人には苦笑いして言われた、「お金持ちだね」と。
流石に否定しまくって、厳しく父に伝えても、別の場面でこの父の子なんだと露呈する感覚がある。一生本当の意味で分からないんだと思う。分かろうとする努力をした、自覚的であれと思った。でもそんな態度でさえ、人に示しても無駄だし、どんなに金持ちではないと必死に弁明しても、言動からSNSから分かってしまうんだ。
この話題、きっとあなたも見てることでしょう。私は、金銭感覚について踏み入れるべきではない領域まで荒らして、傷つけました。私も傷ついた面もあったけど、弁明する立場ではない。
あなたと話したことで、私は恵まれていることに気づいても、ただその立場を自覚して、ひっそりと黙るべきなのだと分かりました。20代のうちに気づけてよかった。あなたを傷つけてしまって、ごめんなさい。でも、これから先の人生で傷つける人を減らせたと思う。
もう話せない友人へ、本当にありがとう。そして、ごめんなさい。幸ある未来を望みます。
追記:このような話題は友人と話すべきではないというのは最もですが、生活の中で出てくる金銭感覚のズレによって、例えばどんなご飯を食べるかなどによって、その人の感覚や家の背景が見えてくるというのが私の考え方です。そしてこれはデカ主語で申し訳ないのですが、昔に比べて家のお金について結構開けっぴろげに言う傾向があると思います。でなければ実家の細さ、太さなんてSNSで話題にはならないでしょうから。
ダイハツのせいで今週末の予定がすべて失われた
この時期なのでプレゼントも用意していたし
レストランも予約しておいた
が、すべてキャンセルした
当方コペンに乗っているのだが欠陥のある自動車で出掛けるのは危険すぎる、ということだった
点検に出していることや車検に出していることを説明しても無駄だった
レンタカーや先方の車を使う提案もあったがそれは却下させてもらった
オープンにして走るルートを決め、寒いだろうから防寒グッズまで用意してあったのにすべてが無駄になった
今覚えば、車のロゴを隠しておけば、こんなことにはならなかった
政府は試験管ベイビーとして美少女ちゃんを作り、彼女のクローンを量産すると弱者男性のもとに配ることにした。
こうして弱者男性のもとには美少女ちゃんが訪れ、弱者男性は美少女ちゃんと平和な家庭を築き、無敵の人による犯罪率も低下。
だが、現実はそう甘くなかった。
「あ…ねぇ、ねぇ、見て見て! あの人…ほら」
すると後ろ指をさされ、クスクスと笑われる。
何故なら例の美少女ちゃんを連れて歩く=弱者男性という認識はもはや誰もが知るところであり、彼女を連れて歩くことはすなわち自分が弱者男性であることの証明のようなものであった。
それに気づいた弱者男性たちは途端に美少女ちゃんに対する目の色を変え、彼女を蔑み、そして捨てていった。
町には捨て犬ならぬ捨て美少女ちゃん達で溢れはじめ、既に一部では社会問題化しようとしていた。
彼女たちは住む場所を無くし、頼る相手も居らず、たいていの美少女ちゃんは成す術もなく野垂れ死んでいった…
政府は自らの政策の失敗、それを認めようとはせず美少女ちゃん達の行く末を静観していた。
彼女は段ボールの中で膝を抱えて座り、何も見ず、誰も恨むわけでもなく、ただ寒さに体を震わせていた。
雪の降る日だった。
ああ。きっとこのまま私は……
そんなときだった。
「大丈夫?」
雪が止んだ。
顔を上げると、頭の上には傘があった。
そして目の前には一人の男の人が。
男はゆっくり、優しく微笑みかけた。
「……あなたは?」
「僕? 僕の名は——」
増田だよ。
「増田…さん」
雪の降る寒い夜。
それが二人の出会いだった。
「メリークリスマス」