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2015-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20150122112146

そりゃ地方と言っても中核都市レベルまで。

それ以下だと逆に中心部インフラが無い。シャッター商店街ってやつで。

から中心部に住んでようと、車で郊外ロードサイド店に行く。

そうなると昔ながらの住民はともかく、新しい住民はわざわざ街並みが古く不便な中心部には住まずに最初から郊外に住むようになるので

中心部年寄りだらけで空き家も目立つようになり、郊外に綺麗な住宅地マンションが増える。

2014-11-17

複製技術時代舞台挨拶

 水島精二監督、映画本編を見ずに舞台挨拶に複数参加するファンに苦言 - Togetterまとめ

 あなたは今,行きたくて行きたくて仕方なかった観光地にいる.ウィーン? パリ? ヴェネツィア? 何ならニューヨークサンフランシスコでもいい,好きな観光地を代入してくれ.ちなみにわたしはどれにも行ったことがない.

 あなたには見たいものがたくさんある.あそこのなんとか教会もかんとか美術館も,ひょっとしたら夏期限定ツアーとして運河ゴンドラで回れるかもしれない.悲しきニッポンの勤め人,旅程は往復の飛行機での何泊かを抜けばたったの3日しかない.さあ,どれから巡ろう? ここがロンドンならあなた悲惨だ.3日間すべてを費やしたとしても大英博物館ひとつですら踏破し尽くすことはできないのだから

 観光シーズンだけあって現地は実に快適だ.日本のような蒸し暑さなヨーロッパにはない.街角には日本では滅多に見ないオープンテラスカフェが建ち並び,観光客たちがその疲れた身体を休めたり地元民がぺちゃくちゃと何を言っているのかはわからないがかしましいおしゃべりを繰り広げている.

 あなたはそのうちのひとつカフェに足を運ぶ.本場に来たのだから美味しいコーヒーを飲もう,いやいや地ビールで清涼感を味わうのもよい.やってきた店員に注文を告げ,深く腰を下ろして一息つくと,あなたは鞄を開け,日本から持ってきた『ハリー・ポッター』の単行本を取り出すと,一心不乱に読み耽る……

 いや,それ今ここでする必要ないじゃん!

 という話で.

 もちろん,個々人の価値観は多様であり,そこに他人ケチをつけるのは野暮ではある.数少ない海外旅行の機会を,「海外の,日本にはないような雰囲気カフェ読書をして過ごす」のが理想旅行だというならわたしはその選択を尊重する.しかしわたしはそのように振る舞おうとは思わない.なるほど,確かにそのカフェ日本では入れないものであろう.気候や道幅の問題もあり,ヨーロッパではありふれたオープンテラスなど日本には滅多にないしあっても屋外に座る気にはなれない.どう考えても蒸し暑くて空気も悪い.せっかくヨーロッパに来ているのだからそういうカフェを堪能しようという気持ちはよくわかるし,わたしだって一度は足を運びたい.

 しかし,別にハリポの読書なぞ日本でもできる.飛行機時間は長いのだから往復を使えば賢者の石から死の秘宝まで全部読めてしまうだろう.だから,もう博物館美術館教会の拝観受付も全部閉まってしまってあとは寝て明日に備えるだけのホテルなりホステルなりのベッドの上での手慰みとして以外に,わたしは旅行先でハリポを読もうとは思わない(ハリポの聖地巡礼に来ているなら別だが).別にこれはハリポでなくとも指輪でも銀英伝でも何でもいい.もちろん,読んでいるひとの邪魔をするつもりはない.だがそれはわたしの目には「もったいない」と映る.おまえの目にどう映ろうが知ったことではないと言われたらそれまでだが.

 と,ここまで書いたところで冒頭のリンクに戻るわけです.

 わたしは舞台挨拶には一度しか行ったことがないし,その一度もちゃんと映画最初から最後まで見た.しかしそれでも思ったことがある.上映される映画の内容は毎回同じだ.仮に劇場に足を運ばずとも余程のことがなければ円盤だって出る.だが舞台挨拶は毎回違う.内容どころか出演している俳優の組み合わせまで違うし,語っている内容もどうでもいい日常トークならともかく(それにも価値を感じるひとはいるのかもしれないが),演者の抱いた映画への感想とか舞台裏の小話とかそういった映画のファンにとっては是非とも聞きたいものばかりだ.

 さて,ではこの状況において,MOTTAINAI精神体現者たるわたしはどのように行動するのが最適だろうか?

 あなた旅行先でありふれた楽器屋に入ってどこででも買える楽器を買うだろうか? あなた地元楽器屋のひとつもないシャッター商店街なのであればそれも当然の行動かもしれないが,まずは「今・ここ」でしか見られないものを見てできない体験をしようとするのではないか? だとしたらそれは舞台挨拶も同じだ.演劇と違って映画が複製技術時代芸術である以上上映している時期に上映している劇場に行けばいつでも見られるし,大スクリーンであの大迫力であることを諦めれば家で見ることだってできる.だが,舞台挨拶は,そこでしか聴けない.

 繰り返すが,わたしはそのような行動を取ろうとは思わないし(そこまでのリソース監督演者の生語りに割く気力が湧かない),監督演者不愉快に思う気持ちもわからないでもない.だが,たとえば旅行に置き換えて考えれば,本編を見ずに舞台挨拶ハシゴする人びとの気持ちならばがよくわかるのではないか.彼らは旅行先でハリポを読んだりDS遊んだりするのではなく教会美術館遺跡を巡りたいのである.つまりこれはモラルマナー問題ではなく,構造問題だ.どのように振る舞うのがもっと合理的かという話なのだ

 もちろん合理的であってもルール違反はよくない.いくら無理して始発で来るよりも会場前で夜を明かす方がレア同人誌を入手できる可能性があるからといって徹夜組ルール違反である.だが,一回チケットを買った者が,上映途中で眠りこけようが途中で帰ろうがそもそも見に来なかろうが,すべてルール範疇ではあるまいか.それとも一度チケットを買ったが最後中退席は断じて罷り成らんとでもいう風にルールを変えるか? 断言するが数ヶ月後にはその映画館には閑古鳥が鳴いている.

 もしも本気でそのような客を厭うのなら,解決はふたつある.ひとつ映画を複製技術でなくしてしまうことだ.コメンタリとして要所要所に演者の生の発言を被せたり,「この上映回でしか見られないエフェクト」をつけるなりすればよい.もうひとつ舞台挨拶の方を複製技術にすることだ.すべての挨拶は後日Blu-rayの特典なり何なりとして収録し,会場限定のグッズなど一定期間が経ったら必ずどこぞのショップで売るようにすればいい.

 こんな簡単な対策すら取らないなら,まあ,そりゃ,挨拶ハシゴするひとは増えるよね.でもって,そっちの方が損得勘定で得だと思ってるからそういう商売やってるんでしょ? だったら客のモラル責任転嫁して愚痴るなよ,情けない.

2014-03-11

【寂しい人へ】孤独を学ぶということ。

HIVになってから、日に日にナーバスになり、

身の回りに気を使わなくなった果てが汚部屋化という結果だったけど、

最近意識が変容してきて思い切って快適環境に向けて整理と効率化を、

考えながら毎日少しずつ実行するようになってきて。

ふと思い出したのがレビューにも書いたこの本。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480038094/ref=oh_details_o03_s00_i00

http://www.ferrysns.com/?m=pc&a=page_h_review_list_product&c_review_id=95

東京に住んでる人によく見られる家賃の高くて狭い部屋。

様々な部屋の様子が一目瞭然なのにヒントになるので買った。

で、著者である都築 響一氏の本を、以前結構読んでたので最近は?と検索

そしてただ今連載してるのが「独居老人スタイル」というテーマ

昨夜見つけて読みふけってしまった。

70歳を超えても新宿荒木町を中心に歌い歩くギターの流しに、

鳥取シャッター商店街20代若者叱咤しながら、

ラスタショップを営むおばあちゃん。

2丁目付近政財界からオカマまでが来て、

店がハネたらゲイクラブに行っちゃう

スナックママ

様々なスタイルの元気なお年寄り達の生き様に感動した。

独居老人スタイル

http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/tuzuki/01.html

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人間は放っておいても老いて行く。

ゲイという人種観念的で理想が高い。

若くて綺麗な者がもてはやされ、

そして老いていく者は周りから疎外され、

誰にも相手にされず朽ち果てていく。

そういう概念に今までは囚われていたけど、

孤独を楽しむ」というコトに目覚めてきた。

「誰かと一緒にいたい」「独りでは寂しい」「人肌が恋しい」

と、いうゲイ特有孤独な欲求。

その一番のはけ口がセックスで、

それを繰り返した結果、僕たちは病気になってしまった。

僕が病気になってからこの5年くらい、自問自答を繰り返してきたこと。

それは孤独に対してだ。

最初の頃は、何も考えずにリアルしたり、

ポジが集まる場所に参加したりして多人数と接したりした事があった。

多人数と交わった結果、他者に余計なサービス精神や、

気力などを使いすぎてその場が死ぬほど苦痛で、

その後少しおかしくなってしまった。

その後クローズドな思考になって、今に至るんだけど。

ただ、別にリアル主義を否定してるのではない。

そんなの個人の勝手から好きにすればいいハナシ。

僕自身が不器用なだけなのかも知れない。

でも、人それぞれなのだから

己の人格をよく知った上で、行動すればいいと思う。

ただ闇雲に「リアルしませんか」主義はどうかと思う。

そんなに寂しければ淫乱宿にどうぞって感じ。

そうじゃなくて、温もりが本当に欲しいのなら、

自分に優しくなることだと思う。

そうすれば、普段の生活でも、人に優しくなれると思う。

「もう人を愛してはいけない」

「もう好きになってはいけない」

「もう濃いセックスはできない」

こういう想いに囚われるのはこれから永遠に続いていくだろう。

画像スペックだけを表面上で図って、

「イケる」「イケない」だけで判断するのはいかがなものか?

TOPプロフにも書いたけど、ただヤルならいつでもできる。排泄でおしまい

でも、そこからの「関係性を発明する」ということを、僕は優先したい。

から、人は選んでいいと思う。

そういう事をふと、独居老人スタイルを見て思った。

自分を愛でて。ほっこりと、気ままに。そして人の話はよく聴くこと。

携帯twitter等、無差別に来る情報や文に惑わされないように。

そして孤独を楽しめるようになれるように。

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己の孤独を受け入れる覚悟のない者は、「自分語り」を止めない。延々と語る。自分語りは、大人としてあまり格好の良いものではない。人をうンざりさせる。大人とは、陽気に孤独を楽しめる人間の事なのだ。年は関係なく。(小池一夫)

2013-12-31

やくざ夏祭りシャッター商店街

商店街自営業の店で育った僕は、やくざはそんなに遠い存在ではなかった。

幼少期のぼくにとってのやくざは、父親の友人で、お小遣いをくれるサングラスのおじさんだった。

年に最低2回は決まった時期にやって来たことを覚えている。

夏祭りになると、近所の倉庫に人が集まり、父は顔を出す。

よくついていった。お小遣いを貰えるので欠かせない財源だったが、酒臭くて長くはいなかった。

夜になると、夏祭りモードの我家にもやってきて世間話をする。

お気に入り椅子が奪われるのを知っていたが、迎い入れるとお小遣いをもらえたので

それまでは遊びに行くのを我慢した。

また、年末になると、父親はヤクザ忘年会に呼ばれた。

僕が呼ばれることは無かったが、写真を見たことがある。

今思えばあんな店町内にあったのか?と不思議だ。

お誘いのために、家にヤクザがやってきたのをよく覚えている。

忙しい年末中での長時間の来客だったからだ。

小学中学に上がるにつれ、ヤクザという知識を得ると、

父親が普段とは違った態度で友人と接してたことや

夏祭りのあの倉庫に近寄る人が限られてたいたことや

小遣いを貰えるまで遊びにいけないのは僕の自由意思じゃなかったことを知った。

知識を得たから、そう思っただけかもしれない。

他の店がどうやってヤクザと付き合ってたかは知らない。

近所の蕎麦屋オヤジ自治会会長、父、そしてヤクザが、一緒に酒を飲むことはあった。

最後に会ったのは高校時代だと思う。最近は厳しくなってねえ。と、挨拶に返された。

卒業後に東京に行くことを話すと、賢いか大丈夫だ。親父さん似だ。と、応援されたが

その頃、父が嫌いだったから、似てるというそれはとても不快だった。

後になって知ったが、その頃、90年代の前半は、暴力団対策法というもの施行されていた。

警察どころか一般の店が大手を振り、暴力団反対と言いだしたのだ。だからしかったのかもしれない。

警察と言えば、僕が知っているヤクザ警察関係は、なあなあだった。

家にお巡りさんが訪れると、○○ちゃん元気?悪いことしてたらいってよー?ぐらい陽気だった。

派出所ポスターが胡散臭く感じるのは、当時からでかでかと暴力団追放ポスターがあったからだと思う。

その関係も、あの頃を境に変わったのかもしれない。派出所お巡りさんが○○ちゃんの安否を訪ねることも無くなった。

僕が東京から返ってくると、商店街シャッター商店街に生まれ変わっていた。

父も店を閉じた。父の理由は、年齢と売上というありきたりな理由だ。

ありきたりな理由だから、それがバブル崩壊不況なのか、駅前整備のショッピングセンターなのか、

他に理由があるのかも分からない。

結びつけるのもおかしいが、もしかしてヤクザもと思うことがある。でも、まあありえない。

あの頃は、色々重なりすぎてて、なぜそうなったかなんて分からない。

年末入れ墨の件で、誘いに来たヤクザのことをふと思い出した。

僕にとって、入れ墨銭湯禁止は、排除ではなく、他の人への注意に見えていた。

そこにはヤクザがいるんですよ。という印。

もう20年も立ったんだなと思う。

それが、何かを変えるには長いかいかはまだわからないが、

僕の知っているヤクザはもういない。

2013-01-30

パチンコ法律で禁止されても困らない人は88.0%

http://alfalfalfa.com/archives/6256682.html

そりゃやらない人にとっては禁止されても困らないでしょう。タバコと同じ

しかしなんでここまでパチンコを憎むのかなあ

嫌いなら行かなければすむだけのことでほっといてくれないかなあ

まあ家族や知人が身を持ち崩したなどの私怨があるとかならしょうがいかなとは思うけど、でもパチンコで身を崩す人はパチンコがなければ競馬やヤミカジノで身を崩したと思うし、、

やっぱりあの店構えが目障りなのかなあ。そういう人はもしパチンコ店が全廃したら今度はドンキ飲み屋100円ショップ消費者金融ののネオンが気に食わないと言い出しそう。そりゃ昔ながらの賑わった商店街なんかは楽しいけど、このご時世それは無理な相談じゃん。仮にパチ屋法律でアウトになったとしたらシャッター商店街更地化に拍車がかかるだけだと思うがなあ

おれはもうたまにしかやらないけどたまにやると楽しいよー

2012-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20120628123710

資産税なんざ作ったら人も金も国外に流れ出る

流出しようのない不動産にかける固定資産税増税あたりが落とし所でしょ

シャッター商店街も綺麗になるし、土地の値段が下がって、今土地を持ってない人でも買い安くなる

いい事だらけだ

2011-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20110401123408

力不足熱中症が増えるだの、失業者が増えるだのというのも耳にしてるだろうし、

真偽は問わず、そういうのが仮に事実だったとして、そういう主張を繰り返すということは

自分がそういう犠牲に立っても構わないし、他人がそういう犠牲に合っても「これまでのツケによる反動なんだから」仕方がないと考えるだろ?

面白い

たとえば私は、「経済的に死んだ土地」というのは復興可能だと考えている。

実際に、企画を立ち上げて盛り返した街もある。

しかして、「放射性物質で死んだ土地」はどうだろう?

シャッター商店街に移り住むのは、なんとか考えることができても、福島原発50km圏内に移り住むのは、今後数十年無理じゃないかな。

原発処理に数十年かかるだろうって予測があるからね。

火力発電事故で死んだ土地は、なんとかできる。

ダムの決壊で死んだ土地は、なんとかできる。

津波の爪痕だって農地にするのは難しいかもしれんが、なんとかできるだろ。

けど、福島原発周辺はどうすんだ?

処理済み燃料廃棄場にでもするか?


犠牲になる人はそりゃ出るだろうさ、万民にとって全く害のない施策なんて、まず無理だからね。

もちろん、自分犠牲になることもある。

から、なんなんだ?

2008-07-06

話が飛躍したかも

ヤマダ電機が正しいと言っているわけではなくて(ん?文中で言ってるのかな?)

特に目くじらたてて騒ぐほどの事でもないと言いたい訳でした。

勿論法律を守るのは当然ですよね。

ただ公取って売上が大きくて目だった会社に目をつけて意地悪しているようにしか見えないんですよね。

えっ、そんなこといいんじゃないってことでもやって来るようだし。

資本経済競争関係ない人たちだから。

小さな商店を守るなんて法律もあったけど、大規模出店法(いまあるか不明)なんておかしいたらありゃしない。

地方にシャッター商店街が増えているけど、それはただ努力と知識が足りないだけだと思う。

商店街で最後に噂を聞いたのは、三セクで金をひっぱって海外視察w

それで助成金つかって店舗(自分の家)を綺麗にして道路綺麗にして

それじゃ人はこないですよね。ホント

それで大型店が客を持っていくからこれ以上、大きな店を増やすな。

もちろんしっかりやっている商店は食えている訳ですが

何も努力もしない、昔は黙っても客が来ていたのに、どうしたらいいんだって動かない考えない商店は駄目ですよね。

そんな後ろ向きな企業を守るのが従来の日本法律

これからはもっと競争社会になるべきだと思う。

苦労してる人の気持ちが分かってないと仰る方がいっぱいいると思います。

でも私は、昔何をやっても食えず、努力しても報われず「何でだろ」と思っていた人なので

ある時から軌道にのって、これで一生食えるかなって資産もできたけど、

ある時気がついたら全部やられていたと(詳細は書きませんが)

当時は「どうして何で私だけ?」って葛藤があったけど、

いま思うと自分の事ながらザマーねぇーなっ自分が悪いんじゃんって感じですね。

一生懸命やってたようで努力していたようで、やはり何かに甘えていた自分だった気がします。

きっと「努力している」と思うのは仕事が好きじゃなく、面倒くさいことをやっていたので、

一生懸命やっている」と勘違いしていたのは、きっと何も考えないで目先の儲かりそうな事ばっかり

やっていたので、うまくいかなく無駄時間を費やす。

そんな感じでしょうか。

話がそれた...

話は戻って、とにかく量販店が正しいのではなくて、商習慣上、営業上しょうがないのではと思っているが正しい表現です。

私自信、何の後ろ盾もなく、飯を食えない時期もあり、それで誰かが助けてくれたか、何かが守ってくれたか

それは全くなかったと思いますね。

そこから這い上がって来たので派遣問題なんて、雇用が増えてお店の店員が増えて消費者が便利になっただけとしか思えないです。

無償労働(ただ働き)って書いてあるニュースもあるけど、お店に派遣された人が無償奉仕で働いていた訳ではないし

それはメーカーが負担すべき費用(値引き)だと思うな

メーカーも自分ところの厚い利益が欲しいために、メーカー → メーカー系販社 → 販売店と言う経路で商売している訳だし

メーカー系販社が仕入れと言う形をとっているため、一定以上の値引きに応じられないようにしている)

色んな値引きがあると思うので、強制派遣も一つの方法かなと思ってます。

あくまでも本件に対して、強烈に賛成している訳ではなくて、あくまでも「いいんじゃない?」ってのが基本姿勢なので

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