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アカデミー賞授賞式でのアジア人差別ジョークが波紋…アン・リー監督らが抗議
https://www.cinematoday.jp/news/N0081261
正式に抗議しても改めなかったんだね…
「現地時間2月28日に開催された第88回アカデミー賞授賞式でアジア人に対する「趣味の悪い、侮辱的な」ジョークがあったとして、映画『ブロークバック・マウンテン』と『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』で2度のアカデミー賞監督賞に輝いたアン・リー監督や「スター・トレック」シリーズのジョージ・タケイら25名のアジア系アカデミー会員たちが、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーに抗議の手紙を送った。The Hollywood Reporter などが報じた。
【写真】問題となっている場面…アリ・Gにふんしたサシャ・バロン・コーエン
問題となっているのは、司会のクリス・ロックがアカデミー会員の投票を集計する会計士としてアジア人の子供たちを紹介するという、“アジア人は数学が得意”というステレオタイプを強調した寸劇と、プレゼンターを務めた『アリ・G』のサシャ・バロン・コーエンが「なぜ彼らのためのオスカーがないんだ。とても勤勉で、ちっちゃな性器のついた黄色い人たちに」(その後、「わかるでしょ? ミニオンズのことさ」と続けている)というジョークだ。」
2016年、ロックは第88回アカデミー賞授賞式で「アジア人は数学が得意」といった
(プレゼンターを務めたサシャ・バロン・コーエンもまた、「アジア人は勤勉で性器が小さい」といった内容を
含むジョークを披露していた。)これに対し、アジア系アカデミー会員たちが、アカデミー賞を
主催する映画芸術科学アカデミーに抗議の手紙を送った。映画芸術科学アカデミーはこれに対し、
「アカデミーは懸念を知らせてくださったことに感謝するとともに、どんな要素であっても授賞式が
侮辱的なものになってしまったことを遺憾に思っています。今後の授賞式では、
ただのおっさんのハゲだって立派な病気なのにみんなして笑い物にしてるじゃねえか。
アカデミー賞のウィル・スミスの行動が女性を一人前扱いしていないからで
日本にそれを賞賛する(そもそも別に賞賛している人とかそんなにいないでしょ…)人が多いのは女性を一人前扱いしない文化だからっていうの
じゃあ例えば、男性が同性の友人や父親が侮辱された時に怒っても同じように言うのかな?
大切な人が侮辱されて怒るのは別にその相手が女性の場合に限らないでしょ?
正直その場合には暴力自体への是非は別として、家父長制だの所有物扱いだのといった反応って全然なさそうなんだけど
女性相手の時「だけ」そういうレッテルを貼る方がよっぽど女性をただの一人の人間だとして見ていない証拠だと思うよ。
奥さん当人が意思を表明している訳でもないのに、外野が勝手にDVだの何だのって決めつけて叩くのも大分失礼だと思うんだけどな
https://anond.hatelabo.jp/20220329212048
https://miyearnzzlabo.com/archives/80196
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5909563.html
このへんを読んでの感想。
どうやら、アメリカ国内では「ウィル・スミスが悪い」という論調が圧倒的多数らしい。
それは、アカデミー賞やウィル・スミス自身の反応を見ても明らかだと思う。
その背景として、アカデミー賞では慣例的にブラックジョークが披露されていたこと、出演者はそれを受け入れていたことなどが言及されている。
また、「妻を馬鹿にされて暴力を振るうのは悪い男性性の発露である」といった解釈もあるとのこと。
ここで、外部の目線として「そういった慣例や解釈自体がおかしい」という評価はできると思う。
しかし、重要なことは「事実としてアメリカもしくはアカデミー賞ではそういったコード(規範)があり、ウィル・スミスは当然それを熟知していた」ということだろう。
例えて言えば日本で育った日本人が他人の家に土足で上がり込むようなもので、外国人が「家は土足で入るものだから日本のコード自体がおかしい」と言ったところで、「日本のコードを熟知している人間が日本の家に土足で上がり込むのは非常識である」ということは変わらない。
要するに、物事を捉えるときには前提となる背景やコードの理解が必要だし、(上記の記事に書かれているコードが概ね正しいとすれば)コード自体を批判することはできてもウィル・スミスを擁護するのは無理じゃない?と、そんなことを思ったりした。
アカデミーとか暴力についてとかなんかそういうのとか関係なくていいと思うんだよね
自分の奥さんが、傷つけられたので、傷つけるなと憤慨して、行動した、って話ならそれだけでいいと思うしそれは評価されてもいいんじゃね
たとえ暴力でもね
奥さんが許容してるのに自分が激昂したから殴りにいったというのはダサいし、アカデミー賞はほしいというのもいまいち
こんな失礼な賞はこっちから願い下げだというくらいの気概はほしい
彼は僕が一生守ると誓った相手を馬鹿にしたからその報いを受けるべくしてうけた それで失う物があったとしても僕はかまわない そういう話なら外野がどうのいう事じゃあない
自分が端的にカッとなって殴った、というなら単に暴力の話だろう
④その上でこの結果をどうするのか
でも、このあたり説明があったらその内容次第だと思うし、それは公の場で暴力とかそういう事ではなくなる可能性もある
とりあえずウィル・スミスがショーの最中で放送中なのにポリコレに違反したってのは、世の男性とか国とか文化とかそういうのとは関係ない話だよね
彼が彼でなくなるような洗脳とかみたいなもので判断が毒されて異常な行動に出ていたのだったとしたら、アンケートしたり傾向を分析したり国別や文化などで話題にすべきだろう
妻だろうが夫だろうが身内をバカにされたらそりゃ怒るでしょ。
怒った時にファッキンって言うか殴るかの違いはあるだろうけどそんなに差があるんかな。
お互いに謝罪を発表して仲直りして終わりじゃ無いのかな。
・以前から妻は不倫を公言、ウィルもその当てつけに他人と不倫してることを公言してる
・夫婦仲は冷めきっており、愛情から怒ったのではなく妻へ向けたパフォーマンスで暴力をふるったと見る人が大多数
・毎年アカデミー賞で披露されるコメディショーはブラックジョーク、出演者はネタにされることを覚悟してる(怒らないのがルール)
・ビンタ時点ですでに妻へのジョークは終わって他の話題に移ってた。あれは「守った」のではなく「言葉に対する暴力による報復」
・妻がネタにされるまでウィルは他の出演者がアルコール依存をバカされるネタ等で大笑いしていた(ダブルスタンダード)
・一般人が舞台に上がりロックを殴ったら逮捕されるのにウィルスミスはされてないのがおかしい
・アメリカでは暴行は刑事事件であり被害者の被害届の有無は関係ないため逮捕されるべき案件
・気に入らないジョークに対して暴力を振るって良いはずがない、反論するなら口でやれ
・女性のハゲはネタにしてはいけないのに男性のハゲはネタにしていいのか、性差別ではないかとの意見大多数
・病気を笑ってはいけないならAGAも駄目なはずなのに過去にウィルはハゲネタで笑っている
…という意味ではなく、実運用ではお気持ちで運用されまくってるのでクソ、というお気持ち表明
今回のアカデミー賞でウィル・スミスがクリス・ロックを殴った件
と、ポリコレがインストールされてない自分から見れば点数は違っても全員赤点なのでダメ、という感想を持ったが
ポリコレをインストールした人達は上記のような感想でびっくりした
別に、これがスタンダップコメディショーならウィル・スミスは空気読めないやつ、と思うけど、アカデミー賞の会場だぞ?!
と、本番当日でもポリコレ感MAXのアカデミー賞だぞ??!!!
がウィル・スミスより問題視されないってことは、ポリコレの「偏見・差別を無くそう」という問題提起は、暴力以外なら「ジョークでした」で解決する、ってコト…?!
こんだけポリコレ感を出しまくってるアカデミー賞でさえこのザマなんだから、ポリコレの「偏見・差別を無くそう」という思想をお気持ちに左右されず運用できる団体は存在しないはず
ウィル・スミスのビンタ事件についてアメリカ人の反応と日本人の反応がまったく違う。
アメリカではウィル・スミスはサイコパス扱いされ、英語のコメント欄はクリス・ロックを称えるものばかり、アカデミーも暴力は許されない旨のコメントを発表した。
一方、日本では、愛する妻を守る旦那として素晴らしいと称賛を浴びている。はてなでさえ、ウィル・スミス擁護一色だった。
この違いは何から生まれているのかは明白であり、女を一人前として見ているかどうかが全く違う。
はっきりもう一度言うと、アメリカは成人女性は成人男性と全く同じ一人の大人の人間であるとして扱う一方で
日本では、女性は守られるべき庇護されるべき存在として扱われる。
この違いが、ウィル・スミス事件に対する正反対のリアクションとして日本とアメリカの間に現れたのだ。
「そんなことない!ウィル・スミスは愛する人を守っただけだ!」と否定したい人のために思考実験を行ってみよう。
仮に、ウィル・スミスと愛する幼い10歳の娘が一緒にアカデミー賞に出席してたとしよう。
そんな中でクリス・ロックが彼女のスキンヘッドについてジョークを飛ばしたとしよう。
そしてそれに対して今回と同じように怒ったウィル・スミスが壇上に上がりクリス・ロックをビンタしたとする。
これに対する反応はアメリカ人も今回の日本人と同じような反応をするだろう。
愛する人のためによくやったと。
子供は大人に対して意見を言うことができないし、子供は大人に守ってもらうべき存在だからだ。
だからこそ、アメリカ人もこの行動に対してはウィル・スミスを擁護する意見が多いだろう。日本人は言うまでもない。
一方、ウィル・スミスが5歳年上の筋骨隆々の愛する兄のウォーレン・スミスと一緒にアカデミー賞に出席してたとしよう。
そんな中でクリス・ロックが彼のスキンヘッドについてジョークを飛ばしたとしよう、
そしてそれに対して今回と同じように怒ったウィル・スミスが壇上に上がりクリス・ロックをビンタしたとする。
さあ、あなたはどう思うだろうか?正直に考えてみてほしい。
愛する人を守るためによくやったと思うだろうか?おそらくそうではないだろう。
なぜなら、ウォーレン・スミスは大人であり、不快に思うなら自分で主張することはできるし、
そのウォーレンの思いを勝手に汲み取り、ウィル・スミスがいきなり殴る必要はないからだ。
さあ、さて本題に戻ってみよう。
なぜアメリカではウィル・スミスは批判され、日本では称賛されたのか。
アメリカでは、妻のジェダは大人でありセレブリティであり自立しており自分で主張することができる存在として扱われている。
一方、日本では妻は守るべき庇護すべき自分で主張できないか弱い存在として扱われている。
だからこそ、こんなまったく正反対のリアクションの違いが出たのだ。
代わりに夫が守ってあげるのが当たり前だと。
リベラルとされるはてなでさえこの視点がまったくないのには驚いた。
別に日本が間違ってるとかアメリカが間違ってるとかではなく、明白な違いとして成人女性の扱いが違うのだ。女子供なのだ。
そしてそれを男性も女性も(むしろコメントを見ると女性の方が)肯定しているのだ。
AV出演の選択についても、日本では女性を守ってあげなきゃという視点で語られるが、アメリカでは自己選択権として真反対の議論がされるだろう。
それは日本の女性にとってありがたいことだろうし、悲しいことだろうと思う。
18歳男性の起業の権利や失敗の責任については、勝手に挑戦し、勝手に責任を負うことになるのが当然なのに
18歳男性のAV出演の権利や失敗の責任については、勝手に挑戦し、勝手に責任を負うことになるのが当然なのに
18歳女性のAV出演の権利や失敗の責任については大人たちが守ってあげなければいけないと議論しはじめる。
「妻は夫が守ってあげないといけないからね」「ウィル・スミスよくやった」
一方、アメリカでは評論家のミカ・ブルゼジンスキーはこう吐き捨てた。